みっしょん9 勘違いと決意
【ゆるキャラ】 「ゆるいマスコットキャラクター」の略称。国や都道府県、市町村などの地方公共団体、その他公共機関等が、イベント、キャンペーン、村おこし、名産品の紹介といった各種地域情報の宣伝のため、またはその活動当事団体の理念や特色を表す象徴として創作されたご当地キャラのこと。地域に根差したものについては特に「ご当地キャラ」と呼ばれることもある。一般的な特徴として、外見がカワイらしく、そして、ユルい。また、広義にそういった特徴を持つイラスト、着ぐるみ全般をさすこともある。「ゆるキャラ」の命名は、みうらじゅん氏による。
――パーン! ……パーン…!
大勢の観客で騒然とした会場の上に広がる青空には、白煙とともに花火の乾いた爆音が響き渡る。その音に惹き付けられるかのように、まだまだ多くの人々が、ここ〝伝遷都予定地公園〟へと市内の各地から…否、他市町村、他県からも集まって来ている。
「ほら、レイ。そんなぼーとしてると迷子になっちゃうよ!」
「う、うん……」
そんな会場へと向かう人々の流れの中に、私服姿の安室鈴と糸矢あずなの姿もあった。鈴は青のプルオーバーに白のキュロット、あずなは赤のエプロンドレスである。
平日だというのに鈴達が学校へも行かず、制服も着てないのには理由がある。今日はとあるイベントのために濡良市内の小・中・高校は休校となっており、彼女達も休日を利用して、そのとあるイベントを見物に来ているのだ。
「あの門見るとさ、遷都予定伝説がほんとかどうかはともかくとして、やっぱ濡良市民としてはテンション上がるってもんだよねえ~」
「う、うん……」
彼女達の目指す先には、鮮やかな朱色の柱と白い壁に彩られた大きな〝朱雀門〟が、晴天の空の下、威風堂々とその巨体を誇示している。
朱雀門とは、都の宮城(天皇の住居と官庁街にあたる区域)の南の正門にあたる門のことであるが、なんでそんなもんがここにあるのか? といえば、それは二十年ほど前、市が町おこしのためと称して「おそらくここが、その都が築かれる予定地だった所だろう……たぶん」と確かな根拠もなく云われるているこの場所に公園を整備する際、「やっぱ都といったら朱雀門だろう」と、ついでに大枚はたいて造ってしまったからである。
んな胡散臭い伝説をもとに朱雀門まで造ってしまうとは悪ふざけもいいところであるが、それでも現在では濡良市民のシンボル的建造物になっており、本日、鈴達が見に来ているイベントもこの朱雀門を前にして行われるのである。
そのイベントが何かということは、今更、言うまでもあるまい……。
9月9日、重陽の節句。濡良市制が始まった記念日でもあるこのよき日に、遷都予定伝説に所縁の深い(?)この場所で、ついに濡良市公認ゆるキャラを決定する「幻の濡良遷都一三〇〇年記念・ご当地キャラ大選手権大会」が開かれる運びとなったのだった。
「ま、レイはいろいろあったから複雑な思いもあるだろうけど……こうなっちゃうとさ、もう、ゆるキャラ部を応援しないわけにはいかないって感じだよねえ~」
「う、うん……」
朱雀門を見上げながら話しかけるあずなに、鈴は先程からそう短く頷くばかりである。
条坊高生達の多くがそうであるように、鈴もあずなに誘われて、この世紀の一大イベントを見に来たわけであるが……来てみたはいいが、やはり鈴としては複雑な気持ちである。
といっても、それはあずなの思っているようなものともちょっと違う。
確かに、着ぐるみの装着者などという、鈴にとっては一番苦手とする役にスカウトされて不快に思ったということもないではないが、それ以上に何か、それを断った自分に後ろめたさを感じていると言おうか、自分は本当にその選択をしてよかったのだろうかという、なんともすっきりとしない心境に鈴は苛まれていたのである。
特に、あの荒波舞の家を訪れて以来というものは……。
あの子は、あんな大怪我してもまだ着ぐるみを着ると言っていた……もしかして、本当に今日もあの着ぐるみを着て選手権大会に出るつもりなんだろうか? ……あんなギブスまでしている状態で……そんなことをして、あの子は大丈夫なんだろうか?
どうしても、鈴の頭からは荒波舞のことが離れなくなっている……彼女のことが心配というか……なぜか気になってならないのだ。
……ううん。あたしやあの子じゃなくたって、誰だって着ぐるみに入ることはできるんだもん。きっと今日は誰か他の生徒が着て出るに決まってる……うん。きっとそうだ……。
不安の広がる心の均衡を保つため、強引にそう決めつけて納得しようとする鈴だったが。
「おーい! 安室ーっ! 糸矢ーっ!」
そんなところへ、ガヤガヤと混み合う人ごみの中から鈴達を呼ぶ声が聞こえてくる。
「ん? ……あっ! 待井先輩達だ! やっほーっ! せんぱーい!」
あずなが声のした方に視線を向けると、そこにはたくさんの人の頭の間から手を出して振る、待井隆太や同じ陸上部の先輩達の姿が見える。
「せ、せ、せ、せんぱい!?」
あずなのその言葉を聞くや、はしゃいで手を振り返す彼女とは対照的に、鈴は条件反射のように硬直し、自分を小さく見せるかのように俯いてしまう。
「お疲れ。お前らも来てたんだな」
部の仲間達とともに近付いて来た待井は、鈴達の前で立ち止まるとそう声をかけた。
「お疲れさまです。やっぱり先輩達も来てたんですね」
あずなは愉しそうな笑顔を浮かべて、明るい声で待井達先輩に挨拶する。
「………………」
対して鈴の方はいつもの如く緊張し、下を向いたまま待井の姿を見ることもできない。
特に今日の待井は普段見慣れた制服やジャージ、短パンといった格好とは違い、これまでほとんど見たせことのなかった鈴達と同じ私服姿――グレーのパーカーにジーンズというプライベートの垣間見られる格好なのである。その貴重で新鮮な憧れの先輩の姿に、鈴のあがりっぷりは今、最高潮に達している。
「ま、ゆるキャラ部にはいろいろ思うところもあるけどさ、こうなったからにはぜひとも条坊高校から濡良市公認のキャラを出してもらいたいって感じだよ。なあ、安室?」
そんな鈴の態度はいつものことなので気にする様子もなく、待井はさっきあずなが口にしていたのと同じようなことを言って彼女に話を振る。
「えっ!? ……あ、は、は、はい……」
突然の振りに鈴は一瞬、顔を上げるも、再び俯いて、よく回らぬ口でそれだけを答えた。
「そういえば、着ぐるみ着る予定だった水泳部の子が大怪我したんで、東郷の奴がもう一度、安室んとこ頼みに来たんだってな。また断ったらしいけど」
「あ…えっと……はあ……」
その質問にも鈴は短く、曖昧な返事を返す。
「まあ、怪我した子は着ぐるみ内の温度が上り過ぎて、その熱でおかしくなって事故ったって話だろ? そんなの、なおさら着る気になんてならないよな。他にもいろんなやつに依頼したらしいけど、結局、誰もなり手はなかったみたいだし」
「え……?」
「今日は誰かが着るのかなあ? ……東郷かな? それとも部長の乃木自身か?」
「そう……なんだ………」
首を捻り、ドラマの配役予想をつけるかのように言う待井のその言葉に、鈴は少し驚いたような顔で小さく呟いた。きっと、自分や荒波舞以外の誰かが引き受けてくれただろう……そう思っていた希望的観測が外れたからである。
「でも、ちょっと残念ではあるかもな。もしその話を受けてたら、今日の主役は間違いなく安室だったのに。んで、もしも、ゆるキャラ部のゆるキャラが優勝して濡良市公認キャラにでもなった日には、安室はもう全校生徒…いや、濡良市民のヒロインだぜ?」
しかし、そんな鈴の心情などおかまいなく、待井は話を続ける。
「ひ、ヒロインだなんて……あ、あたし……そういうの……む、向いてないですから……」
なおも緊張したまま、目を逸らして答える鈴だったが、待井は思わぬ感想を述べる。
「そうかなあ? 俺はそっちの方が安室に似合ってると思うけどなあ……」
「え……?」
「安室はさあ、いつも引っ込み思案でおどおどしてる感じがあるけど、なんか、それは本当のお前じゃないような気がするんだよな。なんていうか……こう、もっと弾けてる方がしっくりくるっていうかさ」
「そ…そんなことは……あ…あたし……そういうの……に、似合いませんから……」
「いや、俺はそうは思わないぜ? 大会とかじゃガチガチに緊張しちまってるだけど、練習ん時はものすごく伸び伸び走ってるじゃん。その方が断然、安室に向いてるよ。俺もそんな安室の方が好きだし」
「す! ……す、す、す、スキぃっ!?」
待井が軽い気持ちで発したその言葉に、鈴は過剰反応してしまう。
まあ、それに深い意味はないにしても、憧れの先輩の前で緊張感MAXなところへ持って来て、そんな〝好き〟などという言葉を言われた日にゃあ、そうなるのも無理はない。
「……わ、わ、わたし……ちょ、ちょっと……お、お手洗いに行ってきますぅぅぅ~っ…!」
そして、顔を大気圏突入時の縮熱で熱せられた物体よりもさらに真っ赤に上気させると、鈴は皆にそう告げて、全速力でその場を逃げ出してしまう。
「あっ! おい……」
それにはさすがに待井も異常を察し、思わず声を上げて走り去る彼女の背に手を伸ばす。
「……俺、なんか、悪いこと言ったか?」
「いえいえ。レイの病を治療するには、これくらいの強い刺激を与えませんと」
呆然とした顔で尋ねる鈴の思い人に、となりに立つ親友のあずなは腕を組み、なんだか偉い医者のような態度でそう答えた――。
「――ハァ……」
どこをどう走ったものか、待井達の前から逃げ出した鈴は、公園内にいくつかあるトイレの一つに駆け込んでいた。
洗面台で上気した顔を冷水で洗い、鏡の中に映る自分の姿を見つめる……今だ熱で火照った顔をしている己を見ていると、なんだかまた恥ずかしさが戻ってきてしまう。
「もう、先輩ったら……そんな意味じゃないってことは重々わかってるけど、それでもあんな、す、す、す…〝好き〟なんて言われたら、誰だって赤面しちゃうよお……」
耳に残るその声にまたもや紅潮しながら独り呟くと、鈴はトイレから出て辺りを見回した。周囲はごった返す人々の波で溢れ返っている。
「あっ! ………しまった。シアちゃん達とはぐれた」
その光景を前にして、彼女はようやくその事態に思い至った。先程はそんなこと考える余裕もなかったのであるが、どこで落ち合うかという約束もせずに、この人ごみの中からあずな達を見つけ出すのは容易なことではない。
「でも、LIGNEすればいいか……」
しかし、今の世の中、便利なもので、彼女にはスマートフォンという頼もしいツールが装備されている。鈴は現代文明の進歩に感謝しつつ、ポケットから〝RENPOU〟なるメーカーの白いヤツ(スマホ)を取り出すと、LIGNEというSNSのメッセージ機能を使って、あずなに連絡をとった。
[今、どこにいるの?]
そんな短い文面のメッセージを、鈴はあずなに向かって送る――。
「――もう。レイったら、やっと連絡して来たか……」
そのLIGNEを見て、あずなは眉を「へ」の字にしながら、素早い指使いで自身のスマホを弄くり始める。ちなみにあずなのスマホは〝KOUKOKU〟社の赤いモデルだ。
その頃、あずなはというと、待井達陸上部先輩ご一行様ともども、応援に来た同校の生徒達が集まる条坊高校専用の桟敷席にいた。
周りは私服や制服を着た生徒達で埋め尽くされ、生徒会の要請があったのか? 吹奏楽部や応援団なんかまでついて来ている……甲子園か? と見紛うようなお祭り騒ぎであるが、やはりみんな、あずな達と考えることは一緒のようだ。
「よしできたと……」
[先輩達と条坊校の応援席だけど……てか、そっちこそどこさ?]
時を置かずして、通常の三倍の速さで文章を作成すると、あずなはそんな返事を送る。
[応援席……って、どこ?]
だが、またしても疑問符の付いた返事が鈴からは返って来る。
「て、場所知らずに一人でどっか行っちゃったんかい……まったく、相変わらずおっちょこちょいさんなんだからあ……」
[公園の西側。条坊高校のプラカード刺さってるとこ。あと〝ゆるキャラ上等!〟って書いた族だか応援団だかよくわかんない横断幕持った連中とかもいるから]
あずなはスマホ片手に独りブツブツ文句を口にしつつ、今度は少し長めの文面でLIGNEを鈴に返す。
[了解! じゃ、また後で]
すると、今度はわかったのか、どうやら問題解決したらしい返事をようやくにしてあずなは受け取ることができた。
「ふぅ……」
「安室からか?」
困った親友のために一仕事終え、息を吐くあずなにとなりの席の待井が尋ねる。
「はい。なんか、ここの場所がわからないみたいで」
「そっか。ま、これだけうちの生徒が集まってりゃあ、すぐわかるだろう」
ほんと、困った子ですよねえ…といった感じの顔で答えるあずなにそう言うと、待井は鈴の姿を探すように群衆でごった返す会場の様子を眺めた――。
「――えっと、西側の〝条坊高校〟ってプラカードの立ってる応援席だよね……」
一方、当の鈴の方でも、LIGNEを切ると確認するように独り言を口にしながら、待井達とはまた違う角度より広い会場を見渡す。
「……でも、西ってどっちだっけ?」
しかし、ここで思わぬ落とし穴に鈴は気付かされる……彼女はどちらが西で、どちらが東なのか、東西南北の方角がわからなくなっていたのだ。
この公園は朱雀門を潜ると一面芝生の張られた二百メートル四方くらいの大きな広場となっており、その周囲を未舗装の道が回廊のように囲い、さらにその外縁にぐるりと梅の木が植えられている。
今日は〝ご当地キャラ大選手権大会〟のために広場の中央を四角くロープで囲って会場を作り、余った広場の外側四辺が観客席となっているのであるが、その広場の西側に、今回のイベントに出場する四チーム――濡良市銭湯組合、濡良市仏教寺院連合会、濡良市中国人会、そして条坊高校ゆるキャラ部関係者の応援席が用意されているのである。
そうした状況の中、現在、鈴が立っているのは広場の北西端にあるトイレの前だった。
「うーん……まあ、適当に歩いて行けばいいか。名前も書いてあるようだし……」
広場の北側から遠くに朱雀門を眺め、鈴はそんな楽観的な判断を下す。
朱雀門は南の正門なので、それを知っていれば、すぐにどちらが西かわかるのであるが、そのような知識のない彼女は見極めることを諦めて、とりあえずは歩き出すことにした。
……しかも、あえて東方向に。
公園北側の、これも「大極殿(朝廷の正殿)を建てたとすれば、ま、たぶんここら辺だろう」という、ものすごく不確かな根拠をもとにした場所に立つ〝遷都予定伝説〟解説の石碑と、その背後に、今回、予算がないのでやむなく書割で造られた薄っぺらい大極殿の復元模型横を通り過ぎ、角を南に曲がってから東側の道を鈴は進む。
きょろきょろと辺りを探しながら歩いても一向に条坊高生らしき者の姿を見つけることはできなかったが、その代り、ふと彼女の視界の中に〝条坊高校ゆるキャラ部〟という文字が飛び込んでくる。
その文字は、おめでたい紅白幕で四角く仕切られたスペースの前に突き刺さる、白いプラカードの表面に書かれている。その紅白幕で覆われたスペースは中に入れるよう所々隙間が開いており、他にもプラカードが刺さっているところを見ると、どうやら条坊高校以外の参加チームの場所も用意されているようだ。
「あ、ここだ!」
鈴はそこが応援席だと判断するや、小走りにそちらへと近付いて行く。そして、紅白幕の中へ足を踏み入れると、あずなや待井達の姿を探そうとしたのだったが。
……!?
そこに待っていたものは、生徒達でごった返す応援席などではなかった。いや、それどころか、そこにいたのは応援に来た一般の観客達などでもない。
そこで、鈴の目に映ったものは……。
「九時五〇分。そろそろ戦闘開始の時刻だ。ぬらりん初号機の発進準備を始めるぞ!」
この日のために用意したオリーブ色の将校用軍服風コスチュームに身を包む乃木茉莉栖が、Sっ気ある乗馬用の鞭片手に他の部員達へきびきびと指示を飛ばしている。
「いえっさぁー! じゃ、ぬらりん装着準備よろしくね☆」
その指示に、同じく黒の軍服風だが裾にフリルを付けてみたり、ミニスカもゴスロリ調に膨らませてメイド服のような印象にカスタマイズしている高村ひかりが、茉莉栖に敬礼を返すとさらに背後の二人へと指示を伝達する。
「あいよ!」
「了解!」
今度はそれに答え、カーキ色の野戦服にオリーブのエプロンを着けた尾藤瑠衣と、同様の服に白衣を纏った西村真太が、大きな段ボール箱の中から着ぐるみの頭部と胴体部を引っ張り出し、それを装着者が身に付ける際に支えとなる補助具へと取り付けて行く。
「んじゃ、俺は記録映像撮る準備でもしときますかね」
その一方、紺色の大日本帝国海軍将校用制服のようなものに身を包む東郷平七郎は、いつもの軽い調子でリュックからビデオカメラを取り出し、あれこれとその点検を始める。
皆一様に軍服っぽいコスチュームを今日は着用しているが、それは茉莉栖の趣味なのか? どうやら部員全員でそんなドレスコードに揃えたようである。
「………………」
その予想していたものとは明らかに違う光景に、鈴は目を丸くして立ち尽くしてしまう……そこにいたのは応援に来た条坊高校の生徒達ではなく、逆に応援される側の、条坊高校ゆるキャラ部の面々だったのである。
だが、別に驚くようなことでもない。それもそのはず。ここは会場の西側に設えられた応援席ではなく、東側に用意された参加チーム用の控え室なのだ。そんなこととは露知らず、同じようなプラカードを見て応援席だと思い込んでしまった鈴は、誤ってこちら側へ迷い込んでしまったというわけだ。
対して本番を目前にピリピリとしている部員達は、そんな鈴という闖入者には気付くこともなく、着ぐるみ出場の準備に追われている。
「結局、声をかけた装着適合者は全員駄目だったか……まあ、どこの馬の骨ともわからん奴に任せるよりかはいいだろう……荒波君、行けるな?」
「はい……」
不意に振り返り、茉莉栖が声をかけたその隅の方には、白い装着者専用スーツに身を包む荒波舞の姿も見受けられる。
彼女は茉莉栖の言葉に頷くと、座っていた椅子から立ち上がって着ぐるみの方へと歩いて行く……だが、その左足と右手にはいまだギブスが嵌められており、頭にも痛々しく包帯を巻いて、その歩みはものすごく辛そうに見える。
「うっ……」
途中、引き摺る足が痛むのか? 時折その顔に苦悶の表情を浮かべ、小さく呻き声を上げながら舞はゆっくり進んで行く。
「………………」
そんな舞の姿に、鈴は心臓をぎゅっと締め付けられるような、胸の痛い、なんとも遣り切れない感覚に襲われた。
「左脚に補助用の特殊フレームを入れて強化しておいたから、短時間ならなんとか歩行にも耐えられるとは思うけど……でも、本当に大丈夫か、荒波?」
這うようにして着ぐるみの所まで到着した舞に、真太が心配そうな顔で声をかける。
「君の強い意思を尊重して任せることにしたが、もしも途中でこれ以上の装着は困難だとこちらで判断した場合、他の者と交代させるか……それが不可能な時は止むを得ん。競技自体をリタイヤする。いいか? これは司令としての命令だ!」
険しい表情で、いつもながらに愛想のない口調ではあるが、茉莉栖もやはり心配なのか、そんな忠告を改めて彼女に与える。
「この中じゃ、あたしが一番、舞ちゃんと背格好似てるもんね……よし! もしもの時はあたしが思い切ってぬらりんに入るよ! あたしがデザインしたんだし」
ひかりも小さな両の拳を握りしめ、彼女なりの覚悟を決めて痛々しい舞に申し出る。
「大丈夫……さっき痛み止めも飲んだから……」
しかし、苦悶に表情を歪めながらも、舞は強がってぬらりんの着ぐるみへと手を伸ばす。
……痛み止めって……ほんとにそうまでして着るつもりなの? ……そんな、まだ全然、怪我が治ってないっていうのに……どうして…どうして、そこまでして……。
黙ってその悲痛な姿を見つめながら、鈴は心の中で疑問の叫びを上げる。
「……今、一番、ぬらりんをうまく動かせるのはわたしだから……その期待をかけらてる限り、わたしが着なきゃいけないから……」
期待……。
その言葉を聞いた瞬間、あの日聞いた舞の言葉が鈴の脳裏に蘇る。
〝あなたこそ、なんで依頼を受けないの? みんなに期待されているというのに……〟
〝わたしは着るわ。みんながわたしに期待をかけてくれているから……〟
また、それとリンクするかのようにして、心のどこかに引っかかっていた東郷や待井達の言葉も彼女の中で再生される。
〝それに君は心の奥底で、本当はこの役をやってみたいと思っているんじゃないのかな? 君を見ていると、僕にはどうしてもそんな気がしてならないんだけどな〟
〝大会とかじゃガチガチに緊張しちまってるだけど、練習ん時はものすごく伸び伸び走ってるじゃん。その方が断然、安室に向いてるよ。俺もそんな安室の方が好きだし〟
目の前の舞の姿と頭の中に木霊するその言葉達に、鈴はどうにも居た堪れなくなった。
「……あたしが……あたしが着ます!」
そして、気付いた時にはもう、そんな台詞を彼女は無意識に叫んでいた。
「……!?」
その声に、部員達は一斉に鈴の方を振り返る。
「安室鈴……さん?」
平七郎が、いつになく驚いた顔で彼女の名を呟く。
「君は?」
「……あ! …か、彼女がもう一人の最適合者、安室鈴さんだよ」
怪訝な表情を浮かべる茉莉栖に、我に返った平七郎が説明する。
「ああ、君が……だが、確か二度の説得にも頑なに拒否したと聞いていたが……」
「そうか! やっぱり来てくれたんだね!」
訝しげに眉を寄せ、なおも疑問を口にする茉莉栖だったが、平七郎の方は顔色を明るくするとうれしそうに語りかける。
そんな平七郎に、鈴はちょっと恥ずかしそうな、それでも何か強い意志を秘めたような複雑な表情でコクリと頷いた。
「荒波さん、あたしが着るよ……」
そして、着ぐるみの傍らにいる舞の方を向くと、彼女にはっきりとそう告げる。
「無理しなくでもいいのよ。わたし、大丈夫だから……」
しかし、それでも舞は何も問題はないというように、いつもの無表情を装ってみせる。
「フフ…無理してるのはどっちだよ。そんな姿見て、ほっとけるわけないじゃない」
そうした舞の強がりに、鈴は穏やかな笑みを浮かべて答えると、再び茉莉栖や平七郎の方を向き直って切実な声で訴えた。
「お願いします! 荒波さんの代わりに着ぐるみを着させてください! あたし、あがり症だし、うまくできるかわからないけど……でも、それでもなんとか、がんばってやってみますから! あたしが、ぬらりんの装着最適合者、安室鈴です!」
「……うむ。いい目だ。君ならば、我らのぬらりんを任せてもよさそうだな」
鈴の真剣な眼差しをしばし黙って覗き込んでいた茉莉栖も、彼女の並々ならぬ意気込みにそのことを快く認める。
「荒波君、君はぬらりんの着ぐる開発に関し、これまでよく我々の期待に応えてくれた。ぬらりん初号機がここまでの高水準な着ぐるみにレベルアップできたのもすべて君のおかげだ……君は十分過ぎるほどに自分の役割を果たした。後は彼女に任せるがいい」
「……はい」
茉莉栖のその言葉に、舞は普段通りの抑揚のない声で、だが、ほんの少しうれしそうに頬を赤らめた。
「よし! 装着者変更だ! もう時間はないぞ! 急いでぬらりん初号機の内部フレームを荒波君の体型から安室君のものに合うよう調整! 装着者の体調監視システムも安室君のデータに書き換えろ! 急げ!」
「了解!」
一瞬のほのぼのとした雰囲気から一転。続いて茉莉栖の発した号令に、敬礼を返した部員達は一斉に各々の仕事へと取りかかる。
「安室君、君にこのゆるキャラ部のすべてを託す……では、任せたぞ」
皆が慌ただしく行き来する中、茉莉栖は改めて鈴にぬらりんの操縦を依頼する。
「はい!」
その言葉に鈴は、よりいっそう力強い眼差しを向けて首を縦に振った。
「こんな時のために用意しといた予備の装着者スーツだ。さ、早くこれに着替えな!」
と、そんな鈴の鼻先に突然、瑠衣の逞しい手が傍らから何か青色のものを突き出す。鈴が両手で受け取って拡げてみると、それは股間の鋭角ラインもかなり過激な、ハイレグカットの競泳水着のようなコスチュームだった。舞のものと色違いである。
「えっ!? ……こ、これを着るってことですか?」
「ああ、そうだよ。でなきゃ、今着てる服が汗だくになっちまうよ。そんなんで帰るのは嫌だろ? さ、更衣室はこっちだ。早くおし!」
そのあられもないデザインを見て目を丸くする鈴だったが、瑠衣は構わず彼女の手を取ると、べニヤ板で仕切られた着替え用スペースの方へと彼女を引っ張って行く。
「キャーっ! や、やめてください! そ、そこは……イヤーっ! エッチぃぃぃ~っ!」
直後、薄い仕切りの向こう側からは、そんな男子の想像力を掻き立てるような鈴の叫びが聞こえて来る。無論、その魅惑的な桃色の声に、健全な男子である東郷と真太は思わず手を止めて耳をそばだててしまう。
「こら! そこのエロ男子二人! 手がおろそかになってるぞ!」
「お、おっと、いけない。思わず自然な反応を……」
「お、おいらは別に何も……」
だが、茉莉栖に咎められて二人も早々作業に戻り、手慣れた手つきのゆるキャラ部員達によって、ぬらりん初号機は着々と鈴装着仕様に調整されていく……そして、あまり時を置くこともなく、着ぐるみの準備は万事整えられた。
「装着準備、かんりょ~♪」
紅白幕で仕切られた空間に、ひかりの明るい声が響き渡る。
「よし! ぬらりん初号機装着開始!」
それを聞いた茉莉栖の合図で、着替えを終えて出てきたばかりの鈴に着ぐるみの取り付けが始められる。
「は、恥ずかしいんで、あ、あんまり見ないでください……」
きわどい装着者専用スーツに身を包む赤い顔の彼女は、なんだか気恥ずかしそうにもじもじとしながら、むしろより男子を萌えさせる仕草でぬらりん初号機の胴体部に足を通す。
「胴部装着完了! 背面部ファスナー限界点まで到達!」
背中のファスナーを上げ、瑠衣が叫ぶ。
「頭部装着完了。頭胴部ジョイント、ロックします!」
頭部を鈴の頭に被せ、真太が報告する。
「レイちゃん、どうだい? ちゃんと見えるかい?」
着終わった鈴に、平七郎が早くも〝ちゃん〟付け、しかも音読みで馴れ馴れしくその名前を呼び、ビデオカメラ片手に手を振って視界の確保を確認する。
「は、はい! なんとか……」
鈴は着ぐるみの目と口の部分に設けられたスモークガラス状のプラスチック板から平七郎の姿を確認し、緊張した面持ちでそう答えた。
プロトタイプである〝ぬらりん零号機〟においては口の部分にだけ作られていた覗き窓を、改修された〝初号機〟では装着者の頭が来る位置を高くしたことで、口ばかりでなく着ぐるみの目の部分にも設置できるよう改造がなされた。これにより、改修後のぬらりんは大幅に視界を広くすることにも成功しているのだ。
「安室さん、体へのフィット感はどう? ゆるかったり、きつかったりしない?」
次に、いつの間にやらタブレットの画面に向かっている真太もそう問いかける。
「う、うん……妙にしっくりくるっていうか……なんか、初めからあたしのために作られてたみたい……」
「同調率はどうやらいいみたいだな……ま、君はもともと荒波と体形が似てたってこともあるけど、これこそがおいらの作った調節可能内部フレームの真価ってやつさ」
ミトン状の手を握ったり開いたりしながら、その絶妙なフィット感に驚いている鈴に対して、真太は自慢げに胸を張ってそう嘯く。
「加えて今回は尾藤とも相談して、着ぐるみの各部に目立たないようメッシュ生地を貼ったスリットを開け、内部の温度上昇をある程度抑えられるようにもしてある。その上、腰部に付けた二つのボタンを押すことで、さらに二種類の冷却装置も作動するようになってるんだ。はい、これがそのマニュアルだからよく見といて」
続けて真太はそう言うと、『ぬらりん初号機操作マニュアル』と表紙に記された白い冊子を着ぐるみの顔の前で開き、鈴にその中身を見せてやる。
「……こ、これをほんとに使うの!? ……右側のボタンの方は別にいいけど……左側のやつは……あたし、とてもじゃないけど恥ずかしくて押せない……」
すると鈴は、なぜか顔色を曇らせ、それを使うことに難色を示す。
「まあ、そっちはもしもの時の最終手段だからね。使う可能性は低いから安心してよ……じゃ、そういうことで行くよ? 装着者体調監視システムスタート! 補助具外して!」
そんな鈴に確認を取ると、真太はタブレット画面のエンターに触れ、瑠衣に合図を送る。
「補助具解除!」
その声に、瑠衣が着ぐるみを支えていた補助具を素早く取り除く。
「よし! 安室君、ちょっと歩いてみろ。どうだ? 行けそうか?」
補助具が外され、自立したぬらりん初号機内の鈴に茉莉栖が尋ねた。
零号機同様、少々…いや、かなり頭でっかちな〝ぬらりん〟が自力でバランスを取れるかが、この初号機においても最も心配されていた点なのである。
「……はい! 行けそうです!」
しかし、鈴はぬらりん初号機をひょこひょこと歩かせ、はっきりとした声でそう答えた。
「うむ。どうやら大丈夫そうだな……」
その動作に茉莉栖がとても満足げな様子で頷いていると、ちょうどそこへ会場の方からスタッフの職員が入って来て彼女らに告げる。
「条坊高校ゆるキャラ部の皆さん、そろそろ出番でーす」
「はい! こちらは準備完了です!」
いよいよ戦闘開始を告げるスタッフの声に、返答した茉莉栖は部員一同の方を向き直り、彼ら同志を前にして高らかに演説を打つ。
「今、我々は最強の着ぐるみと、そして最良の装着者を手に入れた! 最早、我らの進む道を阻むものは何もない。ここまで来たからには是が否にでも濡良市公認ご当地キャラの座をこの手に掴み取るのだ! これまで、この無謀な計画に心血を注ぎ尽力してくれた我が同胞達よ、いざ、我らのゆるキャラとともに参らん……ぬらりん初号機、発進っ!」
「はい! アム……もとい! 安室、行きまあぁーす!」
心を震わす茉莉栖の声が、そして、それに答える鈴の雄叫びが、ぬらりん初号機の頭上に広がる、よく晴れた秋の空に響き渡った――。
つづく…次話、いよいよ、ゆるキャラファイト、レディ~GOっ!




