40.喧嘩で雨模様
レイラと小宮は雨が止むまでコンビニの軒下で待つことにした。しかし一向に雨は降り止まない。そろそろ練習再開の時間だ。小宮も時計を気にしている。もうほとんど休憩時間内に帰るには絶望的な時間になった辺りで、土砂降りの雨の中、傘を差した人影が現れた。
小宮が気付き、レイラの肩を叩く。
学がもう一本傘を持って現れた。彼はレイラの隣に小宮を見付けて、驚いているようだった。学はレイラに対峙する。明らかに、良い雰囲気ではない。小宮は二人のベル部員を見守った。
学は傘を無言で突き出す。レイラはじっとそれを見て、
「その傘は彼女にくれてやって。私は雨が止んだら帰るから」
と言い放った。学は明らかにむっとする。次に小宮に傘を差し出した。すると小宮は首を振ってそれを拒否した。面食らう二人に彼女は言った。
「三人で帰らないと、嫌です」
思わずレイラと学は顔を見合わせる。が、慌てて互いに視線をそらした。
「小宮さんに迷惑ですから、先輩、早く行きましょう」
学はそう促し、さも小宮のためというように振舞った。が、どことなくほっとした表情を見せる。内心小宮に感謝している様子なのは明らかだった。レイラも第三者の意見を盾にされては嫌とも言えず、渋々彼から傘を受け取り小宮と収まった。
学が先導して歩く。雨の中、会話はない。
信号を待つことになって、三人並んだ。全くの無言。空気を読んで小宮が口を切った。
「部長さん。迎えに来て貰って助かりましたね」
レイラはそうかしら……と呟く。学はカチンと来て何か言おうと身構えたが、
「私のこと……誰も追いかけて来てくれません」
小宮が寂しげに呟き、ベル部員達は慌てた。
「き、きっと今探してるわよ」
「そうそう、ほらロッジの方を……」
言いかけて、学はもごもごとお茶を濁した。レイラと会話が成り立ちそうになり、ちょっと悔しそうに歯噛みしている。
学とレイラの間にいる小宮は二人を見比べた。そしてぽつりと
「……もしかしてお二人、ケンカしてらっしゃいます?」
びくりと二人は図星のていで体を震わせた。
「してません。藤咲さんが勝手に出て行って」
信号が青に変わり、三人は歩き出した。
「出て行ったのは誰のせい?あなたが余計なこと言ったからでしょう」
「余計なことなんか一切言っていませんから。隠しごとはなるべくして欲しくないんです」
「隠しごとなんて言い方悪すぎるわ」
「悪すぎ?合ってるでしょ、言い方」
「あなた、あの時の自分の言動を正しいと思っているの?」
「はい。前言撤回する気は毛頭ありません」
「……!」
二人の会話を聞いていた小宮はクスクス笑い出した。
「いいですね、ベル部は皆仲良さそうで」
「……別に仲良くなんかないわよ……」
レイラは心外だとでも言うように、呆れた顔で反論した。
「……オケは、一年と二年の間に大きな隔たりがあります」
小宮は言葉を落とした。こちらの部より深刻な問題を抱えているように聞こえ、レイラと学は同時に小宮を見た。
「足を引っ張るな迷惑だ、って言われたのよね?」
学はそれを聞いて思わず声が出る。
「それ、ひどいね」
小宮はうつむきながら首を横に振る。
「ひどいかもしれない。でも足を引っ張ってるのは、本当のことです」
学は自分のことのように苛立ち、
「ベルは一人でも欠けたら演奏出来ない楽器だから、部員にそういうこと言うなんて考えられないな」
と言う。レイラは気まずそうに首をすくめていた。
ロッジが見えて来る。小宮の肩がどんどん下がる。その足がぴたりと止まった。つられて他の二人も立ち止まる。小宮はえい、と声を出して傘から出た。
「あの、傘ありがとうございました」
忙しく頭を下げると、走り出した。そして門の前で再び振り返る。
「早く仲直りして下さいね!」
言い捨て、猛スピードで走り去ってしまう。学とレイラはぽかんと彼女の背中を見送った。その後姿は、自分達より重いものを背負っているように見えた。
「小宮さん、大丈夫かな……」
レイラが呟き、
「何か助けられることがあればいいんだけど」
と学が呟く。
ふと喧嘩中であることが互いの頭をよぎったが、何だかどうでも良くなってしまった。
「そういえば、どうして先輩は小宮さんと一緒にいたんですか?」
レイラは色々考えた挙句、素直に話すことにした。
「私が駆け出してロッジの裏手に行ったら、彼女が泣いてたの。それがあんまり可哀想だから、コンビニへ行こうって誘って……」
学はそれを聞いてちょと笑ってしまう。
「……何がおかしいの?」
「いや、だって。俺らには藤咲さんは絶対そんなことしないだろうと思って」
レイラが思わず笑い、ようやく互いの視線が合った。彼女の目にあった敵意のようなものは、今は完全に消えている。二人はロッジの正門前に佇んだ。学は末続の言葉を思い出した。
あのことを聞き出すなら、今。
「藤咲さん」
何、といつも通りの返事があった。
「俺、ずっと先輩に、聞きたいことがあったんです」
互いに向き合った。レイラの頬に緊張が走る。
「この前落とした写真に一緒に写っていた、後東先生ってどんな先生でしたか?」
振られた質問が予想と違っていたらしく、レイラは拍子抜けしていたが
「その名前、どこで知ったの?」
学は西田の姉が卒業生で、その教師の存在を知っていたことを明かした。レイラは深く息をつき、それから今にも泣き出しそうな顔をした。学はそれを目の当たりにし今聞くことではなかったかと臆するが、レイラはすぐに吹っ切れたような表情で顔を上げた。
「今日は……ごめん、心の準備が出来てなくて、話せない。明日の晩、話すわ。それでどう?」
学は頷いた。レイラも、それに合わせて頷く。その瞬間、二人の間に何か契約が結ばれた後のような安心感が漂った。
「どこへ集まればいいですか?」
「そうね……なるべくコーチのいないところがいいわ。他の一年も呼んで。全部話すから」
言いながらレイラは両目を手の甲でごしごしとこすった。彼女が涙を拭いながら素直になって行くその過程は、学の目にはどこか危なっかしい姿に映った。
二人、闘いに挑むように門に入る。
ロッジの掃き出し窓には、興味津々のベル部員達が待ち構えるように張り付いていた。
レイラは
「ごめんね!」
と叫んで駆け出した。彼女のすっきりした顔に比べて学の表情が固かったのを、部員らはおや、とでも言いたげに見やる。
雨はずっと降り続いた。
練習はすぐに再開された。




