小説の世界に転生してドアマットヒロインが始まるかと思いきや、何も始まらなかったのに大変な事になった話
※主人公以外の身体欠損の描写があります。
※流血表現はありません。
「お前に新しい母と妹を連れてくる。妹は年齢も近い。仲良くするように」
イライザ・ル・ミュラーは、父親にそう言われて耳を疑った。
まだイライザの母マレーネが流行り病で亡くなってから1か月の事であった。
イライザの母であるマレーネはミュラー侯爵家の当主だった。
それ故に、貴族家当主が亡くなるという事は大事件であり、貴族家の当主が亡くなるほど流行った病であるからして、国全体が相当に混乱している。
それなのに、イライザの父親は葬儀も手続きもようやく諸々がひと段落ついて、『次は……』という段階でそんな事を言ったのだ。
「新しい母と妹とは?」
イライザの父親は、ミュラー侯爵家への入り婿である。
もしかして、ミュラー侯爵家の遠縁の貴族の未亡人などに目星をつけてイライザに家族が必要だと親戚を呼んでくれようとしたのかもしれない。
(……まさか、愛人を呼ぼうなどとはいくらなんでもそこまで馬鹿では……)
イライザはそう思って質問したのが、父親はそのイライザの質問にイラっとしたように、
「私が真実愛している家族だ。それくらい分かるだろう?」
と質問を質問で返してきた。
その頭の悪い返答に、うんざりして無表情になったイライザに父親は何を勘違いしたのか、
「では、家族を迎えに行ってくる」
と屋敷を出ていった。
あまりにも馬鹿すぎる父親にムカムカが止まらない。
いくら貴族が思っていることをあまり顔に出さないと言ってもムカムカしないわけではない。
現在のミュラー侯爵家当主であるイライザへの扱いが酷いのではないだろうか。
---そこで、イライザは思い出した。
ここは前世でよく読んでいた剣と魔法の異世界WEB小説の中でも特に好きだった『冬を越えて~永遠~』の世界で、自分はその小説のドアマットヒロインだと。
自分は、13歳の時に母親が死んだあと、当主代行として馬鹿すぎる父親とその愛人と義理の妹に虐げられるが、長い間耐え、幼いころから婚約していた人と協力し、侯爵家を守り通すヒロインだった。
(その耐える期間いるかな……?)
と実際に当事者であるヒロインになった今なら思うけれど、読者側としてはドアマットヒロインからの『ざまぁ』への落差が楽しかった。
ヒロインが虐げられ生活に長い間耐えていたからこそ、幼いころからの婚約者と協力し、父親や愛人や義理の妹を家からついに追い出して、家の主導権を握るところなどは爽快に感じたものだ。
(だけれど、私は違う。本なら平気でさらっと『何年も使用人扱いに耐えて』とか書かれているけれど、無理だわ。色々準備しましょう。まず家令にも再度家の状況を確認して……)
……と、イライザは準備と現状確認に奔走していたけれど、あまりすぐにすることはなかった。
(特に……これだものね……)
イライザは食堂で父親の様子を横目で見た。
「ああ、ユリアーネ……」
父親は出ていって数日後に屋敷に帰ってきて、一人悲劇のヒーローぶっている。
食事も満足に喉を通らない様子だった。
それもそのはず、父親が母と結婚したすぐ後に作っていた愛人と義理の妹は流行り病で死んでいた。
イライザの母親マレーネが死んだ直後に、同じ流行り病で死んだそうだ。
発症から死ぬまでがすごく早かったらしいが、きっと免疫力が低い平民ならそういう事もあるのかもしれない。
同じ町の人には貴族の愛人という事は本人が自慢して言いふらして知れ渡っていたらしく、流行り病で死んだ直後に家は漁られて何も家財道具や持ち物は残っていなかったらしい。
カーテンや窓ガラス、ドアや風呂桶までもむしられていたそうだった。
イライザの父親は、
「平民のクズどもが!!」
と荒れていた。
イライザが聞いてもいないのに、イライザが同じ空間に居る時に父親がぶつぶつと大きな独り言を言っていたから知っていた。
イライザの記憶にあるWEB小説『冬を越えて~永遠~』の中の愛人の名前ユリアーネとも一致している。
(でも、同じ流行り病(?)で愛人と妹まで死んでしまうとは思わなかった)
もうすでにイライザが知っている小説とは現実が違っているようである。
(そういえば、お母様が死ぬ数日前、何かお父様の愛人に関して家令に命令していたようなしていないような……)
(もしかしたら、お母様が何かした……?)
イライザは今回の事態を受けて、左手の小指にしている印章指輪を執務の後に外して、うっかり執務机の上に忘れる事にした。
ミュラー侯爵家の事に何か権限があると勘違いしている父親なら罠にかかるかもしれないと思ったのである。
愛人を作って許されるのは、どうしてもその頭脳や魔法力を引き継がなければならない当主ぐらいなのに、勘違いも甚だしい。
印章指輪は、持ち主の手から離れて、紛失防止の為にほのかに光っている……。
---
その夜、
「ぎゃああああ!!」
というつんざくような悲鳴に屋敷中の者がたたき起こされた。
侯爵家の警備兵が悲鳴の方に駆け付けると、そこには左手の小指を抑えたイライザの父親が居た。
……いや、無くなった小指の付け根を押さえているイライザの父親が居た。
「指が! 指が!!」
警備兵の者や、執事やメイドや使用人の目には、当主の父親の足元に、光る印章指輪と小指らしきものが落っこちているのが確認できた。
誰しもが知っていることだったから、まさかイライザの父親が知らなかったとは分からなかった。
誰も責められないだろう。
貴族の当主だけが持っている執務にも必要な印章指輪は、その重要性からありとあらゆる魔法がかかっている。
紛失防止に偽造防止に破損防止、そして盗難防止だ。
貴族の正当な血に反応する印章指輪は、その印章指輪に登録されている貴族家の血が流れていないものが指にはめると指輪の輪が瞬時に無くなって戻る。
そうすると、どうなるかというともちろん嵌めた指は切れるし、治癒魔法でも元に戻らない。
たまに何年かに一度未満位の割合で、貴族屋敷の使用人が、掃除のついでに置いてあった指輪を興味本位で着けて指を落とす事故がある以外は特に問題はない魔法である。
「貴族家乗っ取りだ!」
駆け付けた家令が叫んだ。
イライザの父親は暴れながら警備兵に、地下牢へ連れていかれることになった。
イライザはその様子を冷たい目で無言で見つめていた。
貴族家の乗っ取りは重犯罪だ。
王家に申請して受理されれば貴族家が独断で裁いても良いし、恥や外聞を気にしないのであれば中央裁判所で衆目に晒されながら公費で裁いてもらうこともできる。
盗難防止の魔法が発動した履歴がある印章指輪と魔法痕が残っている落ちた小指が動かぬ証拠になる。
(私には何も身体的苦痛はない。
けれど、いっその事ドアマットヒロインの方が精神的には楽だったかもしれないわね)
イライザは重要な事に気づいていた。
ドアマットヒロインは、『虐げられている可哀そうな私』になることができる。
貴族家に生まれたくせに、自分の家で起こっている問題を物心がついているくせに、自分で対処できないのに、まるで平民みたいに『親に虐げられている可哀そうな私』という楽な存在になることができるのだ。
でも、平民みたいだからこそ、前世平民だったイライザは楽しんでWEB小説を読めたのだろうし、それは本の中の世界として仕方ないのかもしれない。
イライザは、印章指輪を使用人に丁寧に磨かせた後、そのまだ少女の小さい小指にはめた。
ーーー
そして、イライザの母であるマレーネが死んでから49日が経った後、イライザの婚約者である伯爵家の次男である令息がミュラー家に到着した。
最近、イライザが遠い東の国の文化が好きになったという話(もちろんイライザが日本に住んでいた前世を思い出したからだ)を掴んだ令息は、玄関の床で、
「不束な者ですが末永くよろしくお願いします」
と座礼の最敬礼を披露して見せ、
(婚約者に土下座されたわ)
と、イライザを微妙な表情にさせた。
当主交代のごたごたが収まるまでは、家の者ではない者は訪問しないのがこの世界の常識で、葬儀の間は婚約者と会うなどという浮ついたことができないのが常識である。
もちろん、流行り病が下火になったとはいえまだまだ落ち着いてはいないのも原因ではあるが。
イライザの婚約者は49日が過ぎた後に、もうミュラー家に籍だけを入れる手続きが済まされていた。
このことも49日後になった要因である。
葬儀の間に慶事を行う訳にはいかない。
ただ、当主には基本的に伴侶がいるのが一般的である。
イライザは13歳にしてミュラー家当主であり、同年齢の伯爵家次男と夫婦であった。
もちろん、子をなすのはだいぶ先ではあるが。
社交界では貴族家当主に正当なパートナーが居ないのは恥だ。
---
夜中、イライザは父親が閉じ込められている地下牢に下りていた。
地下牢を交代で見張っている警備兵が、当主であるイライザに礼をする。
イライザは警備兵に向かってわずかに頷いて見せたあと、地下牢に向き直った。
地下牢とはいっても最低限の光魔法による明かりは灯っている。
罪人の行動や様子に少しでも異常があったら気づくためだ。
イライザの父親は、夜なので、口が聞けない魔法をかけられていて、目だけがギョロギョロとしてイライザを見ていた。
「……貴族は良いご飯食べて、社交してれば好き勝手していいなんてとんでもない。皆、貴族にそんな幻想を抱いてるようね。そりゃ、お母様の趣味と好意で生かされていたお父様がそう思うのも無理ないのかしら」
イライザは独り言のように父親に向かって話し始めた。
(いつかは貴族の嫡女として当主となることは分かっていた。でも、それでもまだ成長して勉強して、婚約者と仲良くなってからだと思っていた。父親がまだ信頼できる人であれば、そのどれかはまだ実現可能かもしれなかったのに……。可能性の話だけれど)
「貴族なんて、民のためにいざとなれば戦争に出るし、その見せかけの豊かさで恨みをかいやすいし、何か良いことはあったかしら。民なんて管理してやらなきゃ、目隠しされた羊みたいに明後日の方向に行ってしまうのにね。お母様は流行り病で倒れる瞬間まで頑張ってらっしゃいましたし、多分、私の行く末も考えて動いてくださいました」
イライザの母親が死んだ直後に、不自然に流行り病で死んで、その痕跡もほとんど残らなかった愛人。
スムーズに婿入りしてきた婚約者。
流れるように動く家令。
(……ああ、じきに国の混乱が収まる。そうしたら、私と同じように若くして貴族家当主に就任した者を補助する王家の事務官も派遣されるそうだわ。……私なんかはまだまし。中にはこの度の流行り病で8歳で貴族家当主になった方も居たとか)
イライザの表情は完全に死んでいた。
ドアマットヒロインは回避したはずである。
それなのにこの辛さはどうした事だろうか、とイライザは理不尽を感じていた。
「お父様はその修羅を最後まで理解してはくださいませんでしたね。あっ、そうだわ、富裕層の平民は犬の事を家族と呼ぶそうです。仕方ないから、私の犬になりましょう。お父様が無いかもしれない私への家族の愛を思い出してくれるまで犬に。お馬鹿さんな左前足の小指がない犬ですわね……ふふっ」
「イライザ……」
いつの間にかイライザの夫が側にいた。
イライザの夫は、イライザの頭を軽く抱きしめる。
イライザの夫も、13歳で貴族家当主の夫という難しい立場になっていた。
だけれども、イライザの様子を見て、真摯に『妻を守らなければ』という気持ちが芽生えていた。
イライザは、夫の胸でしばらく泣いて、そして、
「私はドアマットヒロインになんかならない」
というイライザの夫には理解できない単語を喋った後、まだ顔には涙の痕があるもののすっきりした顔をしていた。
「貴族が泣くなんて侮られてしまうわね」
「目の充血や顔の腫れは治癒魔法で治せるから平気です。魔法士を起こしましょう」
イライザの夫はなんなく請け負った。
「ふふっ、そうね。ありがとう」
儚く笑うイライザに、夫は、
「僕はあなたを好きです。仕事も分担してやりましょう。背追い込まないでください。あなたと僕たちの子孫が幸せであるように」
「ありがとう。そうね、お母様の二の舞にならないように」
「任せてください。僕、精神魔法が得意です。あっ、治癒魔法が得意でなくて申し訳ありません」
---
その後、二人は貴族としてきちんと成人してから子を作り、仲睦まじく暮らした。
子は、
「お父様とお母様はなーんでも私のいう事を聞いてくれるの」
が口癖の、その実、相手が困るような事は決して言わない心優しい娘になったという。
イライザの子は、優しい母親と父親と、そして左手の小指がない(事故で無くなったと子は聞いている)少し頭の足りない祖父の愛情に包まれて楽しく暮らした。
読んで下さってありがとうございました。
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また、私の他の小説も読んでいただけたら嬉しいです。