剣士としての覚悟
リュウ・アレクセイはルシエの話を聞いて、一縷の迷いを感じた。
彼女には歴とした旅の理由がある。自分自身には既に消えている志なのかもしれない。確かに世界の平和を求めて、旅に出たかもしれない。
しかし、彼女並みの信念、正義感はあったのだろうか。
今更クヨクヨしても仕方ないのだが、心に蟠りが残る。
馬車を使い、官邸に行く。馬車という移動手段を基本的に使わないのは、目立たないためらしい。
「あの二人はいいの?」
ルシエは疑問に思い言う。
「あの二人は、今居てもお荷物だ。それに、まだ戦いは終わってない」
何故マッシュと会うことが戦いなのか。
「予言にもアンチ派がいる。
打ち破られると予言されたのは、アルカディア。それ故、アルカディアを慕う国々は反勢力を作っている。
四人の英雄のうち、誰か一人をアルカディアに辿り着くまでに殺せば、予言はどうなるか考えてみるんだ」
「でも、まだ誰が英雄かなんて」
「確かにそうだが、各地の英雄になると名高い人物がそれぞれ暗殺されている。これもこの世界の過去の一つだ」
「そんな……」
人殺し。正義を貫く人が殺される非情。それは信じられないが、きっと真実なのだろう。
「そして、今目がかかっているのは、俺。まあ殺される気はさらさらないが、マッシュは反勢力に近い。殺される可能性も考えられる。たった一つの椅子を奪い合うんだ。それなりの覚悟を持たなければな」
「温和に進めばいいね」
「あ、いや、ルシエは最初は外で待っててくれないか。温和に進みそうなら、入って来てくれ」
「そんな、ダメよ。私も仲間なんだから」
「仲間だから言えるんだ。一対一なら、此方にも戦意はないことを示せる」
ルシエは沈黙する。
「そうね。私は残っておく。でも少しでも危険と判断すれば、貴方の側近達に伝達するわ」
そう言ったところで、官邸の正門に着く。改めて思うが、豪壮な建物だ。しかし、先ほどの事件の所為で、部分部分が欠けているように見える。
正門には、通行許可を下す関所が設置してあり、他国の兵隊は入れないようになっているらしい。これは機密を守るためだとかなんだとか。帯刀は認められたが、相手も所持している。
入るのは、リュウとルシエだけであった。リュウだけだ、と役人が譲らなかったが、何とかルシエだけは妥協させることに成功した。その代わりに、ルシエには見張りが着くという条件が付いた。見張りはロレンツというこの国の一番隊隊長だった。ロレンツは体はガッシリしており、ルシエでは歯が立ちそうにない外見をしていた。
応接室は荒廃の為、普段軍の会議に使う会議室を使用するらしい。
それにしても、まさかこの地を踏むとは、夢にも思わなかった。農民の上に、差別される身だ。地位には雲泥の差がある。ロレンツに床が穢れると言われるかと思ったが、寛容なところもあるらしい。騎士道精神なのだろうか。
会議室に着くと、ルシエはドアの前で待機するというリュウとの約束をロレンツに話すと、ロレンツは頷き、彼とルシエはドアから少し離れたところで待機することになった。
ロレンツがドアを開け紳士のように入るように示すと、リュウはそっとお辞儀をし、中に消えていった。その一番奥にはマッシュが居た。その三メートル程前にもう一つ椅子があった。それとシックな時計以外は何もなかった。移動したのだろうか。しかし床には赤い線が二本引かれていた。これは後で知る話だが、剣線と呼ばれるもので、二百年弱前のイギリスという国の庶民院本会議場に用いられていたルールであるらしい。その赤線を越えてはならないという規則は無用な闘争を回避するという理由らしい。
リュウが完全に中に入り切ると、ドアは閉じられた。
「マッシュ市帝。今日は時間を頂き有り難うございます」
「いえ、私も来ると予期していましたから」
マッシュは滝のように汗を掻いていて、違和感を感じた。
「何か、運動でも?」
「えぇ、少しばかり」
声は震えていたため、嘘であろう。警戒していて、損は無い。
「ではマッシュ市帝、貴方はあの闇に関与していますか?」
「いえ、私はこの土地を治める者。長として、自分の国を苦しめるなんて話はあってはならない」
「なら、裏切られたと?」
「……まぁ、そういうことです。しかし、ある条件を満たすと、この国は無事でいられるのです」
リュウは顔を顰めた。あのアルカディアが条件提示など違和感しかない。今まで無条件に人を闇へ葬ってきたはずだ。条件提示は違和感しか感じない。
「貴方の死です」
そう言いながら、マッシュは右腕を前に出す。マッシュは右手が銃器と化した人造人間。『血塗られた時代』に何かしら関与している。
「やばいっ……」
逃げる場所がない。あの銃器をどうして避ける……。
「"圧縮"」
部屋中の空気を、魔法でマッシュの右腕に圧縮。そして、即座に解除。
「なんだと!」
そうすると、途轍もない風が起きる。それと同時に、マッシュは発砲。右腕だけが人造人間のマッシュは体のバランスが悪く、体勢を崩すには十分だった。右腕は風によって上に逸れ、運悪く建物の上部分が損壊。
「……ッ」
瓦礫の雨が身体中に刺さる。だが、二発目に備えなければ、万事休すだ。
部屋から凄まじい音が聞こえる。
「しまった」
ロレンツを見ると、もう剣を握っている。どうやら、作戦通りらしい。リュウを助けに行きたいところだが、ロレンツを倒していかなければならないらしい。
「剣を握れ、女」
「へぇ、余裕だね」
「素人への情けだ。勘違いするな」
ロレンツはルシエを嘲笑った。
「初心者、ねえ。一応私、毎日この剣振ってたんだ」
母には黙って、父と二人でこの剣を使って薪割りをしていたのだ。その時はまともに振れなかったが、父が居なくなった後も鍛錬を続け、拙いながらも振ることが出来るようになった。
「口先だけは達者なんだな」
ロレンツは突進横薙ぎを繰り出す。隊長クラスだけあって、速い。ルシエは何とかガードするが、衝撃は強く一歩後ろに引き下がってしまう。ロレンツの激しい雨のようなラッシュが止まない。
何故だ。攻めきれない。一般の騎士クラスでも、この激しいラッシュには歯が立たない者が大半を占める。ルシエ・ジャンク、彼女は上級騎士クラスに位置しているとでも?あり得ない。我が師匠のジャッカルと対峙した感覚と同じだ。
怒涛の剣撃を繰り出しても、全身を沼に飲まれたように足掻いてるようにしか感じない違和感しか感じない。いつものような爽快感が感じられない。
「お前に構ってる時間なんてないんだ!喰らえ!」
基本魔法の一種、『伸縮』によりロレンツの剣が鋭利に尖りながら伸びる。魔法には魔法。基本魔法なら、ルシエにだって使える。
「『伸縮』、ウォール」
ルシエは愛剣を地面に刺し、シールドのように薄く左右に広げる。金属の展性、延性を利用した『伸縮』は勿論の事ながら金属にしか使えず、また糸上や箔状に出来る。これに似た『圧縮』はこの二つの性質がない、金属以外の物質に用いられる。
「それぐらいの薄い金属なんて、簡単に破れるだろ。血迷ったか」
そのロレンツの油断も束の間、彼の鋭い槍になった剣はボロボロに折れる。今度はルシエが壁状にした剣を次は槍状にする。そして、ロレンツの喉に突き立てる。ロレンツは突進したら喉に槍が刺さり、剣を伸ばし切っても、痛くも痒くもないような程しか、長さは残っていなかった。
「私の剣は、父親が持っていたガイアという剣。この剣にはどんなものでも壊せないという性質がある。逆も同じなのよ。この剣は壊せない。生き物でなければ、斬れる。けれど、人や動物は斬れない。ただ、金属だから痛いけどね。
貴方の騎士道精神に問う。私は貴方に止めを刺さないし、マッシュ市帝にも危害を加えないと誓う。その代わり、貴方は私にこの部屋に入る権利を与えて欲しい」
ロレンツは険しい顔をしていたが、護衛としての任務を泥で汚されなかったためか、安心した顔つきになる。
「良いだろう。だが約束は守ってもらうぞ」
ルシエはその応答を聞いた瞬間、会議室の扉を開けようとした。しかし、さっきの地響きの所為か、扉が歪んで開かなくなっている。槍になったガイアを剣に戻し、ルシエが通れるくらいまで網目状に斬る。すると、ドアが粉々になり、崩れ落ちた。
「リュウ!無事なの!?」
時間を少し遡る。
瓦礫が雪崩となって降り注いだ後のことか。
「しぶといな。小僧」
「殺して、どうするつもりだ」
「言う必要はない」
再度マッシュは武器を構える。さっきより近距離。空気を圧縮して暴風を起こしても、外さない位置。
覚悟を決めなければ、死ぬ。
右手をミイデラゴミムシに"変化"。過酸化水素とハイドロキノンを体内で合成し、ベンゾキノンを放出する。それは百度を超える超高熱を起こす。
「なんだこの暑さは!何故、お前は虫の体になっている!」
リュウは素早く体を元に戻す。
「俺は改造人間。この世のあらゆる生物の能力を使用することができる。
しかし、変化させたときの体への反動は大きい。体が焼かれたように熱くなり、心臓を針で刺されている感覚に陥る。元の体に戻すと、体の痛みは無くなる。
「ウェドニアの独自の進化した魔法か。お互い無事で済めば良いな」
マッシュの右手がランチャーからガトリング銃に変わる。この場から逃れなければ命は無い。
鷹に変化しようとした瞬間、扉が崩れた。
「お前は誰だ」
マッシュの問い掛けに対して、ルシエは簡潔に名乗る。
「もう一人の英雄、ルシエ」
「……ルシエ、何処かで聞いた名だ。しかし、此奴の仲間なら容赦はせん」
マッシュは右手を構える。更にマッシュは左手でリュウが使った技、圧縮からの解放を繰り出し、暴風によりルシエの動きを封じた。
しかし、それはルシエの方が戦略を実行させる手立てとなった。剣を糸にして部屋に張り巡らし、ルシエは仕上げに頑強な糸を引っ張った。
すると、マッシュの右手は持ち上がり、動かなくなる。ガイアの糸でマッシュを拘束したのだ。
「なんだ!動けん!」
「私の剣、ガイアは糸になっても、硬さは変わらない。貴方は今ガイアの蜘蛛の巣の中にいる。貴方がリュウへの攻撃を止めない限り、この状態を私は解除しないわ」
「この剣はガイア、まさか。ルシエといったか!そなたはジャンク家の者か!」
マッシュの様子がガラリと変わった。
「えぇ」
ルシエはしゃがむ込み、リュウの容態を気にしながら応答する。リュウは大丈夫そうだ。
「私の戦意は消失した。例えこの国がどうなろうとも、私は手を出さないと誓う」
二人とも、マッシュの言葉に聞く耳を疑った。
「なぜ?」
「ジャンク家には昔からの貸しがある。
しかし、それでも私はこの国を守る市帝だ。この国を守らなければならない。だから君達を支援できない。
この国も危機に陥ることがあるようなら、賛同しよう」
リュウは一瞬だけ不思議な顔をした。ルシエはその言葉を信じ、ガイアの拘束を解除した。
「それだけでも、十分です」
リュウとマッシュは握手を交わした。
「ルシエはこの旅についてくることになった」
「よろしく、二人とも」
ティーゼルとティエリはまだ少し緊張気味のようだ。
「あと、イザベルさん。お世話をかけた上に、立派な食事まで……。何から何まで尽くして頂き、何とお礼を申して良いやら」
「良いのよ……それより、ルシエをよろしくお願いします。ルシエ、皆に迷惑かけちゃダメよ?」
「わかってる」
「よろしい。なら、駆け落ちしていらっしゃい」
リュウの顔は赤くなる。勿論ルシエの顔も熱くなる。ティーゼルとティエリは言葉の意味がわかっていないようで、どんな意味ー?とリュウに聞いている。
「イザベルさん、そんな間柄じゃないです!」
「そうよ、母さん。そういう目的じゃないんだから」
「わかってる。じゃあルシエ。その紋章は貴女にはある。その意味は命を落とすということ。私のことは心配しなくていい。だから、世界を救ってきて。大丈夫、貴女は私の自慢の娘だもの」
ルシエは涙を浮かべ、母の言葉の意味を噛み締め、そして覚悟を抱いて頷いた。