第11話 春の花見ドライブは、進軍ではありません
花見ドライブは、施設行事の中でも難易度が高い。
天候。
体調。
車椅子。
酸素。
トイレ。
帰りたい衝動。
全部が噛み合って、ようやく成立する。
「主任、今年はどうします?」
行事担当が、予定表を見ながら聞いてきた。
「行く」
即答だった。
「……あの四人も?」
「もちろん」
行かない理由がない。
当日は、よく晴れた。
風もなく、寒くもなく、
「これは逃すと後悔するやつだ」と
誰もが分かる天気だった。
リフト付きワゴン車に、順番に乗せていく。
「では、移動します」
「進軍だな」
「ドライブです」
「……了解」
言い換えるだけで、
動線は驚くほどスムーズになる。
最初に乗ったのは、水野澄江さん。
シートベルトを確認すると、
彼女は窓の外を見て、少し目を細めた。
「春ね」
「そうですね」
「……長かったわ」
何が、とは言わない。
次に、岩本忠夫さん。
ストレッチャー対応。
体位を整え、クッションを確認。
「……揺れは?」
「少なめです」
「……なら、問題ない」
走行中、
彼はほとんど動かない。
でも、目だけはずっと外を見ている。
秋月修造さんは、
乗車に一番時間がかかった。
「角度を、もう少し」
「このくらいですか」
「いや、理論上……」
「安全優先で」
「……妥協する」
妥協してくれるなら、
こちらとしては助かる。
最後に、桐原正志さん。
導尿バッグを確認し、
チューブの位置を整える。
「全員、揃ったか」
「揃いました」
「欠けは?」
「ゼロです」
彼は満足そうに頷いた。
「なら、出られる」
車は、ゆっくりと桜並木に入った。
満開だった。
道の両側が、薄い桃色に染まっている。
「……来たな」
「ええ」
「今年も、間に合った」
誰の言葉かは分からない。
「きれい……」
澄江さんが、ぽつりと呟いた。
「昔は、もっと強く咲いてた気がするわ」
「今も十分です」
「そうね……今の方が、優しいかもしれない」
風が吹いて、
花びらが少し舞った。
「敵影は?」
「いません」
即答すると、
勇者は少しだけ笑った。
「平和だな」
「そういう日です」
「……悪くない」
修造さんは、しばらく無言だった。
「どうですか」
「……思考が、追いつかない」
「きれいすぎますか」
「いや」
少し間を置いて、続ける。
「戻ってきた理由を、忘れそうになる」
私は、それ以上聞かなかった。
忠夫さんが、低く言った。
「……後ろも、咲いているな」
「はい」
「……囲まれている」
「そうですね」
それで十分だった。
車を止めて、
全員で少しだけ桜を眺める。
外には出ない。
窓越しでいい。
「ここまで来た」
「戻れる」
「なら、勝ちだ」
桐原さんの言葉に、
誰も反論しなかった。
帰り道、
四人は少し疲れた顔をしていた。
それでも、不穏はない。
「眠い?」
「……休息だ」
「次に備える」
備えなくていい。
施設に戻り、
順番に降ろしていく。
「無事、帰還」
「はい」
「損耗なし」
「ありません」
いつもの確認が、
今日は少しだけ柔らかい。
居室に戻ったあと、
澄江さんが言った。
「今日は……たくさん癒やされたわ」
「それは良かったです」
「ねえ」
「はい」
「また、来年も行けるかしら」
私は、少しだけ考えてから答えた。
「行けるように、支えます」
それで、十分だった。
記録には、こう書いた。
「花見ドライブ実施。
情緒安定。
不穏なし。
全員、帰設後も落ち着いて過ごされている」
それ以上は、書かない。
世界は救われなかった。
でも、春はちゃんと見た。
それで、この行事は成功だ。




