6話 困惑3
ジョウとカナは夜道を歩いていた。
来た道では周りに譲のような人間はおらず、ただ並ぶ建物のみが二人を迎えていた。
決して広いというわけではない道路のど真ん中を二人は歩く。
しかし周りの静けさと対照的に、ジョウは常に驚愕していた。
時折立ち止まっては先に貰った物を見る、という動作を繰り返していたのだ。
***
「……ちょっと待ってくれ」
部屋から出ようとしたときに、ジョウの後ろから声がかかる。
「……まだ何か用か?」
返事はない。
苛立ちを抑えて振り返ると、譲は何やらガサゴソと音を立てて探し物をしていた。
無意味に呼び止められたわけでないと分かったジョウは、不信に思いつつそれを待った。
元々色々な物が無造作に散乱しているその部屋から探し物をするのに、しかしそれほど時間はかからなかった。
再びジョウの前に来た譲の手には、何やら本のようなものと小さい端末があった。
「日本語はわかるか?」
「…………?」
ジョウが反応に困っていると、譲はその本を開いた。
何やら探している様な手つきで、程なくして見つけたらしいページをジョウに見せる。
「適当に選んだが……これが読めるか?」
譲の指の先を見ると、そこには『人間』と書かれていた。
続くように
1 ひと。人類。
2 人柄。また、人格。人物。
などが書かれている。
「………ああ、読める」
「意味は分かるか」
「…………まあ大体は」
「そうか、よかった」
というと、譲はそれを閉じ、ジョウに渡そうとする。
「……どういうつもりだ」
「いや…………多分外に出るなら、いろいろな知識が必要になるだろう?これを持っていれば、少しくらい対応できるだろう。辞書って物で、色々な言葉の意味が分かる」
「…………なるほど」
「次にこれだ」
間髪を入れずに譲は端末を見せる。
「これはまあ、ネットワークに繋がってて、色々なことを調べられる。この辺の地図とか、この世界の常識とかを調べるのにある程度役に立つだろう」
情報の真偽を見極めるのは大変だろうけど。と譲は付け加える。
そして辞書も含めた一通りの利用方法を教えた後に、ジョウに渡す。
「ジョウは相当飲みこみが早そうだから、上手く利用できると思う」
「…………なんでこれを?」
ジョウは説明を聞きつつ、そんな疑問を浮かべていた。
「……なんでって…………その」
「さっき俺はお前を拒絶したつもりだったんだが」
「…………でも、心配なんだよ」
腑に落ちない。そこまで気に掛けるものなのか。
「……いいから、持って行けよ。あと、犯罪とか騒ぎは起こさないでくれ」
というと譲はその言葉の意味についても解説をする。変わらない不安顔で。
調子が狂う。ただでさえ困惑しているのに。
「…………分かった、貰っとくよ。じゃあ行くな」
そう言ったジョウは再度出口に振り返る。
怒りの感情が、少し萎えてしまった。
しかし外に出ることは変わらない。
とにかく情報だ。この異例事態は貰ったこれらの資料でもほぼ対応できていないだろう。
そう考えてここを出るため、ジョウはいつも通り空中に手をかざす。
そのまま何も起きない時間が過ぎてゆく。
「…………?」
「あ……ここじゃワープなんて出来ないぞ」
その意味に気づいた譲が言った。
調子が狂う。
***
ジョウは辞書を眺めている。
譲に教えられた使い方ではなく、頭から読み進めていた。
知っている言葉の定義は似ていたが、単語そのものを知らないことが多々ある。しかしジョウはそれら膨大な情報を瞬時に頭に入れていった。よって辞書のページは既に三割を超えていたのだった。
情報端末の方も時折利用している。
しかしやはり、現実の景色こそが一番の情報源である。ジョウは辺りを見回す。
悠然と立ち並ぶ建物はジョウの世界のそれとは質感から違っている。
ワールズではすべてが透明感のある青緑のような色をしていて、ここまでの圧迫感はなかった。
周りにも家が見えるが、あれにも同じように人が住んでいるのだろうか、とジョウは想像する。
ワールズでは、他者の家の外観は分からなかった。と言うのも、招待や許可などで一気にワープするからだ。よって公の施設以外では、殆どその全貌を見ることが出来なかった。よってこのように小規模の家が並ぶ光景は新鮮であった。
新鮮さと言えば、そもそもこうやって自分の足で移動し続けるような体験など殆どしたことがない。
特に疲労感などは無いものの、もどかしさを感じた。先ほどの家を出るときでさえ、手間がかかった。
そして何より――――ジョウは何度目か空を見上げた。
そこには、真っ暗な空に点々と光るものが見えた。
夜。
それは、ジョウや仲間たちの憧れだった。
ワールズには夜という物がない。この世界で言うところでは、常に昼の状態だった。
昼と言っても光源があるというわけではなく、ただ世界は明るく空はずっと青いままだった。
それに疑問を持つ者はいなかった。自分達の世界では当たり前のことだったからだ。
しかし、どこからともなく湧いたおとぎ話のような『夜』の話は、ジョウ達を魅了した。
聞けば、辺りが暗くなるとか、星という物が見えるとか。
もちろんそれは、情報源も分からない異世界冒険譚の中などで語られるものであった。
それらはあの世界に数ある施設のうちの一つの、執筆広場や文芸広場で使われるような話であり、ジョウ達にとっては深く考えれる物でもなかった。
しかしだからこそ、いつか見れたらという思いを全員が持っていた。
それこそが、『夜空』というコミュニティ名の由来であった。
その夢を、こんな形で叶えるとはジョウは思いもしなかった。
しかも、今ならばその真相も理解できるだけに、複雑な思いであった。
つまりは、ワールズで語られていた夜はそもそも、こちらの人間が描いていた物であったのだ。
ジョウが『死』を扱っていたように。
恐らく人間にとってこれらは当たり前であるものだったのだろう。死なんてものは尚更だ。
先ほど読み進めた辞書にも、サ行にごく当たり前のように『死』が載っていた。必死に考えていた自分が馬鹿らしくなったほどである。
これらの出来事は憧れと言うのは儚いものということをジョウに実感させてしまった。
やるせないと思いつつ、それでも新鮮な夜空をジョウは堪能していた。
その時、
キーッという、けたたましい音がジョウの目の前で聞こえた。
上を眺めていたジョウが慌てて正面を見ると、何やら大きな物体があった。
そして瞬時に理解した。
車だ。
その種類はよく分からないが、車自体は辞書で読む前からジョウも何となく知っていた。
なぜならば、ワールズにも車はあり、サーキット場などの施設もあったからだ。
しかし、ジョウ達『夜空』にその方向が趣味の人物はおらず、そういう物がある、としか知らなかった。
ジョウが我に返ると、目の前にカナが構えていることに気づいた。
ジョウを守ろうとしたのだろう。咄嗟で知識もないのに頼もしいものだ。
「大丈夫だ、カナ。ありがとう」
「いえ、油断しないでください」
止まってくれたことを見るに、傷つける意図はないだろう、とジョウは考える。
と、車のドアが開き、地味な服を着た男が出てくる。
「――――全く、なんだなんだ!」
その声には苛立ちがあり、それは自分たちに向けられているとジョウは分かった。
その理由がよく分からず、むしろ傷つけられる可能性に抗議しようとしたとき、
「お前さん方!なんでこんなとこ歩いてんだ!ここ車道だぞ!」
「…………あ」
その第一声で気づいた。
確か、辞書にそんな話があった。内容を思い出せば、道の真ん中が車道だった。
完全にこちらに非があった。
「……………………すみませんでした」
「ジョウ?」
「カナ、ごめんな。俺が抜けてた」
カナは困惑していた。ワールズで少しでも車の事を知ってれば気づけてたかもしれない、と少し後悔した。
その謝罪に応えてくれるのか、と少し不安だったが、逆に向こうも驚いていた。
「お、なんだ。以外に常識はなってるのか」
「……ご迷惑をお掛けしました」
「確かに夜中だから気が抜けるのもわかるが…………注意しとけよ」
何とか許してもらえそうでジョウは胸をなでおろす。
「…………まあ珍しい恰好してるし――――外国の人かね?気をつけてな」
「……」
といってその男は車に乗り込み、そのまま去っていった。
ジョウはその姿を呆然と眺めた。
ジョウは自分とカナの姿を見る。
恐らく顔つきは人間と変わらないだろう。
しかし確かに、見た目は人間と比べて少し派手で、客観的に見て身に着けているものも機械的だ。
この時間だからまだよかったが、これは目立つだろう。
いや、とジョウは道の端に向かいながら考える。
この世界で他の仲間を探すにはまだ情報が足りない。
だったら、どうせ目立つならばこちらから与えてみるのはどうか。
具体的に、何か騒ぎを起こしてみれば――――。
***
譲は依然として不安だった。
あの二人だけで大丈夫だろうか。この世界について殆ど知らないままに送り出してもよかったのか。
しかし譲はジョウの態度を思い出す。
自分に嫌悪感を抱いているのも感じれた。それに出るときの様子からして、粘っても止めることはできなかっただろう。
やはり、彼らに対して身勝手過ぎた。話した限り少なくともジョウは人間と同じくらいの、いやそれ以上の思考力を持っている。そんな相手にあんな態度を取れば、それは不快だろう。
しかし、どう接すればいいのか。
と、軽快な音を立ててワールズが映し出されているディスプレイ上にポップアップが急に現れた。
ワールズとは無関係の緊急ニュースだ。基本的に通知は切っているが、比較的緊急時のものは出るようになっているらしい。
珍しいもので、譲はドキッとしながらその詳細を開く。
そして、その内容に心臓は更に跳ね上がった。
【不審人物がX地区にて騒ぎを起こしているとの情報が入りました。不審人物は大型の火器を所有しており、特徴的な見た目をしております。危険ですので、近隣住民の皆様は速やかに避難をお願いします。この通知は事件への刺激防止のため、ネットワーク上のみで行われて――――】
防犯用アプリとして入れたものの滅多に起動しない、リアルタイム地域速報の通知である。
譲の家は現場の地区のすぐ近くであり、歩いていける範囲だ。
詳細は野次馬を警戒してか殆ど書かれていない。しかし、火器など所有できるもので、特徴的な見た目。
嫌な汗が首筋をなぞる。こんな予想などしたくもないが、可能性は0ではない。
「…………まさか、そんな……」
呟くその言葉に、返事はない。