返信不要のラブレター
親愛なる先輩へ。
こんばんは。ぼくです。こころです。
まず最初に。下駄箱にラブレターを投函するという、ぼくのお茶目な愚行をお許しください。ぼくが美少女女子高生だということに免じて、どうか許してほしいのです。
自分の気持ちを告白する。そんな繊細な局面に『手紙』というコミュニケーションツールは明らかに不向きです。『手紙』は一方通行な伝達手段であるゆえに、柔軟性にも乏しいからです。相手の反応を見ながら正しく気持ちを伝えることのできない、とても非効率な伝達手段です。もちろん、賢明なる先輩であれば、僕が説明をするまでもなく、そんなことには気付いているはずですよね?
それでもあえて、ぼくが『手紙』という手段を選択することには、もちろんぼくなりの理由があります。『愛は無償であるべき』という前提に立つのであれば、その告白は見返りを求めない一方通行であるべきです。そして『愛は純粋であるべき』という前提に立つのであれば、柔軟性などという小賢しい属性は排除すべきです。そして効率性などを重視するのであれば……そもそも恋愛などすべきではありません。先輩もそうだとは思いませんか?
……とまあ、それっぽい屁理屈をこねてみましたが、まあ正直にいえば、面と向かって告白する勇気がなかっただけなんです。告白。なるほど。それは、どのような顔をしてすればよいものでしょう。ぼくには見当もつかないのです。さっきあげたもっともらしい理由は、全部でっちあげです。意気地のない心に、仕方なく着せた服のようなものです。
ふう、前置きが長くなりました。本当にしなければならないことからは、目を背けたくなるものです。しかし、付き合いの良い先輩といえども、そろそろ飽きてきたころですよね? 仕方がありません。観念して告白しますね。覚悟はできましたか? 覚悟ができたら、下の一文を読んでください。
ぼくは、先輩の書く小説が、大好きです。
とても、とても、大好きです。
以上、告白でした。どうでしょうか。素敵な気分になったりしましたか? ふーん、そうですか。おかしいですね。残念です。
いえいえ、何も冗談や悪ふざけでこのようなことを言っているわけではないのですよ。ぼくはごく真剣に、まじめに、全力で先輩の小説が好きなんです。これは、ぼくが自信をもって言える数少ないことです。ぼくが自信をもてるものなんて、顔くらいのものですから。
話がそれました。いいですか、先輩。世界中で少なくとも一人、先輩の小説に救われている人間がいるという事実を、どうか心の片隅に留めておいてほしいのです。
さて先輩はいま、きっと眉をしかめているはずです。当たっていますよね? 先輩は『救われる』というワードに反応して、きっとこのようなことを思っているはずです。
『私の小説を読んで救われた……という感想を頂くことは、確かに何度かはある。しかしその人たちは、本当に救われているのだろうか? 読後しばらくはそのような幻想を抱けたとしても、翌日にはあっという間に現実に飲み込まれ、何もかも元通りになってしまっているのではないか? 私の物語のことも、忘れさられているのではないだろうか? 物語が人を救う。そんなことが、本当に可能なのだろうか?』
なるほど。おっしゃることは、とてもよく分かります。『救われる』という言葉は、なんだかとても強すぎますよね。あらゆる苦しみから、一瞬で解放される。そんなところを想像してしまいます。しかし、物語にそんな力があるのかと言われれば───聖書のように宗教性を帯びた物語を除けば───まず、ないのではないかと思います。
しかし『救われる』という言葉には、もっとゆるやかな状況も含まれていいと思います。張り詰めた気持ちが一瞬だけ和らぐ。これも立派な『救われる』だと思います。
そして先輩の小説には、人の心を和らげる『何か』があると思います。その『何か』の正体を、ぼくは知っています。先輩は気付いていらっしゃらないかもしれません。
それは、先輩が人生を通じて得たものではなく、先輩が人生を通じて失ったものです。得たものではなく、失ったものが描かれているからこそ、ぼくの心が和らぐのです。だってですよ、
───失ったものを材料にして、物語を作りあげる。
こんな矛盾を両立させるって、なんだか魔法みたいじゃないですか? だって、失っているんですよ? 失ったもので、何かを作っているんですよ? 意味わからなくないですか? これって、すごいことじゃないですか?
そうなんですよ。すごいことなんです。そんな魔法を目の当たりにしたら、少しだけ救われた気持ちになってしまうじゃないですか。なにしろ、ぼくをふくめて、すべての人は失ってばかりなんです。手にしたすべてのものは、必ずいつか失うことが、決められているんです。だからこそぼくたちは、失われることに対して、失われるものに対して、何らかの物語が必要なのです。
ぼくが先輩の小説に救われる理由は、つまりはそういうことです。納得して頂けましたか?
ぼくは、先輩の小説が、大好きです。
先輩が失ったものも、それで作り上げた物語も、すべてが大好きです。愛しいです。可愛いです。
先輩の物語を必要としている人が、この世界のどこかに必ずいます。しかも彼らは大切な何かを失って、とても孤独にしています。先輩の物語でなければ、きっと言葉の届かない場所にいるでしょう。
彼らの家のドアをかたっぱしから蹴破って、彼らに届けに行きたくはありませんか?
一人でも多くの彼らに、先輩の物語が届きますように。まるでお花のように届きますように。彼らがお花に手を合わせ、失くしたものに祈りを捧げ、この世界にあるどうしようもない苦しみが、少しでも、一瞬でも、和らぎますように。
ぼくは、先輩の小説を読むたび、そんなことを祈っているのですよ。知らなかったでしょう。
……という告白でした。ふう恥ずかしい。こんな面倒くさいことは、もう二度としません。だから先輩ももう、あんなことは二度と言わないでくださいね。いや、いいんですけど。ちっとも良くないんですよ。
最後に。
もちろん、このラブレターに返信は不要です。
先輩が小説を書き続けてくださることが返信だと、勝手に思うことにします。
拙くて滑稽なぼくの告白を、最後まで聞いてくださって、ありがとうございました。先輩は本当に付き合いがいいですね。
こころより。
P.S. もちろん、ぼくは先輩のことも大好きです。こちらにはきちんと、返事を下さいね。