さつきー4
僕は、はっと我に返る。
卵。なんて言ってたっけ。三十七度だ。それと転卵。
学生の頃にやったことがある。鶏の胚発生の観察のため、受精卵をインキュベーターの中で育てた。それと同じか?
僕は卵を抱きかかえたまま立ち上がり、寝室を目指す。
メイド達が声をかけてくるが、今はおいておく。
寝室に戻るといったんベッドの上に卵を置き、服を全部脱いで卵を抱いたまま布団にもぐりこむ。ちょっと冷たかったけど、すぐ慣れた。
僕は「えへへへ」と変なスイッチを入れ、卵をなでながら温め続けた。
しばらくすると、妻達が戻ってきた。
部屋に入ってきた京子ちゃんは、脱ぎ散らかされた礼服と、膨らんだ布団をみて、僕がそこにいることに気が付いたのだろう。
「グレイス君。葬儀終わったよ。ねえ、葬儀の途中で帰っちゃうなんてちょっとひどくない? さつきがいなくなって悲しいのはわかるよ。わかるけど、さつきのためにもちゃんとしてあげてよ。さつきは空から見ていると思うよ。だからさ、もう大丈夫って、もう元気になったからって、いつものかっこいいグレイス君を見せてあげようよ。さつきをがっかりさせちゃだめだよ。お願い……」
京子ちゃんが涙ぐんでいるのがわかる。
「明日は朝から埋葬だからね。今日はもういいから、明日にはしっかりしてね」
「それ、キャンセルでー」
僕は布団の中から埋葬の中止を申し出る。
「は?」
京子ちゃんがすっとんきょうな声を上げる。
「今なんて?」
「さつきの翼、埋めないでって」
まったく落ち込んでいるとは思えない声で僕が返す。
「じゃあ、どうするのよ! さつき、ちゃんと土に返してあげないとだめでしょう?」
京子ちゃんが声を荒げてくる。
「祀る」
「は?」
京子ちゃんは疑問と怒りの混ざった声で聞き返してくる。
「さつきの翼ははく製にして祀る。神社を作るんだ」
京子ちゃんの怒気が上昇していくのが殺気でわかる。
「グレイス君! さつきのことが大好きだったのは知っているよ。私達も大好だった。だからはく製にする? 祀る? 何言っているのかわかる? 勝手なこと言っているんじゃないわよ!」
怒鳴ったせいか、京子ちゃんの殺気が収まる。
「ね、もう、眠らせてあげようよ」
最後は涙声だった。京子ちゃんが床に座り込んで泣いているのがわかった。
あれ? やばいやつかな?
なんて思っていたら、こはるが近づいてきて、いきなり布団をひっぱがした。
全員の目が点になる。
こはるは僕が何を抱いているのかわかったのか、自身も全裸になってベッドに飛び込んできた。
他の妻達は全裸の僕を注目する。卵を横向きになって抱きかかえているので、完全にお尻が妻たちの方に向いている。
「な!」
「え?」
「「きゃっ」」
といういろんな意味を含めた声が上がる。
ベッドに入ってきた全裸のこはるは、卵を反対側から包み込んだ。
しかし、布団を自分で引きはがしてしまったのを反省したかのような顔をして、床に落ちた布団を取りにベッドを降り、布団をもってまた戻ってきた。
僕と卵と自分を覆い隠すように布団をかけると、反対からまた卵を抱きかかえた。
「えへへへへ」とうれしそうなこはるの声。
僕もつられる「えへへへへ」と。二人で卵をなでなでする。
「こはるー、三十七度くらいの温度がいいんだってさ。三十七度って人肌なんだぞ」
「じゃあ、こうして抱いてるー」
「えへへへ」
「えへへへ」
ブチン、何かが切れる聞こえたような気がした。京子ちゃんは布団を引きはがして言う。
「出てきなさい! そして服を着なさい! 何なのいったい、不謹慎にもほどがあるでしょう? さつきは亡くなったんだよ、みんなを守って、人を守って、この世界を守って。なのに、葬儀からは逃げ出す、埋葬はしてあげない。本当に一体何なのよ! グレイス君、いったいどうしちゃったの? ねえ、そんな卵抱いてないでちゃんと答えなさい!……え? 卵?」
「そうだよ。さつきだ。さつきが帰ってきてくれたんだ」
言葉にした瞬間、それを再度実感してしまい、涙があふれてくる。
「ほら、魔力を感じてみて。さつきが帰ってきてくれた」
僕は、涙声で京子ちゃんに伝える。
京子ちゃんは近づいてきて卵に手を当てる。そして、全裸の僕とこはるをもまとめて包むように卵を抱きしめ、
「うわーーーん」
と京子ちゃんらしくない大きな声を上げて泣き出してしまった。
死者が生まれ変わることがあることを知っている一人であるかなでも立ったまま、涙を流していた。
当然、他の妻たちやメイドたちもよくわかっていない表情を浮かべていたが。
リリィがかなでをつんつんして理由を聞こうとしているが、かなでは「グレイスから聞いて」としか答えなかった。
京子ちゃんは落ち着いて、しばらくして立ち上がり、
「グレイス君、そろそろ起きて、服を着て、みんなに説明して」
と言った。
「え、やだ。さつきを温めているから」
ブチン!
あ、京子ちゃん、怒った。
「起きなさい!」
と言って、僕の左足を引っ張る。
「やめて、やめて、足引っ張ったら股が開いちゃうから、全部見えちゃうから!」
妻達やメイドがキャーキャー言っている。
「もう見えているわよ! それに、それをさつきにくっつけるのやめて!」
と言って、強引に僕をベットから引きずりだした。僕はベッドからドスンと落ちる。
「ひどいなー、ソフィ。さつきは三十七度が好きなんだよ? だから人肌で温めないといけないんだ」
「だからって、全裸で抱く必要がある? それ、出してなきゃだめ? そもそもお風呂入った?」
「あ、お風呂入ってくる」
と言って全裸で部屋を飛び出そうとした僕の腕を京子ちゃんがつかんで止める。
「グレイス君。今はこはるちゃんに任せて、みんなに説明してくれる?」
え、京子ちゃん、できるじゃん、説明。という視線を送ると、ぷいってされた。
「わかったよ。この部屋にいる人、ちょっと集まって」
と言って皆を集める。
パシンッ!
って僕の頭がはたかれる。振り向くと京子ちゃんが赤い顔をして、
「とりあえず、服を着てそれをしまいなさい」
あ、ここに集まっているの、妻もメイドも皆女性か。セクハラだったかな?
僕はいそいそとパンツとシャツを着る。今更礼服を着る必要もないし、どうしようかと思っていたら、バニーが普段着を渡してくれたのでそれを着る。
「ほんとにもう」
と言う京子ちゃんのつぶやき。
「さて、集まって」
と言って、近くにあつめる。
「これから話すことは絶対に口外しないこと。もしくは忘れること。いいね。でないと、僕とフランが大鎌をもっていくから」
と、強く脅しておく。まあ、半分冗談で妻達はそれを理解している。さすが付き合が長いだけはある。
でも、この話を漏らしてほしくないことは事実だ。漏れてしまったら、伝わった方を消せばいい。消すしかない。絶対に混乱が起きる。
「じゃあ、声を出さずに聞いてね。妻のみんなはバッタ襲来の時やイングラシア公演の時に、僕が襲われたことを知っていると思う」
うんうん、とうなずく妻達。メイド達は知らないだろう。
「その相手は、天使だ」
京子ちゃんとかなで、明日奈以外が驚いている。神も天使も聞いたことはあっても実物は見たことがないのだろう。それが当たり前なんだが。
「天使は、亡くなった人の魂を回収して転生させる役割を担っている。ただし、転生させるときには記憶を完全に消している。というのは、みんなも前世の記憶なんてないだろう? そこからの推測だ」
どこかかしらから唾を飲み込む音が聞こえる。僕は推測と言う言葉を使って説明する。
「この卵は、その天使からもらった。葬儀の時、教会に来ていて、僕は呼び出されたからついて行った。そしたら、この卵をくれたんだ。そして、天使は言った。この卵にはさつきの魂が入っている。しかも、記憶が残されたままで。と。まだ発生が始まったばかりだから、さつきは意思を外へ伝えることができない。でも、さつきが生きている。それだけで僕は充分だ」