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異世界帰還者(本物)、認知症扱いで特別養護老人ホームにまとめて入居しました ~勇者・聖女・賢者・戦士、全員要介護4以上です~  作者: 月白ふゆ


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第32話 聖女は、境界線を越えて戻る

電話が鳴ったのは、

夜勤が一番落ち着く時間だった。


時計を見る前に、

分かってしまう。


これは、あの番号だ。



「はい、○○特養です」


相手は、同じ病院の看護師だった。


声のトーンが、

ほんの少しだけ違う。



「水野澄江さんですが」


一拍。


「今朝方、血圧が持ち直しました」


その一言で、空気が変わる。



「昇圧剤への反応が出ています」

「……はい」

「感染反応も、ピークアウト傾向です」


ピークアウト。

下り始めた、という意味だ。



「まだ油断はできませんが」

「分かっています」

「峠は、越えたと判断しています」


その言葉は、

昨日までの“山”とは違う重さを持っていた。



電話を切ってから、

私はすぐに記録を入れる。


「病院より連絡。

 血圧持ち直し。

 感染反応ピークアウト傾向。

 峠越えと判断」


短い文。

でも、現場にとっては十分だ。



四人部屋の前で、

私は立ち止まる。


勇者が、こちらを見る。

「……どうだ」

「越えました」


「山か」

「はい」


一瞬だけ、

勇者の肩が落ちた。


力が抜ける、という落ち方だった。


賢者が、静かに確認する。


「条件付きだな」

「はい。

 回復過程に入りました」


「戻る可能性は」

「現実的になりました」


戦士は、短く。

「……よし」


それだけ。



昼前、

病院からもう一度連絡が入る。


「意識レベル、改善しています」

「言葉は?」

「短いですが、出ています」


短い言葉。

それで十分だ。



午後。


私は、澄江さんの居室に行った。


何も変えていない部屋。


ベッドも、

コップも、

そのまま。


私は、そこで一度だけ言う。


「戻る準備、しますね」


誰もいない部屋に向かって。



夕方。


三人は、久しぶりに

少しだけ食事のペースが戻っていた。


勇者が言う。

「……聖女は、

 無理をしすぎた」

「そうかもしれません」


「戻ったら、

 今度は俺たちが支える」

「現場的にも、助かります」


賢者が続ける。

「役割の再定義だな」

「介護的にも、そうです」


「固定は、崩れるためにある」

「いい言い方ですね」


戦士は、

箸を置いて言った。

「……帰還後は、

 前線じゃなくて後方だ」

「配置転換ですね」


「……そうだ」



夜。


もう一度、病院から連絡。


「本日中の急変リスクは、下がりました」

「ありがとうございます」


「このままいけば、

 数日後に施設復帰の相談ができそうです」


“相談”。


その言葉が出た時点で、

もう一度、線を越えている。



私は夜勤への申し送りに書く。


「水野さん、峠越え。

 回復過程。

 復帰に向けた準備開始」


それだけでいい。



消灯後。


居室の前を通ると、

勇者の声がした。

「……席は、まだ空けておけ」

「もちろんです」


賢者が言う。

「帰還には、段階がある」

「現場も、段階で受けます」


戦士が、低く。

「……待つのは、得意だ」



私は、もう一度だけ

居室を見た。


ここは、

“戻る場所”だ。



世界は救われなかった。

奇跡も起きていない。


でも、

境界線は越えた。


越えたあとは、

急がない。


戻る道は、

ゆっくりでいい。


それを知っている場所がある。


それが、

この現場だ。

あとがき


少しだけ、現実の話をします。


先日、うちの入居者さんが

発熱し、SpO₂(サーチ)が70台まで落ちて

救急搬送になりました。


同行した看護師が戻ってきて、

第一声が

「……あれ、半分死んでたよ」

でした。


顔色は土色、反応も乏しく、

正直「戻らないかもしれない」と

現場全員が思ったケースです。



それが、

2週間後に退院。


しかも、


・ADL(食事・移動・排泄)変化なし

・認知機能もほぼ以前通り

・施設生活にそのまま復帰


90代女性です。


奇跡、というより

「高齢者の回復力、舐めるな」

という話だと思っています。



この話を書いたのは、

「良くなったらすごい」

と言いたいからではありません。


むしろ、


・ギリギリでも踏ん張る人がいる

・戻る人は、ちゃんと戻る

・だからこそ、決めつけてはいけない


その一点です。


現場でよくあるのは、

「もう無理かもしれない」という空気と

「いや、まだ分からない」という現実が

同時に存在する状態。


今回の聖女の話も、

まさにそのラインを描いています。



高齢者の体調は、

本当に読めません。


昨日笑っていた人が

今日崩れることもあるし、

昨日半分死んでいた人が

2週間後に普通に戻ってくることもある。


だから介護の現場では、

早く結論を出しすぎない。


待つ。

繋ぐ。

戻る場所を残す。


それができると、

「戻ってくる人」は、案外多いです。



世界は救われていませんが、

90代女性は戻ってきました。


だからこの話も、

「乗り越える」結末を選びました。


現場にいる人なら、

「あるある」だと思ってもらえたら嬉しいです。

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