34 それって、裏切りじゃないのかよ
グリグリの背中の毛を両手で掴み、おれは振り落とされないよう、必死で耐えた。
その間も、水しぶきは容赦なくおれの体に降り注ぐ。もう目も開けていられないし、叫び声を上げる余裕すらない。
アゴラがあるはずの巨木に辿り着いた時には、ホッとしてグリグリの毛を離しそうになった。
だが、本当の試練はそこからだった。
ほとんど垂直の巨木の幹を、グリグリたちは何の躊躇いもなく、サッサと登り始めた。
おれの体も垂直になり、掴んでいる毛だけで全体重を支える形になる。しかし、水に濡れた毛は滑りやすく、とてもじゃないが掴んでいられない。
「わ、わ、わ、落ちるーっ!」
「小僧、わしの首っ玉にしがみつけ」
おれは急いで背中をよじ登り、おれの胴体より太いグリグリの首に腕を回した。
「こ、このまま、登るのか?」
「もうすぐだ。辛抱しろ」
グリグリは両手両足のカギ爪を上手く使い、ほとんどノンストップでスイスイ登って行く。速い。おれの体重など感じていないようだ。
やがて頭上にでっかい枝が見えて来た。その枝の上に出ると、幹にポッカリ大きな穴が開いている。直径三メートルはありそうだ。ここが、アゴラへの入口だろう。
うっかり、どれくらい登って来たのか確かめようと下を見そうになって、あわてて止めた。どうせ、気絶するほど高いに決まっている。
グリグリは枝の上に立つと、おれを負ぶったまま穴をくぐった。
おれは、ふと、一年前のことを思い出した。
あの時はモフモフに負ぶってもらったなあ。そのモフモフが、今や大統領、そしておれは、あれ、何だっけ。まあ、保安官見習い、でいいか。立場も変わったし、仲間も敵も増えた。これから、おれはどうなるんだろう。
柄にもなく内省的な気分になったおれを、メチャメチャ美味しそうな匂いが現実に引き戻した。
おれの知っているドングリの匂いと違う。なんだろう。ナッツ系ではあるようだが、アーモンドのようでもあり、クルミのようでもある。
おれの疑問が伝わったのか、グリグリが「わしらは常世の実と呼んでいる。この第八地区だけに生る、特別なドングリだ。栄養価も高く、ビタミン・ミネラルも豊富だ」と教えてくれた。
「なんか、食べると長生きしそうだな。あ、それより、そろそろ降りて自分で歩くよ」
「いいのだ。きれいに整地された第七地区のアゴラと違い、地面が凸凹しているし草も多い。もうすぐ村に着く。それまで乗っておれ」
グリグリの言うとおり、おれが今まで訪れたアゴラの中で、一番自然のままの状態のようだ。おれの背丈ぐらいもある草が、伸び放題になっている。
まあ、守旧派だから、当然なのかもしれないが。
村に着いても、それは同じだった。小さな丸太小屋のような家々には、風車どころか、そもそも屋根がなかった。機械はおろか、道具らしいものも、ほとんど見当たらない。
アゴラの中央に集会場のような広場があった。そこに大勢のドラード人が集まって、料理を作っていた。
大きな石臼で例のナントカの実が挽かれて、大きな黄金の鍋のグツグツと沸騰しているお湯の中に、次々投入されている。鍋の下は竃のようだ。
辺り一面、あのいい匂いが立ち込めていた。
まあ、守旧派と言っても、煮炊きはするレベルで良かった。いくら空腹でも、生のドングリはさすがに食えない。
ここでようやく、グリグリは、おれを地面に降ろした。
「基本的な食事は常世の実のスープと、同じく常世の実のパン、それに野菜サラダだ。おまえの口に合うかわからんがね」
「いや、贅沢は言わない。とりあえず、早く何か食わせてくれ」
「いいだろう。適当な椅子に座ってくれ」
椅子と言っても、直径三十センチぐらいの木の切り株だ。その中で一番手近な一つに腰掛けると、ドラード人の一人が木のお椀にスープをよそってくれた。
そのドラード人は、葉っぱで編んだベレー帽を被っていた。巨大カピバラのようなドラード人の顔にもだいぶ慣れたので、知ってる顔はなんとなくわかる。
「え、まさか、モフ、あ、いや、メイメイか?」
「はい。ご無事で何よりでございました。一時は遭難したらしいとの噂もありましたが、わたくしは中野さまを信じておりましたよ」
「いやいや、そんなことより、なんでおまえがここにいるんだ?」
メイメイはニッコリ笑った。
「わたくしも、グリグリさまの主宰される『ドラードの伝統を守る会』のメンバーだからでございますよ」




