6話 早朝の頃に
おねえちゃん、ほんとうに空が好きだね。
誰かが、夢の中で囁いてくる。
でもね、空をとべるのは限られた人だけなんだって。『ひとにぎりの人』って、みんな言ってる。
やっぱり、アンタもそれを言うんだ。
『みんな』はそうだけど、ぼくは言わないよ。おねえちゃんは、きっと空をとべる。ぼくはね、おうえんするよ。だって、じまんのおねえちゃんだもん!
暗い暗い闇の中で、小さな男の子は私に微笑みかける。
いや、微笑んだ気がした。男の子の輪郭はぼやけていてはよく分からない。でも、確実に彼は微笑えんでいる。
だから、ぼくはここで待ってるから。おねえちゃんが帰ってくる日まで。
「―ごめん、おねえちゃんは―」
その先の言葉を遮るように、電話が鳴り響いた。
音に弾かれるように、目を開く。
ぼんやりと歪んだ視界は、白い天井を映し出していた。
ようやく見慣れ始めような気がするが、まだどこかよそよそしい色のような気もする。だが、今はそんなことどうでもいい。
音を頼りに、手さぐりで枕元の辺りを探る。
固い黒い子機を手に取り、通話ボタンを押す。そして、私が口を開く前に――
「おい、もう6時だ!早く支度しやがれ、馬鹿!」
クロノの怒鳴り声が、狭い部屋に響き渡った。
「了解」
私は髪を手櫛でとかしながら、欠伸交じりの声を出す。
すると、案の定というべきかな。クロノの怒り度を高めてしまったらしい。電話の向こう側で、とっくに支度を整えたであろうクロノが、ピキッピキッとこめかみに筋をたてる音まで聞こえてくる。
なんとなーく、嫌な予感が胸を横切った。咄嗟に私は、子機を耳から思いっきり離す。
その瞬間
「テメェな、毎朝毎朝毎朝!いいかげん、俺が起こす前に起きやがれ!!」
部屋が壊れるのではないか、と危惧したくなる怒声。
机の上に置きっぱなしの瓶や食器が、びりっと震えている。相変わらず、近所迷惑の奴だ。……いや、近所なんてないに等しいが。
「悪い。明日は頑張る」
「いつもそうじゃねぇか。訓練兵時代から、本当に何も変わってないな!」
「あの時は、クロノが部屋まで起こしに来てくれた。今は電話」
「でも、本質的には変わってねぇよ!俺は執事か?あ~もう、切るから急げよな!」
ガチャンっと乱暴に置かれる電話。
ツーツーと何処か寂しい通話終了の音が、子機から流れてきた。
「さてと、支度するか」
子機を電話の上に戻し、何事もなかったかのように支度を始める。
とはいえ、軽く洗顔などの身支度を整えた後、軍服を纏うだけという味気のないモノだ。
だから、モノの数分もあれば支度を全て済ますことが出来る。例え、つい数分前まで眠っていたとしてもだ。
「やっぱり、着なれないな」
ずっと憧れていた正規の軍服は、少しだけ重い。動きやすさを追求し、かなり軽量化された素材で作られているのだと思うが、それでもどことなく重い気がする。
私は、自分の小さな部屋を出た。
「……集会場だったっけ?クロノに確認すればよかった」
朝の光が差し込み、薄い黄色に染まった白い廊下を歩きはじめる。
海が近いからだろう。カモメの声が、遠くから聞こえてきた。その寂しげな鳴き声に耳を傾けながら、集会場を目指す。
記憶が確であるなら今日、どこの隊に所属することになるか決まる。
一応、『海岸警備飛龍隊』という基地に同期生全員で赴任したが、それは『準備期間』だけとのこと。他の飛龍隊の受け入れ準備が終わるまでの、待機期間と変わらない。
とはいえ、私は既に『竜騎士』。
待遇は、新米なので古参の肩より少し劣るが、個室が与えられる程の充実したものだった。
花形部門の『砲術隊』や『戦艦隊』では、訓練兵上がりの新米に個室なんて与えられるわけがない。新米兵に個室が与えられるのは、『飛龍隊』だけだった。
理由は実に単純。
ただたんに、竜騎士の数が少ないというだけの話だ。
希少価値が高く、敵戦地の最前線で戦わざる得ない竜騎士は、かなり好待遇で迎えられる。
常に体調や精神状態を最高に整え、出陣して敵を蹴散らす。それが、竜騎士に臨まれている。だからこそ、この好待遇に恥じぬ働きを示さなければならない。
そう、恥じぬように悠々と空をとびたい。
なのに、なかなか自分の好きなタイミングで飛ばせてくれないのだ!
いや、本当は分かってる。ここが『軍隊』という規律で動いている『組織』なのだということを。
自由に空をとべるのは、ごくごく一部の古参エースの人だけ。
それ以外の竜騎士は、命令があるまで空をとぶことを禁じられている。
「あ~、エースになりたい」
へにゃりと、情けないくらい顔が緩む。
だが、エースになるためには敵竜騎士を最低5機撃墜しなければならない。
人を殺さない限り、エースになれないのだ。
それはそれで、なんとなく嫌な気持ちがする。でも、私が自由に空をとぶという夢のためなら、人殺しを躊躇ってはいけない。いや、後悔しないって、言い放ってしまった。
「複雑だ、なんか」
「ユーリじゃないッスか!」
私は顔を普段の真顔に戻すと、振り返った。
そこには、笑みを浮かべて走ってくる男がいた。へらっとしたアホらしい笑みを浮かべ、男は私の隣に並ぶ。
「カリストか。今日も元気そうだな」
それだけ言うと、私は再び前を向き歩き始めた。
「ユーリも今お目覚めッスか?いや、ユーリがいてくれて助かったッス!」
軍服を着崩したカリストは、ポケットに手を突っ込みながら私の隣を歩く。
私は少し眉を歪ませると、片目でカリストを見上げた。
「私は何もしてないぞ」
「朝の名物『クロノの怒鳴り声』が、俺の所まで響いてくるんッスよね。いや~、あれが無かったら俺も起きられねぇッス」
それは、ヤバいぞ。
と、言う言葉が喉元まで出かかったが、同時に私自身にも返ってくる言葉なので、何も言わないで飲み込む。そろそろ自分で起きられるようにしなければ、と思うのに身体が付いていかない。こればかりは、いくら訓練しても難しかった。
「それにしても、ドラゴンが人間に変身できるなんて思わなかったッスよね。
俺の『赤龍』が変身したときなんて、腰を抜かすかと―」
「その話は、厳禁じゃなかったか?」
辺りに人がいないのを確認しつつ、声を潜めて注意する。
すると、カリストの笑顔が少し曇り、罰が悪そうに笑った。
「そうだったッスね。『禁則事項』だったッス」
「そう、正規兵にしか明かされない重大事項。口を滑らせてら、首が飛ぶんだってさ」
私もカリストも、先程電話の向こうで怒鳴っていたクロノも、飛龍科で学んでいたが、大切なところは教わらなかった。そう、それは『ドラゴンが人間に変身できる』ということ。
常にドラゴンで生活をしていると行動範囲狭まる上に、他国の間諜にも狙われやすい。だから、人間の姿になって紛れ込む。
『木を隠すなら森の中』ということわざみたいに、『人間に変身できるドラゴンを隠すなら、人間の中』というわけだ。
ちなみに余談だが、龍舎にドラゴンが一匹もいなかったのは、全員人間化して飼育師の方々と飲みに行っていたかららしい。紛らわしいことは、しないで欲しかった。
「うぅ、首が飛ぶとかおっかねぇッスね」
ぶるぶるっと大げさに震えるカリスト。こいつ、本当に事の重大さがわかってるのか?とたまに疑いたくなる。
「ユーリも気を付けるッスよ」
「せっかく念願の竜騎士になれたんだから、そんなくだらないヘマをするわけない」
と、口で言ってから不安になる。
今まで特に問題にならなかったが。『朝起きられない』という致命的な『ヘマ』のせいで、竜騎士を首になるかもしれない。いや、間違いなく首が飛ぶだろう。でもまて、竜騎士の数は少ないのだ。そんな些細なことで、首になるわけないと信じたい。
「テメェら、おせぇっての!」
集会場の前では、クロノが仁王立ちになっていた。
眉間に消えないくらい深い皺を刻み、私とカリストを殺さんばかりの勢いで睨みつけていた。
「あれ、まだ集合時間15分前だぞ?」
カリストは、朝日を浴びて輝く腕時計の針を確かめる。一瞬、クロノの顔に血が上る。だが、クロノは、どこか諦めたように首を横に振るった。
「あのなぁ……緊張感を持てって言いたかったんだよ。他の奴らはとっくに正装して来てるんだ。上官以外で来てないのは、他隊含めてもお前らだけ。
それから、カリスト。せめて、軍服のボタンは留めろ。ユーリは、その後頭部の寝癖を直せ」
クロノは、疲れたような顔で言い放った。
後頭部に手を当ててみる。なるほど、確かに髪がほんの少しだけ、変な方向に曲がっている。
「別に寝癖くらいいいだろ」
「よくねぇって。今日は『提督』が来るんだからな」
「えっ、それってマジ!?」
その一言を聞いた途端、カリストの笑みが引っ込んだ。
さぁっと顔が青ざめ、慌てた手つきで軍服のボタンを閉じていく。指の先まで震えているのにもかかわらず、物凄い勢いでボタンを閉じる手つきは、素早くかつ正確で、普段のカリストからは全く想像できなかった。
「提督って、軍で1番偉い人だろ?」
本当に来るの?と疑惑の目をクロノに向ける。
だが、クロノは歴然とした態度で言い放った。
「来るさ。教官が言ってたぜ。だから、その髪の毛を整えろ」
私は、髪を再び手櫛でとかしながら、集会場に足を踏み入れる。
……でも、クロノの言い分を完全に信じたわけではなく、半信半疑だった。クロノの言うとおり、提督が来たのだとすれば髪を整えないと、さすがに不敬に値する。
「どう思う、ネロ?」
先に到着していた男に、尋ねてみる。
髪に良く似合う黒のロングコートを纏った人間状態のネロは、興味なさそうに前を見ていた。私が問いかけても、以前として朝礼台を眺めている。
「どう思うとは?」
「提督が来るかどうかってこと」
帝国軍の全てを統括する第一人者が、何故たかだか新米兵の朝の集会に現れるのだろうか?激励、叱責、嘲笑、それともデマ?……まぁ、十中八九、デマだろう。
「貴殿はどう思うのか?」
「デマであって欲しい。さっさと集会を終えて、演習でもいいから空を飛びたい」
眼下にのぞくのは、箱庭を思い起こす小さく精細な町並み。海の香りを肌で感じ、吸い込まれそうな青空を舞いあがっていく――
「貴殿は、軍人としての心構えが足りなさすぎだ」
苦笑すら浮かべず、淡々とした真顔のままで叱責される。
ネロと契約を結んでから、常日頃言われ続けている言葉だ。まるで、口うるさいクロノがもう1人増えたような錯覚を受ける。いや、クロノよりたちが悪い。
暗闇で首元を狙われるような、静かな殺気をこめたネロの叱責は、どことなく怖かった。
「そして、貴殿の予想は外れたようである」
ネロは目をつぶり、背筋を少し伸ばした。
どうして、軍人の心構えから、予想が外れた云々の話になるのか分からない。
私は、ネロに意味を問うため口を開く。だが、その声は別の声によって掻き消されてしまった。
「やぁ、皆の諸君。元気かな?」
威厳のある声が、先程まで誰もいなかった朝礼台の方から響いてくる。
私は弾かれたように、朝礼台に視線を向けた。
艦長帽を深くかぶり、立派な髭を生やした男が、温和に微笑んでいる。
いや、微笑んでいるのに背筋が逆立つのは何故だろう?
まるで細胞の1つ1つをつかまれているような、おぞましい感覚だ。笑っているのに、笑っていない。かなりの距離は慣れていたとしても、その眼が獲物を狙う捕食者に似た光を放っている。
だが、その圧倒的な存在感は、なんとなく人を引き付ける力を持つらしい。
事実、私の隣に立つクロノは、浸水したような表情で見つめている。クロノだけではない。その向こうに佇む名も知らぬ新米兵も、さらに隣の兵も、あのカリストでさえ頬を赤らめていた。
こわい
だけど、それを誰に相談することも出来ない。口を開くのも辛いくらいの重圧を感じるのだ。私は辛さに耐えて、その男を見上げることしかできない。
帝国軍セントラル提督は、恐怖すら覚える薄っぺらい笑みを浮かべ、でもそれに誰も気がつかないまま、ゆっくりと口を開いた。
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