第5話 入浴は転送陣を使います
入浴日は、現場の空気が少しだけ変わる。
予定表を見た瞬間に、
「今日は腰が重いな」と思う職員が増える。
「主任、今日、あの部屋入浴ですよね」
「うん」
「……四人全員?」
「全員」
逃げ場はない。
脱衣所は、戦場に一番近い。
湿度、音、匂い、動線。
全部が混ざると、判断を誤りやすい。
「では、順番にいきますね」
私は声をかけながら、リフト浴の準備を進める。
最初は、水野澄江さん。
立位不可。
筋力低下。
手指変形。
「澄江さん、これから入浴です」
「……転送?」
「はい、転送です」
リフトシートを敷くと、
彼女は少し緊張した顔で天井を見上げた。
「光の中に、入るのね」
「安全に移動します」
「……聖なる装置ね」
否定しない。
吊り上げられた瞬間、
カーテンの向こうから声が飛ぶ。
「聖女を先に通すのか」
桐原正志さんだ。
「はい、順番です」
「守りは?」
「私がいます」
「……なら、いい」
納得が早いのは助かる。
澄江さんは、湯に浸かると小さく息を吐いた。
「……あたたかい」
「はい」
「回復していく感じがするわ」
それは、血流です。
次は、岩本忠夫さん。
右片麻痺。
ほぼ全介助。
「忠夫さん、入りますよ」
「……盾は」
「今日は使いません」
「……分かった」
左手だけで、リフトシートを握る。
「……落ちないな」
「落ちません」
「……信頼できる」
最大級の賛辞だ。
湯に入ると、
彼はしばらく目を閉じた。
「……守り切ったな」
「今日もです」
次に控えていたのが、賢者。
「修造さん、いきます」
「理論上、この装置は――」
「安全です」
「分かっている。ただ、確認を……」
吊り上げられる途中も、説明は続く。
「重心が――」
「安定しています」
「揺れが――」
「仕様です」
湯に入るまで、三分。
入ってからも、三分。
「……なるほど」
納得するまでが長い。
最後に、勇者。
導尿バッグを確認する。
「これは?」
「そのままです」
「戦闘中も外さなかったな」
「今も外しません」
リフトに乗る前、
彼は一瞬だけ真剣な顔になった。
「全員、通ったか」
「はい」
「欠けはないな」
「ありません」
それを聞いて、ようやく身を預けた。
湯に入ると、肩まで沈む。
「……悪くない」
「良かったです」
「だが、少し浅い」
「溺れ防止です」
「……なるほど」
入浴が終わり、
四人が再び同じ部屋に戻った頃。
澄江さんが、ぽつりと言った。
「今日は、全員戻ってきたわね」
「はい」
忠夫さんが、小さく頷く。
「……転送、成功だ」
修造さんが、静かにまとめる。
「全工程、問題なし」
桐原さんは、満足そうに目を閉じた。
「次も、この陣でいこう」
「毎週です」
脱衣所を片付けながら、
若い職員が言った。
「主任……あの装置、本当に転送陣みたいですね」
「そう見える?」
「はい」
「じゃあ、成功」
世界は今日も救われなかった。
でも、全員、無事に湯から戻った。
入浴としては、大勝利だ。
入浴は、介護の中でも一番「全員でやり切った感」が出る時間です。
準備が八割、あとは流れを崩さないこと。
作中のリフト浴や声かけは、
少し言葉を置き換えているだけで、手順自体は現場そのままです。
怖がらせない。
急がせない。
全員が戻るところまで確認する。
それができれば、入浴は成功です。
世界は救われていませんが、
転送は毎回、無事に完了しています。
それで十分な一日でした。




