8 怒りの持って行き場がないよ
モフモフを受け止めるつもりで両手を差し延べたまま、首だけ後ろに捻じ曲げていたおれの胸に、ドン、と何かがぶつかって来た。
「うっ」
呻きながら胸元を見ると、オランチュラのチャッピーだった。おれが勘違いしたのと逆に、チャッピーは自分がご主人さまに呼ばれたと思ったらしい。
「ち、違う。うひゃっ、やめろって、舐めるんじゃない!」
まだモフモフに対する腹立ちが治まっていなかったおれは、思わずチャッピーを突き飛ばしてしまった。
「あっ」
次の瞬間、ケガをさせてしまうと後悔したが、チャッピーは空中で上手に回転し、フワリと着地した。
「ごめんよ、つい」
謝ったが、サササッと逃げて行ってしまった。無理もない。
こうなったのもモフモフのせいだ。おれはますます頭に血を昇らせた。
後ろでは、ようやくシャロンを床に降ろしたモフモフが、メイメイに窘められているところだった。
「お姉ちゃ、いえ、大統領閣下、お気持ちはわかりますが、はしたないマネはおやめください。それに、中野さまも来ていただいているのですよ」
「ああ、わたくしとしたことが」モフモフはこちらを振り返り「お久しぶりでございますね、中野さま」と愛想笑いを浮かべた。
だが、おれは、もう我慢できなくなっていた。
「冗談じゃない! 何が国賓だ、何が招待だ。もう、たくさんだ。おれは帰る!」
モフモフとメイメイが交互に「すみませんでした」「どうぞ、お気を静めて」と必死に執成そうとする向こうで、シャロンと元子がニヤニヤしてこちらを見ているのが、さらにおれの怒りに火を点けた。
おれは足を踏み鳴らす勢いでモフモフたちの横を通り抜け、入って来た扉を力任せに押した。
が、扉は一ミリも動かない。
おれは、メイメイが扉を押して入って来たことを思い出し、足を踏ん張って両手に全身の力を込めて引いてみた。やはり、ちっとも動かない。
「人間の力では、無理じゃよ」
聞き覚えのある声に、ハッとして振り返ると、意外にも普通に背広を着た懐かしい人物が、モフモフの隣に立っていた。
「荒川さん!」
「久しいの。色々行き違いがあったようじゃが、勘弁してくれたまえ。何しろ、非常事態なのでな」
珍しくやや暗い表情の荒川氏を見て、おれの怒りは急速に萎んだ。
「何があったんですか?」
「うむ。詳しいことは、奥で話そう。中野くんと、ええと、シャロンちゃん、じゃったかな?」
「はーい、そです」
「二人だけ、わしの執務室に一緒に来てくれたまえ」
荒川氏の隣のモフモフが「わたくしは?」と尋ねると、荒川氏は首を振った。
「いつ、何が起きるかわからん。おまえさんは、大統領としての職務に専念するんじゃ」
「わかりました」
荒川氏はメイメイと元子に「しばらく誰も奥に通さんでくれんか」と頼むと、おれたちに「こっちじゃ」と言って、先に歩き始めた。
荒川氏の後ろを歩きながら、おれは次第に募ってきた不安と緊張で何度も唾を飲んだ。
一方のシャロンは、フフフンなどと鼻歌を唄っている。
廊下の奥に、日本語で【大統領顧問室】と書いてある扉が見えてきた。
「さあ、ここじゃ」
荒川氏が扉を開けると、ドラードでは珍しく、人工照明が点灯された部屋だった。つまり、完全に密閉されている、ということだ。
中央に七名掛けの丸いテーブルがあり、正面にホワイトボードがある。さらにその左手奥に、巨大な金魚掬いのポイのようなものが安置されているのが見えた。
おれは思わず、「これは森の精霊の……」と呟いた。
(ちなみに森の精霊とは、惑星ドラードの先住民であるオランチュラの集合意識である)
おれの呟きに、荒川氏が頷いた。
「そうじゃ。わしの座所から、ここに移してもらったんじゃ」
その紹介を待っていたかのように、あのユニゾンのような声が響いた。
《久しぶりだな、地球人の若者よ》




