邂逅 〜これは運命というものですか?〜
「回復が早いじゃないですか、さすがですタマエ」
案内された扉の前で待っていたのはジヨッコだった。
意味不明な褒め言葉でも声を聞くととても安心する。
昨日の体験で僕の中にジヨッコに対する友愛でも芽生えて仕舞ったのだろうか。
「あれ?二人は…」
気がつけば右手と左手を包んでいた対照的な感触が消えていた。
「タマエが遅いと八つ当たりをされて慌てて飛んで行きましたから。怖いのでしょう」
彼らが居ると居まいと機嫌は変わりませんがねぇ、とジヨッコは薄ら笑んだ。
「心構えが必要な相手ですか?」
「行く行くはわかることですが、隣町との話が上手くいかなかったのですよ。彼女は外界との外交にも熱心なものですから」
「お嬢、来られましたよ」
扉を開けると、ぷんとオーク樽の香りが鼻を突く。
部屋は一面畳で窓が無く、大小様々な本で彩られた大きな本棚とお酒の類やグラスが飾られたガラス戸の棚が一つずつ。
空いて居る壁という壁は様々な石のついたネックレスやアミュレットに破魔矢に絵馬、福鈴や見たこともない文様の装飾が施された杖等々、一目見ただけでは把握しきれない程の雑多な装飾品で飾られていた。
奥の2畳ほどの空間が一段上がっていて文机が一つ。
机上には積み重ねられた大量の本に紙の束、万年筆にインク壷。
そこに 彼女は いた。
先程のジヨッコの話から彼女はこの町の長的な人物だと玉枝は想像していたが、当たりだったようだ。
ただ、肝心のマキコサマは重なった紙の上に琥珀色の液体が入ったガラスボトルを置き、同じ色が注がれたグラスを口元に傾けていたが。
「お嬢?」
印象的なのはその髪型だった。丸髷とでもいうのだろうか、絹のような艶がある銀髪を丁寧に笄でまとめて居る。
格好はひと昔前に流行ったアール・デコスタイルのロングスカートに吉祥文様の着物を無造作に羽織っていた。
今流行りの格好ではないが古臭さは無く、逆にモダンな雰囲気さえ感じさせる。
素人目にも高価なものとわかる古めかしい 文様で彩られた椅子に座って、
彼女は空になったグラスに並々と琥珀色の液体を注いだ。
「お嬢、初対面の方に失礼なのでは」
初めてあった時のことを忘れたようにジョッコは言う。
(誰も彼もに失礼なことをされた気がするのだけど、心の中に仕舞っておこう)
「待ちくたびれたの」
答えになっていない返答をして、彼女は玉枝をしっかりと見つめた。
グラスの半分を一気に煽る。
「あなたはいつから私のお目付役になったのかしら?」
”真希子”と呼ばれた女性は くぃ 、と盃を呷った。
「お嬢、飲み過ぎでは」
「やっていられる?誰も彼も自分のことばかりねぇ?大局を観ずに滅びゆく種族にはなりたくはないわ」
先刻あったという隣町との軋轢のことだろうか、
それを揶揄する鋭い声質なのに不思議と甘い彼女の言葉に、
ジヨッコの優虞はけんもほろろに霧消し残るは大量の液体が喉を通る音だけ。
その音にをも色を持たせる真希子の魔性たるや。
玉枝はごくり、と生唾を飲んだ。
ジヨッコの表情が見世物かの如く変幻する。
この人は何者だろうか。
人の形をした異物の口がおもむろに開く。
ジョッコへ向いていた視線は不思議なことに玉枝の方へと注がれていた。
「私はマキコ。まことの”真”、希望の”希”、希望ある限り代々続く”子” 」
それが私の名前とばかりに、不敵な笑みを浮かべた妖女は並々と注がれた盃を差し出す。
「これからあなたは私の町に所属し、町のために生きることとなります。私の前にいるということは覚悟はできているということ。名前を教えて?」
彼女に吸い込まれる様に玉枝は足を進めた。
「ぼ、僕はタマエ。宝玉の”玉”に連なる”枝”、と言います」
彼女の香りに酩酊していたのであろう、恥ずかしい名前の伝え方をしてしまった。
そんな玉枝に真希子は飲みかけのグラスを差し出した。
玉枝も自然に受け取る。
こくり、と喉を通った琥珀色の液体は静かな熱を持って喉を通っていった。
甘美だった。
鼻に通る樽の香りは子供の頃に遊んだ大きな楠を思い起こさせる。
子供の掌くらいの盃の中身があっという間に消えていった。
「タマエはどうして私の所に来てくれたの?」
聴く人を桃源郷へ引きずり込む様な声で、先程の名前を問うた口調を忘れたかの様に彼女は僕を覗き込んだ。
金色の瞳に僕の全てを見透課されている気持ちがしてくる。
僕が求めるものは、ただひとつ。
両親も健在な幸せな日常、
僕の幸せは両親を心配させないこと、
そう。
就職も何もかも、 が 両親を安心させるため。
両親を僕という枷から解き放つため。
親元を離れ、外に出てわかったことがある。
欠陥品である人間が
人間らしく生きるためには
他の人がしている様に、同じ様に儀式をして、
儀礼に則り、つつがなく人生を送らなければいけないのだ
社会の一員として、
両親の子どもとして
それが高度成長期に生きていく者の定め。
親元で、現代社会から外れた生活を送っていた頃とは違うのだ。
僕の母は僕が生まれる前から体が弱く、日に当たると体調が悪くなってしまう疾患を持っている。
ただ母は平気で重いものを持てていたし、日陰であれば森の中を駆け抜けているすがたを見たこともあるから、一概に体が弱いと言って良いのかどうかわからないけれど。
そんな無理をしては倒れる母を献身的に支えるのが父だ。
猟師を生業としている父は見た目の通り屈強な体と豪快な心の持ち主だ。
父と母が一緒になった理由の約9割は父が母のことを好きすぎるから、だそうだ。
実家にいた時はそんな惚気話やくだらない会話をしながら日がな一日中家族でいた。
二人が一緒にいる時が最高に楽しそうだ。僕も二人と一緒にいると幸せな気持ちで胸がいっぱいになってくる。
母は昔から朝は決まって川の水を汲みに行きがてら近くのお稲荷様にご挨拶、
昼は竹林の隙間を縫って摘んできた野草と父が持って帰ってくれる獣肉を釜戸を使って美味しくしてくれた。
僕もよく父に付いて川へ魚を獲りに行ったり、山へ獣狩の手伝いに行ったものだ。
夜は蝋燭の灯りで過ごすことを好む、だから我が家には高度成長期に入ってきた近代的な道具は存在しない、かろうじて
冬の寒さを凌ぐ為の石油ストオブがあるくらいだ。
きっと今も無いだろう。
大学へ進学し、都会へ出た今だから感じることだが、あそこでの生活を同年代の友人に話しても信じてはくれないだろう。
「きっと社会の全てが新しいものに変わるころには、私は消えてしまうわね」
そんな母に父は豪快の笑みを贈る。
「大丈夫さ、私がついてる。なんとかするよ」
自給自足で生活する日々は決して楽な日ばかりではなかったはずだ。
でも、父と母はなんとかするのだ。
「僕も付いてるから大丈夫」
なんとかなるよ、それはいつしか僕自身の口癖になっていた。
父と母の現実の課題は二人でクリアできる。
けれど僕自身の現実はなんとかなりはしないのだと、
親もとを離れてむざむざと見せつけられた。
移動費で減ってゆく銀行の残高をみてため息を吐く。
「大丈夫だから。僕は僕でなんとかするから。父さんと母さんが一緒にいるのが僕の幸せなんだから」
電話口の心配そうな声に明るい声で答えるのが僕の習慣だ。
僕は、父と母を安心させるために此処に来た。
例え呼ばれたところが怪しくても、一般常識では考えられないことが起こっても、
気にしない、『してはならない』のだ。
「私たちを貴方は受け入れた、ということで良いのかしら」
「少なくとも現時点において、僕は気にしていません」
「気にしたら路頭に迷ってしまう?」
「それもありますけど、、今のところ皆さん悪い人に見えないじゃないですか。まぁ性格や行動に難ありかとは思いますけど、、」
僕の言葉に、キョ、トンと真希子が首を傾げた。
少し 間を開けて、
「アッはっははははははは!」
彼女は部屋全体が震えているかと錯覚してしまう程、大きく笑い声を上げたのだった。
そして今まで僕が見てきた中で一番の妖艶な笑みを浮かべた。
「貴方、さいっこう。私の所有物になりなさい」
理解してしまった。
彼女が 何故 に 愛 されるかを
僕はまさに今。
洗脳されてしまうのだ。
彼女に。
過去に何人も堕とされたのだろう瞳で、彼女はじっと僕だけを見据えていた。
端からはじまった痺れが頭の芯まで届きそうになった時。
それは冷めた目でこちらを見ていた。
きっとそれが僕がここに呼ばれた理由なのだろう。
白濁した脳内で、泡に塗率くされた僕が言い放つ。
「 ぼく は ぼく だろ 」
その瞬間、真希子が寂しそうな表情で微笑んだ。
「 そ れ で こ そ 後を継ぐ者 よ 」