41.ひとりはみんなのために
風呂の時間が終わり、男子三人は一足先に食堂で涼んでいた。
「本当に?全部話すって?」
西田が問うと、学は頷いた。
「急にどうしてまた」
岬が不安げに呟くので、学は先程の出来事を手短に話した。
「市原君にその名前を出されたら観念、というところでしょうか」
「俺らで押すより、やっぱりコーチの言う通り市で押した方が上手く行ったな」
西田と岬は少し複雑な表情を浮かべている。この二名より、やはり学の方が部長からの信頼は厚かったのだ。
「とにかく、だ。一歩前進したな!」
和やかに笑い合っている三人を、小宮はじっと眺めている。荒井がやって来て、
「どうしたの?誰か気になっちゃう?」
と尋ねる。小宮は荒井に問い返した。
「ねえ、荒井さんは今日、先輩と話した?」
荒井は考えて、記憶にないなあと言った。
「夕食終わったら、ちょっと時間あるじゃん。その辺で先輩達の部屋へ行ってみない?」
「えっ?いきなり何、無理無理」
荒井は大げさに顔の前で手を左右に振った。
「えー、そう?」
「だって恐いじゃん、先輩」
「恐いかどうかなんて、話してみないと分からないよ」
小宮の押しの強さに荒井は面食らった。
「何で?だって小宮さん、あんなひどいこと言われたじゃん。あれで懲りるでしょ普通」
小宮はレイラと接したことで、すっかり頭からそのことが抜け落ちていた。
「あの時は……ほら、練習中だったし」
「練習中だろうと休憩時間だろうと、一緒だって。触らぬ神にたたりなし!」
言い切ったところで、二年が食堂へ流れ込んで来る。二人はそそくさと自室へ戻った。
部屋には誰もいなかった。荒井は布団をソファ代わりに敷き、どかりと腰を据える。小宮は湖畔から来る風に当たろうと、窓を開けた。開け放した窓からは風ではなく、鶴の間のハンドベルの音が流れて来た。
「ベルって難しそうだね」
そう小宮が荒井に話しかけると、荒井は
「そうかな?バイオリンよりは簡単だよ」
と言った。小宮が驚いて振り返り、やったことないのにそんなこと言うもんじゃ……とたしなめると、
「やったこと、あるよ」
と荒井は満面の笑顔で応えた。
「え!そうなの?」
「うん。中学時代、音楽部だったから」
へーと小宮は感嘆し、
「荒井さん、内部生なんだね」
「そうだよ。中学受験で入学したんだ」
「中学音楽部ってハンドベルもやるの?」
「やるよ、でも全員は触らせて貰えない。希望者からの選抜があるんだ」
「じゃあ、荒井さんは選ばれたんだね!」
「うん。世界大会にも出場したよ」
「世界?凄ーい!」
小宮が大げさにのけぞって、荒井は得意そうに微笑んだ。
「まあ世界大会って言っても、順位を争うものではないんだけどね。世界の有志で親睦会をするって感じかな」
「それでも凄いよ、いいなあ」
そこでふと小宮は疑問に思う。
「何でハンドベル部に入らなかったの?上手なんだろうし、高校でもやれば良かったのに」
小宮の問いに、荒井は口を尖らせた。
「やだよ。だって高校のベル部、下手じゃん」
小宮には分からなかった。
「……どの辺が駄目なの?」
「まず、コーチの指揮が下手。盛り上がる所、盛り上がってない。あと、音がバラッと流れちゃう時がある。振るタイミングが、一音一音合ってないのね。それから何と言っても、人数が絶望的に足りないよ。音に厚みが出ないよね。……音が合いにくいのも、ひとりが抱えるベル数が多いからだと思うんだけど」
小宮はそこまで聞いて、ふうんと呟いた。
「じゃあ人数が多ければ、上手くなる余地があるってことね」
小宮は窓から、光の漏れる鶴の間を眺めた。
「……ちょっと、あんた一体何考えてるの?」
嫌な予感を隠せない顔で荒井は尋ねる。小宮はぽつりと言った。
「ハンドベルはね、一人でも抜けると練習にならないんだって」
荒井が真意を汲み兼ねて黙っていると、更に小宮は続けた。
「市原君が、そう言ってた」
ハンドベル部の練習はオーケストラ部より早目に終わった。男子らはくたくたの体で何とか寝る準備を整え、布団に滑り込む。
「何かさ、オケ部って怖いな」
男子はそれぞれ布団から顔を出して話し込んでいる。無論、扉の鍵はしっかり閉めた。
「あっちのグループ闘争は凄いよね。バスも食堂も椅子取り合戦だよ」
「その点ベル部にその煩わしさは皆無ですね」
「共学より女子がパワーアップしてるよな。何が……って言われても説明出来ないんだけど」
その時、ドアノブがガンガンと引かれた。三人ひっと悲鳴を上げて布団に潜り込む。声を殺し、外の様子をうかがう。
「熊が来た。死んだふり死んだふり」
西田の呟きに、他二名がぶっと吹き出した。
「いるんでしょ!居留守ひどくない?」
オケ部女子の声が飛んで来る。それでもじっとしていると、遠くで声がした。
「どっちがひどいんだよ、コラ!」
違う部屋から山下が出て来たらしい。女子らはバタバタと逃げて行った。それで男子三人はようやく声を出して笑った。
「あーもう、何であんなに入りたがるんだろうなあ」
西田の言葉に、学と岬は顔を見合わせる。
「そりゃ、西田君と話がしたいからだよ」
何で?と西田はまだ要領を得ない。
「男だからか?」
「まあそれもあるとは思うけど」
「ほら、何せ西田君はイケメンだから……」
岬の発言に、西田はゲラゲラ笑った。
「はあ?俺がイケメン?そんなわけあるかよ」
「僕、聞きましたよ。もう女子の何人かが、この合宿中西田君に告白する予定なんだって」
その情報に、今度は学が驚く番だった。西田はそれを聞いて
「ふうん、そうなの」
と案外軽く受け止めている。そこにもまた、学は驚く。
「じゃあ全員断らないとな」
ふと沈黙がおとずれる。西田は続けた。
「俺、中学から付き合ってる彼女いるし」
二人はええっと、と口ごもった。
「……その話、詳しく聞かせて貰えませんか」
男子達の夜はまだまだ長い。




