みっしょん12 ぬらりん、覚醒
【ゆるキャラ】 「ゆるいマスコットキャラクター」の略称。国や都道府県、市町村などの地方公共団体、その他公共機関等が、イベント、キャンペーン、村おこし、名産品の紹介といった各種地域情報の宣伝のため、またはその活動当事団体の理念や特色を表す象徴として創作されたご当地キャラのこと。地域に根差したものについては特に「ご当地キャラ」と呼ばれることもある。一般的な特徴として、外見がカワイらしく、そして、ユルい。また、広義にそういった特徴を持つイラスト、着ぐるみ全般をさすこともある。「ゆるキャラ」の命名は、みうらじゅん氏による。
「――ご来場の濡良市民の皆さま、そして、ゆるキャラファンの皆様、長らくお待たせいたしました。いよいよ、このご当地キャラ大選手権大会も決勝戦です!」
十分間の休憩の後、再び会場内に女子アナのアナウンスが木霊する。
その休憩の間に、会場中央には体育で使う白いマットが四角く敷きつめられ、柔道の試合場ほどの広さのある特設ステージが設けられていた。
見たところ、土俵のようなものも丸い円を描いたようなものもないが、どうやら相撲とは言っても本式の相撲ではなく、このマットの試合場を使ってのラフなものらしい。
そんな見ただけではよくわからぬ競技の説明が、観客達のために女子アナからなされる。
「決勝戦は〝ゆるキャラ相撲〟で決したいと思います。ルールはだいたい普通の相撲と同じ。このマットの外に出たり、倒れて地面に付いたりしたら負けとなります。あとはまあ、投げでも、パンチでも、キックでも、なんでもやっちゃってください」
「やっちゃってくださいって……随分と乱暴なルールだな、おい……」
そのアバウトなルール説明に、会場からは呆れ声も聞こえてくる。
「それでは、ここまでの難関を見事潜り抜け、決勝に進んだゆるキャラ二名の入場です!」
しかし、アナウンスはそんな苦情をものともせず、さらりと選手達の入場を告げる。
「この決戦の場にて雌雄を決する先ず一人目は、濡良市中国人会が誇る、中国四千年の伝統を受け継ぐ最強の饅頭武術家……マントウくんです!」
カンフー服を着た介添人を引き連れ、紅白幕の控え所よりマントウくんが現れると、会場には大歓声が沸き起こる。
「そして、もう一人のファイナリスト……条坊高校ゆるキャラ部が作りし妖怪ぬらりひょんを模した汎用ゆるキャラ決戦兵器……ぬらりん!」
同じく茉莉栖とひかりに誘導されて現れたぬらりん初号機にも、観衆は割れんばかりの拍手と歓声をマントウくんの時同様に送る。
これまでの辛く厳しい戦いを勝ち抜いてきた二体に対して、人々は優劣着け難い愛着と尊敬の念を抱いているのだ。
しかし、これはただ一人の勝者を決める決勝戦……その優劣を着けぬわけにはいかない。
「では、両者、場内中央にお進みください」
アナウンスに従い、試合場へ向かうぬらりん初号機へ茉莉栖とひかりが声をかける。
「安室君、これが最後の戦いだ……骨は私が拾ってやる。安心して戦ってきなさい」
「うん。後のことはあたし達に任せて、レイちゃんは死ぬ気で戦っちゃって!」
「ぜ、全然、安心できないんですけど……」
運命を決める一戦に少々冷静さを欠いている二人に見送られ、休憩中、着ぐるみを脱いで元気を取り戻した鈴は、苦笑いに冷や汗を浮かべながら場内中央へと歩を進める。
「姐豆、何がナンデモ、絶対、勝んダヨ!」
「ソダヨ! すべてはアナタの肩にかかってるヨ!」
「うん。爸爸、媽媽、アタシ、絶対にヤツを倒すヨ!」
マントウくんに入る李姐豆も両親の言葉に背中を押され、熱き闘志を燃やしてマットの中央へと歩み出る。
「両者、揃いました。本試合は時間無制限一本勝負で行いたいと思います。審判は濡良大学相撲部のご協力により、同部の監督・木村庄次郎さんに務めていただきます」
見ると、中央東側に立つマントウくんと西側に佇むぬらりんとの間には、古式ゆかしい行司姿をした中年男性が一人、観客達の方を向いて一礼している。
「それでは、両者、見合って、見合ってぇ……」
そして、顔を上げたその行司は手にした軍配を二体の間に差し挟み、朗々たる声色で各々に戦闘の準備を促す。
「こんな頭デッカチなヤツ、タダの一撃で倒してあげるヨ……」
その合図に、李姐豆はやる気満々にマントウくんの体を半身にし、相撲というよりは中国武術の構えで身構える。
「……や、やっぱ、着ぐるみの中とはいえ、こう注目されると緊張するな……」
一方、鈴の方はといえば、まさかというか案の定というか、ぬらりんの中でやっぱりあがってしまっていた。
「……そ、それにお相撲なんて、あたし、全然やったことないし……今更なんだけど……どうしよう~……」
傍目には飄々と立っているかのように見えて、その中で鈴はガチガチに硬直している。
彼女は攻撃される面を少なくするために半身になることも、攻撃を繰り出すために身構えることもできない。二回戦では治ったかに思えた彼女のあがり症であったが、やはり、こういった症状はそう簡単に治るものではないらしい。
「……で、でも、この一戦には、ゆるキャラ部のみんなの夢もかかってるんだし、なんとか、がんばらなきゃ……」
それでも自身の纏うゆるキャラに込められた皆の〝思い〟に応えるため、鈴も精一杯に戦う決心をする…と、それを待っていたかのように。
「はっけよーい……ゆるキャラ相撲、レディぃぃぃ~のこったぁっ!」
満を持して、行事の掛け声と軍配が高らかに天へと上げられる。
「アチョーッ!」
「えええーい!」
その合図に、二体のゆるキャラがお互い目がけて前へと突き進み、ついに熾烈を極める頂上決戦の幕が切って落とされた……かに、思えたのだが。
ペチン! ペチン! プニョン! プニョン!
ぶつかり合ったマントウくんとぬらりんは互いにパンチやキックの応酬を繰り広げるが、どちらもほんわか柔らか素材でできた、ゆる~いキャラクターの着ぐるみのこと。どんなにどつき合おうとも、外から見てる分にはじゃれ合っているようにしか見えない。
「……ゆ、ユルい……ユル過ぎるぞ……」
「いまだかつて、こんなユルい闘いはみたことがない……」
「こ、こんなユルい格闘戦があっていいのか……」
会場からは、動揺にも似たどよめきが沸き起こる。
「ああ、ユルい……なんてユルさなんだ……」
「堪んねえぜ……」
「うん。なんだか癒されるねえ……」
そんな中、西側の場外で戦いを見守っていたゆるキャラ部陣営では、茉莉栖、平七郎、ひかりの三人が、恍惚の表情で悦楽の言葉を口にしている。
この二体の底知れぬユルさ、大のゆるキャラ好きである三人には堪らない甘美な感覚なのだ。
「………………」
そうした三人の様子を新参である瑠衣、真太、舞の臨時部員達は他人であることを主張するかのように冷めた目で見つめていた。
「コラ、姐豆! 何やってるカ!」
「ソンナ遊んでる場合じゃないヨ!」
一方、東側に陣取る中国人会陣営では、ゆるキャラ部とは対照的に怒りの声が飛んでいる。
絶対なる勝利を目指す彼らとしては、生温い戦いを容認することなどできないのだ。
「なんとユルい闘いダ。このようなユルい闘い、これ以上見るに堪えん……姐豆ヨ! それでも我が弟子カ!? 構わん。あの禁じ手を使ってでもヤツに勝利するのダ!」
ユルい闘いに業を煮やしたのか? ずっと黙って観戦していた長老の李普司も、何かを決心したかのように声を荒げる。
「ら、老師……マサカ、アノ封印された究極奥儀を使えと言うのですカ!? ……わかりましタ。中国四千年の妙技、今こそ、ヤツらに見せてやるヨ」
師匠の言葉に躊躇する李姐豆だったが、彼女も意を決すると、まるで往年のアクションスターの如く、マントウくんの纏っていたカンフー服の上着を大仰な動きで脱ぎ捨てる。
「おお~っ!」
その着ぐるみとは思えない驚きの作りに、会場からは感嘆の声が上がる。
「ん? 何をする気だ……?」
対してゆるキャラ部員達は警戒の色を強めるが、その意図を読み取ることはできない。
カンフー服を脱ぎ、裸体…というか、つるつるの饅頭の表面を上半身に見せるマントウくんは、服の袖のために太くなっていた腕も今は細くなり、かなり動きやすいものとなっている……なんだか直方体の饅頭から、そこだけ大きいミトンの手袋を嵌めた人間の腕が生えているといった感じだ。
その大きなミトン手袋を嵌めた両腕を空高く持ち上げ、李姐豆はぬらりんに告げる。
「これだけハ使いたくなかったガ、こうなっては致し方ナシ! ヘタレ条坊高の者どもヨ、我ら中国人会の真の力、ソノ身でとくと味わうがイイ! これガ、ソノ恐ろしさ故に封印されしマントウくん最終究極奥儀……〝包子拳〟ネ!」
そして、そんな前口上を高らかに述べ終えると、掲げた両手を一気呵成に振り下ろした。勢いよく振り下ろされた両腕からミトン手袋が脱げ、ぬらりんの方へ向けて飛んで行く。
「きゃ…!」
突然の攻撃に鈴は思わず着ぐるみの手でぬらりんの顔を覆う。
「ロケットパンチかっ!? ……ちょっとカッコイイ……」
それを見て、真太は思わず本音を漏らすが、実はそのミトンが真の攻撃ではなかった。
「あ、あれは……!?」
顔を覆った腕をどかし、鈴が再びマントウくんの方へ目を向けると、ミトンの脱げたその下には、また別の真ん丸い中華まんじゅうのような恰好をした手袋が嵌められている。
「な、何だい、ありゃ!?」
なんとも奇妙なその造形に、瑠衣も怪訝な顔で疑問の声を上げる。
「あれゾ、我ガ流派中華菜拳の最終究極奥儀〝包子拳〟を使うための専用グーロブ……コノ包子を模した拳より繰り出される打撃によって、相手は包子に入れる餡の如く、ほどよく微塵になるまで叩き伸ばされるのダ!」
すると、瑠衣の疑問に答えるかのようにして、蒼天に中華まんじゅうの拳をかざすマントウくんを見つめながら、師匠である李普司がそう自慢げに嘯く。
「なんてふざけた技なの……」
そのまじめに話しているのかも疑いたくなるような説明に、ずっと寡黙に観戦していた舞が、ひどく呆れたようにぼそりと呟いた。
しかし、そのふざけたネーミングや外観とは裏腹に、予想外にも包子拳は恐ろしい威力を発揮する。
「そんなユルい顔してられるのも今の内ネ。ここからは本気でいくヨ! アチョーッ!」
それは着ぐるみの顔であって、別に中に入っている鈴がそうしているわけではないのだが、李姐豆はぬらりんの顔にケチをつけると奇声とともに襲いかかる。
「えっ…⁉」
カンフー服を脱ぎ、身軽になったマントウくんは驚くほど俊敏になっていた。
「右の肉包(肉まん)が真っ赤に燃えるネ!」
李姐豆の操るそれは一瞬で間合を詰め、鈴が動くよりも早く拳を繰り出してくる。
「は、早…」
ドゴぉぉぉーンっ…!
「きゃ…!」
次の瞬間、マントウくんの右手に嵌められた中華まんじゅうは、ぬらりんの好々爺のような顔の左頬にクリティカルヒットしていた。
だが、それだけでマントウくんの攻撃は終わらない。李姐豆は続けざまに、今度は左の中華まんじゅうを打ち出してくる。
「左の豆包(あんまん)が轟き叫ぶネ!」
バゴぉぉぉーンっ…!
今度はぬらりんの右頬を、その拳が激しく強打する。
「うぎゅっ…!」
そして、左右より大きな頭部に二発を食らってふらつくぬらりんへ……。
「爆裂っ! 包子パァァァーンチっ!」
ドガぁぁぁぁぁーンっ…!
とどめの一撃とばかりに、顔面の中央目がけて強烈な中華まんを打ち込んだのであった。
ピキ…。
その一撃に、ぬらりん初号機の目に嵌められたクリア板に亀裂が走る……そして、鈴を中に入れたまま、ぬらりんの頭部は後方へとつんのめった。
「もらったネ!」
マントウくんの中で、李姐豆は己の勝利を確信した。
このままぬらりんが後方に倒れて地に付けば、その時点でこの勝負の勝者は決定する。
「安室君っ!」
「レイちゃん!」
目にも留まらぬ急展開で一瞬にして訪れたその危機に、ゆるキャラ部員達は驚愕の表情を浮かべてぬらりんに叫ぶ。
「好!」
「真棒!」
中国人会サイドからは、綺麗に決まった必殺技に「グッジョブ!」の声が上がる。
「……くうぅぅ…」
「ナ、ナニ!?」
しかし、その強烈なマントウくんの一撃にも、鈴とぬらりんはなんとか耐えていた。
「バ、馬鹿ナ!? ワタシの爆裂包子パンチを受けて立っていられるナンテ……」
その巨大な頭を後方へと反り返しつつも、ぬらりん初号機はその場に飄々と立っている。
それは、頭デッカチでも倒れないよう精緻に計算して作られた着ぐるみの高度なバランス性と、真太の作った柔軟にして強靭な内部フレーム、そして、陸上で鍛え上げられた鈴の足腰の三つが相まって初めて実現できる、まさに奇跡の業であった。
「やった! 持ち堪えたぞ!」
その期待を上回る性能に、製作者の真太はガッツポーズで歓喜の叫びを上げる。
「ハハハ! あんた、いい仕事してるじゃないか!」
もう一人の制作者である瑠衣も昂ぶる感情を抑え切れず、そんな真太の背中を思わず力いっぱいにバシンと叩く。
「痛っ! ……アハハ…君もね……」
その紅葉の痕が残るほどの平手打ちに痛がる真太だったが、その痛みに小生意気な少年の顔を歪めながらも、苦笑いを浮かべて彼もそう返した。
「痛ったあ~……フゥ…危うく倒れるかと思ったよ……」
そうして人々が一喜一憂している中、鈴は背筋と首に力を込め、大きな頭を起こして、ぬらりんの態勢を立て直す。
「クソウ、こしゃくナ……ヘタレ条坊高の着ぐるみのくせニ~!」
対して李姐豆は、思いもしなかったぬらりんの強靭さにマントウくんの短い足を上下させて地団駄を踏む。
「モウ許さナイヨ! オマエなんかボッコボコのメチャッメチャのギッタギタにして、ウチの店名物、肉包の餡にしてやるヨ!」
だが、その悔しさが彼女の闘志に油を注ぎ、マントウくんの凄惨な殴打の応酬が始まる。
「機関銃小龍包パーンチっ! オウリャリャリャリャリャリャーっ!」
「えっ? ちょ、ちょっと待っ…あうっ…!」
立ち直ったばかりのところを急襲され、今度も鈴は避けることができず、雨霰の如く繰り出されるパンチをすべてその身で受け止めてしまう。
「うぐぅっ……」
その一つ一つの威力は小さいものの、間髪入れず連続して降り注ぐ高速の打撃に鈴はぬらりんの機体を木の葉のように踊らされ、何一つとして抵抗することができない。
「まだ落ちないカ! ならば…刀削面旋風脚っ! 続けて、餃子ソニックキーックっ!」
それでも李姐豆は容赦することなく、さらには短いマントウくんの足を巧みに回して、足技までも無抵抗のぬらりん目がけて叩き込む。
ぬらりんはまさにサンドバッグ状態。傍から見れば、巨大な饅頭の化物がいたいけな老人をタコ殴りにいたぶっているようにしか見えない……。
最早それは〝相撲〟とは呼べず、ゆるキャラの領域からも完全に逸脱した仁義なき闘いとなっていた。
「おい! いくら勝負だからって、ゆるキャラがこんなことしていいのか⁉」
「こんなのゆるキャラじゃないぞ!」
「そうだっ! 全然ユルくないじゃないか!」
そのあまりに過激なマントウくんの攻撃に、会場からは非難の声も上がり始める。
「マダマダマダマダっ!」
そんな非難の声にもその手を緩めることなく、李姐豆の波状攻撃は続けられたが……。
「………ハァ、ハァ、ハァ、ハァ……条坊高の着ぐるみは化物カ!?」
無抵抗に殴られ続けるもぬらりん初号機と鈴は倒れることなく、まるで効いていないかのようにその場で飄々と立ち続けていた。
「外見に惑わされるナ! 敵ハ確実に弱ってきてるヨ! 休まず攻撃を続けるヨロシ!」
「……ハァ……ハァ……ハイ!」
激しい動きにさすがに息も上がり、敵の打たれ強さに一瞬、弱気になる李姐豆だったが、師匠のその言葉に励まされ、彼女は再び過激な攻撃を再開する。
「高級食材魚翅(フカヒレ)包子拳っ! ハイ! ハイ! ハイ! ハイ!」
今度は二つの中華まんじゅうによる左右からのフックが、ぬらりんの大きな頭をなぶる。
「うう……」
確かに李普司の言う通り、中の鈴は相当に弱ってきていた。
柔らかい外部装甲と頑強な内部フレームによって痛みはそれほど感じていないが、その機体を揺らす衝撃は鈍い疲労となって徐々に鈴の体へと蓄積されてゆく……。
それに、そうした打撃による体力の消耗ばかりでなく、もう一つ、彼女を苦しませているものがあった……それは、着ぐるみ内の温度の上昇である。
試合開始より早10分が経過しようとしているが、カンフー服を脱いで風通しがよくなっているマントウくんに比べ、ぬらりん初号機内の温度は先程から上昇の一途を辿っている。
「……な、なんか、さっきと違って、全然、涼しくならない……」
ウィィィィーン…!
そんなぬらりんの中に、後頭部に付けられた冷却ファンの低いモーター音が虚しく響く。
実は殴打される隙をついて、鈴は密かにファンを作動させていたのであるが、長時間に渡る過酷な戦いに、それぐらいでは全然追いつかなくなってしまっている。
「なんとか耐えてはいるようだが……このままではヤバイな」
殴られ続けるぬらりんの様子をじっと覗っていた茉莉栖が、険しい表情で呟く。
「ええ……内部温度もそろそろ活動限界を超える時間です」
それを受け、タブレットの画面を見つめていた真太も心配そうに頷く。
「冷却ファンももう利かない頃だろうし。こうなったら、もうアレを使うしか残された道はない……安室さんアレを使うんだっ! 早くもう一つの左側のボタンを押してっ!」
「ええっ⁉ あ、アレを? ……だ、ダメ。あたし、恥ずかしくてそんなことできない」
真太の叫んだ声はしっかり鈴の耳に届いていたが、打撃の衝撃と高熱に苛まれるぬらりん初号機の中にあっても、彼女はその指示を頑なに拒む。
「……おかしいな? 全然アレが作動しないぞ? 壊れたのかな?」
変化のないぬらりん初号機に、真太は訝しげに眉間の皺を寄せる。
「……いや、壊れたんじゃなく、レイちゃん自身が使おうとしないんだ」
すると、ビデオカメラのレンズ越しに見守っていた平七郎が、真太の疑問に答えるかのようにそう言った。
「使わない? どうして……どうしてアレを使わないんだ!? 安室さん! 聞こえていないのか!?」
「きっと恥ずかしがっているのね……あの子、恥ずかしがり屋さんだから」
再び叫ぶ真太の傍らで、すべてを悟っているかのように舞がぼそりと静かに呟く。
「フン! 何をやっても無駄ネ! オマエはここで倒れる運命あるヨ! アチョーっ!」
その間にも李姐豆の繰り出すパンチはぬらりんのボディを殴打し続けている。
「……くうぅ……もう、そろそろ限界だ……でも、ここであたしが倒れたら、みんなの努力が全部無駄になっちゃう……」
衝撃と高温に耐えながらも、鈴は舞やゆるキャラ部員達のことを思い浮かべ、なんとかその場に踏み止まろうとする。
「……でも、アレは恥ずかしくて絶対使えないし……もう、このままじゃ……」
だが、それでも鈴は真太の指示した最後の切り札を頑なに使おうとしない。
「……なんだかだんだん……意識が遠退いてきたな……もう……あたし、ダメ…かも……」
そして、ついに活動限界を迎えたぬらりん初号機の内部で、鈴は正常な意識を徐々に失っていった――。
――アハハハハ! アハハハハハ…!
……どこかで、楽しげに笑う幼い少女の笑い声が聞こえる。
それは、赤い夕陽を浴びながら、両親と思しき人物と手を繋いで歩く少女の笑い声……その少女はよく見知った顔をして、どこか見覚えのある水色のワンピースを着ている………。
そう。それは幼い頃の鈴本人だ。
薄れゆく意識の中、彼女は幼き日の懐かしい光景を思い出していた。
あれは、父の舞台を見に行った帰りのことだったか? まだ母が父と離婚しておらず、家族三人で貧しくも楽しい生活をしていた頃の記憶だ。
鈴は現在、母親と二人暮らしをしているが、彼女が小学校に上がる前に母と離婚した父親というのは、どうやら売れないお笑い芸人を生業にしている人だったらしい。
らしい…というのも離婚した後は一度も父と会ったことはなく、今では顔も思い出せないくらいになっている。
だから今、彼女の見ている記憶の中の父親の顔も、夕日の逆光で真っ黒い影となって見ることができない……。
そんな父と、そして母に手を引かれ、幼い鈴は満面の笑みを浮かべながら、オレンジ色に染まる夕暮れ時の土手沿いの道を歩いていた。
「どうだ? パパ達の漫才おもしろかったか?」
真っ黒い顔の父が、優しげな声で幼い鈴に尋ねた。きっとそれは母と一緒に父の舞台を見に行った後、仕事の終わった父と一緒に家へ帰る途中での出来事だったのだろうと思う。
「うん! と~っても、おもひろかった!」
父の質問に、幼い彼女は舌足らずな調子で元気にそう答える。
「フフ…レイちゃんはパパの漫才、大好きですもんね?」
それを聞いたまだ若い母も、頬笑みながら穏やかな口調で鈴に尋ねる。
「うん! あたし、パパのまんじゃい、だーいちゅき!」
「おおそうか! じゃあレイも大きくなったら、パパみたいなお笑い芸人さんになるか?」
なんとも愛くるしい笑顔で答える鈴に、今度はそんな質問を父は投げかける。
「うん! あたし、パパみたいな、おわらいげいにんさんになる!」
その問いにも、鈴は無邪気な笑顔で真っ黒な父の顔を見上げて答える。
「おお! そうかそうか! パパみたいなお笑い芸人さんになるか!」
「そう。それじゃ、レイちゃんもパパみたいになれるよう、お遊戯やお歌もいーぱい、がんばらなくっちゃね」
喜ぶ父の姿に、母も笑顔で鈴を諭すようにして言う。
「うん! あたし、がんばる!」
幼い鈴は、温かい父と母の手を引っ張ってはしゃぎながら、そう、大きく頷いた――。
〝うん! あたし、がんばる!〟
今では遠い、いつかのあの日、幼い自分の発したその台詞が鈴の頭の中で木霊する。
……ああ、そうか。だから、あの頃、あたしはあんなに……。
「……っ!」
その理由に気付いた瞬間、鈴の意識は覚醒した。
「……そうだ。あたしはお父さんみたいになりたかったんだ……なのに、あんなたった一度の失敗くらいで……」
「…ン? ナンダ? 何カ気配が変わったような……」
いまだ殴られ続けながらも、ぬらりんの動きがどこか微妙に変化する。
「……期待してくれたみんなのためにも……あたしは、ここで負けるわけにはいかない……これぐらいの恥ずかしさで、怖気づいてるわけにはいかないんだよっ!」
鈴はぬらりんの中でそう叫ぶと左腰に設けられた透明の〝安全装置〟カバーを外し、その下にある〝ドクロマーク〟ボタンを躊躇することなく押した。
ボォォォォーン…っ!
すると、何かが爆発するような音とともに、ぬらりん初号機の胴体部を覆っていた着物が分離され、幾つかの塊に別れて四方八方へと吹き飛ばされる。
「ナ、何っ!?」
突然のその出来事に、吹き飛んだ塊を腕で避けながら李姐豆は驚きの声を上げる。
「な、なんだ⁉」
「いったい何が起こったんだ……?」
その爆発に、観客席にもザワザワとどよめきが沸き起こる。
「こ、これハ……」
騒然とする会場の中、そこに李姐豆が見たものは、ラクダ色の長袖シャツと股引だけを身に着けた、さらにひょろりと細くなったぬらりんの姿だった。
その格好は、まさにどっかそこらの家の中でくつろいでいる爺さんそのままである。
「ハッハハハ! なんだ、ありゃあ!」
「だはははは! 爺さんだ! うちの爺さんもあんな感じだよ!」
そのなんとも言いようのない滑稽な姿に、会場全体が笑いの渦に巻き込まれる。
「……や、やっぱり、ちょっと、恥ずかしい……」
やってしまった後で、やはり恥ずかしさを禁じえない鈴はもじもじとその細身の体を落ち着きなく動かす。
だが、全身を覆っていた着物型の外部装甲がなくなったことで、一気にぬらりんの中の熱は四散して楽になった。
「ハッハッハッ! どうだ! これがおいらの開発した重層ボディ構造……これぞ〝スーパーハッスルぬらりひょん〟モードだ!」
そのまさにぬらり、ひょんとした雄姿を眺めながら、開発者の真太は自慢げに胸を張る。
「着物の外装の下にもう一枚股引姿の外装を作っておいたのさ。ちなみにあの股引は通気性のいい素材で作ってあるからね。もう暑さに悩まされることもないよ?」
真太の言葉を補足するかのように、瑠衣も両腕を組んで得意げに言う。
「あれが、ぬらりんの本当の姿……」
無論、そうした仕掛けのあることは知っていたが、実際には初めて目にするそのスーパー形態に、茉莉栖は驚愕と感嘆のない交ぜになったような声でそう呟いた。
「オノレ~舐めた真似ヲ……デモ、そんな子供騙し、ワタシには効かないヨ!」
意表を突いた仕掛けにしばし呆然としてしまう李姐豆だったが、気を取り直すと再びぬらりんに対して中華まんじゅうの拳と敵意を向けてくる。
「あ! なんか体も動きやすくなったな……よし! これならいけそうだ……」
一方、こちらも身軽になったぬらりんの中の鈴は、手足をあれこれと動かして、運動性の上がった着ぐるみの動きをその体で確認する。
「おお! 爺さんの動きがなんかよくなったぜ?」
「あの爺さん、なんかやってくれそうだ……」
「いけ~! 爺さん! 饅頭の化物をぶちのめせーっ!」
その老人とは思えない俊敏な動きに、会場からも期待の声が沸き起こる。先程のマントウくんのえげつない攻撃を見て、皆、すっかりぬらりんびいきになっているのだ。
「今度こそ、とどめを刺してヤル……チョコチョコとした攻撃ハもうやめネ。料理ハ技巧を凝らした味ヨリも、厳選された食材ノ持つ本来ノ旨みを引き出すことガ大切。コノ渾身の力を籠めた一撃デ、すべてヲ決めてヤルアル!」
そんなアウェイと化しつつある会場の空気の中、李姐豆は意識を右の中華まんじゅうに集中し、改めて半身に身構えた。
「こっちだって、もうやられっぱなしじゃいないんだから……あたしが、一番うまくぬらりんを動かせるんだ」
対する鈴もスタートラインについた短距離走選手のように、ぬらりんの体を低くして攻撃態勢をとる。
「………………」
睨み合う二体の間を、ピンと張りつめた、ゆるキャラには似つかわしくない静寂と緊張が支配する。そして一瞬にも、あるいは永遠にも感じられる僅かな時間が過ぎた後……。
「アチョォォォォーっ!」
「ええええーいっ!」
二体が同時に、互い目がけて飛びかかった。
「桃源仙郷! 好好桃饅フィンガーッっ!」
全身全霊の力を一点に集中したマントウくんの拳がぬらりんに向けて放たれる。
「安室、いっきまぁ~すっ!」
ぬらりんを駆る鈴も、負けじとカタパルトで撃ち出されるが如く全速で前に突進する。
「あ…!」
……だが、鈴は大事なことを忘れていた……格闘技に馴染みのない自分には、何をどう攻撃していいのかよくわからないということを。
ドゴォォォォォーンっ…!
二体の影が交錯した刹那、轟音とともにマントウくんの渾身の一撃が、ぬらりんのボディへと深くめり込む。
「うっ…!」
それまでの攻撃はすべて耐え抜いてきたぬらりんであるが、柔らか素材の外部装甲を取り払った今、その強烈な一撃を股引姿ですべて吸収することはできない。
「うぐぅ……」
………………ボテ。
ダイレクトに好好桃慢フィンガーを食らった鈴はその威力に耐え切れず、ついにぬらりん初号機とともにその場へと倒れ伏した。
「………………」
観客達が固唾を飲んで見守る中、飄々としたぬらりん初号機の体が直立態勢のままマットの上に横たわる……。
意味ありげな変身を遂げたにも関わらず、ぬらりんは特に何をするということもなく、あっさりと一瞬で負けたのであった。
「…………ユルっ!」
そのヘタレっぷりに、会場の全員が声を合わせてそう突っ込んだ。
次話ついに最終回! これが、ゆるキャラの本当の姿……。




