第2話 新規入所カンファレンスという名の最終決戦会議
新規入所カンファレンスは、だいたいいつも昼食後だ。
利用者さんは眠い。職員は満腹で眠い。
誰も戦う準備ができていない状態で始まる。
「では、老健から移行された四名について確認します」
司会役の相談員がそう切り出した瞬間、
私は心の中で小さく息を吐いた。
――来たな。
ホワイトボードに貼られた四枚のフェイスシート。
偶然にも、全員同じ部屋番号。
「同室継続なんですね?」
看護師が確認する。
「はい。情動安定してますし、老健でもずっと一緒だったので」
主任として、私は淡々と答える。
理由は山ほどあるが、説明はこれで十分だ。
① 桐原 正志 88歳
要介護4
「神経因性膀胱で導尿バッグ管理中。立位不可です」
看護師が読み上げる。
「夜間、不安訴えあります?」
「ありますけど、内容は一貫してます」
私は記録をめくる。
「“戦況確認”“異変発生”という表現です」
「……つまり?」
「尿量が気になるだけです」
一同、静かに納得した。
「指示口調が強いですね」
「役割妄想が固定してます。ただし拒否なし」
“前に立つ”“指揮する”
そう言いながら、
実際には一番介助を受け入れている。
扱いやすい。
とても。
② 水野 澄江 86歳
要介護5
「立位不可、全身筋力低下。関節リウマチによる手指変形あり」
OTが補足する。
「巧緻動作はほぼ不可ですね」
「でも情緒は安定しています」
私は頷く。
「ご主人――あ、正志さんをよく気にかけています」
「夫婦設定ですね」
「はい。本人たちがそう言ってます」
それ以上でも以下でもない。
「“癒やしたい”“守りたい”という発言が多いです」
「でも実際は、ケアを受ける側ですよね」
「ええ。なので、こちらが代わりに全部やります」
それで問題は起きていない。
③ 秋月 修造 89歳
要介護4
「パーキンソン症状あり。動作緩慢、振戦あり」
PTが一言。
「理解力は高いです」
「話が長いです」
私は即答した。
「説明が始まるまでに時間がかかりますが、
始まると止まりません」
「拒否は?」
「ありません。納得すれば」
理屈が通れば動く。
動くまでが遅いだけだ。
④ 岩本 忠夫 91歳
要介護5
「右片麻痺、ほぼ寝たきりです」
一番シンプルな説明。
「発語は少なめですね」
「はい。でも要点は外しません」
「どんな?」
私は少し考えてから答えた。
「……一言で全部終わらせます」
「?」
「場の空気ごと」
全員、なぜか理解した顔をした。
「四名とも、認知症診断は?」
医師が確認する。
「中等度相当。ただし、作話の内容が一致しています」
「集団影響ですね」
「はい」
正しい結論だ。
誰も間違っていない。
「問題行動は?」
「今のところゼロです」
「夜間は?」
「“見張り”が必要らしいですが、
ナースコールを押すだけです」
「なら問題なしですね」
議題は、あっさり終わった。
カンファレンス終了後、
私は居室を覗いた。
四人は、カーテン越しに小声で話している。
「次の会議は終わったか」
「どうだった?」
「陣形は維持されたな」
「……問題ない」
私はナースコールの位置を再確認しながら言った。
「はい、現状維持です」
彼らは満足そうに頷いた。
世界は今日も救われなかった。
でも、カンファレンスは無事に終わった。
主任としては、それが一番の勝利だ。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
作中では、勇者・聖女・賢者・戦士の四人は、
終始「認知症のある高齢利用者」として扱われています。
それは、介護現場としては完全に正しい判断です。
ですが――
このあとがきでは、ひとつだけ補足をさせてください。
彼らは、本当に世界を救ったパーティでした。
派手な無双ではありません。
神に選ばれた一人が全部解決するような物語でもない。
前に立ち続け、撤退判断を誤らなかった勇者。
仲間を癒やしながら、救えなかった命を数え続けた聖女。
勝てない戦を避け、犠牲を最小限に抑えた賢者。
最後尾で、誰一人取り残さなかった戦士。
彼らの討伐は、
「派手に語られる英雄譚」には向きませんでした。
だから記録にも残らず、
帰還後の世界でも、誰にも称えられなかった。
それでも彼らは確かに、
世界が静かに続く未来を選び続けた人たちです。
作中で、
・配置に異様にこだわる
・夜間の見張りを欠かさない
・撤退や現状維持を「勝ち」と呼ぶ
それらはすべて、
かつて何度も「取り返しのつかない結果」を見てきた者の癖です。
そして今、
彼らはもう剣も魔法も使えない。
立つことも、守ることも、思うようにはできない。
それでも――
同じ部屋に集まり、
役割を確認し、
「後ろは守れているか」と確かめ合う。
それが、彼らなりの最後の冒険です。
介護の現場では、
その真実を証明する必要はありません。
むしろ、証明しない方が安全です。
けれど読者のあなたには、
「この四人は、確かにやり切った」と
分かってもらえたらと思います。
次回以降も、
世界は救われません。
ですが今日も、転倒は防がれます。
それで十分だった英雄たちの、その後を、
もう少しだけ見届けていただければ幸いです。




