第16話 勇者は、急ぎすぎた
勇者は、食べるのが早い。
これは昔からだ。
「補給は迅速に」
それが、彼の信条だったらしい。
昼食。
刻み食・とろみ付き。
配膳時、私は一応声をかける。
「今日は、ゆっくりで」
「了解」
返事はいい。
だが、スプーンの動きが速い。
「早いですね」
「油断すると、奪われる」
「奪われません」
「……理屈は分かっている」
理屈と行動は、別物だ。
二口目。
三口目。
咳。
「……っ」
止まる。
「大丈夫ですか」
「……問題ない」
その直後、もう一度。
今度は、深い咳。
顔色が変わる。
「……入ったな」
本人が、一番分かっている。
すぐに食事中止。
座位保持。
口腔内確認。
SpO₂確認。
数値が、少し下がっている。
「無理しません」
「……撤退だな」
「そうです」
勇者は、素直だった。
その夜。
微熱。
咳嗽。
痰が絡む。
夜勤者が、私を見る。
「主任……」
「連絡する」
迷いはない。
翌朝。
「誤嚥性肺炎の疑い」
診断名がつくと、
世界は一気に現実に引き戻される。
抗生剤。
点滴。
食止め。
勇者は、天井を見ていた。
「……油断した」
「責める場面じゃないです」
「だが……急ぎすぎた」
それは、彼自身の言葉だ。
澄江さんが、静かに言った。
「守る側が、無理をすると……こうなるのね」
誰も否定しない。
忠夫さんは、短く。
「……後ろが、薄くなっていた」
修造さんは、まとめる。
「速度と、年齢が噛み合っていなかった」
全員、状況を理解している。
数日後。
熱は下がり、
呼吸も落ち着いた。
食事再開は、さらに慎重。
一口ずつ。
「……遅いな」
「それでいいです」
「……慣れる」
彼は、ちゃんと待った。
記録には、こう書いた。
「食事中誤嚥あり。
誤嚥性肺炎にて治療。
現在、症状改善傾向。
食事形態・速度指導実施」
世界は、何も言ってくれない。
身体だけが、正直だ。
誤嚥性肺炎は、
高齢者施設では「よくある」出来事です。
でも、
本人にとっては、よくある失敗ではありません。
多くの場合、原因は
「元気だった頃の癖」です。
早く食べる。
一気に飲む。
無理をする。
若い頃は、それで問題なかった。
年を重ねると、
身体が先に限界を出します。
この回で描いたのは、
失敗ではなく「調整」です。
戦わなくなった勇者が、
速度を落とすことを覚える。
それは、敗北ではありません。
生き延びるための、選択です。
世界は救われていませんが、
呼吸は、ちゃんと守れました。
それで十分です。




