第18話 事故報告書は、物語を信じない
事故報告書を書く時間は、
一番静かで、一番冷静になる。
感情は、書かない。
印象も、書かない。
書くのは、
「何が起きたか」
「なぜ起きたか」
「次にどうするか」
それだけだ。
用紙の一行目。
発生日時:
〇月〇日 〇時頃
発生場所:
居室前廊下
私は、淡々とペンを進める。
① 事故の概要
「居室よりトイレへ移動途中、
歩行中にバランスを崩し転倒。
尻もちをつく形で倒れる。
頭部打撲なし。
意識清明。」
ここまでは、事実だ。
② 原因の分析
原因を書く欄で、
ペンが少し止まる。
原因は、一つではない。
・夜間帯
・下肢筋力低下
・パーキンソン症状による動作緩慢
・「できる」という本人認識
私は、こう書いた。
「本人の立位・歩行能力に対する認識と、
実際の身体能力に乖離があった。
夜間帯であり、動作開始時にバランスを崩した可能性が高い。」
「可能性が高い」
断定はしない。
現場では、それが正解だ。
③ 事故発生時の対応
「職員が音を聞き、速やかに駆け付け対応。
意識・外傷の有無を確認。
看護師へ報告し、評価実施。
ベッド移乗後、安静確保。」
余計なことは、書かない。
④ 再発防止策(検討)
ここが、本題だ。
職員会議でも、
必ず出る言葉。
「センサーマット、敷きますか?」
若手が、少し前のめりで言う。
「安心ですよね」
「反応早いですし」
私は、すぐには答えなかった。
センサーマット使用の是非
センサーマットは、便利だ。
・離床が分かる
・転倒前に気づける
・家族も納得しやすい
ただし。
・音で驚く
・動作が止まる
・「監視されている」感覚が出る
・余計に焦る人もいる
特に――
考える人には向かない。
私は、報告書にこう書いた。
「センサーマットの使用については、
本人の認知・理解力が高く、
音刺激により焦燥感が増す可能性があるため、
現時点では使用せず。
夜間の声かけ頻度増加と、
移動時の介助強化で対応する。
⑤ 評価
最後の欄。
「今回の転倒を受け、
本人も自身の身体状況を理解。
以後、夜間移動時は必ず職員を呼ぶ意向を示している。
現時点では、対応策は妥当と判断する。」
評価は、未来形で書く。
書き終えた頃、
夜勤の職員が言った。
「主任……センサーマット、使わないんですね」
「使わないことも、対策だから」
「事故報告書って、
“増やす”方向に行きがちじゃないですか」
「そう」
私は、少しだけ笑った。
「でも本当は、
合わない装備を増やさないのも、仕事」
居室を覗くと、
修造さんは、静かに本を読んでいた。
「……報告書は?」
「書きました」
「結論は?」
「今は、見守り強化です」
「……合理的だ」
それで、いい。
事故報告書は、
誰かを責めるためのものじゃない。
物語を作るためでもない。
次に、同じことを起こさないための紙だ。
事故報告書は、
「やった感」を出すための書類ではありません。
特に、センサーマットのような機器は、
使えば安全になるわけではない。
合わない人に使えば、
逆に事故を呼びます。
大切なのは、
・その人がどう考えるか
・何に焦るか
・何なら受け入れられるか
それを、文章で整理することです。
世界は救われていませんが、
次の夜は、少し安全になりました。
それで、この報告書は合格です。




