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プロローグー1

 深夜、何時だろうか。目が覚めてふと目を開ける。

 なんか見えかたがおかしいが、気のせいだろうか。

 いや、メガネがなければ何も見えない僕が、天井をはっきり見ている。

 メガネをかけたまま寝てしまったわけじゃない。顔にメガネはかかっていない。

 僕の右側には、くっつくように妻が寝息を立てている。

 僕が定年退職し、その四年後には妻も定年を迎え、それ以来、一緒に寝ている。

 子供はすでに独立して今は二人暮らしだ。

 僕はもう八十にもなり、もうすぐ平均寿命を迎えるおじいちゃんである。

 孫の顔はまだ見ていない。そればっかりは焦っても仕方ない。

 いやいや、今はこの状況。逃避している場合じゃない。何かがおかしい。


「長谷川様、長谷川陵様」


 ハッと、左に顔を向ける。

 「誰だ!」と思っても急には声が出ない。

 泥棒かと思ったが、なら声をかける必要もなければ、様をつける呼び方も変だ。

 そこには、小柄な少女が立っていた。

 少女? 

 黒髪ストレート、肩に届く長さ。前髪は眉の下で切り揃えている。小顔でリムレスのメガネをかけたくっきりした顔立ち。十八歳くらいだろうか。

 黒いスーツを着て中には白いブラウス。スーツと同色のタイトスカートだろうか。その下はベッドでみえないけど。就活中の女子高生?

 なぜこんなところに?

 と疑問を浮かべつつ、ベッドの横に立つ彼女を眺めていると、


「長谷川様、長谷川陵様でございますか?」

「はい……?」


 なんとか返事をする。


「長谷川様、お迎えにあがりました」

「え?」


 混乱してうまく考えられない思考をなんとか巡らせ、答える。


「迎え? もしかして、僕は死んでしまったの? 君は死神なの?」




 かつて僕は地方自治体の研究所に勤めていた。


 子供の頃は体が小さく、運動神経も良く無かったことからよく揶揄われたり、まあ、いじめられたりしていた。

 僕らの子供の時は、まだ暴力的な力で上下が決まる時代。特に自身の順位を決めるために力を示すことは重要だった。

 最も力が強かったのは、授業なんて出ずに廊下を自転車で駆けまわったり、ガラスを割って回ったりしていた、いわゆる不良。それ以下だって、悪口や足の引っ張り合いなんてしょっちゅうだった。


 だから僕は、子供のころから人が、特に性別オスの人が怖かった。

 そんな感じで人を信じることもできなかったし、人付きあいも苦手になってしまったこともあって、人になるべく関わらなくてもよさそうな研究者になろうと思っていた。

 研究者は実験室にこもっていられると決めつけていたからだ。

 それに、成績は、理科しかよくなかったし。

 でも、人付き合いより怖いものがあった。大学では学会発表とかゼミ発表とか、人前での発表は大いに緊張した。たくさんの視線も先生方の鋭い質問も怖かった。発表の何十分も前から心臓が普段の倍くらいの速さで鼓動した。

 それでも研究者を選んだ。自治体の。

 大学に残って授業なんて学生の視線が怖過ぎる。それにいまさら民間企業でもあるまいと。


 その選択が正しかったかどうかはわからないけど、結局は、課題提案、報告、提案、報告……、現場説明会……。心臓は大丈夫かなって何度も思った。

 昔、大学の授業で「心臓は二十億回打つと止まってしまう」って言っていた先生がいたから、僕はきっと早死にだろうと思っていた。

 それでも、必死に研究していたら、人があんなに怖かったのに、協力してくれる人に恵まれて、いくつかの成果を上げることができた。

 研究所でも評価されてそれなりの立場にまでなることができた。

 あんな無価値だった、虐げられていた僕が社会的に評価された気がして嬉しかった。

 おかげでだいぶ人に慣れた。


 それに、家庭にも恵まれた。

 妻と出会ったのは職場の懇親会だった。

 研究する対象が違ったから全然知らない相手だったけど、お酒の入った席で、当時密かに大好きだったバーチャルアイドルについて酔った勢いで熱く語ってしまい、それで気に入られたらしい。

 実は、僕は覚えていなかった。

 その翌日から挨拶してくれるようになり、お付き合いをし、結婚した。子供も二人でき、幸せな家庭を築くことができた。

 あんな無価値だった僕が。


 そのせいか、僕は満足してしまっていた、この人生に。


 それと、僕はもっと違った研究をしたくなっていた。

 あの人気バーチャルアイドルのように、世界中の人に使ってもらい、世界中の人に喜んでもらい、世界中の人に愛される、そんな“技術開発“がしたいと思っていた。

 だけど、それに気づいた時にはもう歳を取りすぎていた。

 管理職になって研究から離れちゃっていたし、その年で新しい知識をこの脳みそに詰め込むことなんてできなかった。新しい分野のことだってなかなか覚えられないのに。


 だから、もう、いつ死んでもいいと思うようになっていた。


 妻や子供達には悪いけど、僕にしてはいい人生だと思っている。後悔なんてない。

 僕は研究者だったから、いや、研究者じゃなくても、よくドラマや小説にある生まれ変わりなんてないってわかっていた。でも、決めていた。

 生まれ変わったら、今世よりもっともっと勉強して、大好きなことを研究して、世界中の人に愛される技術を作ろうって。


 だから、死を待ち続けていた。それがやっと来た。




「そっか。やっぱり平均寿命より短かったか」


 と言いつつ、体を起こす。

 おっ、体と体が分離したよ。上半身を起こしたのに、寝ている体が背後にある。布団をかけているから頭しか見えないけど。

 「幽体離脱〜」って言っていた芸人さんがいたけど、自分でやるはめになるとは。

 お尻を中心に体を反時計回りに回転させてベッドに座る。ん?


「ねぇ、僕、起き上がる時に布団をすりぬけて、今もお尻が布団に埋まっている。なのに、なんでベッドに座っていられるの? 布団をすり抜けたから、ベッドもすり抜けて落ちちゃうんじゃない? しかも床も突き抜けて……」

「えっと、あの、意外と冷静なんですね」


 と目を丸くした死神(仮)。

 あれ、この子の眼鏡、度が入っていないな。レンズ越しの目がゆがんでいない。

 この死神は僕が冷静なことに驚いているのか、それとも、頭から足まで視線を動かしているから何か違うことにも驚いているのか、と考えて、僕は首を傾げていると、


「布団をすり抜けたのにベッドをすり抜けないのは、長谷川様のイメージ力です。そう思い込んでいるだけです。もし、ベッドには座れないと思ったら、落ちてしまうでしょう」


 と言う感じに、冷静に教えてくれる。驚いてなかったな。


「ふーん、そんなもの?」

「ええ、イメージは大事なことです。これから宙を浮いて移動しますけど、天井や壁はすり抜けられるものと思いこんでいて欲しいです」

「このパジャマを着ているのも?」


 横たわっている僕の死体もこの僕も同じパジャマを着ている。


「はい、そうです。もし、着替えたければ、イメージすれば替わりますよ、きっと。きっとと言ったのは、イメージ力の問題だからですが、長谷川様なら容易いことかと」


 なぜに、僕なら、なのか。


「え、なんでかな?」


 と言いつつ着替えるイメージをしてみる。

 するとあら不思議、ポロシャツにジーンズといったいつものスタイルになった。

 おー、とちょっと感動。


 せっかくだから、いい格好をしようかな。この死神(仮)がスーツを着ているし。

 僕も黒のスーツ、ちょっと縦縞、に変更。仕事で普段来ていた、二着いくらの安いスーツ。

 だって、高いスーツのイメージなんてわかない。何が違うのかもわからない。

 ワイシャツは白。ネクタイは、パパの日に子供達からもらったグレー系のネクタイ。

 黒の靴下に黒の革靴。僕は靴下ははく主義。

 うん。就活の孫についてきたおじいちゃんみたいになった。

 イメージ力? もしかして、姿も変わるかな? ってちょっと若い頃をイメージしてみる。

 髪も増えたよ。感動だよ。鏡がないから顔はわからないけど、これで、娘とパパくらいになったかな?


「えっと、いくつか説明をさせていただきたいところですが、移動しながらでよろしいです?」

「うん。いいよ。でもちょっと待っていて?」


 僕はベッドに向き、僕(死体)の腕に顔を埋めている妻の髪を撫で(撫でれたよ(驚))、


「今までありがとう。とても幸せな人生だった。君のおかげで幸せな家庭も築けた。感謝しています。先に死んじゃってごめん。でも、僕の死を看取ることをお願いしていたよね。葬式は一番安いプランでいいから。僕のためにお金を使わないで。子供達にも、父は人生に満足して逝ったと伝えて。京子ちゃん、君も研究者だったから来世のことなんて信じていないと思うけど、また会えたら嬉しい。それじゃ、逝くわ。京子ちゃんは、長生きしてね。さよなら」


 妻の髪から手を離し、最後に息をしていない僕の顔を見る。

 幸せそうに逝ったように見えますように、と、両手の指で唇を上に持ち上げてみる。すぐ戻ったけど。

 苦笑いしつつ死神(仮)に、


「さあ、行こうか」

 

 と、声をかける。


「よろしいのでしょうか。それでは、お手を」


 と、左手を差し出す死神(仮)。

 僕は右手でその手を握る。握る……いいのか?セクハラじゃないよな。


「私が先に浮き上がりますので、長谷川様も一緒に浮くイメージを持ってください。では行きます」


 ふんわりと死神(仮)は浮いていく。

 死神(仮)の左手と僕の右手が伸び切ったところで、僕の体も宙に浮いていく。

 足が床から離れたのを見た後、視線を上に上げていく。

 あ、死神(仮)、君、黒のストッキングだったんだ。

 と、さらに目線を上げようとして、やめた。上げてはいけない気がしたから。

 視線を下に戻すと、妻が少しずつ離れていく。僕が離れていくんだけど。最後に、


「さようなら。京子ちゃん。大好きだよ」


 と、心の中でつぶやく。

 と同時に、視線が天井裏に遮られる。そして屋根もすり抜けて空にでた。建物、すり抜けたよ。

 外に出ると、深夜だった。時計は見ていないけどね。

 大きな月が出ていて、僕のうちの周りも月明かりに照らされている。遠くには街灯りが見えた。街は、海に接した平野に広がっており、僕の家は高台にある。

 空から見ると、我が家のあたりがまだ自然に近いことを思い知らされる。ま、予算のせいだけど。


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