世界史A:世界の産業革命~アメリカ南北戦争
『産業革命』
これは18世紀のイギリスで発達した技術革新から始まりました。
当時、ヨーロッパの資本は大西洋三角貿易という貿易方法で賄われていました。
まず、アメリカがヨーロッパへ砂糖やタバコ等嗜好品を輸出します。当時ヨーロッパでは喫茶、というよく分からない風習?が出来始めます。ほら、私はやりませんけど皆さん砂糖を紅茶にガバガバ入れるじゃないですか。あんな感じ―――まではいかなくても砂糖をコーヒーや紅茶に入れるため、急激に需要が増えたらしいです。
……私は認めない。500mlペットボトルに砂糖14杯とか絶対認めない(リアルの友人がやった)
ヨーロッパは武器をアフリカに輸出します。武器は主に奴隷確保に使われたっぽいですね。嗜好品を受け取る癖になんて物騒な貿易でしょうか。
で、アフリカからはもっと物騒なモノがアメリカへ運ばれて行きます。その名も奴隷。後で説明入りますが、人間扱いなんて勿論されてません。家畜と同じように競売にかけられてもれなくプランテーションで強制労働です。
~イギリス編~
《第二次囲い込み》
が、まぁこの当時のイギリスの労働力は普通に市民です。奴隷なんていません。奴隷は南国で砂糖作るのがお仕事で、本国には居ません。……多分。
そもそも労働者、という職業が増えたことが産業革命の始まりでした。第二次囲い込み、別名エンクロージャーが一番の労働者増殖理由です。素晴らしい勢いで農民の皆様方が転職する良い?機会となりました。ハローワークも真っ青な職業就職ですね!
……と、これが学校の説明でしたが、実際はそんなじゃ無いんですよねぇ……まぁいいや。ここは大人しく先生の説明に従いましょう。
当時イギリスでは人口増加が起こっていました。するとやっぱり食べ物が必要になります。つまり農業重視な社会。しかしそんな中、織物によって技術レベルが上がってしまっていた為機械化が進んでしまいました。
人間の手なんて必要ありません。要は機械を農地にぶち込んでやればいいのです。
そこで金持ちって凄いですね!農地を柵とか塀とかで囲って侵入禁止にしちゃうんです!御陰でいつの間にやら職を解雇されたも同然。
「……やっべ、どうやって稼ごう?」
結果、人手を必要としているらしい都市に農民が続々と流入していきます。そこでは様々なメカメカしいメカが彼らを待ち受けていた!出来た物は海外にある植民地へとGO!原料も植民地から供給されるぞ!と、市場も完璧、至れり尽せりな低賃金で彼らは無事に職にありつけましたとさ。しかも資本家も低賃金で人を雇えます。一石二鳥の出来上がり!ついでに職業問題の出来上がり!
《技術革新》
このメカメカしい社会、元々は綿工業から始まりました。
機械化が進む前に皆さんが来ていた服は主に羊毛製。羊毛って素晴らしいんですよ!洗うと縮むから洗えないし、洗えないから臭いし、段々詰まっていくし、貧しいと服なんて沢山持てませんから勿論汗吸い放題!
……ええ、素晴らしく嫌な雰囲気漂ってますよね。私はそんなのごめんだ。
が、インドという魅力的な植民地を手に入れたイギリスではそんな悩みも一部で解消されます。インドから綿織物が輸入されるようになったのです。綿なら洗えますよ!
……と、都合よく聞こえますよねー。実際そんな世の中甘くありません。輸入品ですよ?つまり、高いんです。貧しい人は相変わらず羊毛製のです。しかし、これを機にふと頭の良い皆さんは思いました。
「綿花仕入れて自国で織った方が安いよなー?」
そこからはもう綿花の輸入ばかりです。しかもそれに合わせて次々と紡績機(綿花を糸にする機械)や織機(糸から布を織る機械)が進化を遂げて行きます。そりゃもう凄いですよヽ〔゜Д゜〕丿!
具体的には、1733年には今までの2倍織れる機械が出来ます。64年には最高8倍の糸が紡げるようになります。69年には600倍紡げるようになります―――綿花が足りなくなりました。79年にはもっとです。水力ですよ!……勿論糸が足りません。終いには85年には蒸気で織れるようになります。恐しい進化です。たった50年で。今まで千年も手織りだったのが、たったの50年でこの進歩。
いやー、人類ッテスバラシイネ。排気ガス大量社会の始まりです。
《動力革命》
ここはあんま詳しい事無いです。ただ、最初は自然力(水力とか?)を使ってたのが石炭が豊富に取れるイギリスでは蒸気が発達したよーって程度です。これにより下につながります。
《交通革命》
上により頭のオカシイ天才が蒸気機関車と言う名の鉄道を作成しました。それにより1825年にはストックトン~ダールトン、1830年にはリヴァプール~マンチェスター間に鉄道が開通。
つまり、蒸気機関車はまず、移動の長距離を可能としました。更にデカイですから大量の人や物資も運べます。移動の大量化です。そして何より高速化します。……当時にしては。日本の一番最初の蒸気機関車は時速30kmで走っていたそうですよ。るろう●剣心曰く。車よりノロいですね!
まぁ、これによってイギリスは「世界の工場」と呼ばれるまで発展します。上記の都市名は、工業化が進んだことで発生した都市です。特にリヴァプールは港町ですからね。貿易も栄えました。
《資本主義社会成立》
工業化によって、無駄によく出る二つの階級が発生しました。その名も資本家と労働者。
資本家は工場・機械・原料を持っています。それを使って労働者に馬車馬のように働いて貰って物を作ってもらい、代わりに賃金を払う。これが資本家の役目です。同じように、労働者は働く時に資本家に時間を払う、と言っていいでしょう。彼らが持ってる物なんて時間くらいしかありませんし。
しかし、それによって労働問題が発生してしまいました。上を見る限り明らかに強いのは前者。立場の弱い人たちは、哀れな事にも低賃金・長時間労働等、資本家の餌食となりボロボロになるまで働かされます。
が、勿論悪がいる限り正義の味方もあるのです!その正体は皆大好きストライキとデモンストレーション!……と、これらに伴い結成された労働組合です。
《社会主義》
これは当時目指されていた社会ですね。夢は人類?皆平等!その為には生産手段を共有化しよう!……金持ちに出来る訳がないじゃないですか。
まぁ。これには2パターンあります。一個目は空想的社会主義。現実?何ソレ、今なんて知らねぇよ。ほら皆でこうしよう!という、何をどうすれば良いかという考えに欠けたオツムの弱い思想です。
有名どころはロバート・オーウェンさん(イギリス)とサン・シモンさん(フランス)あとフーリエさん(同じくフランス)。ロバートさんは工場法、という労働時間や子供の労働場についての改善法律を出しています。この頃子供の仕事って言ったら暗くて空気が薄くて暑くて汚い地下で石炭採掘とかですからね。そりゃ病気にもなるわ。
もう一つは科学的社会主義。資本主義から社会主義になる過程を科学的に考えた物です。つーか資本主義っていうのは社会の移行期間なんだー!って思想?有名人はマルクスさんとエンゲルスさん。二人共ドイツ人。二人が出した本、「資本論」「共産党宣言」なんかは有名ですね。あと国境を越えて社会を形成しよう!っていうインターナショナルという物をロンドンに結成します。
《第一回選挙法改正》
ここでは腐敗選挙区、という物が廃止されました。
産業革命以降、農村から都市に人が流入しています。が、何故かこれまでずっととある制度を変えませんでした。それは地区ごとの人数に合わせた議員数を選出出来るようになっていた、という物です。明らかに農村には人が居ないのに前と同じだけの選挙権がある―――おかしいですよね。これを腐敗選挙区と言います。で、これを無くした、と。
これにより地主や地方貴族が有利だったのが無くなりました。ザマアミロ。
また、産業資本家へ選挙権が拡大されます。これにより資本家達ウハウハ。利益たっぷり。一方元々得をしていた(選挙権を持っていた)地主・貴族には何の得にもなりませんでした。
ついでにこれに便乗し、労働者達も選挙権寄越せー!とチャーティスト運動を始めました。けど、盛り上がりは微妙でした。
イギリスは他国に比べ、遥かに繁栄していました。その為会社は儲かっている。労働者への待遇もそこまでは悪くありません。「……そんな急いで変える必要あるの?今の生活に満足してるよ(m´・ω・`)m?」と彼らは余りノりませんでした。まぁ、虫のいい事に景気によってそれも変動しますが。2月革命では盛り上がりました。
《経済の変化》
その1、穀物法が廃止されました。
この法律が出来たのはナポさん時代、大陸封鎖令出された時です。
イギリスではヨーロッパ(まぁ抜けがけ野郎が居ましたが)と貿易が出来なくて自給自足になります。すると矢張り儲かるのは地主や領主。ちょっと高くても買わなくちゃ他国から安いモンなんて入ってきませんからね。
が、ナポさん追放で安い穀物が再び輸入可能になりました。ヤバイです、貴族共は焦ります。自分の領で出来た物は「高いから買わね」と言われてしまい金が入らないのです。彼等は嘆きました。
「……折角の金ヅルが……」
と。という訳で、自分たちの良いように輸入穀物に高関税をかけて買わせないようにしました。
それに反対したのがコブデンさんとブライトさん。反穀物法同盟というのを作ります。彼らは資本家の味方です。安い穀物が入ればイギリス内の食料値段も下がるんじゃ→労働者に払う給料も下がるよね!って考えです。
その2、航海法が廃止されました。
こっちはもっと古く、なんとクロムウェルさん時代(16c ピューリタン革命時)から続いていました。恐るべし歴史ある国です。
イギリスではその昔、貿易には目障りな国が一つありました。それは中継貿易で利益かっさらっていくオランダです。それを止めるため、イギリス本国のか相手国の船以外は使用を禁止されていました。が、既にオランダ仲介なんてとっくの昔に終わってます。資本家達は自由な貿易による利益を求めているのです!欲しいのは自由貿易体制なのです!……そこで漸く、終了しました。200年も経ってから変えようとするなんて流石ですね。流石日本と並ぶ歴史の深い(笑)国。
そういえば忘れてました。東インド会社も独占権が無くなりました。事実上解散です。
つまり、最早この時代のは資本家の成長により彼等の意見が無視できなくなっているのです。その為、政府は自由貿易の障害除去に勤しんでいくのでした。
《二大政党》
19世紀では二つの政党が入れ替わり政権を手に入れます。片やディズレーリさんで有名な保守党。
別に保守だからといって、「法律もそのまんまでいーよなー。てか変えたくねぇ」とかはありません。ちゃんと認める所は認めて法を変えたりもします。
この通り?こちらは保守的な政策で、尚且つ対外膨張政策に勤しんでいきます。
対外膨張政策とは、植民地を「この調子で増やして行こうぜ!」的な考え方で、いい例がスエズ運河株買収とか、インド帝国の建設ですね。
このインド帝国、皇帝はなんとイギリス女王のヴィクトリアさん。彼女が兼任する事になっているといえば、支配状況は分かるでしょう。喪服のおばあちゃんが皇帝なんですって。シュールですねヽ(*´∀`)ノ
このようにイギリスを大きくしよう、という動きを大英国主義と言います。
そしてもう片方がグラッドストンさんで有名な自由党。グラッドストンさん(打ち間違え多発して「ぐらっふぉしゅてん」さんとか訳分かんない人名になりかけたwww)は国内の改革を目指しました。植民地に対しても基本は平和的外交を目指し、そんなに増やそうとはしませんでした。
小英国主義、と言うこの思想は代わりに国内をよりよくする方へ動きます。例えば教育法。義務教育を整備しました。あとは労働組合法とか。前に出た労働組合を法律として合法化します。
~フランス編~
時は19世紀、この頃のフランスを治めていた方はなんとトンデモナイ名前をしています。その名もナポ3!正式名称ルイ・ナポレオンさん(後のナポレオン3世)です!
彼はナポレオンの甥というのを売りにのし上がってきましたが、それが功を奏したのか国民投票により皇帝の座に就くことが出来たのです。これからは親の七光りならぬ叔父の七光りという事で彼の名をバンバン出します。
因みに即位してる期間を第二帝政と言い、この時ナポ3は自分の支持を保つために対外戦争に出続けます。
1、クリミア戦争
当時、ひたすら南に行きたい寒々しい国が「あったかいトコ行きたいなぁ……凍らない港欲しいなぁ……」と南下政策を実行していました。ロシアです。不凍港を目指しガンガン下へと向かいます。
戦地は黒海クリミア半島。しかしソレを阻止したいフランスとイギリス。「出張ってくんな!」と、攻め込まれたオスマン帝国を補助します。御陰で無事にロシアはすごすごと帰っていきました。
……そりゃそうですよ。当時のロシアって恐ろしく後進的なんです。具体的には帆船とかで戦争に来ます。
イギリスは勿論艦隊とかですね。あとは、食料の補給は牛とか馬とか。……恐ろしく後進的ですね。アンタ一体何時代?
2、アロー戦争
清国(現中国)で起こった戦争です。清VSイギリス・フランス。明らかに工業力が違います。勿論後者がWIN。
3、インドシナ出兵
ベトナムVSフランス。これにより勝者フランスはベトナム・カンボジア・ラオス等で仏領インドシナ連邦の基礎を築き上げました。
4、イタリア統一戦争
そのまんま、バラバラだったイタリアが統一する事の手助け?です。
詳しくはイタリアの所で説明しますが、結果を言えばフランスとイタリアの国境地域のサヴォイアとニースを獲得しました。
5、メキシコ出兵
ハッハッハ!ついにナポ3がやらかしました!メキシコ軍のゲリラ的抵抗と疫病でボロ負けして帰って来ましたよ!ナポ3の支持もガタ落ちですね!
6、普仏戦争
ビスマルクさん(ドイツ首相)の挑発に乗せられた挙句にまさかのプロイセンの捕虜にまで成り下がりましたよナポ3。よって皇帝の座を失脚します。
~イタリア編~
《サルデーニャ王国の統一運動》
当時、イタリアはバラッバラです。ちっちゃい国が集まって今の形になったので、統一していない頃はある意味イタリア、という単語を使えませんね。
その中でもサルデーニャは、オーストリアの影響を受けていました。その為、反オーストリア闘争を開始します。
国王はヴィットーリオ・エヌマエーレ2世さん。首相はカヴールさん。
この国、現イタリア国内では兎も角、フランスやイギリスには遠く及びませんでした。なので強い国に統一を手伝って欲しい。そこで考えついたのは―――
「戦争で目立つしかない」
取り敢えずクリミア戦争に出兵しました。イギリス・フランスの要請に乗りオスマン側に味方します。無事、勝てて活躍も出来ました。
そこでイタリア統一戦争を早速起こします。敵は憎きオーストリア!見方はフランス!……フランスさん、サルデーニャが強大化するのが怖くて(困るので)程々の所で手を引いて帰っちゃいました。御陰で全部の統一は無理でした\(^q^)/
しかしこれでロンバルディアを獲得しました。更に今の情勢をみたトスカナ等中部辺りが併合を希望してきて、段々と集まっていきます。この時、併合する筈の中部はフランスの影響が多々ありました。併合にもフランスのお許し(笑)が必要です。そこでお願いしたところ、何と「サヴォイアとニースくれんならいーよ」との事。
よって渡す代わりに中部は無事併合されました。
更にガリバルディさんが占領した南イタリア(両シチリア王国)をヴィットーリオ王に献上します。
これでイタリア王国の成立です!ヴェネツィアとか教皇領とかはまだ統合されてませんが、前者は普墺戦争でオーストリアが負けたとき、後者は普仏戦争でフランスが負けた時に手に入りました。
しかしこれでもまだ統合していない所(南チロル、トリエステ等)を「未回収のイタリア」と言います。
~ドイツ編~
《ドイツ連邦》
覚えているでしょうか、ウィーン議定書でドイツ連邦が出来た、という話を。
これに至るまでの(ドイツ国内?での)道のりをざっと追って行きましょう。
まず、ナポさん時代にライン同盟、というナポさん盟主の同盟が結ばれました。
内容は「神聖ローマ帝国バラせ」です。解体された神聖ローマ帝国は後のドイツに様変わりしますが、それはまぁ一旦置いといて。
同盟がナポさん衰退により解体されると元神聖ローマはドイツ連邦に変わりました。といっても小さな国々の集合体、としか言えないような水の中に入れられた油のようにバラバラな国ですけど。この中にプロイセンとかオーストリアとかも入ってますね。しかしソレを少しずつくっつけて行こうと、まずは関税同盟で関税を無くしました。
次に、フランクフルト国民議会が発足します。プロイセン中心の新しい国作ろーぜ!っていう議会です。ここでは大ドイツ主義、小ドイツ主義という物が出来上がりました。
大きいのは「オーストリアも仲間に入れてあげようよー」、小さいのは「オーストリア?いらねーよ」、という安直なものです。
この当時のプロイセン王はヴィルヘルム1世、首相は皆大好き鉄血政策のビスマルクさん。この方はドイツの統一を目指した政治家ですが、彼はこう言いました。
「今ドイツに必要なのは‘鉄’(武器)と‘血’(犠牲)である」
イコール戦争ですね。わあなんて危ない人。次々にこの鉄血政策を進めて行きます。
《普墺戦争》
ドイツの統一をめぐってプロイセンとオーストリアがドンパチやりました。
大ドイツ主義と小ドイツ主義のガチンコバトルです。
勝者はプロイセン、これにより北ドイツ連邦が成立します。前述の通り、オーストリアはハブにあっていますが代わりに内部が強化された国が誕生しました。
で、ハブかれた方はオーストリア=ハンガリー二重帝国を作ります。この国、ハンガリーがマジャール人、オーストリアがゲルマン系という事で多民族国家になっちゃいましたが、それだと内部が脆いんですよねー。んで、スラブ系のマジャール人による反抗を抑えるべく仕方なくハンガリーに自治権を与えます。つまり、オーストリアと同じ権力を与える事で民族の独立を防いだのです。
この事をアウスグライヒ(妥協)と呼びます。まんまですね。
《普仏戦争》
これによりビスマルクさんはあのナポ3を捕虜に仕立て上げました!御陰で翌年にはドイツ帝国が成立します!この国の皇帝は元プロイセン王ヴィルヘルム1世。帝国宰相はビスマルクさん。
このお二人、すっごく皮肉な事に負けたフランスの中心、彼の呪われた地である(笑)ヴェルサイユ宮殿で成立を宣言します。
なんて嫌がらせが得意な方々なんでしょうね!是非お友達になりたい類です!
~ロシア編~
ロシアは別名東欧、とも呼ばれます。港の凍っちゃう悲しい国ですね。
《皇帝専制政治》
これをツァーリズムと言います。ツァーリとはロシア語で皇帝の意味ですね。
まずはピョートル1世。17世紀の方ですが、大帝とまで言われる偉業を成し遂げた方です。西欧化政策、という要はこっちより遥かに進んだ技術を取り入れるべくサントペテルブルク、という西ヨーロッパの窓(都市?)を建設します。でもあんま報われてない。蛇口に感動して水道管知らずに持って帰ったような国に成長しますwww
次にエカチェリーナ2世。名前から分かるかな?女性です。
18世紀後半の彼女は、ポーランドを分割しました。ロシア・オーストリア・プロイセンに分けます。
これらにより多少は近代化しますが、まだ恐ろしく古い物が堂々と蔓延っています。その正体は‘農奴’です。……職業選択不可、移転の自由が無し、なあの農奴ですよ?お前ホントに何時代だよ。
《南下政策》
前述の通り、この国冬になると港が凍って使い物にならなくなります。そこで不凍港目指し地中海へ進出を繰り返すのです。
取り敢えず、いい感じの所にあるオスマン帝国を狙いました。丁度この時、オスマンってナポさんが独立・開放の機運を高めた所為でギリシアが独立しちゃって動揺、更にそれを狙ってヨーロッパが利用・干渉するという踏んだり蹴ったり殴られたりを味わっていました。しかも諸民族が独立しようといきり立っています。これらを東方問題と言います。
んで、さっきのクリミア戦争勃発です。西欧の皆さんは「オスマンには弱って欲しいけどロシアが来んのはやだなー」と、オスマン側に手を貸します。が、けっしてオスマンが強かったのではありません。ロシアが弱かったのです。帆船、馬、牛、西洋の半分の銃って、舐めてますよね?
《近代化改革》
アレクサンドル2世は思いました。「上から改革しないと遅れたまんまだよなぁ……」
という訳で、農奴を解放してみました。でも、貧しさからは解放されないのです。まずは税を軽くしてやれ。
でも、農奴から解放された事で都市で工業に取り組む人が出てきます。それにより、漸く工業化は進んで行きました。
一方下からはナロードニキ運動が流行ります。ナロードニキ、とは人民主義者の意味です。ロシアに都市が出来た事で、西欧的な教義を持つ知識人(インテリゲンツィア、もしくは都市知識人層)が発生します。するとどうでしょう。彼らから見ると
「こ れ は ひ ど い 。」
という訳で農民に現状を伝えに回ります。合言葉は「ヴ=ナロード(人民の中へ)」です。
……が、農民は金持ってる知識人より生きること―――明日の天気とか、作物の心配とか―――に意識が行っています。しかも官憲も弾圧してきて失敗に終わりました。
しっかし彼等の精神は脆かった。豆腐メンタルだったのです。無視されまくったインテリ達はニヒリズム(脅威や価値の否定。虚無主義)に走ったり、テロリズムに走ったりとまるでその辺にいる非行に走ったヤンキーのような反抗を始めてしまいました。
しかもこいつらにアレクサンドル2世殺されました(≧∇≦)/
《ロシアの南下政策とヨーロッパ》
と、いう訳で南のあったかい所で冬に船を出すという夢を捨てないロシアはまだオスマンを諦めてませんでした。露土戦争の始まりです。
しかし前のクリミア戦争では西欧に痛い目合わされましたからね。来る前に早期決着でオスマンに勝ち、サン=ステファノ条約でルーマニア・セルビア・モンテネグロを独立させた挙句ブルガリアを自治国に仕上げてロシアの保護国にしちゃいました。ブルガリアってエーゲ海に面しているんですよ!
という事で無事南下政策は終了!……と、思うでしょう?
ところがどっこい、西欧はそんなに甘くない。ドイツでベルリン会議が開かれました。露土戦争の調停ですね。仲介役は我らが鉄血ビスマルクさん。
それにより決まったベルリン条約の内容はこうです。
1、オーストリアにボスニア・ヘルツェゴビナの統治権
2、イギリスにキプロス島統治権。
3、ブルガリア縮小
……え?ブルガリア、ちっちゃくなっちゃた?エーゲ海、入んないの?(メ・ん・)?
ビスマルクさんはちゃっかり仲介やった事で名声をあげました。
ロシアは泣く泣くヨーロッパを諦め日本へやってきました。こっち来んな!
~アメリカ編~
《米英戦争》
アメリカはいつだったかイギリスから「オレ、今日から自立するから!」と言って独立したのを覚えているでしょうか?しかし残念ながらイギリスから物が送られて来ないと生活出来ないような国に成長しました。何が自立だ。
ところがこの戦争でイギリスから工業製品の一切が入ってこなくなります。そこで漸くアメリカ国内で経済的に独立できました。これを揶揄して第二次独立戦争とかも呼ばれます。
《モンロー宣言》
これはウィーン体制の時に「ヨーロッパとはギリギリまで関わんないからこっちにも来んな」って言った内容ですね。アメリカの外交方針で、孤立主義外交と言います。
《ジャクソニアン=デモクラシー》
ジャクソン大統領時代の民主主義を差す言葉です。アメリカでは勿論既に開拓されている東部のほうが発展している中、なんとジャクソンさんは西部出身の方でした。
家が貧しかった為、下の階級にも目が行くエライ方なのです。
そんな彼は、選挙権を拡大しました。白人だけに。
そんな彼は、強制移住法を発布しました。先住民に。
……先住民は指定された場に追いやられたのです。開拓の邪魔モノとして。そこに
逝くまでの辛く長い道のりは、涙の道と称されます。
《西部開拓》
後後からやって来た移民は東でボロ儲け、という事は既に出来ません。もう前例が多いですからね。という訳で、アメリカンドリーム目指し西部に開拓を進めます。
しかもこれをマニフェスト=デステニー(明白な天命)と言って西部へ向かって領土を拡大するのは神の意思であるとか自分たちの正当化まで始めちゃいます。
けど西の方って、フランス領だったんです。それをナポさんが安く売ってくれたのでソレを買い取って併合を進めました。尚、ミシシッピ川から西へ西へと攻めていくラインの事をフロンティア、と言います。
《南北の地域差》
先に北部の説明から。北部は農業が出来るほど肥えた土地が無かったため工業に走らざるをえませんでした。しかし、イギリスには到底質は追いつかない。という訳で、逆に質のいい物が入ってきたら最後、自国の物が売れなくなります。そりゃ困る、と高い関税をかけて自由に良質な物が入ってこないよう保護貿易にしました。
しかも工業に奴隷はいらないので自由州(奴隷いらないよ、っていう州)です。政治は中央集権の連邦主義。赤いアクマ的な何かがいそうな名前ですね。で、奴隷を自由にしようっていう考えの共和党が流行ってます。
一方南は肥沃な土地を利用した農業で、商品作物であるタバコや綿花を育ててました。奴隷を使いまくったプランテーションです。んで、奴隷が勿論必要だから奴隷州。
貿易も商品買ってもらって質の良い物欲しいから自由貿易。政治は州の独自性を出す州権主義で奴隷を増やせ!な民主党です。
《南北戦争》
アメリカで打ッ血KILL―――じゃなかった。ぶっちぎりに戦死者が多かった戦いです。
えーと、事の発端はリンカンさん(北部でのさばってる共和党)が大統領に当選した事から始まります。南部の皆さんはこれに
「下手すりゃ商売出来ないんじゃね?」
という考えに至り、危機感からなんとアメリカ連合国なんつーモノを結成しちゃい、更に戦争をふっかけてきます。このアメリカ連合、首都はリッチモンド、大統領はジェファソン=デヴィスとちゃんとした国らしいんですよね。
でもそれに負けるリンカンさんではありません。アメリカの一体化を目指す彼は政策で手を打ってきます。
例えばホームステッド法。ミシシッピ川より向こうで5年間公有地を開墾した者には160エーカー(の土地)をあげるよ?って内容で、西部の農民の支持を集めました。エーカーってのは、土地の単位ですね。ほら、某「はちみつがだ~い好きなんだ」って黄色い縫いぐるみが住んでるトコって、100エーカーの森じゃないですか。
あともう一つが、彼の有名な奴隷解放宣言です。
狙いが2つあって、一つは南部に住む黒人たちに反乱を起こして貰う事で内部からも外部からも瓦解させようって考え。
もう一つがアメリカ国内、及び海外にまで宣言する事で世論を見方につけようとしたんです。ほら、奴隷を救うセイギノミカタ完成(笑)国内外問わずこっちのが良さそうに見えるでしょ?でも彼、アメリカ一体化の為にやっただけだから奴隷殺して国が一体化するなら殺したと思いますよ?
で、完全に流れを北部が掴んだのがゲティスバーグの戦い。これがまた特に激戦で沢山のアメリカ人が犠牲になりました。まぁ代わりにこれ以降北が有利に進むようになるんですけどね。
でもここでの犠牲を弔うためにリンカンさんが追悼集会行います。ここで有名なセリフが「人民の、人民による、人民のための政治」です。
そしてリッチモンドも無事(?)陥落し、ついに北軍が勝利しました!
《戦後》
イギリス抜きで工業可能になり、資本主義が発展しました。大きな国土がそのまま市場になりましたからね。気付いたらイギリスを抜いて世界一の工業国ですよ。
で、解放された黒人はといえば、残念ながら「シェアクロッパー」(分益小作人)とか呼ばれていて、収入も下手をすれば3分の2持っていかれるという差別が続いていました。
で、新しい移民も入ってきます。昔はイギリス・アイルランド・ドイツ等北欧、西欧からでしたが、新移民はロシア・ポーランドからの東欧系やイタリア等南欧系、あと中国の苦力なんかが来るようになります。