4
「、、、は?突然何を言ってるのか分からないけど、僕は兎に角もう帰りたいから手を放してくれないかなあ」
「だから、君には私の為すことの共有者になって、私の行動の是非を判断して貰いたいの!」
「いや、何で僕がそんなことしなきゃいけないんだよ」
「それは、私が君に興味があるから!」
意気揚々と彼女は僕にそう言い放った。いや、なんだそれ。告白か?いや、それでも興味があるからって僕が変なことに巻き込まれるのは可笑しい極まりないはずなんだ。
「いや、興味って、僕らさっきまともに話すようになったばかりだよね?そんなん理由にならないからね」
「えー、さっき知り合ったからこそ、あんまり君のこと知らないから興味があるんじゃないか」
「それなら尚更僕じゃなくてよくない?他にも代役効くじゃないか。僕がやりたくないって言ってるんだから、本人の意思も尊重させてもいいでしょ」
僕が断固拒否の反論を返す様を見ても、彼女もまた、全くそれに動じないかのように平然と和かに僕の手を握りながら、言葉を発してきた。
「んー、何でそんな嫌がるかな。でもね、実は、これ代役が効かないんだよね。君は特別だから。私も適当に君に興味が湧いたわけでも、適当に君をこの重大任務に任命した訳でもないんだよ」
「は?特別?別に僕は特にそんな君に重宝される筋合いないけど」
「いや、実はあるんだな、それが。まあこれは極秘情報なんだけれど、君には知る義務があるから教えてあげよう」
ふふん、と鼻でも鳴りそうなくらい鼻高々に彼女はそう言った。
極秘情報?僕が特別だとか言う理由が?全く言ってることが理解出来ない。
そもそも、貴重で重大な秘密をわざわざ僕にだけ教えてあげるんだよ、みたいな言い方だが、僕はそんなに知りたいとも思っていないし、何よりも早く帰りたいと言う願いは現在進行形で存在している。隙あらば帰ろうとタイミングを見計らってはいるが、まだ僕の左腕を掴んでいる手は離れそうになかった。まあ、その願いが叶う可能性がどんどん無くなって来ているのも薄々感じてはいるが。
「え、いやいいよ、僕は早く帰りたいし」
彼女は一向に僕が極秘情報だか何だかに興味を持たないせいか、眉間に少し皺を寄せ、じっと、目を細めて睨んで来た。が、すぐにぱっと表情を戻し、和かに口を開いた。
「まあ、心配しなくても、極秘情報だからって秘密がバレて何かが起きる訳ではないからさ。でも、バラしたら個人情報保護法と、プライバシーの侵害には違反するから、絶対に他言無用だからね!」
びしっと音が付きそうな勢いで、僕の腕を掴んでいる逆の手の人差し指を、僕に向けて差し、仁王立ちしながらまるでキメポーズのような立ち居振る舞いで彼女はそう言い放った。
この時の僕は、彼女が僕の帰りたいと言う意思を全く聞かないのと、さらに頓珍漢なことを返してくること。そしてもう完全に彼女のペースに呑まれていて、僕の早目の帰宅の願いはほぼ叶わないという流れが薄っすらと見え始めていたこと、なんかのせいでイライラしていたんだ。
僕はその僕に向けて指された彼女の指をぱしっと、払った。
「人に指を向けるなって習わなかったのかよ」
すると彼女は僕の苛立ちの篭った言い方と、勢い良く手を払った事を気に食わないかのように、むっと頰を少し膨らまし、ふて腐れたような顔をした。
いや、今すぐに怒り出したいのは僕の方だ。これ以上イライラが募っていく前に無理矢理にでもここを立ち去ろう。彼女を説き伏せようかとも最初は思ったりもしたが、それが全く通用しないのはさすがにもう理解した。
僕が彼女の手を振り払おうとした瞬間、彼女はとんでもないことを口にし出した。
その時の彼女の顔は、いつ間にか和かに笑っていた。
「まあ、いいや。大事な話を立ちながらするのもあれだから、あっちで座って話そう!」
はあ?
と、僕は思わず口から出てしまった。
すると、彼女はすぐさま僕の人質となっている左腕を引っ張って、ぐいぐいと屋上の西側のフェンスの方に連れて行こうと歩き始めた。
「いや、だから、僕はもう家に帰るんだって。話とか聞く気ないし。この手放して欲しいんだけどっ」
さすがにこのまま彼女の言う通りにフェンスの方で座り込んでしまったら、確実に家に早く帰る道は閉ざされてしまう。
そして多分、何度も念をおすほどの極秘情報を知ったら、僕はもうこの屋上にも、峯山希子にも無関係でいることは出来なくなってしまうだろう。
そうなることは何としても避けたい。
僕は彼女が引っ張る左腕を思いっきり振り、逃げ去ろうとした。しかし、何度腕を振り回しても彼女の手は離れなかった。想像以上に強い彼女の力に呆気に取られる。
何だよ、この馬鹿力
彼女は僕が手を振り払おうとしていることも無視して、どんどん進んでいく。
いよいよこれはもう諦めるしかないみたいだった。
僕は自分の腕を振るのをやめた。
なんてことだ、これは新刊を買うことを諦めるのは愚か、犬の散歩すら無理な気がして来た。ああ、夕方にしないと夜の散歩は母親に怒られるから嫌なのに。
何てことをつらつらと考えながら、脱力する僕を彼女は何の御構い無しにフェンスの方へ連れて行った。
「ここ、ここに座って話そう」
彼女はフェンスを背にして地べたにそのまま座った。
まだ依然、僕の腕は彼女の手に掴まれているので、そのまま僕も彼女の真横に、苛立ちや呆れや脱力の混ざった溜息を吐きながら座った。
ふと気づくと、いつの間にかグランドから運動部の掛け声はもう聞こえなくなっていた。
僕の溜息の音が僕と彼女の間に流れる。
少し嫌味のつもりで吐いた溜息にも彼女は全く動じず、真っ直ぐと前を見ながら、ぽつり、ぽつりと話し始めた。
「あのね、私、音に色が付いて見えるんだ」
「なんかそれ、共感覚っていう現象なんだけど、聞こえる音全てに目では色を見るの。まあ珍しい事みたいなんだけど、時折先天的や後天的に人に現れる知的現象なんだって。私のは生まれつきで、音に色を感じるんだけど、他にも音に色じゃなくて、味や匂いを感じたり、文字や形なんかに色を感じる人もいれば、人の性格や姿に色とか形を見たりする人もいるんだって」
「けどね、それだけなら良かったんだけど、私はね、さらに、聴覚が人よりすこぶる良いんだ。普通の人なら近くに寄ったり、静かにしないと聴こえない音でも、私は普通に聞こえちゃうの。例えば、遠くにいる人の話し声とか、足音、心拍音も聞こえる。酷いのは、普通の人間なら聞き取れない周波数の高い超音波なんかの音も聞こえちゃうから、都会のビル街とか行くと本当に最っ悪。キンキン煩くて本当に吐くほど頭痛くなっちゃうの」
「で、それくらい聴力が良くてさらに音に色が見えてしまうと、視界が沢山の色で溢れちゃうんだ。だからいつもは聴力を抑える補聴器みたいなのを付けて、さらに少しでも視界を遮る為の眼鏡をかけたりしてるの。それで多少の音や色に生活を邪魔されることもないし、そんなに支障なく暮らせてはいるんだけどね。でも、それでもそれなりに音は良く聴こえるの。だから、本当はあり得ないんだ。私の普通だと、人とぶつかる行為なんて絶対にあり得ないはずなの」
「、、、え、でも、さっき、、」
「そう、さっき階段の曲がり角で君とぶつかったの。普段なら自分の周りに人が歩いてたり、佇んでても、心音や足音、喋り声で絶対に分かるし、どれだけ私や相手が急いでいても、衝突を避ける余裕を持てるくらい前には存在に気付けるから、いくら階段前の視界が悪いところでもぶつかるなんて無かったはずだったの。屋上だって入って来てることに気づかなかったし、電話してる私に近づいてたのも気づけないなんて、どれも全てが私に取ってあり得ないことなの。」
「じゃあ、、なんで」
「あのね、各務くんにはね、色が、見えないの。各務くんの足音も心音も、聞こえてるはずなんだけど、それが色に出ないから、他の音と区別が付かなくて、君のだけ認識出来ないから気づけないみたいなんだ」
「え、、なんで、、僕のだけ」
「理由は分からない。今までこんなことなかったから。共感覚が反応しない音があるなんて思ってもいなかったし、各務くんの足音だけ見えないならまだしも、足音も心音も話し声まで、君の出す音全部に色が見えないんだもん。そんなの奇跡みたいなことじゃない?だから君だけ特別なの!そして、君に興味が湧いたの!」
そう言った彼女の目はきらきらと僕を真っ直ぐ見つめて来た。
ずっと掴まれていた腕もいつの間にか解かれていて、今度はガシッと彼女の両手で僕の左手が包まれていた。
僕も自ずと彼女の目を見つめ返し、まじまじと見えしまったが、人より少し薄茶色なくらいで、この目が本当に僕には見えない色を沢山見ているようには見えなかった。
「っな、なんだよお、急にじっと見つめて来ちゃって!照れるなあ。私に惚れた?」
そう言って彼女はぱっと手を離した。
目より頭の方が異常なんじゃないか。
相変わらずの的外れで意味不明な事を言う彼女に失礼なことを思ったが、口には出さず、彼女の言う事の後ろ半分は無視することにした。
「いや、普通に綺麗な目だな、と思って。それなのに、僕には見えないものを今も見てるのが不思議だなって」
「え、なにそれ!なんか口説き文句みたい!まあ、普通はそう思うよね。でも、逆に君も私には不思議だなってずっと思ってるよ」
確かに自分の言ったことを振り返ると、恥ずかしいことを言っていたんだと改めて気づき、じわじわと頰が紅潮してきそうなのを必死に抑えた。
そんな僕を隣で小首を傾げながら、覗くように見ている彼女は確かに綺麗だった。
いつもは眼鏡をかけて、校則通りの地味な髪型をしていたせいか目立たなかったが、それを取り除いた今の彼女はお世辞抜きに美人と言われる容姿をしていた。
まあ、決して惚れはしないが。
「あ、やば、そろそろ最終下校の時間じゃん!」
僕らの間に静かに穏やかな空気が流れていたが、彼女の突然の大きな声でぷつんと、途切れた。
気づけば辺りは綺麗な茜色で、太陽は西の地平線へ沈むところだった。
結局この時間までいてしまったのか。僕は再び脱力と後悔の波に襲われそうになったのだが、彼女の、じゃあ帰ろうか、と言う笑顔を見たら、不思議と軽くなった。