34.多分、はつ恋
ペンテコステ礼拝での演奏は散々だった。
〝Breath On Me,Breath of God〟
神の息は、学に全く降りかかることはなかった。
学の手がなぜかかじかんでいる。レイラが持ちきれなくなったベルを素早く受け取って鳴らす箇所があったのだが、彼女の前に手を出すのがためらわれ、タイミングが少し遅れてしまう。複雑な持ち替え箇所であってもこれまでは順調だっただけに、皆困った。
演奏後、舞台袖にて全員が遠巻きに落ち込む学を注視していた。レイラがその中から抜け出て、
「元気ないようだけど、どうしたの?」
学はため息をつくと彼女の方を見ずに
「大丈夫です……」
と消え入りそうな声で言った。
「重症だな」
西田は岬との間で囁いた。明日菜も学に寄って来て言う。
「具合悪かった?言ってくれれば、持ち替え、私がやったのに」
励ましや心配の言葉であっても、今のささくれ立った学の心には、傷口に塩をすり込まれるようにひりひりと痛かった。
ホールから外へ出ると、眩しい光が五人に照りつけた。学の心情は無視して、季節は確実に移ろう。
スポーツ大会の期間がやって来たが、学校側は男子を持て余し、彼らはその大会二日間、何と自習をする羽目になってしまった。課題を与えられ、三人はじっと図書館に籠っていた。しばらくして付き添いの教師が姿を消すと、ずっとそわそわし切りだった西田が口を開いた。
「この前、藤咲さんと写ってた男だけどさぁ」
学と岬は課題の手を休めて顔を上げる。
「俺、思い出したんだよ。あの男、姉ちゃんの卒アルに写ってたんだ。後東先生って教師がいたんだけど、多分そいつだね」
へえ、と岬が声を出した。
「何の先生ですか?」
「現国の先生だったらしいけど、今この高校にはいないようだな」
岬は学に視線を送ると、
「じゃあ退職した先生なんですね。あの写真は退職前の記念に撮ったんでしょうか」
と気遣った。一方気遣われた学は、
「……でもそんな写真を隠そうとするっていうのは、どういうわけなんだろ」
などと言う。西田と岬は互いを見交わすと息を合わせるように学を慰めた。
「なあ市、あんまり気にすんなよ。最近の市、何だか見てらんねーよ」
「今は学校にいない先生なんです。気にすることないですよ」
続け様に言われ、学は気が付いた。
「あれ?俺今、慰められてんの?」
明らかに驚いている様子の学に、二人はため息をついた。
「やべーよこいつ、自分で自分の状態をちーとも分かってない」
「市原君、余程ショックだったんですね」
「……ショック?」
学は二人に状態を指摘され、徐々に赤面した。
「ショックなわけ、ない!」
それを聞き咎めて西田が立ち上がる。
「はああ?お前……認めろよ!あの日からボッロボロのボロ雑巾状態じゃん!」
「まあまあ二人とも」
「ショックなんて、俺はただ……」
適切な言葉が脳内に見当たらない自分に気付く。学は大人しくなった。
「そ、そんな風に考えたくないっていうか……」
「うわ、もうこっちがハラハラすんぜ。見てらんない」
今度は何故か西田の方がくやしそうに赤面した。
「そんなに気になるなら、市原君、自分で聞いてみたらどうですか?」
岬がもっともらしい提案をする。あっ、そうだよ!と西田も便乗した。
「分からないからモヤモヤするんだろ?何にせよ、事実が分かればお前もスッキリするんじゃねーの?」
学はそうかも……と納得しかけたが、生来の臆病さばかりが先に立って具体的にどうこうとまでは考えが進まない。
沈黙した学の背を、わざとらしく西田と岬が勇気付けるように叩く。
しばらく、ベルを発表する機会はない。
もうすぐ夏がやって来る。
合宿用の曲の練習が始まる。人数が増えたため、コーチの編曲が主だった手書きの楽譜もほとんど市販のコピーに取って代わり、難易度は確実に上がって来ていた。
「低音から、レイラ、市原君、西田君……」
コーチが並び順を指示する。学がレイラと西田の間に入ると、レイラがじいっとこちらを凝視した。
(……俺、何かしたっけな?)
「市原君さあ」
レイラは学と西田とを見比べながら、
「背、伸びたね」
はあ……と学は呟いて、西田と自分とを比べた。そうだろうか。
「今、市原君を見た時に、私、視線の角度が変わった気がしたの」
学は助けを求めるように西田を見たが、彼はただにやけているだけだった。
「確かにそんな気も」
「私、165センチ。それよりまだ低い?」
「入学時の測定だと158センチでしたよ」
「でも目線、同じぐらいになって来たよね」
彼女はいつになく話しかけて来た。合宿も近付いているし、後輩との会話を積極的に増やそうとの判断があるのかも知れない。
ただそれだけであっても、今の学にはやはり嬉しかった。学はようやく少し笑顔を取り戻した。西田も隣で一緒に微笑している。
末続の指導で練習が始まった。ついこの間までばらけて揃わなかった和音が、急に揃い始める。一曲終えて、末続が叫んだ。
「ブラボー!なあに?今日は皆調子良いんじゃない?」
すかさず西田が声を上げた。
「皆じゃありません。市原君の調子が良いからです!」
一同が笑う。学はその反応に申し訳なさそうに肩を落とした。
合宿の申込書を提出する。全員が参加することになったようだった。
西田と岬は部活が終わると、真っ先に学を保健室前に連れ出した。身長計があって、揉み合いになりながら測る。学の身長は入学時から2センチ伸びていた。
「160かあ!先輩の身長抜かすまであと5センチだな!」
そこを、レイラと明日菜が通り過ぎて行く。二人は、男子の会話を聞き付けたのか笑い合っている。学は赤面した。
男子らの騒ぎ声から遠ざかったのを確認して、明日菜は秘密を打ち明けるようにレイラに囁いた。
「ね、市原君て、絶対レイラのこと好きだよね?」
すると、レイラからさっと笑顔が消えた。そしてみるみる顔色が白くなり、
「やめて。そういうの、迷惑!」
突然声を荒げる。明日菜はそんな反応をされるとは思っても見ず、立ちすくんでしまった。
「明日菜、もしかして市原君にも似たようなこと言ってるんじゃないでしょうね?」
明日菜は首を横にちぎれんばかりに振った。
「あの子は大切な我が部の後輩。それ以上でも以下でもないわ。今辞められたら困るの。せっかく人数も揃って良曲が始められるんだから、余計なことを言うのは禁止。これは部長命令よ。……分かった?」
明日菜は恐る恐る頷く。レイラは分かれば良い、というように澄まして歩き出した。明日菜もそれに従うが、どこかふつふつと煮え切らない思いが芽生え、レイラの背中に問いかけた。
「ねえ、レイラ」
レイラが振り返る。
「本当にあの子のこと、そんな風に思ってるの?」
レイラは面食らっていたが、表情を悟られまいとするように正面に向き直って、
「当たり前でしょ。行きましょう」
と吐き捨てて歩き出す。明日菜は注意深くレイラの踵を眺め、歩き出したばかりの赤子を見守るように後を付いて行った。
これで第2章は終わりです。次回から第3章に突入します。
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