第7話 賢者の判断には、時間が必要です
賢者の朝は、だいたい他の人より少し遅い。
「修造さん、そろそろお薬いきましょうか」
そう声をかけても、すぐには返事が来ない。
彼は今、考えている。
何を、というほどのことでもない。
ただ、頭の中で順番を整えているだけだ。
「……確認したい」
「どうぞ」
私は急かさない。
急かしたところで、早くはならない。
テーブルの上に並ぶ、朝の内服。
一包化された薬。
コップの水。
「これは、震えを抑える術だな」
「そうですね」
「これは、動きを円滑にする」
「はい」
「量は、適切か」
「主治医確認済みです」
しばらく黙る。
新人職員が、少し不安そうに立っている。
「主任、時間が……」
「大丈夫」
私は小さく手を振った。
「今、作戦会議中だから」
新人は頷いた。
最近、この説明で納得するようになってきた。
薬を口に運ぶまでに、さらに時間がかかる。
手の震え。
スプーンの角度。
集中。
落ちそうで、落ちない。
途中で止まる。
「……待て」
「はい」
「今は、違う」
「分かりました」
誰も困っていない。
ただ、時間だけが進んでいる。
ようやく一包目が終わる。
「次だ」
「はい」
午前中は、リハビリの時間もある。
「修造さん、今日は歩行練習です」
「承知している」
立ち上がるまでに、また時間がかかる。
すくみ足。
一歩目が出ない。
「……今だ」
出ない。
「……いや、まだだ」
理学療法士は、黙って待つ。
三十秒。
一分。
「……今だ」
今度は出た。
「よし」
たった一歩。
それだけで、彼は満足そうだった。
リハビリ室の隅で、
勇者が腕を組んで見ている。
「遅いな」
「必要な時間です」
私は即答する。
「急げば、早くなるわけじゃありません」
「……そうか」
勇者はそれ以上言わなかった。
聖女が、少し安心したように微笑む。
「ちゃんと、考えてるのね」
「常にだ」
戦士は、短く言った。
「……待つのは、慣れている」
それで、この場は落ち着いた。
昼前、居室に戻る途中。
修造さんが、ぽつりと呟く。
「時間をかけられるのは、守られている証だ」
「そうですね」
「前は、そうはいかなかった」
私はそれ以上、聞かなかった。
記録にはこう書く。
「内服自己理解あり。
動作緩慢だが、判断力保たれている」
それで十分だ。
世界は救われなかった。
でも、薬は全部飲めた。
賢者としては、
今日はそれで、勝ちなのだと思う。
動作が遅いことは、
できないこととは違います。
賢者回では、
「待つこと」そのものがケアになる場面を書きました。
急がせない。
奪わない。
判断の余地を残す。
それだけで、
その人は「役割」を保てます。
世界は救われていませんが、
一歩は、ちゃんと前に出ました。
それで十分な一日でした。




