第27話 聖女は、今日は癒やせない
朝の巡視で、違和感があった。
水野澄江さんの顔色が、薄い。
いつもより、目が合わない。
「澄江さん、おはようございます」
「……おはよう」
返事はある。
でも、声が軽い。
軽い、というより、薄い。
「どこか苦しいですか」
「苦しい……というより」
言葉を探して、少し間が空く。
「……力が入らないの」
「眠れました?」
「眠ったけど、回復しない感じ」
その言い方が、妙に具体的だった。
バイタルを取る。
血圧、いつもより低め。
脈、少し速い。
体温、微妙に高い。
「ちょっと測り直しますね」
「ええ……」
測り直しても、同じ。
「今日は、様子を見ます」
「……ごめんなさいね」
「謝ることじゃないです」
「でも、みんなに迷惑が」
その言葉が出た時点で、
本人も「いつもと違う」と分かっている。
食堂へは、無理に連れていかない。
「今日は居室で、少しだけにしましょう」
「……分かったわ」
無理をするタイプではない。
むしろ、我慢して崩れるタイプだ。
居室で、飲水を促す。
「お水、少し」
「……ありがとう」
手指が変形していて、
コップを安定して持てない。
私は両手で支える形にする。
一口飲んで、彼女が息を吐く。
「……自分の体なのに、思い通りにならないわね」
「今日は、こちらが支えます」
「……聖女なのに」
「聖女でも、体調は崩します」
少しだけ笑った。
笑えているなら、まだ大丈夫。
看護師が来る。
「澄江さん、どう?」
「だるいの……」
「痛みは?」
「手はいつも通り。でも今日は全体が重い」
リウマチのフレアか、感染の入り口か、脱水か。
どれもあり得る。
看護師は淡々と確認を進める。
「SpO₂は…保ててる。呼吸苦なし。咳は?」
「ないわ」
「尿量は?」
「少ないかも」
それで、方向が少し見えた。
「今日は食事より、水分を優先します」
「ええ」
「無理に食べなくていい。ゼリーも使いましょう」
現場の判断としては、早い方がいい。
その日の午後。
彼女は、ずっと眠っていた。
眠る、というより、落ちている。
声をかけると開く。
でもすぐ閉じる。
「今は休む時間です」
私はそう言って、カーテンを少し閉めた。
廊下を歩いていると、例の四人部屋から声がした。
「……聖女が静かだな」
勇者の声。
「体調不良です」
「戦闘不能か」
「休養が必要です」
「……理解した」
賢者が続ける。
「原因は特定できたか」
「まだです。様子見と水分優先」
「妥当だ」
戦士が、低く言った。
「……後ろは、守る」
「お願いします」
言葉は短いが、
この人たちなりの心配の形だ。
夕方。
熱が少し上がった。
看護師が、医師へ連絡する。
指示を確認し、必要な採血や検査の準備。
「澄江さん、今夜は少ししんどいかもしれません」
「……ええ」
彼女は、目を閉じたまま言った。
「でも、ここなら……大丈夫」
それが一番大事な言葉だ。
夜勤への申し送り。
「水野さん、発熱傾向。血圧低め。尿量少なめ。
飲水ゼリーで対応。夜間、観察強化。
不穏はなし。声かけで落ち着く」
書くのは事実だけ。
でも、心の中で付け足す。
――今日は、守る日だ。
消灯前、もう一度居室に行く。
「澄江さん」
「……なに?」
「いますよ」
少しだけ、目が開く。
「……ありがとう」
「今は、癒やされる側で大丈夫です」
彼女は、ほんの少し頷いた。
世界は救われなかった。
でも、体調が崩れた時に
「ここなら大丈夫」と言える場所は、確かにある。
聖女が癒やせない日も、
現場は、静かに回っていく。
体調不良の回は、どうしても地味になります。
派手な事件が起きるわけではなく、
「なんとなく顔色が悪い」
「いつもより返事が薄い」
そういう小さな違和感から始まるからです。
でも介護の現場では、
この“なんとなく”を見逃すと一気に崩れます。
だから大事なのは、
原因を一発で当てることではなくて、
・まず休ませる
・水分を優先する
・観察を厚くする
・看護と連携する
この基本を淡々と積むことです。
あと、今回の聖女の「ごめんなさいね」は、
あるあるだと思っています。
体調が悪くても、
「迷惑をかける」と感じてしまう人は多いです。
その時に必要なのは、
励ましより、正論より、
「謝らなくていい」という許可。
そして、
“癒やす側だった人”ほど
「癒やされる側になる」のが難しい。
だからこそ、そこを受け止めるのが
現場の役割だと思います。
世界は救われていませんが、
今日は休めました。
それだけで、十分なケアの日です。




