第七章 晩年-最後の風
窓の外で、風が吹いていた。
白いカーテンがゆっくり揺れている。
その動きを、カイドウ・ミナモはベッドの上から静かに見ていた。
ここは老人ホームの一室だった。
白い壁。
小さな机。
窓の外の庭。
庭の向こうには、空が低く広がっている。
ミナモは八十七歳になっていた。
体はもうほとんど思うように動かない。
歩くことも難しい。
手も少し震える。
でも、不思議と心は穏やかだった。
⸻
ミナモは目を閉じる。
長い人生だった。
転校した小学校。
鳥居の見える公園。
ブランコ。
赤と黄色のかざぐるま。
あの少女。
高校の初恋。
東京での一人暮らし。
仕事。
リョウとの結婚。
ハルカの誕生。
家族の時間。
そして
リョウの死。
人生は
長かった。
でも
振り返ると
まるで風が通り過ぎたみたいだった。
⸻
最近、ミナモはよく夢を見る。
風の夢。
かざぐるまが回る夢。
くるくる。
くるくる。
その音を聞くと
胸の奥が温かくなる。
⸻
その日も風が吹いていた。
カーテンが揺れる。
窓の外の木の葉が揺れる。
ミナモはゆっくり目を閉じた。
そのとき。
くるくる。
くるくる。
懐かしい音が聞こえた。
ミナモは目を開けた。
窓の前に
少女が立っていた。
小学四年生の頃と同じ姿。
同じ髪。
同じ目。
同じかざぐるま。
ミナモは少し笑った。
「遅いよ」
少女も笑った。
「久しぶり」
ミナモはゆっくり息を吐いた。
「やっと来たね」
少女は首を傾げる。
「待ってた?」
ミナモは小さくうなずいた。
「うん」
少女はベッドの横に立った。
相変わらず
触れられない距離。
ミナモは言った。
「長かった」
少女はうなずく。
「うん」
ミナモは窓の外を見る。
風が吹いている。
「でも」
ミナモは少し笑った。
「悪くなかった」
少女も笑った。
「そうだね」
⸻
ミナモは少女を見る。
「ねえ」
少女は首を傾げる。
「なに?」
ミナモは聞いた。
「私の人生」
少し間を置く。
「ちゃんと回ってた?」
少女はかざぐるまを見せた。
風が吹く。
くるくる。
くるくる。
少女は言った。
「うん」
ミナモは安心した。
胸の奥が軽くなる。
⸻
ミナモは少し黙ってから言った。
「ねえ」
少女を見る。
「なに?」
ミナモは言う。
「私、死ぬの?」
少女は静かに答える。
「うん」
「怖い」
少女は黙って聞く。
ミナモは続ける。
「死ぬの」
声はとても小さかった。
少女はしばらく何も言わなかった。
それから静かに言った。
「大丈夫」
ミナモは目を閉じる。
「一人で死ぬの
怖い」
少女は言った。
「一人じゃない」
ミナモは少し笑う。
「誰もいなくなったよ」
少女は首を振った。
「違う」
ミナモは目を開ける。
少女は言った。
「人はね
一人で終わらない」
ミナモはその言葉を静かに聞いた。
意味は分からない。
でも
胸の奥で
何かがほどけた。
⸻
少女が手を差し出した。
「次は」
少女は言う。
「あなたの番よ」
ミナモはゆっくり手を伸ばした。
そして
少女の手に触れる。
今度は
すり抜けなかった。
ミナモは驚いた。
「……さわれる」
少女は笑った。
「うん」
ミナモの目から
涙が少し流れた。
「やっと」
少女が言う。
「やっとだね」
風が吹く。
かざぐるまが回る。
くるくる。
くるくる。
ミナモは少女の手を握った。
暖かかった。
とても懐かしい温度だった。
⸻
ミナモはゆっくり目を閉じた。
そのとき
胸の奥に
あの公園の風が吹いた気がした。
鳥居。
夕焼け。
ブランコ。
そして
最初のかざぐるま。
⸻
それが
カイドウ・ミナモの
最後の夜だった。
続く




