フクロウの赤ちゃん 1982年5月21日号掲載
新浜だより(行徳新聞再録) 1982年5月21日号掲載
フクロウの赤ちゃん
「わあ、かーわいい!」
段ボール箱のふたを開けたとたん、嘆声がもれた。ふかふかした羽毛におおわれた、紛れもないフクロウの赤ちゃんが一羽。大きな黒い目にうす青い瞳孔、ハトをふくらませた位の大きさで、手を出すと一人前にくちばしを鳴らして威嚇する。暖かな羽毛をそっとなでてやると、口をあけて餌をねだるような動作を見せた。生きたぬいぐるみという形容がぴったり。
「大和田新田の八幡神社の境内で拾われたんだそうです。大きなケヤキはありますが、すぐまわりは道路や人家でね、フクロウなんかいる感じじゃないんですが。」
届けてこられた八千代市役所の方が、地図を見ながら説明される。巣立ちまであと三、四日というところか。飛ぶにはまだ間がありそうな幼いヒナだ。何かの原因で早めに巣から出て、落ちてしまったらしい。
静かな森や大木がなくなり、フクロウ類は平野部では本当に稀になってしまった。ヒナを人手で育てるのはさほどむずかしくはないが、親鳥ならぬ人間の身では、ヒナが自分で獲物をとり、自活できるように訓練するのは至難のわざである。何よりもまず、親に返すことを試みなくてはならない。ともかく預かった上で、夕方現地に行ってみようということになった。
五時少し前、客席に赤ちゃんフクロウと大はりきりの公裕、家の許可がもらえた塩浜小六年の若本君を乗せて、わが家のおんぼろパブリカは出発した。湾岸道路から一路成田街道へ。船橋の薬円台あたりから、庄屋屋敷や屋敷林、牧場などが目につくようになった。自衛隊の習志野演習場を出はずれて間もなく、T字路の角に八幡神社があった。
神社の境内は幅十メートル、奥行きは五十メートル足らず。隣は民家、道路を隔てた向かいは農家の屋敷林になっている。二列に並んだ十数本のケヤキやクヌギは、大人でも抱えきれないふとさだった。ひっきりなしに車が通る。
発見者の山口さんご一家も来てくださり、巣のある場所は見当がついた。鳥居のきわのふたかかえもあるケヤキで、樹高三十メートル近く、十メートル以上の高さまで、枝は一本もない。地上十六メートル位の三つにわかれた枝に、巣穴らしいうろが見えた。しばらく待っていると、枝のムクドリたちがふいにけたたましく鳴きながら舞い上がった。と見る間に、葉をすかせて大きな鳥がふわりと下りたのが見えた。親鳥だ!
巣穴まで登るのは不可能、はしごも届かず、思案にくれていると、主人が「消防署に行ってみるか。」と言い出した。だめでもともとである。はしご車があるかどうか、確かめるだけでもよい。暗くなった道を車で十分、幸いに風もなく湿っぽい晩で、消防車はみな車庫で待機していた。
フクロウのヒナを見せながら主人が事情を説明していると、消防士さんが次々に「かわいいね」とのぞきに来られた。「じゃ、ちょっと現地まで行った上で判断してもらうことにしますから。」とのことばに驚く間もなく、オレンジの制服に身を固めたレスキュー隊の方々が五、六人、さっと現れ、あれよあれよという間に、私たちは大きな消防自動車の先導をつとめて、再び神社へ向かっていた。
とっぷりとくれた境内にこうこうとライトが光り、めざす三つまたが示された。若本君と公裕が「こっちから見えるよ。」と案内にかけ出す。三連ハシゴがさっと固定され、救助隊員が身軽に上っていった。親鳥がふわりと飛び立ち、隣の木にうつったようだ。「穴が二つあります。」十六メートルの高さから隊員が声をかける。「ロープ下ろせ。」ゆらゆらと下りてきたロープの先に、標識足環をつけたヒナが袋ごと吊るされ、ゆっくりと枝の間に見えなくなった。
「あれ、こいつ出てきちゃいますよ。」上からの声に続いて、「フクロが落ちてきた!」と若本君。ぎょっとした次の瞬間、「袋だよ。間違えないでよ。」と言われて吹き出してしまう。
もう一つの穴に入れてやると、ヒナは落ちついたようだ。救助隊員が下りてこられ、はしごやライトが車の定位置に戻された。この間、約十五分。見守っていた私たちも、山口さんのご一家も、思わず拍手をしたい気持だった。消防署の方々にお礼を申し上げ、「ヒナが無事に育ちますように」と神社に手を合わせてから、帰路につく。
館山のサギの卵つぶしなどの痛ましいニュースの中で、八千代市消防本部の方々の善意はひときわ光っていた。本当にありがとうございました。