鈴北くんと葉山さんの話
ちょっとした習作です。
わたしは本田。
何、どうと言う特徴もないただの平凡な、いちサラリーマンだ。
「鈴北はさあ、無人島に一人取り残されるとして、何か一つだけ自由に持ってっていいって言われたら何を持ってく?」
定時上がりを推奨される週に一度のノー残業デーの、ちょっとした楽しみ。
酒も煙草もダメな上、これと言った趣味もないわたしにとってそれは、共働きの妻の仕事上がりを待ちながら、妻の職場近くの行きつけのカフェ『ニリンソウ』でゆったりと読書をしながらコーヒーを嗜む時間だ。
そんな折、隣の席に座っていた高校生くらいと思われる若い男女のうち、女子の方がそんな質問を投げかけたものだから、不意に懐かしさのあまり耳がそちらへと向いてしまった。
「無人島、ねえ。葉山って優等生のくせに時々やけにガキっぽい事言うよな」
まあ、随分と使い古された質問である。
わたしも中高生の頃、そんなやり取りを悪友どもとした記憶があった。
やれ脱出用のボートであるとか水であるとか、様々な答えは出たものだが、正解などと言う物のないその手の質問は意外と白熱した議論を生むものだ。
わたしとしてはこの質問に関しては持論がある。
大抵の場合、ナイフ党は声がでかい。
水やら便利な道具やらはナイフで作れば代用が効くとか言うくせに、脱出用のボートやヘリなどと言う答えはロマンがないとかホザくのだ。
ロマンも何も、何を持っていくかと言う質問に対して自分の意見を押し付けると言うのはそれこそロマンがない話ではないだろうかと反論したものだが。
ああ、それともう一つ。
大抵はこの手の質問、質問した側が自分の思う最高の答えが言いたくて仕方がないからこその『フリ』である事が多い、と言う事だ。
「うちはねえ、脱出用のヘリかな!」
ああ、やはり。
鈴北と呼ばれた男子の方が答えを模索しているのにも関わらず、待ちきれずに葉山と呼ばれた女子の方は自分の会心と思っているだろう答えを、それはもう楽しげな声色で告げていた。
もはやすっかり頭に入ってこない本に落としていた目線を、そっとくだんの高校生の方を移してみると、そりゃあもうしてやったりとでも言わんばかりの、真面目な優等生風の女子高生の満面の笑顔があったもので、わたしは思わず吹き出してしまいそうになった。
いや、失礼極まりないな。微笑ましい、実に微笑ましいドヤ顔であったとしておこう。
しかし残念ながらね、葉山さんと言ったかな。お嬢さん。その答えは昔から出尽くしているものですよ、などと口を挟むのは野暮というものだろう。
わたしの口からそんな言葉が出てしまいそうになるのを、ホットコーヒーを流し込む事で押しとどめる。
爽やかで華やかな香りに、やや酸味のある口当たり。ここのブレンドはモカの配分をやや多目にしてくれている、わたし好みのブレンドなのだ。
「それは何かなあ。せっかくの無人島なのに、楽しめねーなんてもったいなくね?」
鈴北くんはのんびりした口振りで反論する。言葉遣いはかなり崩れているが、もしかすると悪い子ではないのかも知れない。
ごめんよ、鈴北くん。ちらりと視界の端に入る君の姿が茶髪にピアスでいかにもなもんで、わたしは勝手にヤンキー扱いをしていたところだよ。
しかしパッと見ヤンキーな鈴北くんよ。君はもしかしてあの悪名高きナイフ党員なのかね。自身のポテンシャルを過大評価し、この恵まれた現代日本に生きる身において、出来もしないくせにナイフ一本で生き延びられるなどと豪語する無謀の徒だと言うのかね。
確かにヤンキーたる者ナイフに頼りたくなる気持ちはわからなくもない。昔から不良少年の相棒はナイフと決まっていたが、その答えは正直どうかと思うよ!
しかし鈴北くんは、わたしなどの想像を遥かに越えた大物であったらしい。
「俺なら、現代文明を持ってくかな。サバイバルなんか出来ねーし、だからってすぐ脱出してもつまんねーし」
次代を担う若者の発想の突飛さよ!
しかし葉山さんにはいまいちその回答の素晴らしさが理解できないらしかった。不服そうな声を上げ、反論する。
「えー、そんなのってあり?」
「わかんねーけど。でも学校サボれるし、でも不自由な生活はしなくていいし、最強じゃね?」
「あー」
葉山さん、その理由で納得するのか。
いやはや、しかし動機は不純だが、わたしのような頭の凝り固まったものではなかなか出てこない発想ではある。
ともすれば同様の意見を挙げる人物もいるのかも知れないが、わたしの周りでは残念ながらそこまでの発想に至った者は現れなかった。
「じゃあ、うち、T○KIO持ってこっと」
まさかの切り返しである。それを持っていくなんてとんでもない、と某国民的大作RPGのようなメッセージが脳裏に過ぎる。
確かにそれを持っていけるならば無人島であろうとどうにかなるビジョンしか見えないけども!
「えー、それズルくね?」
「文明がありならT○KIOが無しなわけないじゃん。大丈夫、鈴北メンバーも連れてってあげるから」
「メンバーちゃうわ」
葉山さんの切り返しがなかなかに鋭角で、わたしの腹筋は最早痙攣すら始めかけていた。頼むから鈴北くん、安易に関西弁を使わないでおくれ。おじさん、もうダメなんだ。ちょっとしたことで吹き出してしまいかねないくらい、笑いの沸点が下がってしまっているんだ。
何とか最大の波を耐えきると、心を落ち着かせるべくコーヒーを啜る。口の中で転がすような真似はしない。うっかり吹き出しては困るからな。
「ところでさ」
鈴北くんが話を変えるように、また話を始める。
「文明で思い出したんだけど、世界四大文明ってあるじゃんか」
「あー、あるね」
「あれって何でアトランティス文明入ってねーんだろうな?」
セェェェェフッッッッッ!
コーヒーをきちんと飲み込んだ後でよかった!
うん、それはね。実在を証明できる物がまだ何も出ていないからだよ。ふー、やれやれ。
まったく。危うく隣の席の高校生の会話に耳をそばだてているような変な大人と思われるところだった。
まあ、申し開きの一つも出来ないくらいに事実なのだが。
ところで鈴北くんの質問に、葉山さんは少しばかり呆れた様子でため息をつく。
「それはね、鈴北。ムー大陸が世界七大陸に数えられていないのと似たようなもんよ」
その回答はどうかな葉山さん。
いや、まあ実在した証拠がないと言う意味では近いかも知れないが、絶妙に言い得てないし妙じゃない。
「あー」
そして納得しちゃったよ鈴北くん!
さっきの才気溢れる君はどこにいったんだ!
「俺、いつか行ってみてーんだよな、ムー大陸。アレだろ、アレ。アマゾンとかある辺りだろ?」
それ南米!アメリカ大陸!
「鈴北、地理とか歴史の社会系、苦手だもんねえ」
苦手とかそう言うレベルじゃないと思うが、いかんいかん。あくまでわたしは彼らの隣にたまたま座っただけの大人であり、そんな気さくにツッコミを入れるような間柄では決してないのだ。
「うちとしては鈴北が四大文明知ってたってのが驚きだけど」
「バッ、おめーバカにすんなよ。流石に高校生にもなりゃ知ってるって。いいか?」
見てろよ、とばかりに鈴北くんは右手の指を四本立ててみせた。親指以外の四本だ。
その大袈裟な動きは、わざわざ視線を逸らしているわたしの目にも簡単に入ってくるほどだ。
ああ、嫌な予感がする。
この手のタイプが自信満々に言ってのける時、大抵の場合噴飯ものの回答を炸裂してくれるのだ。
「エジプトぉー」
思い出すのに時間が掛かるのか、やけにゆっくりな喋り方でまず小指を折る。
そして止まった。いやいや、まさかまだ一つ目だぞ!
「えーっと、アレだアレ。そう、中国!中国あったろ?」
おお、割と早い段階で二つ目が出てきた。ホッとしながらそっと横目に葉山さんの顔を窺ってみると、優等生然としていた彼女の顔には実に意地悪そうな笑顔が貼り付いていた。
こ、この子!鈴北くんが絶対答えられないと見て、余裕のドS顔してやがるっ!
「ああ、あれだな。ルネッサンス!」
それ産業革命やないかーい!何でそれで一本指折っとんねーん!
いかん、脳内で一発屋芸人がワイングラスで乾杯しやがった。
「残り一個!あー、あれ!あれ!邪馬台国!」
ザンネンなお知らせです。さようなら、インダス文明くん、メソポタミア文明くん。君たちは鈴北くんにとって四大文明には含まれなかったらしいですよ。
葉山さんの予想通りだったな。鈴北くんは歴史や地理と言った社会科科目が苦手なようだ。
「ルネッサンスや邪馬台国は四大文明に入ってないでしょ。適当こいて誤魔化せると思ったか!」
「えー、だっけかあ?」
「世界四大文明はエジプト、メソポタミア、インダス、中国」
「あー」
あー、じゃねえよ。
もう十年じゃ済まないほども前に習ったことではあるが、確か小中学生レベルの問題だったはずだ。
「そんなだからテストのたびに苦労するんじゃない」
確かに四大文明すら覚えていないような学力では、赤点は免れないだろうとも。
もうすっかりとぬるくなってしまったコーヒーを啜りながら、さもありなんとわたしは頷く。
ぬるくなっても香りは良いが、やはり飲み味がやや悪いな。まだ妻は来ないが、飲み干してしまってお代わりでももらうとしようか。
「いや、俺、葉山より悪い点数取った事ねーじゃん」
「それがむかつくの。何で究極の一夜着けなのに学年トップとか取れるの?」
「俺、宵越しの知識は持たねーんだ……」
どこの江戸っこだよ! 持たないのは宵越しの金だろ!
思い切り吹き出しそうになったコーヒーを辛うじて堪える。ああ、わたしの表情筋よ。頬の筋肉よ。耐えてくれてありがとう。
おや、ドヤ顔の鈴北くんに近寄ってくる姿があるな。スーツ姿の女性だ。わたしに向けて人差し指を口に当て、静かにしておいてほしいとでも言う仕草を見せる。
成程、彼女がそう申すのであれば、わたしとしても心を凪にして様子を見守ろうではないか。
「仲がいいのは結構な事だけれど、宵越しの知識くらい持ちましょうね、鈴北くん」
彼女は鈴北くんの背後に立つと、訳知り顔で告げる。
おや、鈴北くんだけでなく、葉山さんもなかなかにバツの悪そうな顔をしているじゃないか。
「川崎せんせー……」
「葉山さん。今は何時? 仲睦まじいのはとってもよくわかるけれど、十八時以降、学生だけでお店に出入りするのは禁止でしょう? 今日は見なかった事にしてあげるから、早く帰りなさい」
ほう。
成程、この二人は彼女の生徒だったか。
おお、鈴北くんも葉山さんもバツが悪そうにそそくさと退散していく。
彼らにはなかなかに楽しい話を提供してもらったと言うのに礼の一つも言えなかったな。
まあ、それはそれで。
「ごめんね、あなた。ちょっと仕事長引いちゃって」
川崎先生、と彼女の旧姓で呼ばれたくだんの女性が、わたしへ申し訳なさそうな表情で告げながら、対面へと着席した。
「いやいや、構いやしないさ。おかげで君がちゃんと先生をしているところを目撃する事が出来た」
わたしの妻であるところの彼女の、わたしが普段目に出来ない一面を見る事が出来たのは実に幸せなことだ。
見も知らなかった鈴北くんと葉山さん。
楽しい話と、有意義な時間を、ありがとう。