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第5章.クリスマス

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62.長いお別れ

 彼は今日はヒロを連れて来てはいないようだ。


 学の両隣にいた西田と岬が身構える。安は空いている席を見つけると、すぐに座ってしまった。学は冷や汗が止まらない。両隣から、背中をぽんぽんと叩かれる。大丈夫、と勇気付けられているようだ。


「きよしこの夜」や「赤鼻のトナカイ」などのお馴染の曲が流れてカップルがうっとり寄り添う中、安だけが不動の姿勢のまま演奏を聴いている。不気味ではあったが、真剣に聞いていると捉えられなくもなかった。


 最後に宇多田ヒカルの「First Love」が演奏される。ここでもう、カップル達は最高潮……のようだった。失恋ソングだというのに、異様な盛り上がりを見せている。客席の末続も、隣の男性の肩に寄りかかり、うっとりと聴き惚れている。


 ふと、学は隣にレイラがいることに気付いた。バラバラのはずの音が繋がる。学は思った。


(藤咲さんは今、何を考えているのだろう)


 分からないまま、曲は終わる。


 拍手が湧き起こる。アンコールを求めているのかなかなか鳴り止まず、牧師がアナウンスした。


「本日の礼拝はこれで終了となります」


 それを合図に、皆つがいになって帰って行く。クワイヤもほっと一息ついて互いに微笑み合った。さあ片付けようとした時、カップルの流れに逆らって、のっそりと安が歩いて来た。


 と、西田と岬が前へ出た。学と安との間に、二人立ち塞がる。


 安は西田と岬を交互に見て、


「通してくれないのか」


と聞いた。


「当たり前だ」


 西田が答えると、ならここでいいやと安は言った。女子らは固唾を呑んで経過を見守っている。


「おい市原、お前に朗報だ。俺は高校を辞めた。今日から仙台へ行く」


 学は思わず「え?」と聞き返した。


「もう横浜には来ない。二度と」


 西田と岬も急な展開に驚きを隠せない。


「仙台にいるおじさんの会社で働くことにしたんだ。俺はもう働く」


 空気が張り詰める。学は思わず問うた。


「……お兄さんは、どうするの」


 すると安は意外にも破顔した。


「俺の存在意義は兄貴と共にあった。けどさ……お前はあの日、それをせせら笑ったんだ。覚えてるか?」


 学は答えなかった。


「お前はあの時、俺をただただ軽蔑したんだ。俺は腹立ってお前を殴った。でもあの後、急に何もかもどうでも良くなっちまった。実は俺は、お前に軽蔑されたかったのかも知れない。いやお前というか……他人全てに」


 学は何も言わない。


「お前、あの時既に俺の本心を見透かしてたんだ。お兄さん思いのイイコでいなきゃって……そういう馬鹿みてーな本心だよ。見透かされて、怒って……でもその後に、何故か喜びの感情が湧いて来たんだ。俺を理解した人間がいたんだ、って」


 学は目を伏せた。


「俺は何もかも他人のせいにして、理解されない自分に酔っていた。それに気付いたらもう、元の俺に戻れなくなったんだ。俺は変わった。全部捨ててお前の前から消えるわ」


 そう語って、安はふうと息を付いた。


「……言いたいことは、それだけ?」


 学は顔を上げ、無表情で問う。安は乾いた笑い方をした。


「自分語りウゼーって顔だな。本当、俺クソ野郎だわ。やめやめ、もう消えるわ」


 さあ去ろうと安は踵を返した。その瞬間。


「レイラ!」


 明日菜の叫びと同時に、客席の側道から飛び出して来たレイラが安の頬に平手で一撃を見舞った。鈍い音がして、一年女子がわあと悲鳴を上げる。


「謝んなさいよ」


 彼女は自分より頭ひとつ大きな男の前に立ちはだかる。


「あの子がどれだけ傷付いたと思ってるの!謝んなさいよおお!」


 慌てて成り行きを見守っていた牧師と山下が止めに入った。レイラは泣きじゃくってわめき散らしている。末続が手招きし、レイラは教員二人がかりで教会の外へ引きずり出された。安はそれを見送るように見つめ、動かずにいた。


「……謝罪、か」


 ふと安は呟いて、振り向かずに言った。


「今日は謝りに来たんじゃない。もっと言わなきゃなんねーことがあるんだ」


 安は振り返ると、学の目を真っ直ぐ見てこう告げた。


「俺、お前に礼を言いに来たんだ。俺は何かあると黙って耐える癖のあるお前が憎くてならんかったけど、それは今思えば同族嫌悪だったんだよ。俺みたいのはもう消えるから、お前、やりたいようにやれよ。本当に。そうじゃないと、俺が消えた意味ないだろ。な?せめてもの礼に消えるんだよ。分かったか?」


 学は予想しなかった展開にただ頷いた。安は「よし」と呟いた。


 安は再び背を向け、歩き出す。扉を開き、その背は冬の夜に溶けて行った。ふわりと冷気が堂内に漂う。


「何だあいつ……好き勝手言いやがって」


 忌々し気に西田が呟く。岬は教会の隅で泣いている明日菜を見ていた。


 呆然と佇む学の横から、小宮がひょっこり顔を出す。


「ねえ、藤咲さんのところに行ってあげなよ」


 学は間を置いてから、でも……と呟く。


「片付けはこっちでやるよ!いいから早く」


 学は腕を引っ張られ、小宮に堂内から押し出された。外ではレイラを、山下と末続カップルがなだめすかしている。レイラは泣き疲れたようにうずくまって何も言わない。学はその輪に割って入ると、声をかけた。


「……藤咲さん」


 その声で、ようやくレイラは顔を上げた。


「終わりました、帰る準備をしましょう」


 レイラはまた泣きそうになっている。学は思い出したように


「ああ、あと……」


と付け加えた。


「今日、一緒に行きます。新横浜」


 シンヨコ?と末続が呟く。レイラは信じられない、といった様子で目をただ丸くする。


 学は頷いた。その目は少し笑っている。


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