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エピローグ

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72.引退セレモニー

 桜が咲いている。黒い革張りのベルケースに桜の花びらが何枚も乗っている。


「おい、部長!中学からベル借りて来たぞ」


 部長と呼ばれた学は振り向いて、


「もうホールが開いたから、そっちへお願い。俺も一緒に運ぶよ、それ重いでしょ?」


 西田と岬は一度そっとケースを床に下ろした。花びらは部室の床に舞った。


「じゃあひとり一箱ずつね」


 三人はケースを持ってホールまでの道を移動した。ふと学は一年生の教室を見る。今年も窓際は女子でいっぱいだった。


「今年は男子、入ったの?」


 学の視線に気付いた西田が、岬に声をかけた。


「中学に三人、高校に十人だそうですよ」


 岬の回答に、十人!と西田は驚いた。


「よし、全員ハンドベル部に入れちまおーぜ」


 三人は互いに笑い合った。


 ホールでは二年女子と、レイラ、明日菜が待っていた。低音を担当する男子を除いて、高音のメロディラインをあくせく練習している。舞台袖にケースを置いて、三人はその様子を眺めた。


「これで、三年は引退だな」


 西田がぽつりと言う。


「三年は最後だから、俺達絶対失敗出来ない」


 学が言うと、当たり前です、と岬がたしなめた。学は苦笑いして楽譜を取り出した。


 末続がやって来た。末続はレイラと明日菜を呼び寄せると、二人をまとめて抱き締めた。和やかな笑いが起こる。


「いい?皆、今日は絶対失敗出来ないからね!三年生は最後の演奏なんだから!」


 部長と同じこと言ってる、とまた笑いが起こった。


 ホールにパイプオルガンが鳴り響き、新入生が入場して来た。山下がやって来て、式次第を皆に配る。ハンドベルの演奏はオーケストラ部の後だ。


「主よ、人の望みの喜びよ」


 またこの曲が出来る。初めて聴いた日が学の脳裏によみがえる。隣にはあの時ひとりで演奏していたレイラが微笑んでいる。不思議な感覚に襲われた学の背を、レイラが突いた。


「入学式の後、暇?」


 学は返事に困った。すぐそばで聞いていた岬がもう、と怒ったように言う。


「暇じゃありませんよ。藤咲さんと松島さんを送る会があるでしょ?」


 ああ、そうだったとレイラは笑う。


「じゃあそれが終わったら……」


 話を続けようとした学に向かって、西田があからさまな咳払いをする。小さな笑いが起こった。


 舞台袖でじゃれ合っている内にオーケストラ部の演奏が終わる。ハンドベルクワイヤ達は白い手袋をして円陣を組んだ。互いに手を前に出し、「おー!」と声を合わせる。式次第通りにハンドベル部の名前が呼ばれ、全員澄まし顔で緋色のベルベッドの前に並んだ。


 好奇の視線が注がれる。ああ、去年は彼女ひとりがこの視線を一身に受けていたのだ。


 でも、今は。


 末続が出て来る。彼女もまた、去年はこの舞台で活躍が出来なかった。だからこそ、今年の気合の入り方は違う。微笑みは強気の証だ。指揮棒が浮き、全員がベルを構えた。


 音が鳴らされる。小さくて可憐な音から始まって、メロディがメロディを追う。学は自身の入学式のことを思い出した。舞台から見る新入生の内、今何人がこの楽器に興味を持ってくれただろう。


 向こうに、かつての自分が見えた気がした。怯え切って人との関わりを極力避けようと心砕いていた自分。そんな自分が今、確実に人と関わらなければ出来ない楽器の演奏に加わっている。人を見て、人を感じ、人を集めなければ出来ない音色を奏でている。


 静かに演奏は終わった。


 拍手が起こる。全員何事もなかったかのように舞台袖に戻る。しかし袖に引っ込むと、皆笑顔で音のしない拍手を互いに送り合った。袖の奥で聴いていた山下が親指を突き立てている。完璧な演奏だった。

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