城ノ内眞奈美の場合
「どうして~、あなたは~、いつも机に突っ伏しているの~♪」
金曜日、七限目終了のチャイムが鳴り、皆がガタガタと帰り支度を始めていた。いつもならわたし――城ノ内眞奈美もいそいそと帰る準備を始めるのだが、今日はそんな気になれない。机に突っ伏しているわたしに、石井が自作のミュージカルを披露してくる。
「もしかして! もしかして? もしかして!? まだ、作品書けてないのかしら~♪」
「うるさーい!」
「えっ、まさか図星?」
「むー」
わたしは石井の方を睨む。石井はそんなことを少しも気にせずに、笑いながら言った。
「えっ、自分で言い出した締め切り守れないのは、さすがにやばいんじゃない?」
「ま、まあね……」
わたしは逃げるように、自分のカバンを抱えて帰り支度を始めた。
ドアの所まで行ってから、わたしは石井の方を振り返って言う。
「じゃあね、石井。水泳部頑張って」
「眞奈美も売れるヤツ、頑張って書くんだよ~」
「……はーい」
わたしは教室を後にした。
……
「石井ちゃん。教室前で一年が呼んでるよ」
「えー、マジ? 水泳部の子かな?」
石井は、教室のドアの所まで行って、覗き込むように教室の中から顔を出した。
「あっ。あんた、確か……」
***
「金、土、日……月。締め切りまで、今日入れて三日……」
わたしは自分の部屋でカレンダーを指差して数えながら、通算何度目か知れないため息をついた。
石井にはあまり言わなかったが、はっきり言って一行も書けていない。ネタさえ、思いついていなかった。
「ネタさえ思いついたら、いいんだけど、さ」
書く内容さえ決まっていれば、後は徹夜でもなんでも、間に合わせるすべはあるのだ。でも、こればっかりは……。小説のネタってのは厄介なもんで、思いつくときはお風呂の中でも、トイレの中でも、授業中でも一瞬なのに、思いつかないときは三日三晩考えても、逆立ち歩きをしても、滝行をしても、何にも降りてこない。まあ、滝行はしたことないけど。
「滝行か……」
もしかしたら、滝行をすることによって今まで思いついたことの無いような、画期的なアイディアが湧いて出てくるかもしれない。滝だけに。
インターネットで調べてみると、滝行には感覚的な効果から科学的な効果まであるらしい。滝に入るという極限状態の中に飛び込むという事で、潜在能力が目覚め新たな力を開発できるとか。場所は? あっ、わたしの家からも行けないことはないなぁ――
「っじゃねえ」
危ない危ない。もう少しで締め切り前にもかかわらず滝行にチャレンジする所だった。まったく、現実逃避というのは怖い。遠くに逃げすぎて、一瞬、滝行をするのが目的、みたいなことになっていた。
今、わたしがしないといけないことは……。わたしは、新しいルーズリーフを一枚取り出して、書きだしていく。
・小説のネタをできるだけ早く思いつく。(それでも適当なものではなくて、売れるものではないといけない。)
・実質、土日で全部完成させないといけない。
「無理だあああああああああああああああああああああああああああ」
わたしはベッドの上に倒れこんで、足をじたばたさせる。
何の無茶振りだよ。一週間で作品書き上げるとか。そんなことを言い出したのは誰だ。
……わたしだ。
「ホント、どうしよ……」
文芸部でわたしは、自分の思う「頼りがいがある」キャラクターを、自分で演じているようなところがある。そのキャラを演じている時は、部員を引っ張っていけるような発言もするし、締め切りを守らない奴は叱り飛ばす。でも、その皮が剥がれると、わたしはひどく頼りない、ちっぽけな人間になってしまう
のだ。
それがばれないように、たくさん演技してきた。
でも、分厚すぎる皮をかぶると、わたしはその重さに耐えられなくなって、今までも、たびたび今回
のようなことを起こしていた。急に切れて怒鳴りつける。今までのは何とか乗り越えてきたが、今回ばかりは……
もしわたしが締め切りに間に合わなかったら、これまでの演技は、水の泡。みんなの失望のまなざしが浮かんだ。
「ぶちょーマジうけるー。自分が言い出した締め切り守れないんだよー?」
と松風。
「……最悪」
とぷりん。
「部長の荷は重すぎたのかしら」
と九条。
「俺が部長代わろうか?」
と高山。じゃない、高橋。
「ごめん。頼りないわたしで、ごめん」
目が覚めると、窓の外はもう暗かった。寝てしまっていたみたいだ。
「あー、嫌な夢見た」
締め切りに間に合わなかった夢なんて、縁起が悪すぎる。まあ実際、間に合いそうにないんだけどね。
はあ、とまたため息をつくと、机の上に置いていたスマホの画面が自動的に点き、
タララン♪
と、スマホの通知音が鳴った。
「ん? 何だろ」
スマホの画面を覗き込むと、「六件のメールが届いています」とある。どうやら寝ている間に五件のメールが届いていて、今の通知音が六件目を知らせるもののようだ。
「誰からだろう、っと」
わたしは、メールを表示させた。
「九条薫 件名 負けないで
斉東芣霖 件名 無理は禁物
九条薫 件名 貴方ならできる
九条薫 件名 自分を信じて
松風長閑 件名 がんばれー
九条薫 件名 そこに未来がある」
文芸部の面々からの励ましメールだった。
「文芸部全員から……」
件名こそバラエティに富んでいるが、その内容は皆同じ。要約すると、「頑張って。でも、書けなくても無理はしないでほしい。自分たちは気にしない。」というものだった。
その時、わたしの心はかなり弱っていたので、思った。「みんな、書けない私を心配して……、ん?」ス
トップ、ストップ。
なぜ、みんなわたしが作品を書き終えていないと知っている? わたしは文芸部の面々にその話をした覚えがない。だいたい、前の部活から今まで、部員には一度も会っていないのだ。いや、そういえば高橋が教室まで来たことはあったかな。部員たちに作品の進捗状況を聞いて回っているとか。でもその時も本当の事は話さなかった。確か、「うん、まあまあね」なんて言ってごまかしたのだ。そこから、漏れたということは無い。
後、これはあんまり関係ないが、メールの九条の比率が多すぎる。それに、九条の件名が、うさんくさい宗教の広告のように感じるのは気のせいだろうか。
まあつまり、わたしが作品を書けていない事、みんなは知らない。鎌をかけているのか? わたしがうっかり「みんな、ありがとう」なんて返信送ったら、書けていないのが丸わかりだ。それを狙っているのだろうか。でも、何のために?
とりあえず、どうってことない返信を送っておこう。
「『全然大丈夫。心配しなくてもいいよ。』っと」
同じ文面で三人送信してから、わたしはまたベッドに崩れ落ちた。
***
土曜日は何事もなく平穏のうちに過ぎて、日曜日になった。「平和が一番だ」なんて言うけど、わたし的には「ネタを思いつく」という出来事ぐらいは、起こってほしかったところだ。
昨日は、一日中、九条からのメールが鳴りやまなかった。内容は相変わらず、わたしの作品の進捗具合を心配するもの。本当に心配しているのなら、一度メールをやめてほしかった。通知音がうるさくて、思いつくはずのアイディアも逃げていくような気がした。
夜には、高橋からも同じようなメールが来た。その時初めて、高橋から、今までメールが来ていなかったことに気付いた。でも、九条の通知音に悩まされていた最中だったため、「ありがとうね、でもうるさい」と、絵文字も顔文字も何もいれずに返信してしまった。句点すらなかった。高橋にとっては、とんだとばっちりだったことだろう。
そして今日。
午後、わたしは家にいなかった。
とは言っても、本当に滝行をしに行く、なんて馬鹿な真似をしているわけではない。たぶん今日滝行をすれば、くたくたで帰路につき、そのまま寝てしまうという結末が待っているだけだ。
わたしは隣の市にある、おばあちゃんの家を訪ねていた。
「締め切り前だってのに、わたしって馬鹿だよなあ」
わたしは、おばあちゃんの家のリビングのソファに座って、呟いた。
おばあちゃんは、わたしが来たことに驚きながらも、喜んでくれた。おじいちゃんが五年前に亡くなって、今は一人暮らしのおばあちゃん。一人暮らしも慣れた、なんて言ってるけど本当はさびしいのかな。おばあちゃんは今、キッチンでお茶を入れてる。
いつからか、追い込まれるとここに逃げ込むようになっていた。高校受験の勉強が行き詰った時も、石井と大喧嘩した(一年生の時に一度だけ……ね)時も、ここを訪ねた。話を聞いてもらって、帰る。それだけなのに、来る前と後ではだいぶ気分が落ち着いていた。
わたしは今日も、きっと自分がすっきりしたいがために、おばあちゃんを利用しようとしている。駄目
だな。今日は絶対、文芸部と締め切りの事は話さない。
おばあちゃんが、お茶を持ってきた。お茶をわたしの前に置きながら言う。
「で、今日は一体何に悩んでるの?」
「はい?」
「いつも、何か悩んでる時に来るじゃない。この前はお友達とけんかしていたし、その前は成績が伸び悩んでたわ」
思いっきり、バレていた。
「え、いや、別に今日はそんなんで来たわけじゃないんだよ、おばあちゃん」
「冗談はよしてよ。やだー、眞奈美ったら」
「いや、そんな『眞奈美ったら、面白いんだから~』みたいな感じで言われても困るよ。何も面白い冗談言ってないでしょ」
「確かに面白い冗談じゃないわね」
おばあちゃんが真顔になった。
「おばあちゃんはね、やっぱり眞奈美の顔を見れるのは、うれしいのよ。でもね、何の理由もなく来られるって言うのは、ちょっと問題でね」
「えっ」
「眞奈美のいざって時の逃げ場になれてる思うと、おばあちゃんは誇りに感じるのよ。でも、もし今日眞奈美がなんとなくで来たのなら、おばあちゃんはこう思うの。『もうわたしは、眞奈美に気を遣われるような年になったのね』」
「おばあちゃんに会いたくなってきただけかもよ?」
「おばあちゃんは、眞奈美と『持ちつ持たれつ』の関係でいられることがうれしいのよ。ほら、今の言葉で言えば……『ギブ、アンド、テイク』っていうの? 気を遣わずに何でも話してほしいのよ」
「参ったな……」
おばあちゃんは優しい。結局、その優しさに甘える事になっちゃうんだよなあ。
わたしは、文芸部の事、暴走の事、締め切りに間に合いそうにないこと、みんなの失望の目が恐い事――、すべてを話した。
「馬鹿だよね。初めから自分を取り繕ってるからこんなことになっちゃうんだ。そのままの自分で、情けないままの自分でみんなと一緒に居ればよかった」
おばあちゃんはしばらく考え込んでから、「ちょっと言いにくいんだけど……」と話し始めた。
「ん?」
「眞奈美、本当に取り繕えてるのかしら」
「っ、どういう事?」
わたしは、少し焦る。取り繕えてない? わたしが?
「かつらの話有ったでしょ?」
「ん?」
確かに、話の流れで校長先生のヅラの話は出したが……
「途中からつけたらバレバレ。眞奈美は一年生の後期から部長さんなんでしょ? その前は、高橋君とかぷりんちゃんの前でかつら、被ってたの?」
「かつらなんて、元々被ってないけど……」
「言葉のあやよ。で、どうなの?」
わたしは考える。一年生の前期、わたしは高橋とぷりんの前で――
「被ってない。何も意識してなかった」
「じゃあ、高橋君やぷりんちゃんにはバレバレかもよ。部長になって気負ってるんじゃないかって」
高橋とぷりんにはバレバレ……
「それに、眞奈美はお芝居が下手だからね。途中から入った、九条君や松風ちゃんにもバレてるんじゃないかなって、おばあちゃんは思うよ」
「そんな、馬鹿な」
自分だけ取り繕った気になって実は全員にばれてたなんて、馬鹿すぎる。
「じゃ、じゃあやっぱり、わたしが作品を書けてないってことも全部ばれてるのかな? でも、それはおかしい。わたし、石井にしかその話してないのに……あっ」
わたしは、ある可能性に思い至って「おばあちゃん、ちょっとごめん」と、席を外す。わたしはリビングを出て玄関先まで行ってから、スマホで石井の電話番号を呼び出した。
『はーい。瑠奈でーす。眞奈美、どうしたの? 作品が書けないの?』
「石井、一つ聞きたいんだけどさ。わたしが作品まだ全然書けてないって、誰かに話した?」
『えー、どうだったかな。あっ、そういえば、金曜の放課後に眞奈美が帰ってからさ、あんたとこの九条って子が来て、話したかな』
「やっぱり……」
……
「あっ、あんた確か……」
「どうも、文芸部の九条です」
「どうしよ、眞奈美帰っちゃったよ?」
「いいんですよ。石井先輩に聞きたかったんで~」
「ん? なあに?」
「部長はどんな感じでしたか?」
「眞奈美?」
「はい~。締め切りの事、何か言ってませんでした?」
「ああ、ハイハイ。何か、またアイツ暴走したらしいじゃん」
「おっしゃる通りです」
「今週中ずっと、『書けない~書けない~』って、言ってたよ。しょうがないよね、アイツも」
「部長のそんなところも、魅力なんですけどね~」
「へえ、君ってそうなんだ。何ならメールとかで励ましてあげれば? ポイントアップ! なんつって」
「じゃあ、そうします~」
……
すべてを知って、電話を切った後、わたしはぺたりと床に座り込んでしまった。
「はは、ははははは」
馬鹿馬鹿しすぎて、笑ってしまう。いくら隠しても、意味なんてなかったんじゃん。
そうだ、作品の主人公は、わたしみたいに馬鹿な奴にしよう。みんなに気遣われているのも知らずに、必死に虚勢を張る。でも、あるピンチを仲間と乗り越えていく内に、自分は皆から守られていたことを知
るんだ。そんな、青春小説にしよう。
「おばあちゃん、ありがとう。もう帰るね」
リビングから出てきたおばあちゃんに声を掛ける。おばあちゃんは、腕を組みながら言う。
「次は、どんな悩み事で来るかねえ?」
「今度は、なんとなくで来て、おばあちゃんに年を感じさせてあげるよ」
「まあ、それもいいかもね」
なんて、おばあちゃんは笑った。
***
「さて……」
わたしは机に向かっている。
現在、午後四時三十分。
締め切りは、明日。大丈夫、まだ十二時間以上ある。
ネタさえ思いつけば、徹夜でもなんでも方法はあるのだから。
「できる、できる。わたしならできる」
ここに宣言しよう。わたしは、明日までに作品を書きあげる。そして――
みんなにお礼を言おう。わたしを部長でいさせてくれたみんなに、感謝をこめて。