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難攻不落の子爵令嬢シリーズ

トンデモ令嬢の残念なお父様の、覚醒!?

作者: 真央幸枝

お読み頂きありがとうございます。

笑って、ちょっとホロリとして頂けたらありがたいです。

「ふう・・・」


フェルナンデ子爵家・当主ジャンは大きな息をついた。肩にかかる茶髪のウェーブヘアをかき上げる。アラフォーのまだまだ男盛り。


ガラス窓から柔らかな日差しが入り、ウインドチャイムが優しい音色を響かせる。出窓に置かれたラベンダーの鉢植えからは芳香が鼻をくすぐる。

ここは大理石で作られた、豪華な子爵家紳士用お手洗いである。


高価な調度品が揃った執務室や、寝心地の良いベッドが置かれている寝室や、シャンデリアがきらめく大広間より、どこより何よりトイレが一番落ち着くなんて・・・


「ふう・・・」


ジャンは再度、大きな息をつく。

これから生家である伯爵家に、長男のエブラハムと向かうのだ。月に一度の親族紳士会のためである。

気が重い。今回はきっと、王太子殿下とセターレの件についてあれこれ聞かれるに違いない。



☆彡



ジャンは伯爵家の四男に生まれた。三男とは年子。

母は産後の肥立ちが悪く、ジャンが3ヶ月の頃にこの世を去った。


家族に蔑ろにされたわけではないが、かと言って、大事に育てられもしなかった。

母親の愛情もぬくもりも知らぬまま成長したジャンは、ただただ無機質な性格になる。

色々なことを億劫に感じ、面倒くさがった。


だからフェルナンデ子爵家のひとり娘との縁談は、爵位を継ぐこともなく、文官や騎士を目指すこともなく、夢も希望も目標もない当時17歳のジャンにしてみれば、正に棚からぼた餅であった。三兄(さんけい)とはその縁談を奪い合った。


最終的にジャンが子爵家へ婿入りすることになったのだが。



小さいながらも領地を経営していた子爵家は、領民からの税収で比較的安定した生活を維持していた。

仕事は義父や妻のマーガレットや使用人に任せておけば、働かずともお金が入る。お気楽婿殿ライフである。

マーガレットとは淡々とした夫婦生活であったものの、結婚して数ヶ月後には妊娠が判明した。理想的な家族計画だった。


ちょうどその頃、ある領民が税金を納められないと訴えてきた。

税が納められないのなら、領地から追い出せばいいと、億劫そうにジャンは使用人に命じたが、てこでも動かなかったらしい。面倒だが、言い出しっぺのジャンがその民家へ向かうことになった。するとジャンより5、6歳ほど年上の女が、7歳ぐらいの少女を抱きしめて涙を流している。


病で夫を亡くし、母子ふたり、日々食べるのさえ苦しい状態だと言うのだ。


「子どもに満足な食事も与えられない」


「もう生きていくのが辛い」


訪問する度にむせび泣く女。接している内に絆されてしまい、肉体関係を持ってしまった。


その事実を知った妊娠中のマーガレットは激昂し、離縁を言い渡してきた。


冗談ではない。離縁などしたら、気楽な生活ができなくなってしまう。別に女に入れ込んでいるわけでもない。大体、腹の子はどうすると言うのだ。

ジャンはプライドもなにもかなぐり捨てて、離縁を考え直すよう、泣き真似してまでも縋った。


離縁を撤回する条件はただひとつ。領地の女と別れることであった。ふたつ返事で条件を飲んだジャンは、別れ話をするべく女の家へ向かう。隙間風の入るボロ家は、すでにもぬけの殻になっていた。


数日後、領地の沼から、女の溺死体が上がった。


ジャンと関係があった女である。子どもの死体は上がらなかったが、無理心中したのだろうと片付けられた。もしかしたら次期領主といい仲になったのを、妬んだ誰かに突き落とされたのかも知れないが、貧しい未亡人の死亡原因など、調べる者はいなかった。


非情と言われるかも知れないが、何の感情もなかった。それより、面倒事にほとほと懲りたジャンは、領地の女には手を出すのはやめようと決めた。


離縁は撤回されたものの、マーガレットとの夫婦関係はすでに冷え切っていたので、ジャンは娼館へ通い出した。

子爵家領地には娼館はなかったので、隣の領地まで足繁く通った。ただ外泊すると家を追い出されそうだったから、どんなに遅くなろうとも屋敷には戻った。


数年経ったある日、生家の伯爵家から三兄がマーガレットを訪ねて来た。


ジャンの日頃の振舞いは、子爵家次期領主として相応しくないと、子爵家親族側から不満が伯爵家に届いたそうだ。現領主が引退する前に、ジャンと離縁し、自分と再婚してはどうかと提案してきたのである。


これはまずい事になると、その夜、ジャンはマーガレットの寝室に押し入り、嫌がる妻を陵辱した。


そうしてセターレを身籠ったのである。



☆彡



セターレはとにかく規格外の赤ん坊であった。

産声は豪快で、周囲を驚かせた。かと思えば全く手の掛からない不思議な赤子であった。


5歳年上の兄、エブラハムがようやく2歳近くになって喋り出したのに対し、セターレは1歳になる前から、単語をつらつら喋り出し、2歳前から二語文を操った。忘れもしない、初めての二語文は

『おとたま、ばいちん (おとうさま、バイ菌)』である。そこからは溢れるように喋り出した。


セターレはとにかくジャンを嫌った。


ジャンがセターレを抱こうとすれば、ぎゃんぎゃん泣きわめき、普段手の掛からない幼子だけに


「旦那さま、お嬢さまは私たちがお世話しますから」


と使用人たちに奪い取られた。


隙をついてセターレをあやそうとしてみたら、思いきりビンタを喰らわせてきた。

おまけに爪を頬に食い込ませるのだから、ジャンの頬からはうっすらと血が滲むあり様であった。


頬には痛みを感じた。しかし内心はふてくされた。

娘すら自分を必要としていないのか。



そんなセターレの驚くべき才能が爆誕したのは、かぶれ緩和の軟膏と、トイレを作らせてからである。

その評判は、子爵領にじわじわと広まってから、よその領地へも伝わって行った。


突然、降って湧いたように大金が入ってきたが、幼女セターレは、妻やエブラハムに、領地の公共事業に還元するようねだっていた。この頃には、ジャンは当主の座を義父から引き継いで、義父は相談役として補佐に徹していた。


ある日、生家の伯爵家から呼び出しを受けた。

領地の女たちが工房で作っていた軟膏の生産が注文数に追いつかず、工場(こうば)を作ろうとしていた矢先である。セターレが4歳の頃だったか。


伯爵家の父と、先代の祖父と、父の兄弟やら子やら、親族一同が集まった親族紳士会で、フェルナンデ子爵家が吊るし上げられたのだ。


田舎貴族らしく、慎ましやかな領地経営にとどめよ。


貴族の身分で下賤な商売をしたりするな。


領民に贅沢を覚えさせるな。図に乗る。


などなど嫌味や説教をたらたら食らった。


ほうほうの体で子爵家の屋敷に逃げ帰り、工場の建設の中止を家族や使用人に告げると、普段は物静かなエブラハムが珍しく抗議の声を上げた。


「父上は正気ですか?領地が活気づいて、領民たちの生活が向上してきているのに」


エブラハムの言葉に、沼で死んだ女が思い出されて、少し胸が痛んだ。


「仕方あるまい。伯爵家からの・・・圧力だ」


「・・・ヘタレチキン」


セターレがぼそり、と呟いた。


「え?」


ジャンが聞き返せば、セターレはジャンをゴミ屑でも見るような、冷ややかな眼差しで、


「お父様には、ほんとうに、ほんとーうに!ガッカリです」


と厳しい声で言う。さらにズキリと胸に痛みが走った。

だがセターレはそんなジャンを無視して、突然大声を張り上げた。


「ジジイ共!差別、上等!!10日後、伯爵家に、殴り込みよ!」



☆彡



セターレの宣言した通り、10日後、伯爵家に前回の面子を全員集めよと手紙を先出ししていた上で、乗り込んで行った。

ジャンとマーガレット、エブラハム、弁護士、会計士、速記士、商品モニターの女性、使用人、そしてなぜか祈祷師とセターレの総勢10名だ。

セターレは『チームF』と名づけていた。


応接間のオーク材の重厚なテーブルに、伯爵家親族たちとチームFの面々が向かい合って睨み合う。


まずはチームFの若い男性弁護士がその先陣を切った。

伯爵たちの前回の発言は、恐喝や侮辱、業務妨害などの罪に問えるとつらつら述べた。


「いしゃりょう、ばいしょうきん・・・」


セターレがボソッと呟く。

親族たちはちょっと顔を青ざめさせ、怯んだ。


次に、子爵領在住、工房勤務の綺麗どこの女性商品モニターが、現在、子爵領で製造している軟膏についてのプレゼンを始め、それから実際に父たちの掌に軟膏を塗るデモンストレーションを行った。


叔父たちがデレデレと鼻を伸ばし、頬を赤らめている。


「きも・・・」


と、セターレ。

その間、これまた若い男性速記士が、一挙一動、一言一句をも逃すまいと、驚くべき速記術で紙に筆を走らせていた。


続いて、弁護士と同世代くらいの男性会計士が、今後のビジネスの展望展開、売上予測などの数字を説明していく。

もしも伯爵家が販路拡大の一旦を担い、商売に協力した場合のマージンも叩き出した。


想像以上の数字に親族たちがゴクリと唾を飲み込み、頷くまでにそう時間は掛からなかった。


「ちょろ・・・」


セターレが呆れたように、親族たちとジャンを見た。



日が沈みかけ、伯爵家の執事らがシャンデリアに灯りを点ける頃には、子爵領については口出ししない等の誓約書と商品販売仲介契約書が交わされていたのである。


最後に年齢、性別不詳の白装束姿の祈祷師が席を立ち、ホワイトセージの束を手に、大真面目に告げた。


「無事に円満解決、誠におめでとうございます。

セターレお嬢様のご依頼より、これより王国安穏、王室弥栄、一族の子孫繁栄、子爵領の安泰・商売繁盛、セターレお嬢さまの健やかなる成長と美尻と美脚と美貌を願い、ご祈祷を捧げたく、皆様ご起立願います」


・・・最後のセターレの美尻美脚美貌とは何ぞや?


狐につままれながら、一同起立、言われるがまま頭を少し下げる。


セターレは使用人が袋から出した小太鼓を肩から引っ掛けると、バチを握りしめ、靴を脱いで椅子の上に立ち上がり、ドコドコと祈祷師の祝詞に合わせて叩き出した。


「王国の〜、安穏と〜」


ドンドコ、ドンドコ、ドンドコ・・・


「王室の〜、弥栄と〜」


ドンドコ、ドンドコ、ドンドコ・・・


祈祷師がホワイトセージを振りながら、祝詞を唱える。その祝詞に合わせて、腹に響いてくる小太鼓の音。

一族の子孫繁栄、子爵家安泰と商売繁盛の祈念が続く。そして祝詞がいよいよ佳境に入った。


「セターレお嬢さまの〜、健やかなる〜成長と〜、美尻と〜、美脚と〜、美貌の〜」


ドンドコ、ドンドコ、ドンガラ、カンカン!!!


小太鼓の音も最高潮に達した。


「・・・・・・・」


なんとなく無言になる一同。


「続きまして、セターレお嬢さまのご依頼により・・・」


「なにっ!まだあるのか!?」


疲労の色を滲ませた祖父、セターレにとっての曽祖父が情けない声を出す。


「無論です。これが肝心要でございます。今後、フェルナンデ子爵家の飛躍発展に伴い、恨み妬んだ悪しき者が呪術を施した場合の、最大にして最強の呪い返しの術を施します」


「の、呪い返しの術!?」


皆が戸惑っているうちに、使用人は袋からロウソクが2本ついた鉄帽を取り出し、祈祷師に被せて、火を点けた。


するとなぜか、応接間のシャンデリアの灯りがふっと消える。


「!?」


薄暗い応接間、2本の仄かなロウソク灯りの中、祈祷師の姿が不気味に浮かび上がり、親族たちの背中に冷や汗が流れた。

再び、セターレが小太鼓を叩き出す。

ドンドコ、ドンドコ、ドンドコ・・・


「フェルナンデ子爵家を呪いし悪しき者が〜現れし時〜呪いを〜聖なる神々の力によって〜倍にして跳ね返し〜」


「祈祷師様、呪いし悪しき者に、ハゲて太って、口と足とおならが、めちゃくちゃ臭くなるようにも、してください」


一所懸命、小太鼓を叩く健気な4歳の少女の願いに了承する祈祷師。


「その悪しき者は〜神々の聖なる力において〜毛髪という毛髪が〜抜け落ち〜腹回りは〜広がり〜口内と〜足裏と〜屁の臭いで〜孤立すれば〜」


ドドン!!!と、小太鼓の大きな音が鳴り響いた。祈祷師のロウソクの火も消えたその刹那、セターレがオーク材のテーブルに上がり、奇声を上げながら一周した。


「キエエエエエエ・・・!!!」


「「「うわぁぁぁ!!」」」


親族たちが悲鳴を上げて、腰を抜かす。


「ばあっ!!」


セターレが父の前に飛び降りた。


「ひぎゃあぁ!!」


父が聞いたことのないような悲鳴を上げた。


「わ、分かった!分かったから!セターレ!お、お前たちの好きなようにやりなさいっ!儂等はなんもせんからっ!!」


父が甲高い声を上げるのを、セターレは満足気に見つめ、にんまりと笑った。


「安心してください。おじいさま。あまーい汁は、たーんと吸わせて、あげます」



怒涛の会談後、チームFは手紙でも宣言していた通り、伯爵家に泊まることになるのだが、セターレは父に対して、伯爵家のクセに、トイレが暗い、臭い、汚いと散々こきおろしていた。


「セターレ、そのくらいで勘弁してくれ。もう、おじいさまの心は傷ついて、ボロボロだよ」


セターレが疑わし気に、父の目をじっと見ている。


「泣いてない」


「え?」


「泣いてないから、心は傷ついてない」


「し、紳士たるもの、そう簡単には泣けぬよ」


「関係ない」


父の言葉をピシャリと跳ね返すセターレ。


「ほんとに心が傷ついたら、誰でも泣く」


セターレは断固として言った。


「おじいさまの自尊心(プライド)、傷ついただけ」



☆彡



「大丈夫ですか?旦那様」


長い間、トイレに篭っていたので、心配した執事が様子を見にやって来た。


「あ、ああ、今戻る」


ジャンは慌てて、トイレを出る。


「お気持ちは分かります。居心地良いですよね」


執事がにこやかに頷いている。

子爵家に婿入りした当時は、通いや臨時を合わせても

使用人の数は両手で足りる人数であった。

現在は執事、侍女頭を筆頭に、数十名の使用人が働く大所帯となっている。

マリアン侯爵令嬢が嫁入りする時には、侍女がさらに増えるだろう。


「ではエブラハムと伯爵家に行ってくる」


と告げれば、セターレが


「ああ・・・あの東久留米でのオヤジ会ね」


などと意味不明なことを言う。しょっちゅう彼女は


『王都が例えて世田谷なら、子爵領(ウチ)蕨市(わらびし)だし』


などと奇妙な事を言って、探るようにジャンを見つめる。ジャンが何のことだと問えば、しれっとした顔で何でもありませわ、と応じるのであった。



伯爵家では予想に反して、ジャンとエブラハムは歓迎された。


「エブラハム!いやー、でかした!国王派の侯爵家令嬢を嫁に迎えるとは!大したもんだな!」


「それに比べて、セターレときたら!せっかくの王太子殿下のお声がけに無礼な態度を取るなどと!身の程知らずとはこの事だ」


セターレに非礼を詫びさせ、王太子に取り入るよう、説教をしてくる叔父たちにジャンは閉口した。


「それにしても、何の取り柄も能力もないジャンだが、蒔いた種だけは良かったな!」


などとひとりが言うと、他の者がゲラゲラ笑う。

エブラハムは不快そうに眉をひそめている。


「次はセターレが王太子殿下の愛妾にでもなれば、我が一族の力は盤石だな!!」


「しっかりセターレに言い聞かせるんだぞ!」


「お言葉ですが・・・」


エブラハムが何か言いかけたのを遮って、ジャンは叫んだ。


「セ、セターレはっ!セターレにはっ!政略結婚はさせませんっ!」


「なにを愚かなことを!」


「気でもふれたか」


叔父たちが口々に言う。


「セターレには!政略結婚はさせません!!」


ジャンは大きな声で繰り返した。


「「そうだよ!」」


加勢に入ったのは、なんと次兄や三兄の息子たちである。今日の紳士定例会には何としても参加すると、ついて来たのだという。


「セターレにお城暮らしなんて無理だよ!」


甥っ子たちがそれぞれ声を上げた。


「だって、この前、護衛たちと壁登りして、ドレス破いて、侍女頭に怒られていたよ!」


「「えっ!」」


「それにこの前は、ドレスのスカートをソリ代わりにして、芝の斜面を滑って、汚して、侍女に怒られていたよ!」


「「ええっ!!」」


「この間なんて、階段の手すりを横滑りして、会計士にぶつかりそうになって、会計士に怒られていたよ!」


「「えええっ!!!」」


「「だからセターレにお姫様なんて、絶対無理だよ!!」」


甥っ子達が年配者達ににじり寄る。セターレに手を出そうものなら、容赦しないと言わんばかりの形相だ。


「分かった!分かったから、日が沈む前に帰りなさい!セターレにまた、太鼓を叩かれて騒がれたら敵わん!」


父が心底呆れたように、でも笑いながら言った。



・・・今回の定例会は結局、エブラハムへのお祝いの言葉で和やかに終わった。


子爵領近隣の領地に婿入りした次兄と、三兄の息子たちが、今夜は子爵家に泊まるんだと、大喜びして鼻を膨らませている。


ジャンは次兄と三兄と同じ馬車に乗ることした。


「・・・お前、なんか、どんどん変わっていくな」


と、次兄。


「うん。いい方に変わってる」


三兄も同意する。兄弟だけなので砕けた口調だ。


「・・・俺はエビやセターレに育てられてる」


ジャンがしんみりと言った。人生観がどんどん変わっているのだ。億劫がって、面倒がっている場合ではない。ものすごい力で手を引っ張られ、恐ろしいくらいのスピードで日常が展開していく。


「まぁ、王太子はともかく、あの弁護士はセターレに惚れていると思うぞ」


次兄が言えば、三兄もジャンも同意した。



11年前、セターレが結成した『チームF』。

その後、祈祷師は王都で美人祈祷師としてその名を轟かせた。

速記士は王都で出版社を立ち上げ、季刊雑誌や本の出版をしている。そこで知り合ったライターの女性と結婚した。

会計士と弁護士は子爵領に移住してきた。


「あの祈祷で、自分の欲をぶっこんでくるヤツは、只者でない」


などど会計士は失礼極まりない言い草で、


「フェルナンデ兄妹は、王国、いや世界を席巻するビジネスリーダーになる」


そう予言した。会計士もしばらくは独身を貫いていたが、次兄が自身の領地で設立した銀行の職員と、数年前に見合い結婚した。

ジャンは実はこの男もセターレを狙っていたと確信している。


弁護士に至っては、


「セターレお嬢様が自分に『弁護士』という職業を与えてくれた」


そう言って、生涯セターレに尽くすことを早々に宣言している。

元々、王都で『弁の立つ男』として、悪い意味で有名だったのを、セターレが『あなたに相応しい、仕事がある』と言って、引き抜いてきたのである。

セターレとは年の差13歳。

結婚相手として、なくはない年齢差ではあるが・・・


「でもセターレにはその気がなさそうなんだよなぁ」


三兄が首を傾げる。


「あいつの好みって、やっぱエビなんだろうな」


「エビほどのキレ者、そうそういないと思うぞ」


健康で、頭が良くて、爽やかで、優しくて、セターレに献身的。


「・・・まだ15歳だし、そんなに早く結婚しなくても・・・なんなら結婚なんかしなくても・・・」


ジャンは父親として複雑な気持ちになる。理想の男性は、お父様みたいな人、とハートの瞳で言われるのが夢なのに。その役目は全て息子に奪われているからだ。


『あたち、おっきくなったら、おにいたまと、結婚ちまちゅ』


あの敗北感は、生涯忘れることはないだろう。



☆彡



翌日、兄や甥っ子たちを交えての賑やかな朝食の後、

ジャンは久しぶりに墓地を訪れた。


子爵領北側に位置するその墓地は、一等地にフェルナンデ先祖代々の墓があり、領民たちも自由に墓参りができるようになっている。

ご先祖たちにエブラハムの婚約報告と、セターレの守護を願った。

さらに進むと領民たちの墓石が並ぶ。そして一番奥には、普段は誰も訪れない無縁墓がある。身元不明の遺体や、親類、縁故者のいない者たちが埋葬されている。

あの沼で死んだ女もここに埋葬された。


無縁墓に訪れるのは、20年ぶりである。どうして訪れる気になったのか、自分でも良く分からなかった。


「・・・っ!!」


当時はただ雑草が生い茂る、うっそうとした場所だったのが、現在は綺麗に整備され、花壇も作られ、その一面にカモミールの花々が揺れていた。数年は経過したであろう石碑も建っている。

その石碑には『忘れない』と刻まれていた。


・・・忘れない。


忘れない・・・若気の至り。過去の過ち。


ジャンはその場に崩れ落ちた。

こういう細部にまで気を配るのは、エブラハムとセターレしかいない。我が子に、ここまでさせるなんて。


ぽろり。


ジャンの瞳から涙が落ちた。


胸が痛む。


現在の活気溢れる子爵領にいたら、あの女は死ななかったのか。

生活が苦しい、なんて言わなかったか。


『ほんとうに心が傷ついた時に、誰でも泣く』


セターレのあの時の言葉が胸に響き、ポロポロと涙がこぼれた。


カモミールが優しく、とても優しく風に揺れていた。



誤字脱字報告、ありがとうございます!

当面の間、感想フォームは閉じさせて頂きます。

m(_ _)m


※溺死体の理由はこれからのお話で判明します。

※カモミールの花言葉は『逆境から生まれる力』『あなたを癒します』『仲直り』などです

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