1話目 桔梗の嘆き
一話目には乙女ゲー全く出てきません。全三話予定。
「別れて欲しい」
それは、突然の言葉でした。
目の前にいるのは、婚約者である秋海棠 佳貴様と、一人の女生徒。
その女生徒には、見覚えがあります。
数ヶ月前に転入してきた、日向 蝶子さんです。
私の真っ直ぐな髪と違い、柔らかなウェーブのかかった亜麻色の髪は、とても柔らかそうです。
ですが、何故佳貴様と日向さんが一緒にいるのかが分かりません。
生徒会の仕事が忙しかった佳貴様と、久しぶりにお会いできるのが嬉しくて、念入りに身支度を整えて待ち望んだ今日。美味しいと言ってくださった手製のマドレーヌを用意してお待ちしていましたのに。
「佳貴様。それは」
どのような意味でしょうか、と問いかける言葉は、日向さんに遮られました。
「私と佳貴は愛し合っているの。貴方には悪いとは思うけど、譲れないわ」
勝ち誇ったような笑み。
私は、おそらく縋るような目で佳貴様を見ていたのでしょう。
「すまない」
佳貴様はぼそりと呟くと俯いてしまわれました。
視界がぼやけます。
頬を生ぬるいものが伝い、私は自分が涙を流していることに気付きました。
「どうして……どうしてなのですか」
人前で感情を露にすることは、淑女として褒められたことではありません。それでも、私は言葉を止めることが出来ませんでした。
「あれほど……永遠を、誓ってくださったではありませんか。幼い頃から何度も。私も永遠を誓いました。死んでも……いいえ死した後でもと、二世を誓ってくださいました」
佳貴様は幼い頃からの許婚。私はずっと佳貴様を、いいえ佳貴様だけを見てまいりました。佳貴様も私だけだと仰ってくださっていましたのに。ですから、私は……
佳貴様は、俯かれたままです。
そんな佳貴様に、日向さんがこれみよがしに抱きついています。
「佳貴様と添い遂げる事が出来無いというのなら、私はどうすればよいのですか」
「私が蝶子を見つけたように、君にも似合いの相手が見つかるだろう」
そのようなこと、出来る筈がありませんのに。
佳貴様は、私と目を合わせてくださいません。
「本気で仰られているのですか」
声が、震えます。
「幼い頃からの婚約を……純潔まで捧げた相手から破棄された女に、どのような縁談があるというのですか」
まともな縁談がある筈がありません。
私に余程の問題があったとみなされるはずです。
日向さんが驚いています。
私と佳貴様が既に男女の関係となっていた事を知らなかったようです。
そして、佳貴様も驚かれた様子です。
婚約を破棄した後、私がどうなるかという事を考えていらっしゃらなかったのでしょう。佳貴様の端正なお顔が苦しげにゆがんでいます。
「日向さん。間に合うのであれば、結婚まで純潔を貫くことをお勧め致します」
さもないと、私のようになりますから。
佳貴様のことが信じられなくなったのでしょうか。日向さんが佳貴様を責めているようです。
佳貴様の言葉も、歯切れが悪いようです。
いくら言葉を並べても、永遠を誓い、純潔を奪った相手を捨てようとしているのですから。信憑性がないと思われても仕方がありません。
それにしても、不思議なのは日向さんです。
私という存在を知っていたのならば、婚約者を奪うということがどのようなことなのか、分かっている筈ですのに。
それとも。
私は自分の口唇が歪んだ笑みを浮かべるのを自覚致しました。
佳貴様と同様、日向さんも婚約破棄がもたらすことを考えてもみなかったのでしょうか。
婚約である以上、私と佳貴様のことであると同時に、秋海棠家と桔梗家のことです。簡単に反故に出来るものではありません。
秋海棠家の方が了承されていらっしゃったとしても、桔梗家はそう簡単に了承するとは思えません。
お父様とお母様は秋海棠家を……いえ、佳貴様を許さないでしょう。
私は、お父様とお母様、そして兄様と弟に心の中で謝りました。
私を慈しんでくださった皆様に、申し訳がたちません。
それでも、私は、己を止めることが出来そうにありません。
「酷い方」
私は、佳貴様に呼びかけました。
「あれほど愛していると仰ってくださいましたのに、あなたは私の行く末など考えてもくださらなかったのですね」
私には佳貴様だけですのに、佳貴様は私がどうなろうとかまわないのでしょう。
「酷い方。それが分かっても私は佳貴様への想いを諦めることができません」
なんて愚かな私。
「私は貴方の幸せを祈ることはできても、貴方と他の女性との幸せを祈ることはできません」
それでも、佳貴様は日向さんと幸せになるのでしょう。
私の存在など忘れ果てて。
そのようなことが、私に耐えられるわけがありません。
「さようなら、佳貴様」
私は、常に身に着けていたものを取り出しました。
使うことなど、無いと思っていたもの。
「貴方が共に居てくださらないのであれば、この世になんの意味もありません」
日向さんが悲鳴をあげました。
佳貴様が私に駆け寄ろうとしていらっしゃいます。
私は笑みを浮かべました。
佳貴様より、私の行動のほうが早いのです。
首に当てた刃がひんやりとしましたが、すぐに熱くなりました。
ねえ、佳貴様。
これなら、貴方は私を忘れたりはなさらないでしょう?
「美佳子!」
私を呼ぶ、佳貴様の声。
美しい佳貴様のお顔に、私の血がついています。おそらく、そのお体も私の血で染まっているのでしょう。
ああ、最後に感じる温もりが、佳貴様のもので良かった。
叶うならば、共に時を重ねて、添い遂げたかったのですけれど。
おかしいですわ。
首が熱くてたまらないのに、とても寒いのです。
佳貴様の温もりでも足りないほどに。
「ずっと、お慕い申し上げております」
そう告げたかったのに、きちんとした言葉にはなりませんでした。
最後でしたのに。
ああ、でも。
佳貴様なら、分かってくださいますわね。
頬にあたる熱い雫は、佳貴様の涙。
私の為に泣いてくださるのですね。
佳貴様のお顔がぼやけて見えません。
それにとても、暗い。
「よし……き………さま………」
私のすべては貴方のものです。
私が不要というのであれば。
貴方の手で殺して欲しかったですわ。
今年初めての投稿がヤンデレ……
ヤンデレが書きたかったんです。後悔はしてない。