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世界史A:フランス革命~ウィーン体制

『アンシャン=レジーム』


日本語訳で「旧体制」の意味を持つこの言葉は、矛盾が多くどん詰り間近なフランス革命前の時代を指します。


矛盾点を詳しく言えば、この時代は昔懐かしの封建社会(笑)を続けていました。

封建社会ってアレですよ。敵がキタ━(゜∀゜;)━!ちょ、自分達弱いんスけど領主様ヘルプミー!お代は農奴になる事で!みたいな?


……馬鹿ですよね。この時代は既に貨幣経済浸透&市民階層の経済的成長で守ってもらう必要なんて無くなって来てるんですよ。なのに市民を農耕従事とか……ハッ。


因みに身分的にはピラミッド3段で表せます。まぁ、流石に図を作るのは面倒なので文で説明しますが。

まずトップは第一身分こと、聖職者達。主に貴族出身のボンボンヤロー共です。

真ん中が第二身分こと貴族。とはいえ宮廷に属してたり地方に居たり市民上がりだったり結構バラバラです。


で、ここまでが国民全体の僅か2%しかいない免税特権者達です。特権身分ってヤツです。しかも政治にも参加できます。国の土地40%は彼等の物となっていました。ま、一応は封建なので当たり前ですが。


そして何より、面倒なのが第三身分こと平民。ここは一番素晴らしい括りにされていました。

つまり、上記二つに属さない者はここ。……金持ちのボンボンだろーが貧民だろーがここです。十把一絡げです。


要は、金持ち達はこれに怒ってた訳ですね。何で下手な貴族よりも金あんのに政治に参加出来ないんだ!と。しかもこの時代のフランス、戦争しまくって財政難真っ只中ですし。自分達からは金巻き上げてく癖にお偉いさん方からは取らなかったんでね。まぁ、それも後後に三部会という3階級合同の議会を175年振りに開いて怒りをぶつけますが。




『バスチーユ牢獄の襲撃』


これはこの当時国を収めていたルイ16世―――は、おまけで、その奥さんマリー・アントワネット含めた政治にブチギレた方々が牢獄を攻めたという内容です。


ここ、一応は政治犯用の牢だったんですよ。しかも武器が置いてあるとかの噂付き。国王の圧政、及び国王専制政治の象徴として睨まれていた場所です。……ええ、「一応」です。「噂」だったんです。事実は違います。


実際は、人なんて殆どいませんでした。見張りの兵士位です。武器なんて、ある訳ありませんでした。本が山積みな物置です。


そんな事を知らなかった彼らは容赦なく破壊活動行いましたが、これが後に革命の進展に続いていくという結果をなんとか残せてます。恐るべきノリ。この後は様々な苦難の後にナポレオンさんがやらかしてくれる方面へと続きます。




『封建的特権の廃止』


はい、ここでついに先述の封建社会(笑)が終了します。一応(笑)

国民議会が発布した内容ですがぶっちゃけ平民達の苦しさは変わらないです。


まず一つは、免税特権の廃止。今までのさばっていた貴族・聖職者達が税金払わなければならなくなりました。


二つ目は、領主裁判権の廃止。この時代、領主は自領で農民に対し、税や裁判における自由な権利を持っていました。しかしそれもこれで国王に返されます。



で、三つ目は教会十分の一税の廃止。教会を第一とするこの頃は、取れた作物の十分の一を教会に収めていました。が、金が無いのにそっちにやれるかと言わんばかりに終了しました。けど、税が高いので払わなきゃいけない金額はあんま変わんなかったと思いますね。


そして最後が地代の有償廃止。元々封建社会では、土地は領主の物を借りてる、という考え方です。しかしこれにより「買ってくれるならこの土地をキミのモノにしてあげるよ?」という制度に変えました。


……けど、そんな土地を買える程のお金持ってるなら苦しんでる訳がないだろう。

勿論マジで買った人なんて殆どいませんでした。当たり前です。




『ヴァレンヌ逃亡事件』


さて、国内が大分荒れてきた頃。流石に国王一家もヤバイと思ったんでしょう。夜闇に乗じてパリからトンズラしました。目指すはオーストリア。


元々マリー・アントワネットはオーストリア王家のハプスブルク出身です。結婚理由も仲が悪かったフランス王家のブルボン家と仲直りしよう!という意味の政略結婚だった、という話は置いておいて。


オーストリアにはこういう理由で伝手があったんです。だからそこに向かったは良いんですけど、途中で案の定ポカやって見つかってしまいパリへ逆戻り。国王には「あーあ、あのアントワネットと結婚なんてご愁傷様」という目で見ていた国民たち(少しは親しみみたいなのがあったんです。ビックリ)も、流石に冷たい目で見るようになりました。


一方、これで慌てたのは王権を持っていた国々です。下手するとこれを真似て自国でも革命が起きかねませんからね。


そこでオーストリアとプロイセンがピルニッツ宣言という王権の回復を促す命を出します。他国からの革命に対しての干渉です。が、聞く訳が無い。案の定無視されてこの翌年には王権が停止します。




『テルミドールのクーデター』


この話は大分飛びます。具体的には、ルイ16世の首と胴体が離婚してしまった後です。


当時、首を刈られた国王亡き後、ロベスピエールさんが政治を行っていました。まぁ、独裁の二文字が政治の前につくようなモンですが。反革命派の方々はもれなく愛し(笑)のルイ16世と再開が可能です。


が、それがいけなかったんですね。革命も進み、いい感じにロベスピエールさんが地代も無償廃止にしてくれた当時、農民たちは少し貧しさが軽減されてます。そんな中、実はロベスピエールさんはこんな改革を行っていました。


一つは前述の地代無償廃止。これでフランス農民は皆土地持ちです。


二つ目は最高価格令。戦争真っ只中なフランス内では経済統制が行われることになりました。が、商工業者にとっては面白くありません。儲けも減りますし。自由な商売なんて出来ません。


三つ目は理性の崇拝。こう言うとよく分かりませんが、要は今までの封建制が原因です。

アレによって、「封建社会は古い物」→「古い物は悪」→「教会は古い」→「教会も悪」という思考に辿りついた結果、キリスト教や教会を古い身分制の象徴として否定しました。


四つ目は上に関わりがある共和暦、別名革命暦。キリスト教的な暦(西暦はイエスの死亡だか誕生だかが基準ですからね)も教会のモンじゃねえか!と、新しい暦を作っちゃいました(-^〇^-)


と、ここまでが前知識。この通り好き勝手に独裁してくれた彼ですが、案の定国民に睨まれます。


睨んだのは商工業者と農民。前者は、自由な商売が出来ない為イラついています。

後者は、少し厄介な思想です。彼らは元々自分たちの貧しさを解消して欲しい故に革命に参加していました。しかし地代が浮いて自分たちは土地の所有者。現状に安堵しています。そんな中、もっとやれやれヽ(`Д´)ノと更に戦争やら何やらで革命を進め続けようとするのが約一名。


それに対し、農民たちは少し怖くなります。このまま革命が進んだら、土地が今度は皆の物になってしまうのではないか、と。そこからは連想ゲーム。


「このままじゃ自分の土地じゃなくなるかも?」→「どうすれば可能性は少なくなる?」→「うーん、やれやれ!って騒いでるお偉いさん居なくなればいいんじゃない?」→「ああ、成程!」→「手っ取り早く退場して貰うには?」→「殺せばいいんだよ!(*´∀`*)」


テルミドールさん が クーデター を おこしました。


国民公会 が 解散 しました。


ロベスピエールさん が 大好き な キリスト の 下へ 飛び立ちました。

(ゲーム風に)


こんな感じでフランスはカオスが続きます。ナポレオンさんで落ち着いたように見せかけて、更に混沌となっていきます。





『大陸封鎖令』


混乱に混乱を招くフランスの、いやヨーロッパの疫病神、ナポレオン・ボナパルトさん(後のナポレオン1世)が行った馬鹿な命令です。別名ベルリン勅令。


当時、フランスの敵はイギリスでした。イギリスの敵もフランスです。

ナポさんは彼の大国に打撃を与えたくて仕方がありませんでした。が、すでにトラファルガーの戦いでは敗戦という残念な結果を生み出してしまっています。もう一度戦争はごめんです。


さて、それじゃあどうしようかと情報統制が得意で、自分を誇張して語らせ飾らせ布教しまくってたナポさんは思いつきました。「そうだ、貿易やめよう」。思い立ったが吉日。彼は仲間内だと思い込んでいる(支配している)ヨーロッパの国々と手を取り合って(命令して)ヨーロッパとイギリス間での貿易・交通を禁止してしまいました。


ところがなんと、これにヨーロッパの皆さんは大ショックを受けます。

「輸出出来ねえ!?てか質がいいイギリス製のモンも入らねえ!?」

そしてこの御陰でナポさんは嫌われていきました。


一方、締め出されてしまったイギリスは困りました。


「あー……ま、いーや。アメリカあるし。アジアとか市場ヨーロッパ以外にもあるし」


逞しく?立ち直ったイギリスは、少々苦しいもののそこまで問題なく過ごせました。

しかも、ヨーロッパの中では仲間割れが勃発します。


「あー……まぁいっか。守んなくても」


と、ロシアが抜けがけして封鎖令破って勝手にイギリスと貿易再開させちゃいます。

これに怒ったナポさんはロシア遠征で叱り(制裁)に出かけましたが、冬将軍に負けてボロ切れのような状態で負け犬のように尻尾を振りながら帰って来ることとなるのでした。ザマアミロ。




『ウィーン体制初期』


ナポさんがヨーロッパであぐらをかいている間、彼の武勇伝によってヨーロッパ中ではフランス革命の精神が伝わっていました。自由を手に入れろ!です。


が、ナポさんが絶賛支配中。(・3・;) アルェー?自由無くね?と、フランスの属国内では不満が溜まっていきます。


しかもいい感じにその頃、属国内で国民意識が目覚めて行きました。情報操作したヤツが墓穴掘りましたね。墓穴は後後まで掘り返され続けて地球の裏まで(リアルに)到達しました。


そんな中始まったのが、ウィーン会議です。この会議はオーストリアの外相、メッテルニヒさんが中心となっていましたが、彼の有名な格言が出来るほど素晴らしい会議になりました。即ち、「会議は踊る、されど進まず」です。

流石音楽の都ウィーン、舞踏会や宴会は盛んでした。が、審議は一向に進みませんでした。


が、これが始まった頃はナポさんが失敗に失敗を重ね、エルバ島に流刑されて一年後のヨーロッパです。


つまり彼が居なくなったヨーロッパどうしよっかー?という会議だったにも関わらず、問題が発生しました。

会議開始から1年。なんとフランスの英雄が帰ってきたのです!その名もなんとナポレオン・ボナパルト!不死身の男は恥じらいなんぞ持っていなかった!刑務所代わりの島から脱出して百日天下の名の下またもや王位に就いた!


これにより各国は焦りました。また何かやらかすぞ、アイツ、と。そこで仕方なく妥協して会議は漸く進んで行きます。


ここらで、ウィーン体制の原則を書いておきましょう。


一つ、正統主義。タレーランさんはこう説きました。「フランス革命前の国境線や身分が正しいんだ!」と。


一つ、勢力均等。とはいえ、こちらは全ての国ではなくあくまでもヨーロッパの五大国が、ですが。フランス・オーストリア・イギリス・ロシア・プロイセンの五国が同じパワーバランスになるようにしよう、という考えです。


つまり、この五国が兎に角有利なように進んで行きます。


例えばこれにより決定したウィーン議定書。これの内容で有名どころを出せば、一つはフランスの反動的な内容です。当時、フランスではナポさん亡き後(セントバルナ島へ流刑にされたので恐らくまだ死んじゃいないでしょうが)後悔しまくってました。理由は↓


「……ああ、あんなヤツが皇帝になれるような隙があったからこんな事に

なっちゃったんだな」

「あの頃は良かっ……良くは無かったけどここまで面倒じゃなかったよな」

「いっそ王様時代に戻したい……」

「「それだ!」」


と、いう経緯でブルボン朝が復活しました。これにより再び貴族連中ものさばってきます。因みに王様はルイ18世。ついでに二代目はシャルル10世。このお二人はウィーン革命崩壊時にまた出てきます。


二つ目はプロイセンより。ここではドイツ連邦、という多数国家から成る国家連合が成立しました。まぁ、プロイセンよりとか書いてますがオーストリアの一部とかも入ってます。ただし、本音国にした意味あるの?と言いたい位バラバラな国でした。でも神聖ローマ時代からこの辺ずっとそんなんでしたね。


で、こんなかんじにヨーロッパがちょくちょく連携している間に二つの同盟が出来上がりました。

片方は神聖同盟。ロシア皇帝のアレクサンドル一世が提唱したものですが、これはあまり強い結びつきはありませんでした。ただ同じキリスト教信じてる者同士仲良くしようぜ!みたいな精神的同盟です。


しかしもう片方はそこそこ強い繋がりになりました。その名も四国同盟。イギリス・ロシア・オーストリア・プロイセンが連携したウィーン体制の強化です。後にフランスもプラスされて五国同盟に変わります。




『ウィーン体制の動揺』


明からさまに崩れそうな予感がバリバリだったウィーン体制も、案の定異物に耐え切れなくなって崩壊のカウントダウンを始めました。理由としては、ラテンアメリカとギリシアです。


当時、ラテンアメリカは白人(混血はアウト)がその他民族を支配する、というのが続いていましたが、ナポさんが侵入してきたり、イギリスの外相カニングさんが市場目的で支援したり、アメリカ大統領モンローさんがモンロー宣言というヨーロッパには基本的に関わんないよ(これを孤立外交主義と言います)という内容を発表したりしたため、どんどん独立していきます。まぁ、フランス革命前とは変わっちゃいますよね。色んなモノ。


で、ギリシアの方がもっと面倒です。この頃ギリシアはオスマン帝国(イスラム教です)の領土でした。ですがだんだんと独立しようとします。そりゃそうです。ギリシアはキリスト教。宗教が違えば思考も違いますから。


そこで他国に独立したいよー、手伝っておくれよー、と言わんばかりに戦争していきます。するとどうでしょう。ヨーロッパの文化はギリシア発祥の物ばかり。よし、あのギリシアなら手伝おうぜ!と援助支援が届き、無事に独立出来ました。


……これもフランス革命前とは変わっちゃいますよね。結果、段々と積み重なって痛手が増え、ガラガラと体制も崩れていきます。




『ウィーン体制の崩壊』


おめでとうございます!ナポさんによってさんっざん引っ掻き回されたこの体制もついに瓦礫に変わりました。


《七月革命》


まず第一は七月革命。フランスで起きた革命です。王様は先程出てきたルイ18世(因みに私、ルイ17世が誰か知りません。いるんですかね?)そして問題が起きた時に王位に就いていたのがシャルル10世。

当時またもやバラバラになってたフランスでは、国民を一つに団結させるためにアルジェリアに出兵していました。相変わらず戦争大好きです。ついでにウザったい貴族様方が復古してのさばってます。

言論・出版も規制されてしまいました。ナポさん2号防止の為です。


が、それがいけなかった。


締めつけにブチギレた国民が革命を起こし、王様を引きずり下ろし違う王様を王位に就けます。その名もルイ=フィリップ。この人はブルボン朝出身ではないため、オルレアン朝と呼ばれます。この人はやっぱりナポさんの二の舞を防ぐ為に選ばれました。貴族だったけど、自由主義だからヘーキじゃね?みたいな決め方です。


しかしそうは問屋が卸さない。国民に‘フランス国民の王’を望まれて王位に就いたこの人、お金稼ぎに夢中になって終いには‘銀行家の王’とか呼ばれるようになります。


ついでにこの七月革命の影響(ヨーロッパ全体)は、


・ベルギー、オランダから独立。

・ポーランド、ロシアに反乱。

・ドイツ関税同盟結成。(ドイツ連邦内のオーストリア、プロイセン、他小国で経済的統一を目指し、今回は関税をなくしました)


です。




《二月革命》


七月革命から18年後、再び国民たちはブチギレます。七月王制では制限選挙が行われていてまたもや金持ちばかりが得をする。


イギリスからは産業革命が始まって中小の資本家・労働者という新しい階級が発生する。しかも選挙権は相変わらず無し。労働者たちは自分達にも選挙権を!と上の方々にお願いしました。それに対して首相のギゾーさんはこう言いました。


「金持ち以外の選挙権は断る」


……そりゃ怒りますよね。案の定革命→第二共和政という流れが出来上がりました。


で、こちらの影響は↓

・ウィーン三月革命(これによりウィーン会議の中心メッテルニヒさんは亡命せざるを得なくなりました)

・ハンガリー、コッシュートの乱(ハンガリーはマジャール人と、オーストリアとは民族が違ったのです)

・プロイセン、ベルリン三月革命

・ドイツ連邦、フランクフルト国民議会(ドイツの統一目指して議論。片やオーストリアもドイツに入れようぜ!と言う大ドイツ主義、片やあんなところ居るか!と言ってた小ドイツ主義。勝敗は、後者がWINNER)


これらを‘諸国民の春’と言い、ナショナリズムが進みました。




《1848年のまとめ》


・自由主義が増え、これに基づいて資本主義国家が確立

・ウィーン体制の反動者VS自由主義者の消滅(代わりに資本家VS労働者が出来ました)

・ウィーン体制では禁止されていたナショナリズムの活発化


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