1話 日常と崩壊1
ジョウは静かに目を覚ました。
見慣れた半透明の天井が視界に広がる。視界の隅を行き交う光信号の緑色が、今日も平常通りであることを教えている。心地よいベッドの感触から離れ、上体を起こした。
寝起きの固まらない頭を叩き起こし、昨日までの出来事を反芻しながら、無言で支度をする。
今日は大切な日だ。直接自分は参加しないとはいえ、平常心を保たなくては。
「おはようございます、ジョウ」
と、いつの間にか現れてはいつものように声をかけてくれるのは、今日の主役である少女だ。
目を向けると、少し赤みのかかったセミショートの髪を投げ出すように深く頭を下げている。
「おはよう、カナ」
そう声をかけて初めて上げたその顔からは、緊張を全く感られず、普段の冷静な表情だった。
「……お前にとっては度々あって緊張のし甲斐もないんだろうが、もうちょっと意気込んでもいいんだぞ?俺は毎回緊張してるんだが……」
「いえ、緊張はあります。ですがジョウがいて下さっているので」
そんなに信頼されても困る。俺は所詮サポーターだ。
「……じゃ、行くか」
「はい」
そう交わした2人は既に玄関に転移しており、流れるように目の前のドアのノブを掴む。
視界に無数の項目が広がる中、ジョウは「中央広場」というウィンドウを選択し、再度ワープした。
そこにはジョウにとっては慣れ親しんだ風景である巨大な空間が広がっていた。中央には巨大な噴水があり、ここの象徴として変わらない輝きを見せている。
それを中心にして、かなりの人が待ち合わせなどで居座っている。
座ったまま微動だにしていない老人もいれば、2,3人で会話している少女達、周りをきょろきょろ見ている男や、なぜか走り回っている少年もいる。
またそこら中にも小さな売店がちらほら建っており、各々需要に見合った人数が並んでいる。
恐らく各々が「コミュニティ」を築いて、楽しんでいるのだろう。
ここは彼らにとっての生活の中心で、憩いの場である。行きたい場所、話したい相手、やりたいこと、全てがここの広場から繋がっているのだ。
そしてそれはジョウ達にとっても例外ではない。
ジョウは自分のコミュニティの集まりを探す。
程なくして見慣れた顔を2つ見つける。
「やあやあジョウ君こんにちは!今日も実にいい天気だ!」
「ようD、ケイ」
「昨日は来れなくて悪かったな、ジョウ」
「気にすんなよ、俺たちの仲だろ?」
開口一番に謝罪をした落ち着いた風貌の青年はケイ。ジョウが記憶してる中でも最古の友人で、一番気ごころが知れている。年齢などの風貌が近いため話もよく合う親友だ。特に2人とも絵画が好きなので、芸術広場によく一緒に行っている。
対していきなり大声をかけてきた小柄に眼鏡の青年はD-923。ジョウ達はDと呼んでいる。装備マニアで様々な交渉でジョウがお世話になっている人物であり、またよく話す間柄だ。
ジョウを入れたこの3人はコミュニティ『夜空』の一員だ。現在全員で28名おり、ケイが代表となっている。コミュニティはこのように仲のいい、または同じ目的を持ったメンバーで自由に構成することができる。コミュニティ『夜空』では特別な取り決めはなく、各々が好き勝手に参加している状態だ。
程なくして、『夜空』の一員である農林業が好きなkozu、衣装製作専門であるサキ、
続くように5人、6人とメンバーが集まってきた。各々が会話をし始めると、Dが神妙な顔で口を開いた。
「……で、今日の調整は大丈夫?」
「ああ、問題ない。後は本番で頑張るだけだ」
「ならよかった!やっぱどうしても心配になるねえ。特に闘技大会の決勝戦ともなると」
そう、今日は闘技大会の決勝戦である。もっとも出場するのはジョウではなくカナである。
闘技大会というのは名前の通り、多くの人がその腕試しをするために、数ある施設のうちの一つである闘技場で数か月に一度開かれている大会である。
予選と決勝戦があり、決勝と言っても頂点を直接決めるわけではなく、予選リーグでの結果から決勝戦でレベルの近い相手と戦って結果が決まる。つまり実質決勝戦より予選リーグとその前の個人レートで大体の位置は決まるのだが、個人レート自体は決勝戦後で比較的大きく変化するので、十分に重要な試合となるのだ。また予選の出来が一定以下だと決勝への出場すら許されないので、決勝戦を行うことそれ自体だけでも価値のあるものだ。
「今回も手伝ってくれてサンキュな、D。助かったぜ」
「なんのなんの!カナちゃんのような特別な闘技タイプの娘のフォローなんてそうそうできないしね!」
カナは本来、ジョウの付き人という立ち位置にいる。付き人がいる人は『夜空』にも何人もいる。しかし、カナのように闘技タイプであり闘技大会に参加する付き人は『夜空』以外にもジョウは見たことがない。というのも、付き人自体が何故か全体的に普通の人よりもやれることが少ない傾向にあるのだ。ジョウが疑問に感じていることの一つである。同様にジョウ本人が大会に参加しないで付き人のサポーターに徹するのもここでは非常に珍しい。
サポーターは主に、戦闘中に参加者へ武器やアイテムの転送をする。一度に使える武器は2種までであるので、臨機応変に変更することが重要である。参加者自身が取り出すこともできるが、サポーターと連携することで客観的に選び出すことが出来るのである。Dとジョウによるカナの装備のカスタマイズと、ジョウの素早い対応のコンビネーションで、カナは付き人であるにもかかわらず個人レートで現在全体で上位の位置にいるのである。
と、Dは満面の笑みをジョウの隣にくっついているカナに向ける。
「…………」
「…………」
「…………何でしょうか?」
「…………つれないなぁ」
Dはガックシ、と擬音が出そうなほどにうなだれる。その光景を見てジョウは苦笑いをするまでがいつもの流れである。カナはジョウ以外に殆ど会話をしようとしない。ジョウに従順である証なのだろうが、ジョウからしてみればもっと明るく社交的になってほしいと思うばかりである。フォローするようにケイが言う。
「まぁ、特に今日はカナも多少緊張しているんだろう。ピリピリしても仕方ないさ」
「………僕にはそうは見えないんだけどねぇ」
「で、昨日の調整は何やったんだ?」
「バヨネット一式の修復と改良だ」
ジョウが答える。
「バヨネットってあの銃に剣が付いた奴だよな。確かカナがよく使ってる」
「だな。まぁ俺が使わせてるって感じもあるんだが」
「カナちゃんはうまいよ!バヨネットに限らず、面白い武器の使い方をするんだ。その場で種類を決めるジョウ君もかなり凄いけどね!」
「いやD、そこはいいんだ。気になるのは前日に調整して大丈夫だったのか?ってとこだ。扱いに慣れてないとかないのか?」
「心配するな、ケイ。家でも軽く装備させてみてるし、そんな大胆な改変はしてない。いじったのはタイマー機能くらいだ」
「ならいいんだが、不安でな。俺は闘技大会はわかんねぇからなぁ」
「ありがとな、大丈夫だよ。今日もカナと勝って見せるさ」
「ほう、誰が勝つって?」
不意に放たれたその声の源を探すと、そこには派手な赤髪をした男がいた。
彼はアルト。同じく『夜空』の一員だ。
ジョウはため息交じりに目の前の男に言った。
「……だからさ、別にお前と当たると決まってるわけじゃないのに、なんでそんなに喧嘩腰なんだよ」
「関係ねえよ。なんせお前らは俺のライバルだからな」
「またそれか、今時流行んねえよそれ」
見るとDやその他のメンバーが距離を置いている。面倒くさいテンション相手には当然の処置だ。
「まぁ今日でお前らとは差をつけるからな。この関係も今日限りだな!ははは!」
「それはよかった」
アルトも闘技タイプであり、今日の決勝戦にも参加する。こう見えても腕前はその瞬発力でジョウ達に引けをとらず、カナ一人なら圧倒されるほどである。ジョウや他メンバーも表面上あしらってはいるが、一定の敬意をもって接している。
「通算で何勝何敗だっけか?」
「知らねえよフレンドバトルの勝敗数なんて。まあ同じくらいじゃねえの?何回もやってるし大体だけど」
「いいや今俺が2回勝ち越してる!」
「結局それ言いたいだけだろ……」
「ジョウが本気を出せば貴方など取るに足りません」
「カナ、急に入ってくるな」
「おーおーお前らも言うじゃねえか」
「俺は言ってねえよ」
疲れたようにジョウが息を吐く。
後ろにいるカナはムスッとしてるし、なんかもうキツイ。
カナはアルトだけにはちょっと辛辣なのである。
「まぁまぁ落ち着けよアルト。試合前に体力消耗するぞ?」
「俺はこんなんで疲れやしねーぜ!」
「言葉の意図くらいくみ取ってくれ」
ケイの助け船によって長ったるいアルトの不毛な会話の軸をそらし、ジョウは一息つく。
「んじゃなお前ら、応援期待してるぜ!」
「あれ、もういくのか?」
「当然だろ?入念な準備があってこそだ!」
「いや、家でやっとけよ。まあ頑張れよ」
ケイのツッコミを尻目にアルトはそのままワープして消えた。
「まぁ早めに行って組み合わせとか見とくのも悪かないし、俺達もそろそろ行くか」
「はい、ジョウ」
「あ、ちょっと待て」
行こうとしたジョウの肩にケイが手を乗せる。
「どうした?」
「あ、いや……。ごめんな試合前に。今聞くのもどうかとは思うんだが……」
「なんだよ、急に」
「……ちょっと気になることがあってさ」
躊躇するケイの意図が分からず、ジョウは素の表情を向ける。
「――――お前はここ数日の失踪事件どう思ってる?」
「ああ……それか」
失踪事件。それは勿論ジョウの耳にも入っている。
最近この周辺で人がいなくなる事件があっている。具体的に言えばコミュニティメンバーが音沙汰も無くいなくなっているというものだ。ある人物が数日来ないことは普段からよくあるが、その時はちゃんと代表の元に欠席連絡が来る。しかしこの事件ではそれがないどころか、本人のステータスが出席中のままなのである。ここ数日で急に起きだしたもので、原因が全く分からないでいる。
「心配するほどのことか――――って言いたいとこだが、正直不安だな」
「だよな、今までこんなことはなかった」
「今んとこ『夜空』は無事みたいだが、何が起こるか分からない。今は情報が少なすぎるからな」
ケイは『夜空』のリーダーだ。こういった話題はみんなの前ではあまり出さないものの、チームを思うと気が気ではなかったんだろう。それを察したジョウが言及すると、何やらケイは笑顔になった。
「やっぱりジョウはこの事件を警戒しているか。安心したよ」
「それはどういう意味だ?」
「ジョウなら構えてりゃ対応できるだろうからな」
謎の信頼だ。
「買い被るなよ。未知相手にはどうしようもないことは多いだろう」
「そうだが、お前は時に驚かされるくらいに対応力があるじゃないか」
「…………」
違和感が胸に引っかかる。武器の正確な用途から蘊蓄まで、自分の謎の知識の出所がよくわからない。そればかりか急に突飛なアイディアが浮かぶこともある。昔から時折訪れるこの違和感は何だろう。
ジョウが少しの間考え込んでいると、ケイが心配そうに言った。
「まぁ話はこれだけだ。なんかごめんな、これから集中しないといけないのにな」
「――――あ、いやいいんだ。頑張るよ」
ジョウは一番の親友の見慣れた心配顔に笑ってみせ、今度こそカナと闘技場に向かう。
――優しい奴だよお前は。常にメンバーの事を考えている。
「頑張れよ」
ケイの声に気づいた他メンバーからの激励の声を背に、意を決して二人はワープした。