第1話 クリムゾン・ドロップス
お引越し作品です。
5話分をひとまとめにしてあるので長いです。
読み辛かったら分割しますので、ご一報ください。
矛盾点を一部修正
暁の所属していた街が第三区=第一区南西街。
少女暴行未遂事件も第一区に治りました。やったね。
雨のせいで前が見辛い、靴も雨を吸ってグチョグチョと嫌な音を立てる、疲れた。もうどれだけ歩いたのか分からない。途中警察の人に追いかけられたが何とか撒いて、僕は今全力で幼馴染みが一人暮らしをしているアパートに向かって歩いている。こんな身体では学校へも行けない、こんな状況で頼れる友人はまず居ない。だから僕は、駄目もとで幼馴染みの橘宗吾のもとへと身を寄せる事にしたのだ。
◇
それは昨日の夜の事、いつもの様にVRMMORPGの人気タイトル『フリーディア・オンライン』をプレイしている時だった。僕は現実の低身長や子供っぽい顔が嫌いだった。だからこそ、この世界では男らしい姿を求めて高身長細マッチョなイケメンキャラでプレイしていたんだ。身長180cmの高みから見る景色は絶景で、そんな景色が僕のお気に入りだった。仲の良いギルドメンバーと一緒に狩りに出かけてた時、いきなり僕の視界はブラックアウトして目の前には《disconnection》の文字。
何が起きたのか分からず、バイザー型VRゲーム機”リンクス・ゲート”を取り外す。しかし本当の恐怖はここからだった。
リンクス・ゲートを持つ自分の手。それが嫌に白くて小さくて、一瞬誰の手か分からなかった。自室の壁に立てかけてある姿見を、恐る恐る覗き込む。あれ? いつの間に毒薬飲まされたんだっけ? いやいや、あれは単に小さくなるだけだから違うか。うん、目の前の鏡に映る小さな白い幼女は……誰ですかね?
真っ白で細く長い髪、黄金色の瞳、うす桃色の唇、白磁の様にきめ細かな美しい肌。それが僕の行動とは逆の行動を取る。良かった、やっぱりコレは僕じゃないんだ。良かった良かった、安心安心……って、鏡だよ! むしろ同じ様に返されたら恐ろしいよ!!
落ち着いて考えても慌てて考えても爆笑して考えても寝て考えても! コレ僕ですか?え、何それ聞いてない。
とりあえず何が原因か考えよう、うーん………………わからない! 意味が分からない! 訳が分からないよ!!
~♪
僕が自室で一人混乱しているとき、姉から電話がかかって来た。ちなみに着信音は流行のアニメ「機巧戦士魔法少女 黒百合」のオープニングテーマである。
あのアニメは久しく僕の心を揺らさなかった萌えアニメ業界に対するアンチテーゼだね、なにせ機巧戦士で魔法少女。元魔法少女のサレナが、自身を裏切った異世界に復讐する為にその身を機械に変えて魔法との混合能力により、数多の魔法少女を駆逐して行くストイックなシナリオだ。もちろん円盤ではグロシーン解放である。
っと、そんな事を思い出している場合じゃない。
スマートフォンのスリープボタンを押し、画面を点灯させる。そこには”やよい姉”と出ており、なんてタイムリーに空気を読まない人なんだと、軽く舌打ちする。この姉、とても大人しく、おっとりとした天然癒し系なのだが、こと僕の事になると我が侭になり溺愛するのが当然とばかりに甘やかすのだ。嫌な気分ではないのだが、こちらの意見は一切通らず、まぁいいか……と思わせる謎の魔力があるのだ。勿論、電話に出ないなんて事があったら後で文句の嵐となるだろう。でもきっと、この姉なら力になってくれるはず。
僕は恐る恐る携帯の受話ボタンをタップして耳に当てる。
「あ、楓君? お姉ちゃんだよ~。全然電話に出てくれないから、これから実家に帰る準備を」
「しないでいいから!」
「えっ」
「あっ」
ついうっかりツッコミを入れてしまう辺り、やはり姉の行動はどこかおかしい。案の定僕の声は高く、完璧に少女の声になっていた。しかもアニメ声といって差し支えないロリボイス。もしかしたら子役として稼げるかもしれない。
ちなみに楓くんとは僕の事。椎名 楓、どう見ても女の名前をつけられている理由は、親曰く「男らしく育って欲しいから、その逆で」という、突っ込みどころ満載な母方の実家の風習に倣ったそうだ。余談だが母の名前は勇作という。
「楓くんじゃ無いよね? だれ? 誰かな? 彼女さん? おかしいなぁ、彼女なんて作らない筈だよね? だって楓くんはお姉ちゃんと結婚するんだもんね?」
「いや、何いってるの!? そもそも姉弟で結婚出来る訳無いでしょ!?」
「ねぇ、早く楓くんに代わって? じゃないとお姉ちゃんもう耐えられそうに無いの」
「何を!?」
「今から行くね」
ブツッ。
「………………」
あるぇー? おかしいな、うちの姉さんこんなだったったっけ? そりゃ暴走する事はあったかも知れないけど、こんなの知らない。
「とりあえず、逃げるか」
いつもと違う姉に身の危険を感じ、僕は早速頼るべき相手を変えたのだった。いや、本当にあれはウチの姉じゃない。きっとそうだ。
そんなこんなで、今僕は高校入学とともに一人暮らしをすると息巻いてぼろ安アパートに居を構える親友の元へと辿り着いた。しかし問題が発生、ドアベルまで身長が届かない。何故だ、何故ベルがあんな上にあるんだ! いじめか!?
仕方が無いのでノックをしてみるが、反応無し。時刻は22時、とっくに寝ていてもおかしく無い時間だが、この時間はまだ起きている事を知っている。ヤツは廃が着く程の駄目ゲーマー、コレくらいの時間に寝ている訳が無い。
いや、まてよ? あいつ、さっき狩りに行く前にフレンドリスト確認したらいたよね。うん、そうか。そうだね、あいつは今VR世界にいるのか、なぁんだ通りで反応がない訳だ、あははは。もうヤダ。
しかしここはヤツに起きてもらおう、こんな時の為に携帯があるのだ。久々にかける幼馴染みの親友、ちなみにゲーム機と携帯はBluetoothで繋がっていて、ゲーム内でも通話が可能である。加えて言えば、ゲーム内なので外音の一切をミュート設定出来る為、最近ではVRオフィスなんてのも流行り出している。
『おう、久しぶりだな楓。お前が電話なんて珍しい』
僕はここでさっきの二の足を踏むんじゃないかと躊躇したが、どうしようもないので諦めて伝える。
「ごめん、説明は後でする! とりあえずアパートの前に居るから部屋に入れて!」
『え? 誰?』
「説明するから! 早く!!」
『あ、はい、すいません? えっと、コール・ログアウト!』
宗吾は訳が分からなそうにログアウトコールを入れる、と同時に切れる電話。しばらくツーツーと反復する音を聞いていると、鍵を開ける音が響く。開いたと同時に遠慮なく飛び込む。
「えっと、どちらさ」
「ごめん、トイレ借りるね!」
「いや、ちょ」
猛スピードで宗吾の隣を駆け抜け、トイレを拝借。いや、危なかった。何せ強制ログアウトされてから、驚き続きでトイレに行っていなかったのだ。僕はダボダボになりつつもワンピースの如く着られているTシャツの裾をめくり、女の子になって初めての用を足す。正直恥ずかしくて仕方が無いのだが、漏らす訳にもいかない、僕のなけなしのプライドが許さない。
「ふぅ、助かったよ宗吾。ありがとう」
「うん、そうか。そりゃ良かった。……で、あんた誰だよ?」
「ですよね」
「ですよね じゃなくてさ、何で外人のお子さんが俺の城に突入してくる訳? しかもご丁寧に楓の携帯まで使って」
「いや、それは……僕が楓だからだよ?」
「…………」
「…………」
「ないわー」
「ですよねー」
とりあえず居間に通してもらい、紅茶を出してくれる辺り気が利いている。なんて思う間もなく質問が飛んで来た。
「で、お前は椎名楓で、何故か幼女になってしまって俺に助けを求めたと。あの溺愛姉さんじゃ駄目だったのか?」
「ああ、姉さんに電話で話してみたらさ、彼女か?とか、もう我慢出来ない!とか言われてさ、なんか実家に帰ってくるって息巻いてたから逃げて来た」
「そうか、あの溺愛っぷりならどうかと思ったが、やっぱり状況に着いて行けなかったか」
「それにしても、宗吾はすんなり信じてくれたけど、なんで?」
「そりゃお前、親友だからな! ていうか、俺の住所ってまだ家族以外には楓しか知らんし、お前と話してて楓だなって思ったのが一番かなぁ」
「宗吾ぉ……お前、本当に良いヤツだよなぁ」
ぽろぽろと止めどなく涙が溢れてくる。そう言えばこの身体になってしまった後、対処法を考えるばかりで嘆く事が出来ていなかった。僕はやはり馬鹿なんだろうか。
「で、原因は何か無いのか? 何か変化が起きる前の事で、手がかりは?」
「うーん、いや、本当に分からないんだ。何せゲームしてたらいきなり鯖缶されて、リアルに戻ったらいきなりこれだったから」
「なるほど分からん」
「ですよね」
「とりあえず、もう一度インしてみるか? 何か手がかりがあるかも知れない」
「……そう、だな。よし、一応リンクス・ゲートは持って来たし、密封パックに入れて来たから雨でも大丈夫だったから」
持って来た鞄からビニールの袋を取り出し、リンクス・ゲートを起動確認。よし、問題なさそうだ。
宗吾はベッドに寝転び、準備を終えると僕に声をかける。
「じゃ、俺は先に行ってるから。待ち合わせは何処にする?」
「えっと、じゃあ第一区の酒場、ディンゴで待ち合わせにしよう」
「OK それじゃ。コール・ログイン、フリーディア・オンライン」
コール・ログイン、もしくはコール・ログアウト。これはVRゲームのシステムコールであり、基本ユーザーには上記の二つしか権限は無い。また、声が出ない人用に指でタッチする方法や、思念でログインする方法もあるが、概ね機能は二つだけに絞られている。
ちなみに第一区とは、始まりの街の事であり、現在第五区までアップデートされているが、第五区の街外周区やダンジョンの推奨レベルは七十~八十と桁違いである。とはいえ、第五区の最前線で狩りをしていたのだけど。
「さて、僕も行こうか。」
準備を終え、僕もベッドに寝転がってシステムコールを唱える。昔はよくこうやって、一緒に寝ていたのを思い出して軽く笑いがこみあげる。
◇
「コール・ログイン、フリーディア・オンライン!」
『申し訳ございません、お客様のマッピングデータと照合出来ません。新しくキャラクタークリエイトをするか、キャンセルを選択して下さい』
は? いや、何でだ?もう一回。
「コール・ログイン、フリーディア・オンライン!」
『申し訳ございません、お客様のマッピングデータと照合出来ません。新しくキャラクタークリエイトをするか、キャンセルを選択して下さい。また、試行回数は残り一回です。それを超えた場合、アカウントデータは削除されますので、お気をつけ下さい』
ええええええええええええええええええ!?
「なんで……僕が何をしたって言うんだ……」
心血注いで手に入れたレアアイテムも、青春を切り崩してレベリングしたアバターも、全部全部無に帰すとか。あ、でも後一回分は残ってるのか?うーん……仕方ない、宗吾も待っている事だし、新キャラ作って行くか。
それにしても、新キャラか。前はPvP向けに調整した両手剣士だったけど、今回はスピード重視の双剣師にするか。
このフリーディア・オンラインは、全てが自由に出来る事が売りとして発表されている。以前発売されたアルテリア・オンラインという作品は、ステ振りは出来ずスキル修得も条件発生だったからコアな層にしか人気が出なかった。まぁ未だに続いているビッグタイトルなのだけど。このフリーディア・オンラインでは、組織や組合、王に至る全てを自由に出来る。勿論街中でのPKだって可能だし、NPCは殺してしまえば二度と復活しない。(が、街の運営の為に領主が雇う為に定数が確保される)
ただし、使用する武器によって行動パターンが大体決まっているので、武器如何でタイプはほぼ固定と言って差し支えなかった。
僕は、長らく愛用したマイキャラを身体が戻った時に使えば良いーー程度に考え、開いてるキャラクタースロットをタップし、セカンドキャラの制作に入った。とはいえ、既に宗吾を待たせている状態なので適当に作る。
「コール・キャラクタークリエイト、フェイススキャン、ボディキャリブレーション・スタート」
『キャラクタークリエイトを開始します。フェイススキャン、及びボディキャリブレーションを開始します。……完了しました、適用しますか?』
「適用」
『適用します、脳波チェック、イメージビジュアライザー起動……完了しました。アバターネームを入力して下さい」
「まぁ、分かり易いだろうし”カエデ”っと」
「認識しました。それではカエデ様、フリーディア・オンラインをお楽しみください』
突然の浮遊感、そして真っ暗な闇の中へとフェードアウトする視界。貧血で倒れた時の様な感覚なのに、気持ち悪さが換算に無い。ふらふらとする意識を抑えて、眼を開く。
『初心者訓練所へようこそ。ここでは様々なチュートリアルが受けられます、開始しますか?』
「スキップで」
ばっさりと斬ると、複雑そうな顔をしたNPCのお姉さんが、揺れる半泣き声で僕を第一区の街の南門前へと転送してくれた。そんなに仕事が無いのだろうか。
「ああ、やっぱり初期装備だよなぁ、懐かしい」
僕は初期装備でおなじみの長ズボンに安物のシャツだけの少年……ではなく、所々汚れて、ボロボロになっている見窄らしいワンピースを来た、残念幼女だった。どうやらこっちでもこの姿らしい。それにしても、オープンした当時の服装ってこんなに粗悪品だったっけ? 靴すら履いてないよ、可哀想すぎるんだけど……って僕だこれ。ひもじい。
「おかしいな、オープン当初はこんなボロ雑巾じゃ無かった筈なんだけど」
まぁ、仕方ないか。とりあえず第一区の中央広場で宗吾のアバターを探そう。
◇
「ここだよな、中央広場。久しく来てないから忘れちゃってるよ」
ちなみに、宗吾のアバター名は【ドラクス】という軽装に片手剣と魔法を使う魔法剣士だ。PvPでは何度かトリッキーな魔法の使い方に引きずられて負けている。それでも総合成績では俺の勝ち星の方が多い。
「あれ、楓……お前、アバター変えたのか?」
中央広場を囲う様に設置されているオイル灯に背中を預けている半重装の剣士は、俺を見ると驚いた様な表情を見せた。
「ああ、そこにいたのかドラクス。そうなんだよ、なんだかリンクス・ゲートが認識してくれなくてな。アカウントがロックされる前にセカンドキャラ作ったさ」
「そか、まぁセカンドまでならデータは残るし……問題ないか。それにしても、酷い有様だなカエデさん?」
「ああ、俺達がオープン当時にログインした時はもう少しマシな服だったんだが、運営の趣味が代わったのか?」
「いやいや、運営は基本ノータッチだよ。それだけ第一区の治安が悪くなってるってことだな、その格好じゃストリートチルドレンだぜ?」
「なんだか、今の自分の状況と似てて心が痛むよ」
「ああ、なんつーか。すまん」
「いや、気にするな、しないでくれ」
半ばヤケクソ気味に言い捨てると、宗吾はこれからについて話す為に自分が所属するギルドハウスへと招待してくれた。
「そういえば、ドラクスのギルドホーム行くの初めてだな。マイホームは行った事あるけど」
「ああ、うちは小規模ギルドだからな。それにソロのお前じゃギルドとか興味ないだろうから勧誘もしなかったんだよ」
おお、宗吾にしては珍しく気配りしていたらしい。いや、気が利くのは分かっていたけど、僕にそこまで気を使ってくれているとは思わなかった。
暫く歩くと、第一区の北西の再奥にギルドホーム通りと呼ばれる集落みたいな場所に出る。城壁の際には商店が軒を連ねており、話によると全てが生産系ギルドなのだそうだ。ダンジョン帰りのギルドメンバーが、ここで空腹を癒したり消耗品の補充をしたり、ドロップアイテムを売ったりしているようだった。
俺はソロ帰りに道ばたの露店商人で売買をしていたせいで、こんな場所には縁がなかったのだろう。大体ギルドに無頓着な僕がギルドホーム通りに訪れる理由も無いのだけど。
「意外とにぎわってるんだね」
「離れるんじゃ無いぞ、この人ごみだと逸れたら探すのが面倒だ」
「うん、気をつける」
言うと同時にドラクスのシャツの裾を掴み、必死に追いすがって行く。しかし、なんだか感じる視線がいつもと違う。こんなボロ雑巾姿では、やはり以前の様な威光は出せないのだろうか。
「ここだ……ぷっ……くっ……開けるぞ」
「なぁ、お前今笑ったか?笑ったろ?」
俺の言葉を無視して人一人が入れる程度の、豪華でもなければボロでもないドアを開けて中に入る。しかしそこにあったのは、何の変哲も無い中世の民家そのものだった。
「これも丁度いいと思うから、お前に話しておくよ」
「へ?」
両者とも椅子に座った所で、ドラクスは真剣な表情で俺に話しかける。
「カエデ、俺はお前がそんな身体になった理由は知らない。けど、その身体で生きて行くにはかなりの無理が生じる。俺の部屋は一人暮らしって言ってあるから、多少泊まる程度は問題ないと思う」
「うん」
「でもな、俺は自分の面倒を見るだけで精一杯だ。だからこそあんな安っぽいアパートに住んでいる。すぐに出て行けとは言わない。けど、いつまでも置いとく訳にも行かない」
「……」
分かっている。けれど、急にこんな子供になってしまった所で、一体どうしろと言うのか。家族に打ち明けられる筈も無し、姉はなんだか人が変わった様だったし。
俺が俯いて見窄らしくも土で汚れ、所々がすり切れているボロ布の裾をぎゅっと掴む。
「それと、この世界。俺達は発売日からやってるファーストミリオンで、トッププレイヤーの仲間入りまで果たしているけど、その分新規参加者がやり辛い状況になっているんだ」
「え、いや何でいきなりゲームの話になってるの?」
「まぁ聞けって」
「う、うん」
「それと、この世界で行われた犯罪はゲーム内の犯罪であってリアルの犯罪じゃない。どれだけリアルに作り込まれていても、だ。実際に今の国を動かしているのはプレイヤーで、本来王だったNPCはとっくに頃さてるか、良くて死ぬまで地下牢だろう」
「そうなの?」
「そうなんだよ。お前ってダンジョン篭るかPvPするかしないから、全然そういう情報入って来ないんだろ?」
「面目ない」
「でだ。当然いろんな問題が出てくる。例えばこの間摘発された娼館だとか、NPCの女性をペットとして人身売買をする連中とか、集団的にPKを行う快楽殺人集団とか」
「えげつないなぁ」
「結局俺達は外人だからな、その逆も然りって話さ」
「は?」
その逆って、NPCがプレイヤーを襲うって事か?
「このフリーディアに搭載されてるAIが特殊すぎるらしくてな、完全自立行動型な上に、プレイヤーと同等の能力を有しているんだ。彼らが俺達と変わらぬ人である様にって」
「へえ……で、それと僕の身体と何か関係があるの?」
「ああ、つまりだ。カエデ、俺達と一緒に働かないか?」
「はい?」
「勿論給料はリアルマネーだ。そのうち部屋を借りるなら保証人の融通くらいしてやる」
「いや、ちょっと待って? これゲームだよね?」
「ああ、俺はお前の性格とプレイヤースキルを知っているから誘うんだ。俺達と一緒にこの世界で悪を倒そう」
驚いて二の句が出て来ない。え、これもしかしてデスゲーム?いやメニュー画面を見ても普通にログアウトボタンあるしポップアップ出てくるから出来そうだし。それにこいつリアルマネー祓うって言った?こんなボロアパートに住んでるヤツが?どうやって?
「うんうん、お前の気持ちは良く分かる。良く分かるから、ログアウトボタンを押そうとするのは待ってくれ」
「あ、ああ」
ドラクスこと宗吾は、深く息を吐いてから切り出す。
「今まで黙っていたけどな、俺はGMの一人なんだよ。つってもアルバイトだけどな」
「え、そうなの!?」
「おう、カレー風呂ってGMいるだろ?あれが俺」
「マジか、あの全身黄色のウコン人間っぽいのが」
「そんな感想聞きたく無かったな……まぁ、俺が言いたいのはただ一つ。AIが成長しすぎてヤバい上にプレイヤーも悪ノリして新規参入を妨害し、経営的に落ち込んでいるのを治す為に、運営直轄のゲーム内治安維持部隊に入ってくれ」
「いや、初期化すれば良く……ないか、サービス終了と同義だもんな」
「ああ、運営つっても日本支部だから、アメリカから降りて来たデータを当てるだけの簡単なお仕事のはずだったのに、ここに来て治安悪化な上にユーザー数減少でサービス終了するのも後味悪いし」
「お前が失業するし?」
「イエス・マム!」
「そこはサーだろ?」
「いや、今のカエデは幼女だし」
「幼女言うなし」
しかし、そんな事態になって居たとは。僕のこのボロ雑巾装備も頷けるな。
「で、どうだ?やってくれるな?」
「うーん……まぁ、背に腹は代えられないか。いつまでも宗吾の部屋で世話になる訳に行かないし」
「よっしゃ、それじゃちょっと待ってな。上司に連絡するから」
それだけ言うと、宗吾は通信石という名刺サイズの薄型水晶板を手に、聞いた事の無い声色で畏まった会話をしていた。なんだか社会人を見ている様だ。
「許可降りたわ、お前のアカウントデータを参照してもらったら、一発返事だったぜ」
「ああ、この世界じゃ珍しいだろうな」
「天罰に正義持ちってのは中々居ないからな」
「そう言うドラクスだって、一応正義持ちだろう?」
「俺のは称号は”熱血正義”だからな、誰かさんと違って汗臭いって不評なんだ」
「そんなものかな?僕は好きだけどね、熱血正義なんてロマンじゃない」
「カエデ、お前って本当に良いヤツだよな」
わしゃわしゃと乱暴に頭を撫でられる。目が回る。
「さて、それじゃギルド加入申請送るから」
「はいはい、イエスっと」
『ギルド[crimson drops]に加入しました。ギルドメンバー認証アイテムが支給されました、ご確認ください』
「くりむぞん……どろっぷす?」
「そう、クリムゾン・ドロップス。俺達聖裁者達のギルドだ」
◇
「君が……天罰持ちの正義くんかい?」
その声は、信じられない物を必死に受け入れようとして、どこか掠れていた。当然である、彼は僕の事を屈強な戦士か、そうでなくとも高ランクプレイヤーであると信じて疑っていなかったのだ。
天罰持ちの正義、カエデは自分の持っていた称号を思い出して自分の事と理解する。このゲームにおいて、称号とは個々の行動の結果であり、性格や精神のあり方を如実に示している。その中において”天罰”はおろか”正義”なんて称号は、たとえ出たとしてもすぐに消えてしまう儚い称号なのだ。なにせ眼を逸らさずに立ち向かい続けるという事は、コアなネットゲーマーには敷居が高い。
ただの正義感の強い人間が、それに沿った行動を起こせば正義の称号は出てくるだろう。しかし”天罰”は別物である。”天罰”とは自身の正義のみならず、大衆や教理に裏付けられた制裁が関連してくるのだ。言葉の上ではなく、行動だけでなく、ユーザーの行動に対し、この世界が力を貸すという大衆正義とでも言うべき民主主義の力だった。
「はい……。でも、いまは何の称号も無いノービスなんですけど」
「あぁ、うん。それは見れば分かる」
そう、僕の服装はさっきと変わらず、ボロ布をワンピースの如く着こなした、見るからにボロ雑巾なストリートチルドレンである。
不振な物を見るメディルに対し、ドラクスがフォローを入れてくれる。
「あー、一応カエデの人間性というか、正義感に関しては俺が責任を持つよ。二人でPKやNPCK(NPCキラー)を始末していたのは事実だし」
「君たち、フリー時代にはそんな事もしていたのかい?」
「ええ、ちょっと見るに見かねて……」
僕はローテーブルに置かれた紅茶を一口啜り、ほぅ……と息を吐く。ただの紅茶ではなく、これはアップルティーだ。程よい林檎の香りが、緊張した頭を緩くしてくれる。
今、僕たちはギルド【crimson drops】のギルドホームにいる。とはいえ、数十分前に入ったテーブルと椅子だけの簡素なギルドホームと違い、ふわふわだが座り心地に影響を与えない良い反発具合の真っ白なレザーソファーに、ブラウンカラーに塗られ軽く装飾として彫刻が入った木のローテーブル、その他アンティーク家具がちょこちょこと置いてある感じが中世イギリスのお屋敷的イメージを彷彿とさせる。個人的に某探偵が活躍した時代のインテリアはこのみである。
実はこのギルドホーム、街の外にあるのだが簡素な方のギルドホームと繋がっているのだ。ギルドメンバーの証である雫型のルビーがはまった指輪が鍵となり、音声認識で遥か遠くの森の中にあるギルドホームへと転送されるのだ。そして各街にもギルドホームは別の名前で設置してあり、大きな街へは指輪一つで行き来できる。
以前は馬を使うか、全力で走るか、転送アイテム(割高)を買うかの三択だったのだから、とても便利である。帰路で野生動物に襲われて死に戻っていた初期を思い出すと泣けてくる。あ、今の僕も一撃死確定だった。
「ただ、このゲームは性別を偽る事はできないんだけど、君は何で男女のアバター二つを持っているんだい?」
僕の目の前のソファーに深く座る男性の眼には、疑いと好奇心がミックスされた色が感じられた。正直に言ってもいいものか、そう逡巡していると、ドラクスがまたも間に入ってフォローを入れてくれる。
「なぁ、メディルさん。人間、あまり踏み込まれたく無い事があるってのは分かってるだろう? 仲間内にも素性が知れないヤツなんてそこそこ居るだろうに」
メディルと呼ばれた彼は、はぁ……と溜め息を吐くとドラクスに目線だけ向けて応える。
「あのねドラクス君、確かにウチには色んな事情を隠している子はいるよ? でも信頼性という一点においてはこのゲーム事態が知らせてくれている。だからこそ有る程度事情を無視しても雇うんだ」
「なら良いじゃないですか」
「でも、この娘は違う。ゲームが示す指標どころかリアルに有り得ない状況だ。リンクス・ゲートが性別詐称出来ないのは知っているね? それは男性と女性の脳では大きな違いがあるからだが、まぁ君らに詳しい事を言っても分からないよね。つまり、男女が同一のアカウントで別々にアバターを操作している可能性を、僕は考えている」
目的は分からないけどね。と付け足すと、ティーカップに口をつける。
結局の所、彼は僕の事を信用出来ていないのだ。如何に仲間の紹介と言えど、状況のイレギュラーさが受け入れ難さを助長していた。
「……分かりました、全部話します。状況的に信じられないかもしれませんが、全部本当の事です」
本当は宗吾も訳を知りたかったのだろう、真剣な表情で僕の事を見ている。けれど、僕に解っている事はあまりにも少ない。だからこそ、ありのままを告げる事にした。決して一時期どこの店にも入る度に、洗脳の如く流れていた曲のせいではない。
「昨日の夜、ギルドメンバーと一緒に狩りに行った時の事です。いつもと変わらない狩りでした、けど……突然通信が切れたのか視界が暗転して《disconnection》って書かれたウインドウが出て来て、サバキャンだと思ったんです。急いで戻ろうとも思ったんですが、丁度いいので一度トイレに行こうとリンクス・ゲートを頭から外したんです、そしたら、僕の身体はもうこんなでした」
「………………」
「………………」
ああ、二人の視線が痛い。何それ?って眼が痛い。仕方ないじゃないか、僕だって状況がさっぱり解らないんだから、覚えてる事なんてこれくらいだ。
「その後、頼れる人間として思いついたのがドラクスでして……ああ、リア友なので一応家は知ってたんです」
「え、じゃあドラクス君……この娘の話信じちゃったの?」
「いや、まぁ、はい……最初はトイレに無理矢理入って来たんですけど、話してる感じや内容から、カエデだって信じました」
「じゃあリアルでもこんな幼女だったり?」
「いえ、本当はもう少し身長ありますけど……ああ、今は同じ位ですよ」
「何? リアルも銀髪に金の瞳なのかい?」
「そうでしたけど……ってメディルさん、やけに食いつきますね?」
「良いだろう、今の所は信じておこう。ただし一週間以内にリアルで顔を合わせる事になる。なにせ一応は雇用契約だからね、書類が必要なんだ。ハァハァ」
何故だろう……信じてくれたのは嬉しいし、言っている事は正しいのだろうけど、そこはかとなく身の危険を感じる。眼がヤバい。
「その時は私も立ち会いますから、安心して下さい」
「いだだだだだだだだだだだだだだだだだだ!?」
いつの間にかメディルの背後に立っていた何者かは、いきなりヘッドロックをしかけ、ステータスに裏打ちされた握力でもってギリギリとメディルの頭を締め付ける。声が聞こえた瞬間から今までのメディルの顔色の変化が面白い、赤⇨青⇨赤である。表情パターンは同じでも、状況が違えば意味が変わって伝わる不思議。こう言う所でサーバーの負荷を軽減してるるのかな、なんてガラにも無い事を考えてしまった。
「私はナユタと申します。一応ここのメンバーですが、今は情報処理がメインの仕事です。よろしくお願いします」
綺羅綺羅と室内灯を反射するセミロングの黒髪、美しい顔立ちに似合わず鉄仮面の如く変わらない無表情に、冷たい眼差し……いや、向けられているのは僕じゃなくてメディルさんなんだけどね。
「あ、はい、こちらこそよろしくおねがいします。」
「それで、こんな小さな女の子を連れて来て”殺し”をさせる気ですか? 人はそれを外道と呼ぶんですよ、知ってました?」
真冬の宗谷岬も真っ青な冷気を伴った視線を、突き刺す様にメディルに向ける。しかしその視線に心が折れなかったのか、慣れているのか、メディルは頭をさすりながら反論する。
「ナ、ナユタ君、話はちゃんと全部聞いてから行動に出てよ。この子は男性ですよ」
「何ですか? 現実逃避ですか? それともロリだけじゃ飽き足らず、ショタ属性にも目覚めたんですか? とんだ変態ですねメディルさん、GMコールして良いですか?」
「止めて下さい、死んでしまいます! 主に社会的に!!」
「駄目です、私はNOと言える日本人です。さぁカレー風呂さん、アカバンをお願いします」
「え、俺? てか刑が直結死刑なんですが……」
「業の深さでは天下一品ですからね、そろそろリアルに逮捕されて欲しい所ですが……まぁいいでしょう。どうせこの世界から追放しても、第二第三のメディル《クソヤロウ》が生まれるだけですし」
「君は俺の事を何だと思っているんだ……」
「生ゴミですが、何か? あ、近寄らないで下さい、臭いんで」
何だろう、無表情が真顔っぽさを引き出しているのか、こう……心にグザリとくる言葉がノコギリの刃みたいに何度も抉られる様で痛い。
「あの、メディルさん、その件についてはリアルで合う時に詳しく説明しますから」
「あ、ああ、助かるよ……うん、それじゃせめて見てくれだけでもマトモにしようか」
「そうですね。俺もカエデに渡せる服があれば良いんだけど、男用の服は女性アバター着れないからなぁ。ナユタさん、何か余ってない?」
「そうですね、私も有る程度は持っているのですが……さすがにフォーマルスーツ系は合わないのでは……」
よもやこの人、フォーマルスーツしか持っていないのか? いや、僕も戦闘服以外には特に持ち合わせ無かったけど、女性は色々と服を楽しみで買っていると聞いた事があるのだけど……まぁ都市伝説だったのかな?
「ちなみに、私はこの仕事をビジネスとして捉えていますので、フォーマルスーツ以外では殺しの仕事の時に使ったコスプレ衣装くらいしかありませんね。胸元オープンに物凄いミニスカートな、チョイエロのナース服とか」
「「却下」」
僕とドラクスの声が同時に拒否を主張する。僕は着たく無いし、ドラクスの方は”元”とはいえ、男がそんな姿をしているのを想像してしまったのだろう、顔が真っ赤である………………うん?
「ならば、このメディルの集めたコレクションを着てみるかい? いや着て下さい! エロはないよ、無いんだよ!? ちょっとスモックだったり横から小さな突起が見え隠れしたり、水を被ると透けるくらい薄くて白いキャミソールってだけだよ!!」
「………………」
いや、そもそも何で男のメディルさんが女性服を持っているんだ。僕は生まれて初めて、人に軽蔑が込められた冷たい視線を向けていた。メディルさんの後ろに立つナユタさんは小さい声で「やりますね」などと呟いていた。何がだ。
「なら私の使う?」
いつの間にか玄関のドアが開いており、そこから顔を出した少女がそんな提言をよこした。僕はその声に振り向くと同時に、既にゲームの世界では見慣れてしまった美男美女を根底から覆す程の美少女が立っていた。落ち着いた色合いの長い金髪ツインテール、青色の大きな瞳、桜色の唇が申し訳程度に主張する程に白い肌。華奢というよりは幼さが勝つが、どこか気品めいた仕草から大人っぽさを醸し出している。
「え、えーっと……」
「シス、私の名前」
たった二文字だが、それだけで電気ショックが得意な、何処ぞの某暗黒卿が想起される辺り、彼も浮かばれるのではなかろうか。
「もしかして、服をくれるんですか?」
「ん」
彼女がインベントリから出した服を受け取る。黒く薄い生地に、軽く装飾めいたフリルが施してあったり、肩ひもや胸元、裾などの端々がレースで飾られていたりするが、チョイエロナースよりは断然こちらに軍配があがる。
「いいの?」
「ん、問題ない」
「ありがとう、それじゃ着させてもらうね」
「駄目」
「……はい?」
えっと、服を貰ったんだよな僕。なのになんで服を着ちゃいけないんだ? もしかして裸で居ろって話なのか? 新手な変態さんなのかな? 不安と絶望がないまぜになった視線をものともせず、シスさんは僕の手を掴むと奥の部屋へと引き摺られて行った。
「洗う」
「へ? 何て!?」
「私も仕事帰り、一緒にお風呂入る」
「え、ちょ、待って待って待ってえええええええええええええっ!?」
「待たない、温泉が私を待ってる」
「ロリッ娘の裸体が僕を待ってる!」
「メディルさんが私のアイアンクローを待ってる」
その日、僕はおよそ十年ぶりに家族以外の女性の裸を見たのだけど、僕の意識がブラックアウトしたのもほぼ同時だったと記憶している。余談だが、もしかしたら今ので身体が戻っているかも……なんて楽観的な事を思って、目を覚ました後に一度ログアウトしたが変わらずの身体だった。そしてメディルさんは床に倒れていた、気持ちいいのかな?
「おお、これは……凄い化けたな」
お風呂から出て、いくらか見かけなかった人が散見する中、ドラクスが発した最初の言葉がこれだった。黒のワンピースに身を包む、金色の瞳を煌めかせる銀髪の美少女、その姿は女子の可愛いものセンサーを花瓶に反応させ、ロリコンの眼を釘付けにした。うん、男性数人いるけど全員ガン見してるのはどういう事だ。あ、メディルさんがナユタさんに目つぶしされた。
「ん、最近の初心者装備は酷い有様」
「たしかに、これじゃ新規プレイヤーが来ないのも頷ける」
シスの手には、さっきまで僕が着ていたボロ布が握られていた。ふとシスと目が合う。シスがコクリと頷き、僕は横にカクリと首を傾げる。
「メディル、3メガ」
「いいだろう」
「ちょっと待って!?」
「初期投資金は必要、手頃なものはこれだけ」
「うん、でもメディルさんに売るのはちょっと……」
「NPCに売ったら、引き取り料金を請求されるレベルよねー」
肩までのフワフワな茶髪セミロングが特徴的な少女が、ケタケタと笑いながらコメントをする。いや、でも……。
「仕方ないな、これだけはしたくなったのだけど……」
メディルはソファーからスっと立ち上がると、僕の目の前に陣取り……土下座をした。
「カエデさん! 貴女の香りがしっかりついたこの布を私めにお譲りください、5Mで!!」
増額してはる……。いや、それ以上に人としての尊厳を捨ててまで欲しいのか!?
「止めて下さいっ、大の大人が何してるんですか!」
「大の大人だからこそ、なのだよ!!」
「なるほど」
「たしかに」
「言われてみれば」
「おかね」
他のメンバーが肯定的な意見を返す。え、何? 僕が間違ってるの?
「じゃ、じゃあ……その、5Mで……?」
「ありがとうございます! ありがとうございます!!」
まるで神でも崇めるかの様に、何度も土下座のまま幼女にお礼を繰り返す大人。なんだろう、このギルドに入ってからフリーディアのイメージが音を立てて崩れて行ってる気がする。とりあえず、後で適当に装備を見繕って来よう。
「あ、あの……せめて軽く仕事の説明をしてもらえませんか? 僕は、何をすればいいんでしょうか?」
「む、ドラクス君から聞いていないのかい?」
「はい、仕事があるとしか聞いていなかったので」
「ドラクス君……熱血馬鹿だとばかり思っていたけど、ただの馬鹿だったなんて……」
「いや、それこそコイツの特殊な事情が原因なんですけどね」
「めんぼくない」
事情って? と頭の上に”?”を浮かべる僕とドラクスとメディルさん以外のメンバー達。しかし追求される事は無く、メディルさんから仕事の説明を受ける事に鳴った。
「じゃあ、まずはこのゲーム”フリーディア・オンライン”の事から話そう。とは言っても、細かい所は僕も知らないから、上から卸されている情報だけだけどね」
「はぁ……」
「カエデくんは、フリーディア・オンラインを初めて長いんだっけ?」
「えっと、ドラクスと同時にやり始めたので、丁度二年前ですね。中学二年生です」
「他にオンラインゲームをやった事は?」
「実はコレが初めてでして、他の世界は行った事無いですね」
うんうんと頷くと、メディルさんは真面目な顔を崩さずに言葉を続ける。いや、さっきよりも真剣味が増していると言うべきか、少し顔が強ばって見えた。
「このゲームのNPCは、他のVRMMOと比べても酷く特殊でね、彼らには決められたプログラムなんてもはや存在しないんだ。オープン当時は、まだユーザーガン無視で定型文トークを繰り広げていたけどね。今は違う、彼らは自分の遺志で行動し、会話し、生活している」
そんな事が可能なのだろうか……いや、AIを詰んでいるのなら出来るのか? しかし、自分で考えて行動するAIなんてものがあれば、一大ニュースとして取り上げられる筈だ。しかし僕は、そんな報道を見た事は無い。
「AIが搭載されているのは当たり前だ。しかし、自立思考型AIだとしても何処かに綻びはあるはずだ。問題はNPCのAIが自立思考型では無く、集積思考型だと言う事だ」
「はぁ、でも集積って言うなら何で自分で物事を考えるAIが出来たんですか?」
「彼らNPCは他でもない、僕らの思考パターンを集積し、構築した人格データをベースに作り出された、この世界に住まうプレイヤーでもあるんだ」
「メディルの話、毎度よくわからない」
シス様の不況を買った様で、メディルさんは頬をぽりぽりと人差し指で掻きながら、言葉をまとめている。正直僕も途中から眠くなり始めたので、丁度いいツッコミだったと思っておこう。
「つまりだ、彼らNPCは運営の凄い技術で命を与えられたんだ。でも、自由を手に入れた中には悪いヤツも出てくる。その被害を被るのは、決まって善良な心を手にした元NPC達だ。そんな善良な一般市民を助けるのが、俺達crimson dropsのお仕事って訳」
まぁ、他にも迷惑プレイヤーを説教室送りにしたりね……と付け加える。
「運営側で何とかならないんですか? こう、プログラムいじったりとか」
「うん、それは既に試されてるんだけどね。結果は、何も変わらなかった。一人をデータ的に消したり、性格変更を行った所で、他のNPCが我先にと群がって後釜になる。東の領地じゃ、最悪内乱にまで発展した事もあったからね」
ああ、大分前に中央領地を挟んだ反対側の東国で、内乱イベントが発生したって言ってたのは、リアル内乱だった訳か。行かなくて良かった。
「だからね、結局は原始的な方法が一番効果的だって判明したんだよ。悪事を暴き、裁きを下す。彼らに同じ轍を踏ませない為の、言わば抑止力として機能する様に。小さな仮想世界であろうと、その世界で起きた事はその世界でケリを付けるべきなんだ」
今までゲームとして、ただ純粋に楽しんで来た世界の裏側、いや本質はこんなにも黒く凝っていたのか。きっと僕は眼を逸らしていただけなのだろう、本来のこの世界を見る事すら無く、ただ自分の見たい冒険だけを見ていた。そんな自分が、酷く滑稽に思えて来て乾いた笑いがこみ上げてくる。なんてバカだったのだろうか。
「でも、何でそんな面倒な機能を作ったんですか?」
そう、そんなプログラムを作った所でメリットなんて無いのであれば、実装する訳が無いはずだ、クローズワールドでのテストもやったであろうに、何の結果も出なかったなんてお粗末な話ではないだろう。
「運営の人間は、ノータッチだよ。この世界の集積型AIは、奇跡的に発生した突然変異から派生した、言わばウイルス進化の種さ」
「そろそろ話を終わらせよう。要するに俺達の仕事は、悪事を働くNPCの犯行の証拠を手に入れた上で殺害、プレイヤーに大しても同様に証拠を入手次第、専用武器で殺害してもらって説教室に送ってもらう。というのが大まかな内容だよ」
そう言ってメディルはソファーから立ち、ティーカップを持ってキッチンへと向かって行った。
なんだか、頭がパンクしそうだ。随分とリアルな世界だと思っていたら、もう一つの世界ばりに人間が作り込まれていたなんて……。
「もう一つ、メディルさんが言い忘れた事があるから言っておくわね」
「……?」
フワフワ茶髪の女の子が、さっきまでのニヤニヤ笑いをやめて真剣に此方を見据える。
「NPCは、いまや全てがユニークキャラなの。同じ人は居ない、データとして再構築もされない。NPCに対しては……本気の殺人がついて回る。たかがゲームなんて軽い気持ちで殺すと、後で色々と大変よ」
じゃあね。とだけ言い残すと、彼女は何処かへとワープして行った。ドラクスに聞いた話では、彼女は最初の一回以外は殺しをしていないそうだ。今では得意の変装を生かして、潜入調査を主にやっているらしい。
「悪いな、脅かすつもりはないんだが、アプリは新入りに自分と同じ様になって欲しく無いって老婆心からあんな事を言うんだ。許してやってくれ」
「アプリ?」
「何だ、自己紹介もしてなかったのか? さっきの茶髪はアプリコット、呼び名はアプリだ。で、俺はオルトだ。情報収集がメインの隠密食だ、よろしくな」
「は、はいっ。よろしくお願いします!」
軽く握手を交わすと、オルトさんは入隊祝いだと言って一振りの茜色の柄が鮮やかな小太刀を譲ってくれた。ゲーマーの性として、プロパティを呼び出して小太刀のステータスを確認をする。
【陽刀・茜】
Atk:1
Cri:+50%
クリティカルが発動した場合、一定確率で状態異常・炎上を付与する。
炎上:十秒間、一秒毎にHP最大量の10%のダメージを与え続ける。自然治癒無効。
「なにこれ……」
低確率とはいえ、自然治癒無効って確実に殺しに来てますよこの武器! しかも身体を火で焼かれてじわじわとHP削るとか、割とえぐいぶきですよコレ・…・。
「ああ、それは二本一対の武器の片割れでな、面白そうだから半年程探してたんだが見つからなくてね。まぁ護身用にでも持っておけ」
「あ、えっと、ありがとうございます」
「畏まんなって、その容姿なら俺の班でも働けるだろうし。その時はよろしく頼むよ」
「はぁ」
「あ、でも街で俺やアプリを見かけても、声をかけるなよ? どうしてもって時はギルド回線で話をしとけ。さて、それじゃ俺も仕事に戻るわ、頑張れよ」
「はい!」
僕が返事をすると、アプリさんと同じ様に消えて行く。解散の流れに乗って、それぞれが動き出す。
「見回り行ってくる」
「私は奥で情報整理をしていますので、何かありましたら声をかけて下さい」
「俺も見回り行ってくるかな」
「えっと、僕は?」
「んー、とりあえず、今はメディルさんに預ける」
「身の危険を感じるのだけど!」
「ああ、いや。今日はメディルさんに装備一式を支給してもらったら、二階の俺の部屋で休んでてくれ。プレートがあるから分かり易い筈だ。ほら、入室許可しといたから」
「うん……」
「とりあえず、夜間の警邏が終わったら戻るから、寝てて良いぞ」
「うん……わかった」
俯きながらワンピースの裾を握りしめ、不満をなんとか抑えようとする。って、これ完璧に子供の仕草じゃないか!? 身体に引っ張られているのだろうか……? 気をつけないといけない。
「よし、行ってこい! 何なら夜食でも作っとく? ゲーム内でだけど」
「ん、じゃあ適当によろしく。でも辛いのはナシな」
「分かった、頑張ってね」
「あいよ」
ドラクスが姿を消した虚空に向けて手を振っていると、ナユタさんが「まるで新婚さんみたいですね」などと呟いたが、聞かなかった事にする。これは感謝の気持ちなのだ。
◇
「ただいまー。悪いカエデ、少し遅くなった」
カエデが俺に家に来た時は既に二十二時ごろで、事情を聴くのにおよそ三十分。メディルさんの長ったらしい説明に約一時間。俺の見回り時間が深夜帯メインだから、どうしても遅くなってしまう。既に時刻は午前三時を回っていた。
「あ、おかえりー。遅かったね、いつもこんな時間なの?」
「ああ、いつもはもう少し早いんだけどな。社会人と学生のピークタイムは、大体十九時から二時あたりだから、そのあと報告書の提出で八時間労働って形な」
「やっぱり報告書とか書くんだね」
「じゃないと、情報が上まで回らないからな」
カエデは用意していたスープとサンドイッチをテーブルに乗せ、二人で食べ始めた。見栄えも良いし、味も申し分ない。おかしい、現実ならありえるかもしれないが、ここはゲームだ、数値が物をいう世界。新キャラであるカエデには料理など出来るはずがない。
「なぁカエデ、お前何で料理ができるんだ?」
「ゴホッ、ゲホッ」
「お、おい……どうした?」
「……宗吾、お前の称号に何か変化は無いか?」
言われるまま、称号のウインドウを開いてみる。が、増えてもいないし減ってもいない。いや、ちょっと“カレー魂”の称号が数値的に落ちてるな、今度カレー食わなきゃ。
「特に変化は無いぞ?」
「そうか、僕だけか……ならいい、どうでもいいよね」
「いや、気になるだろ? 教えてくれよ」
「イ・ヤ・だ!」
結局教えてもらえず、仕事の説明を終えたところでお開きとなった。カエデは与えられた自分の部屋に戻り、俺もログアウトタイマーをセットして眠りについた。ログアウトタイマーとは、睡眠状態に移行した後一時間以内にログアウトをするという機能で、それを使用しない限りこの世界で目覚めることになる。ゲーム貴族な人は、後者を選択する場合が多いとか。もちろんリアルの目覚まし機能もついているので、ぬかりはない。
「はぁ、全く……あんな会話の一つだけで、こんな称号が出るとか……」
僕は自分の称号一覧を見て溜息をつく。そこには【嫁】という何ともアバウトな称号が鎮座していた。スキルを見ると【家事】スキルがあった。説明には『料理、清掃、育児が使用可能』……いや育児って何だよ、育児って。子供を作るクエストなんて無いよ。便利だとは思うけど、早いところ本当の料理人の称号を獲得して消えてもらおう。この説明『好きな人の為に使ったスキルは習熟度にかなりの上方修正がかけられます』を見られないうちに、友達的好意でもこんなの出るんだなぁ。
僕は与えられたベッドとテーブルとイスだけの簡素な部屋に入り、ベッドに身を預ける。ログアウトタイマーをセットして、この身体の不安を押し流すように眠りについた。
◇
ここは、何処だろう。見覚えがある街並み、見覚えのある人たち。そうだ、ここは僕が入っていたギルドのあった街だ。懐かしい、そんな感慨を抱く。けれど異変に気付いたのはすぐだった。僕の目線が低い。今の体と同じくらいの目線で、僕は見慣れた街を見ている。歩き出そうとすると、ガチャガチャと足元で音がする。
「おいガキ! てめえ逃げようなんて考えてないよな」
「兄貴、こんなガキが本当に高く売れるのか? 見るからに汚いぜ?」
僕は自分の姿を確認しようと思ったが、体の自由が利かなかった。ガクガクと震え、頭を横にぶんぶんと振る。どうやらさっき歩こうとしたのも、この身体の意思らしい。
「ああ、伯爵様は街の生娘の殆どを食っちまったからな、飽きが来て今度はこんな幼女趣味に走ったんだよ。まぁ、こんな乳くせえガキなんざスラムには腐るほどいるからな。ちょいと洗ってやれば、伯爵様も気に入るさ」
はい? えっと、それってもしかして、僕売られる? 幼女として? 嫌だ、それだけは嫌だ! どうやらこの子供も同意だったらしく、震えながら涙を流し始めた。ぼろぼろと毀れる涙を手で拭いながら。
人攫い?の男二人は、その様子にイラッと来たのか、僕のお腹に一発拳が入った。
「さすがに顔は殴れねーからよー、腹を死ぬちょっと前まで殴っとけば黙るか」
「兄貴、俺ちょっと興奮してきた。後ろならいいよな?」
「あ? ったく、しゃーねーな。絶対に中に出すなよ」
「う、うん。大丈夫大丈夫」
「中に出したら殺すからな、伯爵様が」
一瞬で青くなる弟と思しき男だが、わかったよ。と告げると地面に倒れている僕に手を伸ばす。見慣れた街、見慣れた街道、こんな処で平然とこんな事が行われているのか。
「うへへ、大丈夫だよ。最初は痛いかもしれないけど、そのうち気持ちよくなるって。俺は最初から気持ちいけどね」
「やだ、やだやだ、たすけて!」
「可愛そうだねー、誰も助けてくれないよ? そうだ、おじさんたちに言ってごらんよ、何でもするから助けてくださいって」
「な、なんでも、するから、助けてください」
「オーケー、それじゃあとりあえず弟の慰み者になってもらおうか、そのあと伯爵様に売られてくれ、そうしたら助けてやるかもしれない。はっはっは」
「うぅ……」
また涙が溢れ出る。悔しさと無力感と、自分にふりかかる悪意の塊に耐えられずに心が壊れ始める。弟が僕の上にのしかかり、乱暴されるんだと理解したとき、彼は突然姿を消した。そこには誰かの足が片方だけあって、その持ち主を見て僕は息をのんだ。
僕だ。あれは前に僕が使っていたアバターの暁だ、白を基調とした服に真紅色のマントを羽織り、鋼の部分鎧を付けた高身長の男性。その僕が弟をキックで吹っ飛ばしていた。
「な、誰だ貴様!」
「お前らに答える義理はない」
それだけ言うと、僕は兄貴と呼ばれた男の顔を思いっきり殴り、同じく遥か先へと吹っ飛ばしていた。こんな事あっただろうか。最近は本当に治安が悪い状況だったので、勝手に制裁する事は多かったが、多すぎてちょっと覚えていない。そういえばギルドで街の見回りをするべきじゃないかって意見も上がってたっけ。
目の前にいる僕は、剣をだして僕の足を拘束する鎖を断ち切り、枷を外してくれた。
「もう大丈夫だ。さ、早く逃げな」
「うん」
僕の視界が滲んでいく。涙もあるのだろうが、これは映像がフェードアウトしているのだろう。次第に視界が薄れ、消えていく。同時に目覚ましのアラームが鳴り響いた。
「あんな事もあったっけ……?」
今、自分が見た夢を反芻しながら、その出来事を思い出そうとしてみたのだけど、結局思い出すことはできなかった。ただ、見慣れた街という事で、今日ログインしたら第一区の南西街に行ってみることにした。
その前に、学校をどうしようという問題になる。どうせ暫くはこの身体のままなのだから、ニート生活としゃれ込もう。今日は木曜日で、土曜日のお昼にメディルさんとリアルで会う話になったので、それまではログインしても自由である。
「それじゃ、俺は学校に行くけど……あんまり騒ぐなよ?」
「失礼な、僕が騒がしい性格じゃないのは宗吾が一番知ってるじゃないか」
「いや、そうなんだけど。なんだかお前の姿を見てると、妹と同じように見ちゃうんだよなぁ」
「そういえば明美ちゃん、元気?」
「ああ、もう朝から晩まで喧しいぞ」
「そ、そっか……あ、お弁当だけど、汁物が入ってないからって横にしちゃ駄目だよ? こっちだって配置に気を使ってるんだから」
「お前は俺の母さんか!」
「まったくもー、すぐそういう事を言う」
「別に購買のパンでいいのによ。でもまぁ、ありがとな」
「はい、いってらっしゃい」
その日、珍しく一人で昼食を食べている宗吾に群がった男連中は、そのお弁当のあまりの女子力の高さに憤慨したという。そもそも彼らに女子力を測る目など存在しないのだが、きっと雰囲気で察したのだろう。こうして宗吾に『ソロ軍団裏切り疑惑』が浮上した。
「さて、昨日は勢いでログインしちゃったから、あまり気にしてなかったけど……男の子の部屋ですな」
雑誌やダンベル、その他カップ麺などが散乱しているゴミ部屋である。ある程度は今朝起きたときに片付けたのだが、未だに重いものとかは放置してあった。
「この部屋を見ると、お姉ちゃんの部屋を思い出すよ」
結局頼ることが出来なかった激甘シスターこと姉の弥生は、甘えてほしい癖に家事スキルが壊滅的だった。おかげさまで僕の家事スキルは、主婦のソレを余裕で超えてしまっていたりする。その結果として、姉の部屋は基本僕が掃除しているが、旅行に行ったりすると、帰ったあとが悲惨なまでに汚部屋と化していたことがある。今は一人暮らしをしているのだから、予想通り汚部屋と化していることだろう。
「さて、宗吾が帰ってくるまでには綺麗にしちゃおう」
午後17時、宗吾のアパート。僕は宗吾の前で正座させられていた。
「なぁ楓、俺は朝言ったよな? 騒ぐんじゃないぞって」
「んぅ、その通り騒いでないよ……?」
「うん、そうだな。でもな、掃除してくれたのはありがたいし、夕飯を作ってくれたのも感謝するけどな?」
「はい……」
「さすがに、ご近所さんに挨拶は無いと思うんだ。大家さんにも話をしてなかったのに」
「あ、大家さんには親戚ですって言っておいたよ」
「うん、だから何でそんな騒ぎを作るのかなっていう話なんだぜ?」
「騒ぎって、完璧な偽装工作だと思ったんだけどな……」
「さっき大家さんに滅茶苦茶詰め寄られたぞ。犯罪には走ってませんよねって、思いっきり不審がられたぞ!?」
「おかしいな、お菓子までもらったのに……信じてくれてなかったのかな?」
「黒髪黒眼だったら疑わないだろうが、さすがに銀髪金眼な幼女は外人だと思うだろうがよ、加えて俺は外人の親戚なんて居ないぞ」
「おまわりさんも納得して帰って行ったのに……」
「来たのかよ!?」
「宗吾の友達の親戚で、遊びに来てるんですって言ったら納得したよ?」
「いや、何でそこで納得するんだよ、普通問い詰めるだろうがよ、一人で来たのか? とかさ」
「いけないんですか? って言ったら、泣きながら帰ってったんだ。何でだろうね?」
「さぁね、独身だったんじゃないか?」
独身にして仕事に明け暮れる新米警官には、目の毒だったようだ。南無。
「はぁ、騒ぐなとしか言わなかった俺が悪いのか? これは」
「でも挨拶は基本だよ?」
「居候が勝手な事をするなと言っておけばよかった」
かくして、橘宗吾のアパートに銀髪金眼の幼女が転がり込んだことは、ご近所の話題になったそうだ。
「あ、お弁当箱はシンクに入れといて、洗っておくから」
「なんか、俺の一人暮らしがぶち壊されてんなぁ」
◇
私、鍋島加奈子は心配事を抱えている。
祖父から受け継がれている格安アパートの今後とか、大学生なのに大家なんかやらされてレポートが間に合うだろうかとか、そういう心配も勿論あるのだが、もはやそんなレベルではない。
うちのアパートに住む、高校生ながらに自立している少年、橘宗吾君。彼は基本真面目そうだし、見た目も悪くないし、話を振ったら自然にノッてくれる。とても話しやすい相手だ。けれど、その部屋に昨日からだろうか、変な銀髪金眼の子供が居座っている。最初は橘君がさらってきたのかと思って警察まで呼んでしまったのだけど、彼女は親戚関係の人らしい。外人の親戚がいるなんて驚きだね、今じゃ普通なのかな? そのあと、涙目で肩を落としながらトボトボと帰っていくお巡りさんを見たのだけど、いったい何があったのだろう。疲れてたのかな?
そういえば、心配事がもう一つ。私はあんまりゲームはやらないのだけど、友達に誘われて始めたネットゲームがある。フリーディア・オンラインといって、自分の目で広い世界を見ることが出来る最新のよくわからない技術を使った、うーんと……凄いゲームなのだ。
そのゲームで、同じギルドに入っている“暁”という男性がいるのだけど、数日前にギルドの皆と一緒に狩りに行った時、回線エラーなのか突然消えてしまって以来まだ一度もログインしていないのだ。暫く待って来なかったから、メッセージを飛ばしたのだけど未だに既読になっていない。リアルの知り合いはギルド内にはいないので、その後どうなったのか分かっていない。数年前に起こった事件の再現かとおもったのだけど、友達が専門用語満載のよくわからない説明をしてくれて、大丈夫だろうという事になった。
心配だけど、確かめようがないのだから待つしかない。
それがギルドメンバーの総意となった。意外とドライである。こうして暇な時間に、いつログインしてくるかも分からない彼を待つのも、嫌いではない。何を隠そう、私は彼に恋をしているのだから。不安さえ無ければ、楽しく待てたものを……。甘く淹れたミルクティーと、お茶菓子にクッキーを楽しみながら、私は仮想世界で彼を待つ。太らないって素晴らしい。
「あれ、ヒスイ一人だけなの?」
「はい、暁さんがログインしてこないので、私が一人で留守番です。皆さんは“養豚の滝”ダンジョンで豚肉集めをしていますよ」
「そっか、割と早めに来たのに入れ違いになっちゃったか」
「私だって、暁さんが来ればお留守番なんてせずに一緒に行きましたよ。でもやっぱり心配じゃないですか、あれから音沙汰ないですし」
「ああ、ごめんね。ちょっと事情があって、直ぐに連絡取れなかったんだ」
「え?」
「ただいま」
「………………え?」
そこには小学生低学年と思しき幼女がドアを開けて、申し訳なさそうな顔をして立っていた。
余談だが、ギルドホームには来客用のロビールームという機能がある。一般的なのギルドホームは、ドアを開ける時点からメンバー限定となっている。そこにロビールームを設置すると、ドアからワンフロアのみ誰でも入室可能となっている。客人を招いたりする際に使用される機能で、当然このギルドホームもそうした機能を使っていた。
「何であなたがここに……?」
「ん? 僕が暁だからだけど」
目の前に立つ銀髪金眼の幼女は、当然のことのように話している。いったい何の冗談だろうか。彼女はどう見てもお昼に会った幼女にしか見えなかった。
「まぁ、このアバターについては、なんというか……あまり触れないもらえる?」
「無理ですよ……だって、男の子だって言ってたじゃないですか」
私はショックを隠し切れないでいた。だってこのゲーム、性別は変えられないんじゃないの? ということは、男に見せてたけど実は女の子だったってこと? 私は女の子に恋してたの? しかもこんな小さな子に?
「うん、男なんだけどね。ちょっと事情があってこのアバターを仮で使ってる状態なんだ、だから性別は男で問題ないよ」
「な、なんだ、そうだったんですか。びっくりしましたよ暁さん」
「混乱させてごめんね、ヒスイさん。」
「気にしないで。あ、お茶入れますか? お昼はあまり話せませんでしたし、詳しい話を聞かせて貰えますよね、カエデちゃん」
「はい……はい?……えーと、ヒスイさん?」
「はい、翡翠荘の大家をしている鍋島です。詳しい話を聞かせてくれるのよね、カエデちゃん?」
どうしてこうなったんだろう。僕は、心配をかけたであろうギルドメンバーに安否報告をする為に来ただけだったのに。このアバターも、どうせリアルを知らないとタカをくくって来たのに、どうして大家さんがここにいるんだろう。どうして大家さんがヒスイさんなんだろう。僕は逃げ出したい気持ちを必死で抑えながら、ヒスイさんの淹れてくれたお茶を見つめていた。
「それで、詳しい話を教えてもらえるんですよね?」
今まで見てきた表情の中で、一番怒っていると思える無表情だった。ヒスイさんは普段から笑顔の絶えない人で、本当にこのゲームを楽しんでいるんだってことが分かる人だった。そんな人でも怒る時はある。とあるクエストで奴隷商人を捕まえる時なんか、無表情で淡々と処理してたもんな。ゲームとはいえ、そういう非道を許す気はないのだろう。それは僕とて同じだ。そして、ヒスイさんの今の顔がこれ、無表情。経験から見るに、ぶち切れ一歩手前です。
「いや、その、僕も詳しいことは分かってなくてですね」
「でしたら、何故男性キャラだったのに女の子になってるのか、説明してもらえますよね?」
「えっと、このキャラはセカンドキャラでして、以前課金しておいて結局作らなかった素体だけのがあったので、それを使って作ったんですよ」
「じゃあ暁さんのキャラとは違うと?」
「うん、だから暁も問題なく残ってるよ」
「じゃあ今からちょっとキャラクターチェンジしてきてください」
「…………無理」
無理なのだ、だからこそ今のこのアバターを使っているわけで。急いでいるからとは言え、もう少しリアルと違うように弄るべきだったと後悔する。
「その説明を、納得のいく形でしてもらえますか?」
「……今からいう事、全部本当のことだから、嘘は言わないからね」
僕は今までに起きたこと(クリムゾン・ドロップスの事は友人のギルドだと言っておいた)を説明し終わり、ヒスイさんの反応を待つ。
「訳が分からないわ」
「ですよね」
まさしく僕と同じ意見である。僕のことを信じてくれた宗吾には悪いが、正直に言って訳がわからない。僕だって、未だに信じられないんだ。
「で、女の子になっちゃったカエデくんは、彼女と勘違いして興奮したお姉さんから逃げるために、橘くんの部屋に逃げ込んだのね。親戚っていうのは嘘だったんだ」
「あの場で元男ですって言って、信じてもらえるとは思わないよ」
「まぁ、たしかに。今でもちょっと信じたくないけど……あ、そうだ。明日は暇?」
「うん、宗吾が学校行ってる間は暇だけど」
「それじゃ、お姉さんが服とか見繕ってあげる。いくらなんでも橘くんのブカブカTシャツじゃ、外に出られないでしょ?」
「そ、それは……僕に女装しろと?」
「今してるじゃない」
「ゲーム内じゃこれが一張羅なんです……あ、でもゲーム内だったら今からでもズボン系を買いに行けば!」
思い立ち、市場に足を向けたところで玄関が勢いよく開けられる。危ない、もう少しでドアに殴り飛ばされるところだった。
「たっだいまー! 今日は豚肉パーティーだー!」
ギルド「スノウ・フレーク」のマスター、「ブリトー」が大量の豚肉をインベントリから出しながら入ってきた。相変わらずのハイテンションである。名前は一番好きな料理がブリトーだからだそうだ。タコスとは明確な違いがあるらしい。
「今日は沢山豚肉がドロップしましたから、豚丼にでもしましょうか」
大人しい口調で高カロリー食品をさりげなく差し込んでくる娘の名前はイベリコ、あだ名はベコ。このゲームの食事で空腹感をごまかし、ダイエットに成功した兵である。
「えー、あたしもっと野菜が入ってるのがいいーっ」
この自分勝手な物言いだが、実は一番一般人に近い感性を持つ、ギルドの良心の名前はレモンティー。あだ名はレモン。
「ぷぷー、ゲームでも栄養バランス(笑)とか言っちゃう人って」
「ブリトー、あんた知ってる? 肉だけ食べてると後々毒になるのよ?」
「ま、マジで……? 遅行性の毒に!?」
「ふむ、民間医療の称号にそんな毒薬の作り方があったかの。ゲームじゃしそういうのもアリかもしれん。今度豚肉毒でも作ってみよう」
やや古風な口調が特徴的な少女は「きなこ餅」金髪ツインテールに和風ロリータドレスを着こんだ風貌だが、これが意外と似合っている。
「やめてあげてよ……あといくら豚肉だけ食べたって、毒にはならないよ。単に胃がもたれるだけじゃない?」
「胃もたれ毒!?」
なんだその毒、ピンポイントすぎるだろう。彼らの特に意味の感じられない雑談に、心の中で突っ込みを入れたところで、四人が僕の存在に気付いた。
「あれ、その子は?」
レモンがキョトンとした顔で尋ねる。僕とヒスイさんは一瞬顔を見合わせ、裏でウィスパーチャットを飛ばしていた。ウィスパーチャット、別名耳打ちとも呼ばれる機能は、特定の誰かにしか伝わらない会話である。音声でも文章でもできるのだが、今回は文章で秘密会議を開始した。
『どうします? 本当の事しゃべっちゃいますか?』
『信じてくれるかな? 特にレモン』
『それはカエデちゃん次第だと思いますよ?』
『できれば“ちゃん”付けは止めてください』
『そう? じゃあカエデさんは暁さんの妹って事でどうでしょう?』
『それが一番かな?』
『じゃ、それで』
『ん、それで』
ヒスイさんと意気投合したところで、僕たち二人は四人に向き直った。
「えっと、実は僕……」
「この人が暁さんです」
「ちょ、ヒスイさん!?」
さっきの秘密会議は何だったんですか!?
その瞬間、その場にいた全員が目を点にして固まっていた。ほら、バカな事言うなって顔に書いてある。
「そうか、ヒスイ。お前ついにそんな幼女を捕まえてきて暁の代わりに」
「駄目よヒスイ、はやく返してきなさい。その子も困ってるわ!」
「ヒスイさん……ついに豚箱行きなんですね。羨ましい」
「ベコ、落ち着くのじゃ。この世界に豚箱はない。あって説教室くらいじゃろ」
誰も信じちゃいなかった。ですよね、普通こんな幼女が男性ナイトの暁だなんて思わないよね。
「それにしても、暁はどうしたんだろうね。このギルドマスターにすら連絡をよこさないとは」
「ちょっと、それどういう意味よ。暁がログインしたら、いつも最初に挨拶してるのは私なんだから!」
「レモンさんは暁さんのログイン時間に、部屋の前で張ってるだけですよね?」
「この朕に最初に連絡すべきだろう、いつも一緒にいるのは朕なのだから」
「餅さんはレベル近いからって纏わりつかないでください、いくら暁さんでも引きますよ? それに暁さんは私のご主人様になってもらう予定なんです、変な事を仕込まないでください」
「ベコ、あんたも大概よね……」
四人は四人でぎゃあぎゃあ騒いでいる。暁が居る時は、もう少し穏やかなギルドだったと思うのだけど、気のせいだったのかな? でも、仲が悪いのは嫌だし、いっぱい心配かけてるだろうから、ここはちゃんと本当のことを言って心配を取り除こう。そうすればきっと前みたいに仲のいいギルドに戻るはずだ。そんな楽観的思考の元、僕は四人に打ち明けることにした。
「みんな、ちゃんと聞いて。本当に僕が暁なんだ」
四人が憐みの視線を僕に向けてくる。え、あれ? やっぱり信じてくれてない?
「ヒスイ、ついに洗脳まで」
「やってません!」
「ないわー」
「やってないってば! もう、カエデさんも負けないでちゃんと説明してください」
「あ、うん。えっとね、みんな。間違いなく僕が暁のアバターを使ってたんだ。で、この間の狩りの時に突然落ちてからログインできなくなっちゃって、ちょうど素体だけ作っておいたセカンド用があったからソレを使ってログインしてるんだ」
「カエデちゃん、だっけ? 無理にヒスイに付き合わなくてもいいよ。女性服を着ている時点で君のアバターは女性でしょ? つまり君は暁にはなりえない、性別判断はブレインマシンインターフェースから検出される特殊な脳波計から判断されるというが、それだけじゃない。自身の肉体に対するセルフキャリブレーションや自意識までを判断材料にする。バグで女の子になったって言う話なら聞くけど、今や特別な理由もなくそういう結果にはならないよ」
「んー、やっぱあんたの説明は分かりづらいわ、三行でよろしく」
「男女の脳の違いで性別変更不可」
「この銀髪幼女カエデちゃんは女の子」
「暁くんは依然行方不明」
うわぁ、分かりやすい。でも、僕にだって信じてもらう切り札はある、伊達に長いことブリトーと友達はやっていない。
「んー、それじゃブリトーの秘密その一、初期の頃にはドヤ顔で技名を叫んで攻撃していた。その二、誰も部屋に呼ばないけど、実はぬいぐるみだらけの自室。その三、その少女趣味が悪化して個別倉庫には大量のフリr……」
「おやぁ! どうして暁がこんな姿になっているんだ!?」
大声で僕の言葉を遮るブリトーの顔は真っ赤に染まっていた。ちょっと可愛いって思ってしまう。
「で、でもあんた、さっき有り得ないって……」
「『有り得ない』なんて事は『有り得ない』だよ、レモン。このブリトーの知識をもってしても理解不能だけど、事実この子は暁だよ。だからこれ以上言わないでください」
今までに見たことが無いほどの低姿勢に、周りどころか僕自身驚いていた。そこまで恥ずかしいのかな、もっと恥ずかしい事も知っているのに。
「で、その……カエデ? それとも暁って呼んだほうがいいのかしら?」
「ああ、呼びやすい方でいいよ。暫く暁は使えないだろうし、運営にも一応相談したからそのうち使えるようになると思うし」
あれでも一応は運営との繋がりはあるはずだしね。
「それでカエデは、その、リアルは男なの? 女なの?」
非常に答え辛い質問であった。
一応、ちょいエロを想起させるシーンをカットしました。
あれくらいだよね、エロっぽいの。