魔法動物
少し時を遡り、ルシエとドラキュールの決戦の後。人々が寝静まる頃。
ルシエは真夜中のフラキエスの街中をとぼとぼと歩いていた。夜中といえど、暗がりはなく、建物の中からオレンジ色の明かりや瓶が机に力強く置かれる音、賑わう男女の声が漏れ出ていた。この通りは他の通りとは違い、寝静まることはなかった。ルシエは少し眠らない街アプエスタールのときのことを思い出してもいた。しかし、その頃の思い出を思い出そうにも、先程の記憶がすぐに侵食してきていた。
「おい、そこの赤髪のねえちゃん、店で飲んでいかねえか? この一帯は未成年も気にするこたあねえ。楽しんでいこうぜ?」
「……」
ルシエは既に酒に溺れていると思われる男衆に話しかけられる。しかし、ルシエの耳には全く話は入ってこなかった。
「なんだよ、この時間にここらをほっつき歩いてんだから、そういうことかと思ったぜ」
「あんな胸も貧相で無愛想な奴なんて気にすんなよ。どうせ、若いからどっかの店で痛い目見て、あんなしょぼくれてんだろうぜ」
「ハッハッハッ、言えてるなあ!!」
「そうよ。店の中には何人も魅力的な女性はいるでしょう? ほら、今から私とどう?」
「悪くねえ、誘いに乗ってやろうじゃねえか!」
ルシエの耳にはほとんど話は入っていなかったが、男性を魅了するような大人の女が発していた”女性”という言葉が嫌でも耳に入ってきた。
父親から剣術について指導されていた。そして、父がいなくなってからは一人ででも修行をしていた。父は常々「自分の身は自分で守れ。大切な人は自分で守り抜け。敵を傷つけるのではなく、敬意を払え」とルシエに言っていた。口うるさく言うものだから、ルシエは父がいなくなった後も日常的に剣術を磨いていたのだろう。
しかし、それでも届かなかった、何一つ。慢心していたわけではない。すべての実力を出し切り、それでもなお完全に敗北した。相手は既に全盛期を過ぎているが、ルシエの全速力にもついてきた。
どうすれば超えられる。自分に足りないものは何だ。そうルシエは自問自答を繰り返していた。
ルシエはただ自分の性別を嘆いた。男女では力の差は歴然で、真っ向勝負では勝てない。しかし、持ち前のスピードでも歯が立たなかった。脚力の成長も限界に達しているだろう。
答えはなかった。ルシエは自問自答を繰り返す度に、自分の存在意義を見失いそうになっていた。
「私は本当に英雄なのかな。私は本当にリュウの役に立ててるのかな」
ルシエの独り言は真夜中の都市に儚く消えていった。
「おい、君、真夜中のここは危ないぞ!!」
ルシエに話しかけたのは武装した人物だった。ルシエはリュウを狙うものではないかと身構えた。
「君、若いな。どうしてここに?」
しかし、その肌が黒い男は敵意はなく、ルシエに優しく話しかけてきた。どうやら警備員らしく、ルシエは警戒を解いた。
「ちょっと悩んで歩いてたら、ここに着いてました。ここは?」
どうやらルシエが迷い込んだところは自然豊かな公園。空気が澄んでいることからも木々が多く、風になびいてサラサラと音を立てていた。先程までいた街道とは違い、暗闇に包まれていた。唯一の光は男が持つライトだけだった。
「ここはフラキエス自然公園さ。自然が少ないフラキエスでも、数少ない落ち着ける場所さ。君の気持ちもわかるよ。悩んでいるときは自然が多い場所に来たくなるよね」
ルシエはこの警備員と話していて、優しくされる温かさを感じていた。ルシエは優しくされた経験が少なかったが故に、歯がゆさと嬉しさが心の中に共存していた。
「なぜここが危ないんですか?」
ルシエがそう尋ねると、男はライトの光をルシエの方から離した。その光の先にあるのは鉄格子だった。鉄格子でも、有刺鉄線が張り巡らされていた。
「ああ、ここは魔法動物保護区なんだ。魔法動物は人とは馴れ合わないんだ。噛み付いたり、傷つけたりする。昼間は比較的落ち着いているんだが、夜間はどうも起こしてしまうと機嫌を損ねてしまうんだ。人もそうだろ?」
「魔法動物……」
「なんだ、見たことないのか?」
「イッカクトビウオは見たことあります。それ以外はないと思います」
目の前の男性は少し声色が高くなった。どうやら、この職に就いていることからも魔法動物について詳しく、興味があるらしい。
「イッカクトビウオを見たことあるのか。俺はそれを見たことないな。職業柄、海には行かないからな。
そうだ。どうせ、このまま散歩するなら、どうだ、ここの中を見てかないか?」
ルシエは目を大きくする。
「でも、危ないって」
「静かに歩けば大丈夫。起こさなければ襲ってこないからね」
警備員は腰に巻いている鍵を取り出し、魔法動物保護区に入るためのドアだと思われるものを解錠する。そして、音が鳴らないようにゆっくりと開ける。
「俺はオリバー。名前は?」
「ルシエです」
「珍しい名前だね。ルシエ、足元に気を付けて」
「ありがとう、オリバーさん」
オリバーが言うように、足元は暗い。オリバーが持つライトの光を頼りに、ゆっくり歩く。
「魔法動物については詳しいの?」
「いえ。全然知らないです」
「魔法動物はこの国から生まれたのではないか、と研究結果でわかってきているんだ。だから、この国は魔法動物が多く、共存が問題になってきているんだ。とはいえ、魔法で生物の体の一部が発達しているから、危険な生物には変わりないんだよ。体だけじゃなくて、弱い毒性の生物が大人も即死になりかねない毒性を持った生物に変わったものもいるんだ」
「じゃあ、なんでこんな危ない仕事を?」
「魔法動物は繊細なだけで、他の生物と何も違うところはない。なぜ、そんな生物が虐げられる必要がある? 魔法動物よりも危険な生物は人間だよ。人間が危険だと判断した生物は殺戮し、有益だと判断した生物は従属させる。人間の歴史と一緒だよ。俺は肌の色で差別されたこともあるし、だからこそ魔法動物を守りたいと思うんだ」
ルシエは自身の故郷スターリアでの出来事を思い出す。自身も髪の色で差別されていたことを。
「その顔は君も嫌な経験をしたことがありそうだね。
人は弱い。だから自分より下を作って安寧を求める。
ただ、それは生物界では当たり前なんだ。人間は知性があるにも関わらず、その生物の理を捨てきれない。人間はそれで満足するのか。それを魔法動物に試されている気がするんだ」
「オリバーさんは思慮深い人なんですね」
ルシエがそう言うと、小さな声でオリバーは笑った。
「そうでもないよ。ただ、魔法動物との共存を目指したいだけさ。
いたよ、あの木の上。シッポヤイバリスだ。リスを捕食しようとする生物に対抗するために尻尾が発達した。尻尾が刃になり、襲ってきた生物から身を護る」
ルシエはライトの先をじっと見る。小さな生物が眠っている。それにゆっくり近づこうとする。
「ルシエ、それ以上は」
ルシエは木の葉溜まりを踏み、ガサッと大きな音を立ててしまう。その音に周囲のリスが目を覚ます。オリバーは腰からナイフを出す。
「まずい、しっかり半身になって後ろに下がるんだ。背後を見せないように、リスの動きを見て」
シッポヤイバリスが数匹威嚇してルシエを見る。ルシエもオリバーの言う通りに、リスの様子を見る。
リスは怒りの中に、どこか臆病な心を宿している目をしていた。
「オリバーさん、ごめんなさい。ちょっと私が思うままの行動をしてみます」
「よせ、危ない」
オリバーはルシエが何をしようとしているか理解していた。それはルシエがゆっくりリスに近づいているからだった。
「オリバーさんは魔法動物は虐げられる必要がないと言ったでしょう?」
「それとこれとは別だ。警備員として、君の安全が第一だ」
「でも、私をここに入れたじゃない。私を信じて」
ルシエがそう言うと、オリバーは黙り込み、ゆっくりルシエの後ろにつく。
ルシエは半身になってリスにゆっくり近づき、リスに手を伸ばす。リスはますます威嚇の度合いが強くなる。
しかし、残り数十センチになったところで、リスは逆に怯え始めるようになった。
「よーし、大丈夫。怖くないよ。怖かったよね。私は襲わないよ」
リスは一定の距離を保っていたが、一匹のリスがルシエの手の匂いを嗅ぎ始める。それに続き、何匹かのリスが一緒にルシエの手に近づいていく。最初の一匹のリスが何を思ったのか、ルシエの足に擦り寄ってきた。
「なんで、私の足に……? まさか、私の足が凍傷になっているから?」
昼間のドラキュールとの対決でルシエは足を凍らせられ、すぐに魔法は解かれたものの、今は歩ける程度には回復しているが感覚はすぐに戻らなかった。
「ありがとう。負けちゃったんだ、私。仲間のために戦ったのに、止められなかった」
ルシエはそう言いながら、擦り寄ってきたリスを撫でる。その行動から魔法動物の緊張が解かれたのか、シッポヤイバリスの他の生物も目を覚まし始め、ルシエに興味を示す。そして、ぞろぞろと近づいていく。その中には、羽が微弱な光を放つクジャクや嘴が鋭利になっているカモ、爪が金属のような光を放つネコなどがいた。
「驚いたな。魔法動物が人と馴れ合うなんて初めて見たよ。何者なんだ、君は」
オリバーは彼の言葉通り、驚いた表情を浮かべている。
「ルシエ・ジャンク。何者でもないわ」
ルシエがそう言ったとき、朝日が徐に顔を出し、辺りとルシエの柔和な表情を照らす。
その表情を見て、オリバーは笑みを浮かべた。
「それにしても、どうして私を無断で入れてくれたんですか」
ルシエの問いにオリバーは少し考えてから口を開く。
「ルシエの表情がどうも気になってね。一人で悩んでいても答えが出ずに、負の連鎖に入ってしまいかねない。
だから、少しでも気分転換を手伝えればと思っただけだよ。
ただ、もう俺は必要ないみたいだけどね」
もう既にルシエの周囲は魔法動物でいっぱいだった。ルシエにくっつく魔法動物もいれば、匂いを嗅ぐ動物などもいた。
「ありがとうございます。私、少し楽になった気がします。もうちょっといさせてもらってもいいですか?」
「ああ、いいよ。ただ、入園時間になったら、お金は取るけどね」
オリバーはそう冗談めかして、その場を去っていった。