ミッション2 外務省の女
ミッション2 外務省の女
「来るらしいぜ」
「誰が」
「あの女だよ」
「なに! どうして昨日おれに教えなかったんです。写真見たんですか」
「ああ、見た」
「どうでした」
「うわあお。むしゃぶりつきたかったぜ。すげえいい女だ」
「くそっ、どうせ年増でしょ。それだけ出世しているのなら」
「いや、まだ二十代だろ」
「無理無理。どうやって二十代で事務次官補になれます。……わけないでしょ」
三郎と太郎が話している。
「誰の噂だ」おれは気になってたずねた。太郎と三郎は同時におれの方をふり向いた。
「既婚者には関係ない話ですよ」
「次郎には愛妻がいるからな」
係長の白井がこほん、と咳払いすると、二人は黙って気をつけをした。白井が続ける。
「本日、外務省から事務次官補殿が見える。全員粗相のないようにな」
三郎が聞こえるか聞こえないかのかすかな音で「ちっ」と舌打ちする。白井は眼鏡の奥からじろりと一瞥した。
太郎、おれ、三郎が代表する実動部隊の働きによって公安調査庁、調査第三部は成果を挙げている。しかし、法務省の職員が暴力で事件を解決していることが万が一にも公になれば大変なことになる。
そこでおれたち実働部隊は表向きは法務省と何の関係もない永久派遣職員が行っている。
白井は任務のことはからきし分からないド素人だが、正規職員で役職は上だ。事あるごとに的をはずした口をはさんで、おれたちをうんざりさせるのが仕事だった。
おれは胸騒ぎを感じながら聞いた。「何で事務次官補が第三部に来るんだ?」
「みえるんですか、だ。次郎」白井が憮然として言う。
「分かりました係長」おれはヒトラーユーゲント式の敬礼をした。白井はチョコボールと間違えて正露丸を噛んでしまったような顔をした。「お前っ」
半分本気でおれにつかみかかってくる白井から逃げ回り、狭い事務所内のキャビネと事務机の間を走り回っているときに声がした。
「騒々しいこと」
振り向くと、新宿歌舞伎町のホストクラブから出てきたような二人の痩せぎすの男がもったいぶって入ってきた。二人とも官公庁の服装規定ぎりぎりの派手なスーツを着ている。二人は狭い通路の両側に「ジョジョ立ち」すると静止した。
キャビネの物陰から光が漏れてきたのかと思った。スポットライトがないのが残念だ。女性官僚用のスーツに若干似ているが、有名デザイナーのテーラーメイドに間違いない短めのスカートから高いヒールを履いたグラマラスな足が出てきた。栗色に染めた髪は大きくウェーブして腰まで垂れ下がっている。女はホストたちの間で右手を腰に当て、いったんポーズをとって頭をしゃくりあげた。栗色がシャボン玉のようにふわっとゆれる。スリーサイズは九〇、六〇、九〇といったところか。
おれは背中にじっとりと冷たい汗が流れるのを感じた。ふと脇を見ると、太郎の目が焦点を失っている。三郎のあごが文字通り落ちている。
おれは小声で声をかけた。「おい、しっかりしろ」
しかし彼らは動けない。辛気臭い調査室の事務所に真昼の太陽が現れたようだった。こいつは確かに特Aクラスの美女だ。
「ごめんあそばせ」美女が流し目をくれると、白井がしゃちほこばって気をつけをする。
「こ、これは叶事務次官補。よくお越しで」
ハアハアと息をはずませているのはあながちおれを追い回していたからでもなさそうだ。
叶と名乗った女は切れ長の目でゆっくりとおれたち一同を眺め回した後、首をかしげて会釈をする。
「外務省事務次官補、叶舞子と申します。よろしくお見知りおきを」真っ赤な唇を曲げ艶然と微笑む。
「これからしばらくの間、ご一緒させていただきます」
おれのいやあな勘があたった。しばらくご一緒だぁ?
おれは浅見課長を振り向いて尋ねた。
「課長。どういうことです?」
浅見課長はロイド眼鏡をきらりと反射させ、目を見せないようにして答えた。
「今回の任務に関して外務省と共同で対処することとなった。任務内容は外務省から流出した極秘ファイルAの回収だ。調査庁は回収までのサポートを行い、回収作業そのものはこの叶事務次官補と……」
ホスト二人が礼をした。
「警視庁警備課の金田俊夫です」
「同じく馳銀二です」
こいつら警察官だったのか。どう見てもお水の商売にしか見えないが。
「金角銀角かぁ」と太郎が敵意のこもった小声でつぶやいた。ホスト二人組みのまゆがぴくりと上がる。出会いから最悪の雰囲気だ。金角が不快そうな表情をかみ殺して自己紹介する。
「私たちは特に叶事務次官補の身辺警護とサポート要員として配属されています。このたびの任務には公安調査庁のみなさんと一緒に実動部隊に参加いたします」
「ええー。叶さんもですか」三郎が普段の軽快さを失いすっとんきょうな声を出した。
「髪の毛を気にしている女に任務が務まるのかよ」おれがぼそっと言うと、白井係長があわてて発言を打ち消すように両手を振った。
浅見課長が重々しく言う。「叶女史は経済産業省審議官、叶栄作氏のお孫さんであられる。本来、自らの手をわずらわせるような身分の方ではない。しかし今回の任務の機密性の高さゆえにたっての希望で実働部隊に参加されることとなった。諸君らは彼女を主体とした任務に尽力してくれたまえ」
「親の七光りか」すごく小さい声で言ったつもりだったが、それを聞くと叶舞子は切れ長の目をきっと向けておれをにらみ付けた。どうやら怒りのツボに触れてしまったらしい。
「コネで甘やかされているだけの女かどうか見せてさしあげますわ。一緒に射撃場へ行きましょう」ハイヒールのかかとを鳴り響かせて先にたった。
「射撃場?」白井係長がしらばくれる。
「射撃場?」おれたち全員が無垢な中学生のように目を丸くさせて立ち尽くす。
そんなおれたちに苛立ちを隠さず叶は言った。
「しらばくれないでくださいな。第三部のことはちゃんと調べてから来たのよ。地下秘密基地をお見せなさい」
おれは仕方なく肩をすくめた。浅見課長を除くおれたちは全員表情で肩をすくめた。
公安調査庁第三部の地下には任務に必要な数々の施設がある。都心全ての信号やNTシステムとつながっている電子統合司令室。松戸老人のこもる開発室。当然のごとく防音設備を備えた射撃場もある。
浅見課長を先頭におれたちは秘密の入り口へ歩いていった。白井係長も仕方なく続き、おれたちは全員小学校の登校班のようにぞろぞろとエレベータへ通じる隠し扉を通り、地下射撃場へ行った。
叶はおれの方にくるりと振り向いて腰に右手をあてる。
「鈴木次郎さん。あなた、第三部のエースだそうね。私と射撃比べをしてくださいな」
おれは肩をすくめ、その仕草がますます叶をいらだたせるようだった。
叶は銀角の開けたRIMOWAのアルミ製ブリーフケースからコルト357パイソンの銃身長2.5インチを取り出した。ロイヤルブルーのつやがあるボディーにコルクを張った特注グリップ。女の小さい手に合わせて細めに作ってある。
叶は慣れた手つきで弾倉をスイングアウトし、手でなでるようにして回すと、リローダーを使い流れるような動作で弾を装てんした。金角銀角は標的や詰め替え用の弾丸を準備するのに忙しい。
叶は銀角の差し出したイヤープロテクターをかぶり、シューティンググラスをかけると右ひじをまっすぐに伸ばし、左手をグリップの下に添え、立姿勢でいきなり撃ち始めた。
標的までの距離は五十メートル。標的の頭と心臓部分に同心円が描かれている。その中央部分にぷすぷすと穴が開いた。
六弾全弾打ちつくすとただちにリローダーを取り、こぼれ落ちた薬きょうに続いて弾をこめる。再び射撃姿勢に戻るまで二秒もかかっていない。再び、連射。
射撃が終わった。金角がボタンを操作すると、天井から吊り下げられたマン・シルエットの標的は電動モーターの音とともにこちらへ運ばれて来た。的の中心部の直径が五センチしかない黒点に全て着弾していた。
浅見課長と白井係長が拍手をする音が白々しく射撃場に響いた。叶はパイソンをしなしなと振って銃口からもれる煙を散らした。
「お次どうぞ」
おれはやる気なく太郎に差し出されたピースメーカーを握った。距離五十メートル。よくねらって撃った。精密射撃はクイックドローとはまた別の技術が必要だ。
たん。たん。たん。たん。たん。たん。
続いて一発ずつ排莢し、一発ずつ装填するおれを叶は冷笑して見ている。
たん。たん。たん。たん。たん。たん。全弾発射。
射撃が終了し、すべるようにやってきた標的を見て座が固まった。おれがマン・シルエットの顔に打ち抜いたのは、十二発の弾痕で描いたニコちゃん : ) マークだった。叶は引きつったような笑顔を浮かべる。
「わたくしの勝ち、ということでよろしいのかしら」
「実戦はそんなに甘くないぜ。敵は撃たれるまでじっとしていちゃくれない」
叶はまゆをひくひくと動かしたが、そのまま後ろを向いて歩き去った。しゃなりしゃなりと腰が振れる。出口で頭だけ後ろを向くと言った。
「では明日、作戦会議をやりますからよろしく」金角銀角も荷物をしまうと足早に叶の後を追った。調査室一同呆けたような顔で外務省からのちん入者を見送った。
次の日、おれが出勤すると、三郎の肩が落ちていた。
「おい、どうした元気か」
三郎はおれを振り返るとはあー、とため息をついた。目がどんよりとよどみ、血走っている。
「駄目だ。熱っぽくて」
「風邪でもひいたか」
「舞子プラズマに感染した」小さく咳き込む。「ううー、あの腰、あの胸」
おれはやつの背中をどやしつけた。「お前馬鹿か。そんなことで第三部がどうする」
「おれだけじゃないぜ。係長も感染した」
見ると白井係長も青白い顔にこぶしを当て、ごほん、とか咳き込んでいる。
太郎はクールさを装ってはいるが、白い顔をしている。やつのパソコン画面を見るといつの間に隠し撮りしたのかデスクトップの壁紙が叶舞子になっている。第三部は事務次官補のお色気で壊滅状態らしい。
「打ち合わせだ」浅見課長がぼそっとつぶやいた。第三部一同が熱病患者のような足取りで作戦室に入ると、すでに外務省チームは準備を終えて待っていた。
金角銀角はあてつけか、それぞれ金ラメ、銀ラメのスーツを着て来た。叶は昨日よりはでな赤いラメ入りのスーツを着ている。胸ぐりが必要以上に深い。三郎の目が飛び出しそうになる。
「ではみなさま。今回の任務内容を説明させていただきます」金角はレーザーポインタをライトサーベルのように構えると一同の前に立った。
銀角がさりげなく部屋の電灯を暗くし、PCプロジェクターの電源が入る。パワポのプレゼン動画がスクリーンに踊った。
「今回の任務は外務省の機密ファイルを回収することです。機密ファイルは内部的に重要度に合わせてA、B、Cの等級がつけられています。今回の任務対象ファイルはA扱いであり、外務省でも事務次官補以上の幹部でなければ閲覧できないものです。
そこで、回収後、機密ファイルAの現物確認のために叶事務次官補が中身を閲覧する必要があります」
金角は一同を見回した。目光が鋭い。
「さて、機密ファイルの流出先ですが……」プロジェクターの資料が変わった。どこかの建物の正面玄関の写真だ。『陸羽政治研究塾』という字が白木の板に筆書きで書かれている。
「この極右団体が外務省内部の職員を操って持ち出した多数の書類の中にファイルAが存在しました。当該職員は懲戒免職となりましたが、金銭授受の疑いがあり、現在刑事告訴に必要な証拠を集めている最中です。
しかし、これは警察と外務省の仕事であり、今回の任務の対象ではありません。対象はあくまでも機密ファイルAのみです。他の書類は流出しても損害を回復できる程度のものです」
「問題は、機密ファイルAだけか。どこにあるのか分かっているのか?」
おれの質問に金角はもったいぶってうなずく。
しかし太郎も三郎も魅せられたように叶に注目して上の空だ。
「はい。場所は判明しています。しかし、陸羽政治研究塾の武闘派がこれを守っており、外務省との取引材料にしようとしているのです。以前から陸羽政治研究塾は反米路線で、外務省の対米政策に批判的でしたが、このカードを用いて外務省に圧力をかけ、その実績で賛同する企業から資金援助を得ようという目論見のようです」
叶が口をはさんだ。
「そこで今回は陸羽政治研究塾の支部を強襲し、機密ファイルAを強奪します。多少手荒なことは止むを得ない、と事務次官の同意を得てはいますが、外務省および法務省が関わっていると公にはできません。そこの所をよろしくお願いします」
おれは嫌々ながらうなずいた。こっちは永久派遣職員の身分。相手は外務省のキャリア。よろしくお願いします、と言われても事実上の命令だった。
「なお、今回の任務で特に注意を要する点は次の人物です」金角は次のプレゼン資料に移る。目つきの悪いスーツの男が映っていた。
「陸羽政治研究塾の武闘派の中の最も過激な思想の持ち主羽生寺彦。知能が高く、蛇のように狡猾です」確かに毒蛇みたいな目つきだ。
「それから羽生のボディーガード兼殺し屋の鹿間なおみ」次の写真は黒い皮つなぎを着た長身の男だった。前のファスナーを下げ、すきまから胸毛が見えている。
「得意技は徒手格闘による殺人ですが、銃器の扱いも一流です。愛用している銃はブローニング・ハイパワー」
「反米なのに、銃はアメリカ人設計かい」おれは口をはさんだ。
「DAの方だから、ベルギー製です」叶が言う。
「おれもワッフルは好きだよ」
叶はおれをにらんだ。三郎の、ああっ怒った顔も素敵、というつぶやきが聞こえる。
叶はつん、とあごを上げると聞こえよがしに言った。
「ふざけてばかり。エースも臆病風に吹かれたのかしら」
おれがわざとがたん、とテーブルを揺らして立ち上がろうとすると、左右から太郎と三郎がおれの腕を押さえる。
事務次官補を怒らせておれをこの任務からはずさせるのが狙いだったが、浅見課長は無慈悲に宣言した。
「潜入調査員からの連絡および、不祥事を起こした外務省職員に対する尋問から機密書類Aの保管場所が特定できた。実行班は叶事務次官補と金田俊夫・馳銀二両警部補、鈴木次郎永久派遣職員」
おれはずっこけそうになった。金角銀角警部補だったのか。
浅見課長はこっそりとおれに耳打ちした。
「やりづらいのは分かるがこらえてくれ。調査庁も立場があるので辛いのだよ」
「外務省や警察の偉い人がケガでもしたら、責任とれませんよ」
「さすが次郎。派遣とののしられながら相手を思いやるとは。良心回路が傷むか」
「はあっ?」
「いやその」浅見はぼそぼそと口ごもった。
「決行は、明日二五〇〇《ニイゴーマルマル》時」
陸羽政治研究塾のアジトは港区の倉庫街にあった。
その倉庫はとある貿易会社の所有だが、そこの社長は陸羽政治研究塾のシンパだ。建物は貿易商品の一時保管所という名目だが、内部には食堂や宿泊所・会議室などがあり、数十名が潜伏できるように改装してあるとのことだった。
夜の倉庫街は港区とは思えないくらい人の気配がない。要所要所にある夜間照明が道路を照らしてはいるが、かれこれ一時間たつのに、まだ一人も歩行者が通らない。人気のないアスファルトを海へ向かって吹く風がなでた。
道路を隔てて向かい側の倉庫陰に集まったおれたち実行班は四名。おれは動きやすいチノパンツとシャツにランニングシューズ、防弾チョッキを着ていた。金角銀角はさすがに目立たない作業衣の下に軽量の防弾スーツを着込んでいる。しかし叶は……。
「お前、ファッションショーに来たのか」
叶が着ているのは身体にぴったりとした黄色の半袖シャツと黒いタイトスカートに網タイツ。長い髪は編んで一つにまとめ、後ろに垂らしている。さすがに足元はトレッキングブーツを履いているが。
「そんな格好で強襲任務ができると思っているのか。おれは抜ける」
「待ちなさい。鈴木次郎巡査。いえ、派遣職員だから巡査ですらないわね。これは命令です」
おれは両腕をぶんぶんと振り回した。
「相手は射撃のプロだ。おれたちの足手まといになってケガするつもりなら、おれは最初から降りるぜ。後は勝手にやんな」
おれは現場を去ろうとした。
「待ちなさい。鈴木派遣職員」
おれは歩調をゆるめなかった。
「分かったわ。こちらへ戻りなさい」
叶事務次官補はあきらめたように言った。
おれがわざわざ疑い深そうな目つきをしながらしぶしぶと戻ると、彼女は金角の差し出す防弾チョッキを受け取って装着した。
「あと、鉄ヘルメットとよろいもあればいい」
「馬鹿にしないで」叶はおれを大きな切れ長の目でにらみつける。
「あと、後ろに下がってて呼ぶまで待っていてくれれば一番いい」おれは構わず続けた。
「前衛は金田警部補。バックアップは馳警部補。わたしと鈴木派遣は一階から順番に上へ各階を制圧」おれの発言を無視して叶が指示する。
おれは黒煙くすぶる炭を胃の中に呑み込んだまま仕方なくうなずいた。
全員がホルスターから拳銃を抜いて弾丸の装填を確認した。金角銀角は警察官らしくニューナンブの安全ゴムを取り外した。
携帯用送受信機のスイッチを入れ、小声でマイクのテストをする。頭につけた骨伝導式スピーカーから音が伝わった。
「太郎。状況はどうだ」
「陸羽の連中はほとんど本部会議で出払っています。超音波計測で内部の様子を調べていますが、今ひとつはっきりしません。壁が外見とは異なり、かなり丈夫なコンクリート製らしいです。もう少し待ってください。作戦の変更は今のところなしです」
「あたりまえよ」叶はマイクに向かって言った。「作戦変更なんてありえないわ。さっさと調べて頂戴」
おれたちはそのまま待機していたが、太郎からの連絡はなかった。予定の二五時をとうに過ぎ、二六時近くなった。事務次官補が目に見えていらいらしてくるのが分かった。
「太郎。どうしたんだ。まだ調査が終わらないのか」
「調査は終わったんですが、なんか気になるんですよね。おれのカンですけど」
「どういう風に」
「あの羽生って男。おれと同じ臭いがします」
「どんな」
「メカおたくです。もしおれのカンがあたっていれば、ここはただの倉庫じゃないです」
「じゃあなんだ」
「おれならこういった場所をお化け屋敷にします」
「お化け屋敷」
「ほら、子どもの頃、物置に入ると足がひもにひっかっかって上からものが落ちてくるような仕掛けを作りませんでしたか? 秘密基地と名づけて」
「いいかげんにして!」叶がさえぎった。「もう人が出払っているなら待つ理由はないわ。行きましょう」
「でも、まだ準備班からGOが出ていないから……」
「私がGOを出します。さあ行くわよ」
金田警部補がおれにだけ見えるように寂しく微笑んだ。馳警部補はおれの背中に手を置いた。それで彼らの気持ちは伝わった。お互い宮仕えは辛いな。仕方ない。
おれは太郎の使いから、追加装備を一つ受け取ってから外務省チームに加わった。
二六〇〇時。ゴー。
おれたちは散開し、人気のない倉庫街の大通りを横切って『海抜水産貿易』と書かれた看板の下にある扉をくぐった。金角銀角が左右を見張り、おれが扉を開くと叶がパイソンを顔の横に構えたまま中に飛び込んだ。続いておれも中に入る。
一階には荷物の森だった。木箱が人の背より高く詰まれ、そのすきまに通路が作られている。一階の電灯は消えており、非常口を示す緑色のランプのみが光っている。
先に進んだ金角が振り返った。
「どうだ」
「奥のプレハブで笑い声が聞こえる。やつら、酒盛りの最中らしい」
「確認して」
叶の指示で金角はプレハブの入り口へ進んだ。壁に背をつけ、ドアをこん、と叩く。反応がない。再び叩くと、中からあわてたような物音がして、一瞬後ドアが開き、顔が真っ赤に上気した禿頭の男が現れた。
おれが構えている銃を見ると目を丸くした。その一瞬のすきをつき、金角の腕がはげ頭ののどにかかる。チョークスリーパー。十秒後にはげ頭はおとなしくなった。
おれと叶がドアに飛びつくが、中には誰もいない。話し声と思ったのはテレビの音だった。どうやら見張りを残し、事務所の人間はほとんど出払っているらしい。
はげ頭を手錠で柱につなぎ、猿ぐつわをかませると部屋の中を調べたがなにもなかった。下っ端の詰め所だ。
部屋の外へ出て上を見上げると、空中にはジュラルミン製の渡り板が十字に走り、隅には箱型のプレハブ部屋が乗っている。事務所は二階か三階らしい。
壁際に上へ登るジュラルミンの階段が張ってある。
階段も渡り板もメッシュ構造で、人影が通るのが丸見えだ。狙い撃ちされたらひとたまりもない。しかし他に上へ行く道はない。
打ち合わせどおり、金角が一人で先にのぼり、おれたちは後ろからバックアップする。何か動きがあればすぐに援護射撃できる位置についた。
二階へ登った金角があたりを見回してから手招きした。叶、続いておれが階段を登った。銀角は最後に登った。
おれたちが二階を制圧しようとしているとき、背後で衝突音が聞こえた。
振り返ると後から来ているはずの銀角がいない。
階段を登りきったところまでくると階下にぐにゃりと力なく倒れている銀角の姿が見えた。
「馳さん!」
金角が急いで階段を駆け下りようとする手首をとっさにつかむと、金角の足下で急に階段が回転して滑らかな滑り台と化した。金角は危ないところでおれにしがみついた。
おれたちの目の前で階段はゆっくりと元に戻った。
「なるほど、お化け屋敷か」
どこからかの遠隔操作で階段を畳んで滑り台にする機構がある。おれたちの動きも見られているわけだ。
おれは階段の横に隠してあった油圧装置をナイフで壊してから、こわごわと階段を降りた。
銀角の首筋に手をあてる。意識は失っているが脈はある。滑り落ちて階下の鉄パイプに激しくぶつかったのだ。とりあえずそのままにしておく。今三郎チームを建物に入れるのは危険だ。
「行くぜ」二階に戻ったおれは言った。叶は青い顔をしている。金角は唇を噛んでいる。
一階のときと同様に金角が先に立った。おれと叶は背後からバックアップしている。
二階には強力なスポットライトが数箇所あった。指向性の強い光は照らした所をくっきりと見せるが、その死角は真っ暗だ。
おれと叶が左右を制圧しているうちに金角は奥へ進んだ。倉庫は奥行きが広く、ずっと奥は見通せないくらい遠い。
「あっ」
金角の叫び声がし、続いてどしんとものの落ちる音がした。
「金田警部補」叶が叫んで駆け寄る。
マグライトで照らすと、床に穴が開いており、おれたちの見ている前でゆっくりとしまった。落し蓋だ。金角はここから一階に落ちたのだ。
ようやくこの建物が一筋縄ではいかないことが分かってきた。この調子だと吊り天井やブービートラップがあるかもしれない。
「撤退しよう」おれは言った。「これ以上深入りすると全滅する」
「駄目よ! 撤退は許しません」
「ここは本当にお化け屋敷だ。もっと準備していなければ無理だ」
「第三部のエースっていうのはこけおどしだったの」
「そう思いたいのであればそれでもいいぜ」
「撤退するくらいなら、建物に火をつけます」
おいおい。外務省ってそこまでやっていいのか?
おれはあきれて沈黙した。叶はそれを服従ととったようだった。
「とにかく任務を完了するまで進むわ。私が先に行くからバックアップを」
仕方ない。おれは銃把を握りなおした。
ほとんど光の届かないジュラルミンの渡り板がきしみ、ネズミの鳴き声のような音を立てる。
パイソンを両手で保持しながら、叶はゆっくりと奥へ進んだ。おれは後ろを警戒しながらその後数メートルをついてゆく。
だしぬけに叶が止まった。正面へ向けてパイソンをポイントしている。
暗がりの中に人影らしきものが見えた。相手も何かを構えている様子だ。
にらみ合ったまま、ゆっくりと時間が経過した。
叶はパイソンを向けたまま左手で腰を探り、マグライトのスイッチを入れた。
まぶたをちくちくさせる光の中に浮かんだのはおれたちの影だった。正面に大きな姿見が置いてあり、おれたちの影が映っていたのだ。叶がふう、と息をつく。
そのとき、扇風機の回る音が始まり、強力な風がメッシュの渡り床を通して下から吹き上げた。叶のタイトスカートが舞い上がる。下は網タイツを止めるガーターベルトだった。女性の性で思わず叶は両手でスカートを押えた。
闇から人影が飛び降りてきて、何かを叶の頭へふるった。一撃で叶はその場で昏倒した。
おれは人影に対して銃を構えた。人影は落ち着いて立ち上がった。黒い皮つなぎ。鹿間なおみだ。倒れている叶に銃口を向けている。
「銃を捨てろ。さもないと女を撃つ」鹿間は言った。
おれは左手で銃を逆手に持ち、銃把をやつに差し出した。やつは左手を差し出した。
その瞬間、おれの手の中でコルトは回り、逆向きになった。親指で激鉄を起こし、逆さまの銃を中指で引き金を引く。ロード・エージェント・スピンというトリックだ。
射撃音より一瞬速く、鹿間は蜘蛛のようにぱっと床に伏せた。そのまま床を転がって柱の陰に隠れた。おれも反対側へ走って木箱の陰に隠れる。
おれが隠れると同時に鹿間の銃が吠え、木箱から破片が飛び散った。
相手がいつものブローニング・ハイパワーを使っているのなら、装弾数は薬室の分を入れて十六発。おれは後残り五発。
顔を出そうとしたが、ただちにブローニングの連射にさえぎられた。これではどうしようもない。おれのいる場所から、上の照明に照らされ、柱の陰にひそむ鹿間の影がコンクリートの壁に映っているのが見えた。
あと、二発。
おれはやつの残弾数を数えていたが、やつは落ち着いて、マガジンを入れ替えた。残弾一発のマガジンが渡り板に落ちるこつん、という音と新しいマガジンがグリップに差し込まれるしゃか、という音が同時に聞こえた。
駄目だ、やつは戦い慣れている。弾丸が切れたと同時に飛び出す作戦はあきらめた。
なんとしてでもやつを倒さなければ脱出できない。おれは再び鹿間の影が見える位置に戻った。当たるかな。
おれは影の位置をよく覚えてから目をつむった。頭の中で3Dイメージでシミュレーションしてみる。コンクリートの強度を信じるしかない。
おれは目を開けると、壁に向けてシングルアクションを連射した。
ぐあ。
弾丸が当たるにつれ、やつの影がぐにゃぐにゃと揺れる。そうして柱の陰から黒い皮つなぎが倒れてきた。
目を見開いたまま動かない。皮つなぎの穴から血がどくどくとあふれてきた。
おれは立ち上がって隠れ場所から出た。
四十五口径の完全被甲弾はコンクリートの壁に跳ね返って死角にいる鹿間の身体を打ち抜いたのだ。おれは大きなため息をついた。
出し抜けに鎖の音が聞こえ、おれは横に転がった。たった今おれの立っていた場所に、鉄パイプの枠が落ちてきた。おれは床に伏せたまま辺りをうかがった。
このトラップはなにかのセンサーにおれが引っかかったから作動したのだろうか。いや、さっき箱に隠れるために同じ場所を通ったときには何も起きなかった。第一そんな仕掛けは味方をも傷つけてしまう。
羽生だ。やつはどこからか、何らかの方法でおれを見ている。この建物内部の様子を探知し、遠隔操作でトラップを動作させている。問題はどの方法で探知しているか、ということだ。
「太郎。聞こえるか」
返事はない。建物内部に妨害電波が出ている。
おれは木箱から飛び散った破片を手で掃き集め、ライターで火をつけた。床の上に小さな焚き火ができた。それから少し先まで歩く。床がキーキーと鳴く。
突然、壁際の鉄パイプがぶん、と空気を切り裂いてきた。おれは尻餅をついてこれをかわした。丁度おれの頭の位置で鉄パイプは止まり、ゆっくり戻った。壁際も危ない。
おれはポケットから三本かぎのついたひもを出して頭上へ放り投げた。かぎは三階の床を支えている鉄パイプの一つに引っかかった。おれはそれを二、三度引いて体重をかけたが、何も起きなかった。
「ちっ、自分だけ奥でかくれんぼか。とんだ腰抜けだぜ」
おれが独り言を言ったとたん、おれの足の下の床が抜けた。おれはひもにぶら下がった。見ているうちに抜けた床はゆっくりとした動作で元に戻った。
これではっきりした。
微量の光で見る夜間暗視装置ではない。スポットライトが明るすぎる。
赤外線暗視装置あるいは熱探知機ではない。焚き火で幻惑されなかった。
通常の監視カメラではない。攻撃が不正確で鈍すぎる。
空気の流れを見ているのではない。扇風機を動かせば自分も惑乱する。
重量センサーではない。三階に重量をかけたのに反応しなかった。
ならば音だ。それも単なる反響音ではなく、スピーカーでこちらの話す言葉も聞いている。
犠牲者を監視して反応を楽しむマニアックな殺し屋。
おれは予備の拳銃弾を二つ取り出し、三郎からもらった特別装備を出した。そのプラスチック製の箱のスイッチを入れ、放り投げ、目をつぶって床に伏せた。
ギュアアアアアァーン、ゥアン、アン、アン
小さな爆発音とともにつんざくようなすさまじい音と光が十秒ほど続いた後、辺りは急に静かになった。
おれは耳栓にしていた弾を耳から抜くと、コルトを構えたまま三階へ通じる階段を駆け上がった。
一番奥の部屋の扉を蹴破ると、壁をぐるりと電子機器が取り巻き、その中央でヘッドホンをしたままの男がパネルに突っ伏していた。髪の毛をつかんで引き起こすと羽生だった。手早く手錠をかけた。
三郎にもらった特別装備は音響閃光弾だった。殺傷力はないが爆発すると激しい音と光で人間の感覚を麻痺させる。特殊部隊が人質を傷つけずにハイジャック犯を制圧するときに使うやつだ。
おれの動きをヘッドホンで「聞いて」いた羽生は増幅した騒音をまともに受け気を失ったのだ。
コントロールパネルで全ての機器の電源を落としてから無線機に連絡を入れる。
「三郎。聞こえるか」
「オーケー済んだか」
「障害を除去。こっちはけが人が三人だ。救助を頼む」
「了解」
おれは二階へ階段を駆け降りた。叶のぐんにゃりした身体が渡り板に横たわっていた。ひざを突いて調べる。
頭にこぶができているが骨は折れていない。気を失っただけのようだ。
パンティが丸見えだ。おれはそっとスカートを直してやった。肩を持って抱き起こす。けっこう重い。
ほおを軽く叩くとうーん、とうめいて突然目を開いた。こちらの顔を見たが焦点があっていない。しばらくぼーとしてから突然はっと気づいたように逃げ出そうとした。
「おっと。敵は片付けたぜ」
脳震盪を起こしている可能性があるので身動きしない方がいい。とっさにとめようとしたおれの手が思わず叶の胸にかかった。指先が胸ぐりに入る。
「きゃっなにすんのよ!」
おれは感電したようにあわてて手を引っ込めて立ち上がった。豊かな感触が手に残る。
叶はおれをにらみつけたが、その目は険しさを欠いていた。叶が身だしなみを直す間、おれは後ろを向いていた。
叶のケガが大したことないのを確認して、おれたちは奥へ進んだ。見張りがあれだけだったとはちょっと信じられないくらいだが、やつらは電子要塞に自信があったのだろう。
一番奥の部屋に情報どおり金庫があった。叶はプラスチック爆薬を蝶番とダイヤル錠の部分に仕掛け、信管を差し込むと、三箇所同時に起爆するように信管を電線でつないだ。
「外へ出て」
おれたちが外へ出ると、叶は無線式発火装置を取り出しボタンを押した。爆音が響いた。
戻ると金庫の蓋が外れそうになっている。叶はトレッキングシューズのかかとで蓋を蹴飛ばした。蓋は重そうな音を立てて下に落ちた。
金庫の中にはA4サイズの書類がところせましと詰まっている。叶は全てをわしづかみにして取り出すと、床で調べ始めた。
「ちょっと後ろを見張ってて」
おれは黙って従った。ドアの陰からこっそりと外を見る。まだ誰も三階には来ない。階下で三郎たちが処理活動を行っている音が聞こえる。
「これも違うわ。中身をどこに入れ替えたのかしら」
叶のつぶやきが聞こえる。ちら、と振り向くと髪の毛をかきむしりたそうにした叶がぺたんと座ったまま書類をひっくり返していた。
その内の一枚がピータイルの床に落ち、おれの所に滑ってきた。茶色の封筒だ。拾って返そうとしたら、中から何かが滑り落ちた。封筒の上部ではなく、下部に封が切ってあったのだ。滑り落ちた何かを拾って持ち上げた。
写真だった。
おれの目の前にいる事務次官補殿と写真で顔を見たことのある外務省事務次官がお手手つないでどこからか出てくるところだった。背景は、ありゃ。「ご休憩5000~」。
いつの間にかおれの前に口を真一文字に結んだ叶が立ちはだかっていた。おれの手から写真をひったくって後ろに隠す。
沈黙が流れた。
「つまり、それが機密書類Aだったってわけか」
おれは自分の頭が熱くなるのを感じた。工作員は任務に私情を混ぜてはいけない。いけないが……あんまりだ。
おれの表情を見ると叶は急に身体を傾けしなを作った。
「これが公表されると外務省はとてもまずいことになるのよ。守秘義務は守ってくれるわね」そう言いながらおれの胸に身体を預けようとする。
ぱしっ
思わず手が動いていた。叶が頬を押える。
「こんなもののためにおれたちは命をはったのか」
「そうよ。当然でしょう」
「ふざけるな!」
「自分の立場をよくわきまえなさい。少しは協調性を持とうと思わないの」
「誰にでも好かれるのは聖者か偽善者だけだ。あいにくおれはそのどちらでもないのでね」
おれは背を向けて歩き出そうとした。
「待って。他言しないと約束して。欲しいものはなんでもあげるわ」
「さあな」
「待ちなさい」かちり、と撃鉄の上がる音が聞こえる。
おれはゆっくりと振り向いた。叶がパイソンをおれに向けている。「約束しないと撃つわ」
「どうぞ。ご勝手に」
「死ぬのが怖くないの」
「死ぬときは死ぬ。それは運命だ。あんたの力じゃない」おれはそのまま歩き去った。
銃声は聞こえなかった。
救護に忙しい三郎チームの脇を通り過ぎ、おれは倉庫から外へ出た。回収班のトラックに乗った。
「出してくれ」運転者に頼む。
セーフハウスへの道のり、おれはずっと気分が悪かった。
シャワーを浴びて注意深く鏡で全身をくまなく調べた。あんな女と身体接触をしてしまったから、香水や口紅、ファウンデーションの類がついているかもしれない。おれの体には何もなかった。よし完璧だ。
*
家に帰ると午前四時を過ぎていた。そっと玄関を入ると突然照明がついた。
「かおるちゃん。まだ起きていたのかい」
「眠れなかったのよ」妻は赤い目をして不機嫌そうだった。「なにか胸騒ぎがして。あなたまたなにか悪いことをしてきたんじゃない」
「まさか」さりげなく、本当にさりげなく言った。「残業だよ。たまにあるだろ」
「接待とかでキャバクラへ行っているんじゃないの」
「いや、おれの仕事に接待はないよ」
「でも女と会ったでしょう」
「いや、まさか」おれはとても間抜けな顔をしているのかもしれない。
「グラマラスな美女の腰を抱いて来たんじゃないの」
「いやあ、とんでもない」肩なら抱いたけど。
「それで胸を触ったりしたんでしょう」こいつ、超能力者か。
「ぜんぜん」ちょこっとだけね。事故だし。
「その女、パンティは何色なの」
「知らないったら」知ってるけど。
「嘘をついてもだめよ」顔を近づけてくる。こわい。
「本当、本当だよ」
妻は下駄箱わきに吊してある鉄製の靴べらを手に取った。
「うそつきー」
靴べらが激しく振り下ろされる。
「いてー、やめてくれ! やめてくれー」
おれは全然やましいことなどしていないのに、家中を逃げ回った。
「うそつきー」
「いててててて」
逃げ回りながら心の中の悪魔が、どうせ叩かれるのなら、もうちょっと触っておけば良かったのにとささやいた。
*
私は屈辱に打ちのめされていた。エリート一家として、それにふさわしい勉強と訓練を自分に課してきた私には人の上に立つことが合っている。私の父も、帝王学を教えた家庭教師もそう言っていた。
ずいぶん大きくなるまで、私は自分が男たちに指示を出している光景を当然実現するものと思い込んでいた。
社会に出て、権益にしがみつく男どもの壁にぶち当たり、それがそう容易ではないことが分かった。この国では男女同権はうわべだけだ。
でも女の視点はこの国の二重性にも気づかせてくれた。この国で本当に実権を握っているのが大臣や議員ではなく官僚であるように、表の権力者が本当の権力者とは限らない。補佐役のふりをしながら実権を握ることだってできるのだ。
女に上に立たれると男はプライドが傷つく。でもプライドを満たしてさえやれば後ろから操るのはそう難しくない。
私には才能があり、さらに私には女の武器がある。男はこれに弱い。男の援助をとりつけ、それをばねにして外務省の組織を縦横に泳ぎ、出世してゆくことができる。
女だからって誰にも馬鹿にはさせない。事務次官だって、私の出世の踏み台に過ぎない。私の野望と志は高い。私は頂点を目指す。全ての男は私の奴隷にしてやろう。
でもなに、あの男。私のことなんか見向きもしないで。おかまじゃないの。あんなに私の魅力を見せつけたのに、どうして何の反応もしないのよぅ。
外務省チームが任務で完敗だったことよりも、私は自分の魅力が通じなかったことで深く傷ついた。そのことは後頭部を殴打された痛みよりも、私をいらつかせた。
あの男。決して許さない。
「いつか、私のものにしてみせる」
叶舞子は車の後部座席でつぶやいた。




