第一章 転校-初めての風
カイドウ・ミナモがその子に初めて会ったのは、
転校して三日目の帰り道だった。
その出会いが、ミナモの人生を何度も静かに動かしていくことになる。
けれどそのときのミナモは、そんなことを知るはずもなかった。
ただ一つだけ、奇妙なことがあった。
その子には――
触れることができなかった。
⸻
四月の終わり。
転校というのは、思っていたよりも静かな孤独を連れてくる。
小学四年生の教室。
ミナモは黒板の前に立っていた。
担任の先生が言う。
「今日からこのクラスの仲間です」
拍手が起こる。
ぱちぱちぱち。
音は聞こえる。
でも、その拍手はどこか遠かった。
まるでガラス越しに聞いているみたいだった。
「自己紹介してくれる?」
ミナモは小さくうなずく。
「……カイドウ・ミナモです。よろしくお願いします」
それだけ言って席に戻る。
教室はすぐにいつもの空気に戻った。
笑い声。
鉛筆の音。
机を引く音。
すべてが
完成している世界
のように見えた。
そこにミナモの席だけが
ぽつんと置かれている。
そんな感じだった。
⸻
昼休み。
みんな校庭へ走っていく。
ミナモは窓から外を見ていた。
ドッジボール。
鉄棒。
ベンチで笑う女子。
誰もミナモを嫌っているわけじゃない。
でも
誰もミナモを必要としていない。
それだけで
胸の奥が少し重くなる。
⸻
帰り道。
夕焼けが坂道を赤く染めていた。
影が長く伸びる。
ミナモの影は一つ。
靴の音が静かに響く。
坂を下りると、小さな公園がある。
ブランコが二つ。
ベンチが一つ。
そして
公園の奥には
大きな神社の鳥居が見える。
夕焼けの空の中で
鳥居は黒い影のように立っていた。
ミナモはなんとなく公園に入る。
ブランコに座る。
足で地面を蹴る。
前へ。
戻る。
また前へ。
それだけで
少しだけ胸の重さが軽くなる。
そのとき。
地面に赤いものが落ちているのが見えた。
しゃがむ。
それは
かざぐるまだった。
赤と黄色の羽。
風に吹かれて
くるくる回っている。
「それ、きれいだよね」
声がした。
ミナモは振り返る。
公園の入口。
鳥居の方から
一人の女の子が歩いてきていた。
ミナモと同じくらいの年。
でも
服が少し変わっている。
昔の子供みたいな服だった。
その子の手にも
同じかざぐるまがあった。
風が吹く。
くるくる。
くるくる。
二つの風車が回る。
少女はブランコに座った。
「転校生でしょ?」
ミナモは驚いた。
「なんで分かるの?」
少女は少し笑う。
「寂しそうだから」
胸の奥が少し痛む。
ミナモは少しむっとした。
「そんな顔してた?」
「してた」
少女はあっさり言う。
そして風車を回す。
くるくる。
くるくる。
「かざぐるまはね」
少女が言った。
「風がどこにいるか教えてくれる」
ミナモは首をかしげる。
「風?」
少女は空を見上げる。
「見えないでしょ?」
「うん」
「でも、ここにいる」
風が吹いた。
かざぐるまが回る。
くるくる。
くるくる。
ミナモは少し感心した。
確かに。
風は見えない。
でも
風車は回る。
⸻
ミナモはなんとなく少女の手を取ろうとした。
理由はない。
ただ
なんとなく。
手を伸ばす。
そして――
すり抜けた。
「……え?」
ミナモは固まる。
少女は笑った。
「びっくりした?」
ミナモは慌てて手を引っ込めた。
「触れない!」
少女は風車を回す。
くるくる。
くるくる。
「なんで!?」
少女は風車を回す。
くるくる。
くるくる。
「まだだから」
「まだ?」
「うん」
「なにが?」
少女は少し考える。
それから言った。
「そのうち分かる」
ミナモは納得できない。
でも
怖くはなかった。
むしろ
少し安心していた。
「そういうものだから」
その答えは
まるで風みたいだった。
⸻
それから少女は
時々現れるようになった。
毎日ではない。
でも
ミナモが一人で帰る日に限って
その子は公園にいた。
⸻
学校でも
少しずつ変化が起きていた。
隣の席の女の子。
ミドリ。
ミドリが消しゴムを落とした。
ミナモは拾って渡す。
「ありがとう!」
ミドリが笑った。
その笑顔を見たとき
胸の奥が少し温かくなる。
次の日。
体育の時間。
並ぶ場所が分からず立っていると
前の子が言った。
「ここだよ」
それだけ。
それだけなのに
胸の奥が軽くなる。
ある日。
ミナモはミドリと帰るようになった。
その次の日
アヤも加わった。
三人で帰る。
笑いながら。
話しながら。
影が三つ並ぶ。
その帰り道。
ミナモはふと公園を見た。
ブランコ。
ベンチ。
鳥居。
でも
少女はいなかった。
ミナモは少し立ち止まる。
(今日は寂しくないからかな)
そう思った。
少しだけ
胸が温かくなる。
⸻
その夜。
机の上にかざぐるまを置く。
窓から風が入る。
くるくる。
くるくる。
ミナモは小さく言った。
「ありがとう」
風が吹く。
かざぐるまが回る。
まるで
返事みたいだった。
⸻
それからしばらくして
ミナモは少女を見かけなくなった。
でも
ミドリとアヤと笑って帰るようになった。
影が三つ並ぶ。
夕焼けの坂道。
公園の奥には
大きな鳥居が見える。
風が吹く。
かざぐるまが回る。
くるくる。
くるくる。
ミナモはまだ知らない。
この風が
何度も
人生を動かしていくことを。
そして
あの少女が
人生の節目で
何度も現れることを。
続く




