世界史B:インダス文明~東南アジアのインド化
【インダス文明】
インド亜大陸は北はエベレスト、南は海によって孤立した地域です。カイバル峠が海でしか外と交流出来ません。
前2300年頃のドラヴィダ人?系の先住民による建設物が発掘されました。代表的遺跡はモエンジョ=ダーロとハラッパー。都市は計画的に建築され、排水整備、碁盤目状の道路(あー、平安京みたいな?)、穀物貯蔵庫、沐浴場(体を清める宗教的行為です。沐浴って)などきちんとしていて、焼き煉瓦造りなんてのもしてる中々に良い都市です。青銅器を使用し、未解読のインダス文字を使っていた高度な文明ですが前1800年頃から衰退していきました。理由はカイバル峠からアーリア人が侵入した事と、木を伐採し過ぎてインダス川が反乱(水の勢い止めるものありませんから)した結果の環境破壊です。
なんだか現代人がやってる事みたい(-_-;)
【ヴェーダ時代】
前15C~前6Cの事を経典の名前からヴェーダ時代と呼びます。この時代になると先程書いたようにインド=ヨーロッパ語族のアーリア人がカイバル峠から侵入し、インド北西部のパンジャーブ地方(現パキスタン。因みに今はカシミール地方を取り合ってインドと凄く仲が悪いです)に定住、しかし前1000年頃にガンジス川流域に更に進出して来ます。戦いが増えた影響でか鉄器を使う様に。で、当時出て来た宗教が自然神の崇拝、要は経典としてヴェーダが形成されました。最古の物はリグ=ヴェーダと言われます。
で、これに書いてあるのがカースト制の元、ヴァルナ制。バラモン(司祭)クシャトリア(武士)ヴァイシャ(農民・牧畜民・商人)シュードラ(奴隷民)に分けられ、この階層を隔てた結婚は禁止、という鬼制度ですが、後に更に下の不可触民なんてのも出て来ます。あとカーストってのはヨーロッパ勢がやってきた後、ポルトガルで出来た言葉だったりします。イギリスに支配されてる間に定着しました。
【新宗教の成立】
前6~前5Cの事です。コーサラ国、マガダ国など強大な都市国家が成立した事でクシャトリア・ヴァイシャの地位が向上し、段々とバラモンの支配へいちゃもんつける人々が増えて来ます。そんな中で出来たのが仏教。ガウタマ=シッダールタさんが悟り開いて開祖となりました。彼、一応シャカ族の王子だったのに。バラモン教の祭式を鼻で笑い(嘘です)、ヴァルナ制を否定するなど当時は一体どんな扱いを受けたんでしょうか。
えーと、仏教は私明るくないんですが、八つの正しい修行という意味のまんま、八正道による輪廻の苦しみから解脱する事(涅槃、とかニルヴァーナとか言います)が真の目的?でクシャトリアから指示を受けました。あと同時期に出来たのがジャイナ教。ヴァルダマーナ(マハーヴィラとも)さんが開祖で、極端に不殺生・苦行を説くマゾ宗教でもあります。動物殺せないから商人が多く、農業や牧畜をやる人は少ないんだとか。……この宗教が国教になったら食べ物どうするんでしょう?今4千人位居るんですが。当時は主にヴァイシャに受けたとか。
あとはウパニシャッド哲学(奥義書)とかもありますね。バラモン階級内部の改革運動として。祭儀より知識・思索に重点を置く少し真面になったバラモン教の結果です。
【マウリア朝】(前317頃~前180頃)
チャンドラグプタ王がマガダ国(ナンダ朝)を倒して創始した王朝です。首都はパータリプトラに置かれ、初めてガンジス・インダス川周辺までを統一した国でもあります。最盛期はアショーカ王(位前268~前232)で、南端を除くインド亜大陸を統一することに成功。大規模な戦争を行いカリンガでは大きな犠牲を出してしまった為、仏教の教えであるダルマ(法)に基づいた政治の中で各地に摩崖碑や石柱碑、仏塔を建てました。
あとは第3回仏典結集なんてのもやってまして、仏の教えが間違って伝わらないように仏典の編纂に勤しみました。その教えをセイロン島(現スリランカ)に布教させる為王子(要は息子)を送った方でもあります。おかげでこの後上座部仏教の中心地となりました。
【クシャーナ朝】(1~3C)
イラン系のクシャーナ族がインダス川流域に進出し、北西インドに建設した王朝です。首都はプルシャプラ、最盛期はカニシカ王(位130頃~170頃)です。中央アジア~ガンジス川中流域を支配し、インド?と今では言いたくなる土地ではあった物の東西交易の要所を抑え、国際性豊かな文化を築いたりしてます。この人も仏教好きで第4回仏典結集で仏教を保護してます。
また、この国際的な文化の象徴として挙げられるのはガンダーラ美術。1~2C前半に出来た仏像作りなんですが、当時は仏の姿を像にするなんて……!と偉大過ぎて出来なかった所業を、ギリシア+オリエントの文化であるヘレニズムに感化され、神を彫刻にする文化と混ざり合い、気付いたら仏像作る習慣が出来ました。しかしこんな国も3Cにササン朝ペルシアが攻撃してきた事で衰退・滅亡してます。
【大乗仏教の興亡】
菩薩信仰に基づくあらゆる人(=民衆)が救済されるというのが特色な大乗仏教。中国・チベット・朝鮮・日本方面に広まったので北伝仏教とも言われます。2C頃、ナーガールジュナ(竜樹)が教義を大成しました。
【南インド】
南インドはインド南端部からデカン高原までの事を指します。ここには別名タミル人のドラヴィダ系民族が住み着き、王朝を開いていました。主なのはサータヴァーハナ朝(アーンドラ朝)とチョーラ朝、パーンディア朝。始めのは多少細かい説明入れます。首都をプラティシュターナに置いたここは南インドの諸王朝なら大抵行っている、ローマ・東南アジアとの季節風を利用した海上貿易で栄えました。時期的にはクシャーナ朝と被ります。あとこの頃の特徴は日本でお馴染み仏教と、生命様を絶対殺すな道なんて裸足で歩けマスクと箒は持っててJK!なジャイナ教が伝わってきました。
【グプタ朝】(320頃~550頃)
次はグプタ朝に。チャンドラグプタ1世が建国して、首都はパータリプトラ。最盛期はチャンドラグプタ2世で(4~5C頃)彼の時に北インドが統一されました。この時にインドの伝統的文化が定着し、純インド的と言われるようなものに落ち着きました(マウリア朝の文化辺りを取り入れてます)。東晋から法顕さんが来朝し(彼は中国帰ってから『仏国記』を書いてます。行きは陸路、帰りは海路で帰りました)チャンドラグプタ2世さんは中国では「朝日王」なんて呼ばれました。統治体制は中央部の王国直轄領、服属した支配者の統治地域、貢納する周辺の属領に分かれます。
しかしそんな国も異民族が侵入した事で西方との交易に大打撃を受け、エフタルの侵入によって滅亡しました。
【ヴァルダナ朝】(606~647)
古代インド最後の統一王朝で、統一者はハルシャ=ヴァルダナ王(606~647)別名が戒日王。都はカナウジに置かれました。この人一大限りの王朝ですが、ヒンドゥー教や仏教を保護しています。又唐との交流があって西遊記の三蔵法師の元、玄奘さんが訪れ「大唐西域記」書いたり7C後半に海路で義浄さんが(ヴァルダナ朝滅亡後に)来印してたりします。彼は「南海奇帰内法伝」を書いてます。
で、ハルシャ王が死んだら国内で内紛が起きそのまま滅亡、ラージプート(王の子)時代と呼ばれる8~13Cと5Cに渡る長い分裂時代に入ります。もうこの時代、クシャトリアの子孫だと主張する人が多くて……(;´Д`)
【東南アジアの風土】
大陸部(インドシナ半島)と諸島部(島+マレー半島)に分かれる此処は中国(政治面で乗っ取られる事多い)とインド(文化が交易を通じて広がった。主に宗教)の影響を色濃く受けています。気候は熱帯から亜熱帯と雨が多く、稲作なので主食は米です。基本の文化をドンソン文化と呼び、ベトナム北部で前4Cに流行ったコレから伝わって行きます。1Cまで続いたこの文化、特徴的なのが権力の象徴とされた銅鼓で、中国南部~東南アジア各地で見つかりました。
【ベトナム】
北部は中国の文化の影響が強いです。前2Cに前漢の武帝が交趾郡、日南郡等南海九郡と呼ばれる郡を設置しますが1C(ドンソン文化衰退期)に後漢の光武帝時代、徴姉妹が独立目指した反乱起こしました。それは鎮圧されてしまいますが未だにベトナムの民族的英雄扱いされてるとか。
で、10Cまで中国の支配が続きますが11Cには李朝大越国(1009~1225)なんていう最初の長期王朝(首都は現ハノイ)が出来ました。ハノイの中国名は昇竜です。しかし13C陳朝大越国(1225~1400)になると3度に渡り元軍が攻めて来る事に。しかしそれらを退けた挙句、外国の支配が多い中でベトナム人意識を強める事に成功。漢字を元に字喃という文字を作成し、史書『大越史記』を編纂します。
でもまた15Cになると胡朝(1400~1407)から明の支配へ移り(当時永楽帝)、黎朝(1428~)になっても明からの支配が続きます。中部の説明はいらないから割愛(書く物が無い)(-_-)
【東南アジアのインド化】
こっちは主にカンボジアの話です。1C末にクメール人(?)がメコン川下流域に扶南(1C~7C)を建国しました。この国の特徴が海上交易で繁栄した港市国家という事。港市国家ってのは、海に囲まれている為に水上交通の要所(まぁ船が止まりやすい所?)に町が出来(規模も大小様々)、国=島々、領域=海、という変わった都市です。中国やヨーロッパとも関わりが有り、オケオ遺跡ではローマ金貨、ヒンドゥーの神像、間の青銅鏡が出土してます。ホント色んな所過ぎるだろ。
で、真臘(漢字出すのが大変だった(-“-))が出来たのが6C~15C。クメール人がメコン川中流域に(扶南を滅ぼして)建国した此処はヒンドゥー教の影響が濃いです。8Cに分裂した後、アンコール朝に9Cに統一されました。アンコールって言うのは勿論あのヒンドゥー寺院のアンコールワットと繋がってす。……まぁあそこ途中から上座部仏教の寺に転用されたんですけどね(16C)




