第十一話 あなた自身の選択を
アイシャが『魂の憑依』の術者だというのは、ほとんど勘と言ってもいい当て推量だ。
だが外れているとは思わなかった。
魂の憑依などという希少な術を扱える者はそうはいないし、この広い大砂海で禁断魔法の才覚を持つ者がいたというのなら俺自身に起きた不可解な現象と繋げて考えるのは至極当然のことだ。
彼女はそれを否定せず、アサドにその術の扱い方を教わったと言った。
アサド曰く、アイシャの力の強さは、ともすれば無意識に漂う魂を引き寄せてしまうほどなのだと。
つまり、俺は何らかの拍子に魂が体の外に飛び出して、はるばる大砂海までアイシャの才能に惹かれて引き寄せられてしまったらしい。その勢いのまま、手近にあったサンドワーム幼体のの体に入ってしまっていたのだろう。
だから俺は、不測の事態が起きた時の最後の手段としてアイシャにある秘策を授けておいた。
それは本当に最後の手段で、できることなら使いたいモノではない。
それでも遺跡の中に魔神の眷属の強大な気配を感じた時、こうなるような予感はしていた。
そして、今。
俺は力が足りずに満身創痍となり、目の前には神秘的な美貌を持った少女がいる。
だから選択の余地など残されてはいないはずで――それでも、俺は選択を委ねることにした。
すべての決断は、それを行う者自身が下すべきなのだから。
***
「あのっ、だ、大丈夫……じゃなくて、その」
「ん? はは、気にすんな。大したこたぁねえよ。見かけは派手だが、まだまだやれる。ちょっとばかし、しくじっちまったけどな」
傷だらけの甲殻を見て言葉を詰まらせるアイシャに、俺はことさら陽気に声を返す。
空元気なのはバレバレかもしれないが仕方がない。
これはもう、そういう性分なのだ。今更変えられるようなものではない。
「けど、まぁ。格好がつかねえけど、猫の手も借りたい状況ではある。アイシャ。お前の返事次第では昨日話した秘策を、俺はやるつもりだ」
眼下では、骸骨の王が『砂の腕』によって砂中から引き上げられつつあった。
アイシャの側からでは砂煙に遮られて見えてはいないかもしれない。
だが、気配は感じているはずだった。強大な魔力を恐れるのは、生物としての本能だからだ。
「そ、それなら……」
「それでも、だ」
悠長とすら言えるほどに、俺は決断を焦らせなかった。
恐怖だとか、危機的状況だとか。そんなものに流された決意に意味は無い。
それをさせない為ならば、もう一度このズタボロの身体であの眷属と取っ組み合ってでも時間を稼ぐつもりだった。
「あの秘策は、俺にもどうなるか検討もつかない。下手をすれば、お前自身が消えてなくなってしまうかもしれない。それに俺がお前の味方であるって保障も、俺の言葉以外には無い」
リスクを計算できる戦いは、もう終わり、失敗した。
だからこの先に必要なのは打算や計算ではなく。
己の意志だけが導くことのできる、覚悟だ。
「アサドの時、お前は選べなかった。だから今度はお前が選べ。俺を信じるかどうか――お前自身が」
けれど意外にも。時間は必要ないらしかった。
俺の眼と少女の金の瞳が、一瞬だけ交錯する。
それだけで、それ以上の問答は不要になった。
……まったく。やっぱり強い女だよ、お前は。
直後。
砂の下から這い上がった骸骨の王が、幾本もの『砂の腕』を小さなアイシャへ殺到させた。
***
遺跡の壁を破壊し、自重に耐え切れなくなった『砂の腕』が崩壊していく。
一本や二本が崩れたところで砂がある限り何本でも腕は作り直せるのだろうし、つまりは事実上、大砂海にいる限り骸骨の王は無限に『砂の腕』を生み出せるのだろう。
そんなことを適当に考えてから、柔らかな皮膚に傷一つ無いことを確認しておく。
ただでさえ儀礼用とはいえ全身のほとんどすべての肌が露わになった、無防備極まりない格好なのだ。
薄布で覆われている胸元と股下でさえ防御力に大差があるとは思えない。
軽く指先でなぞってみても、胡桃色の肌は思った以上になめらかで繊細だった。
やれやれ、と嘆息する。借り物の体に万に一つも傷をつけることはできない。
この歳で少女をキズモノにして責任を取るなどいかにもあがちで、まったく冗談にならないのだ。
けれどしかしとりあえずはこのみずみずしい肌に傷痕が残ったりしてはいなかった。
安心して、事態を図りかねるかのように動きを止めているスケルトン・キングへと向き直る。
やはりそう、動きやすさなら人の体が一番だ。
例えそれが、十以上も年下の少女のものだったとしても。
すべての『砂の腕』を掠らせさえせずに躱し切って。
俺は神秘的な美貌を持つ彼女の体で、骸骨の王を指先で煽った。
「さぁ、第二ラウンドといこうか。デカブツ」
とはいえ実のところ。事態が劇的に好転したわけでは、もちろんなかった。
『こ、これ、具体的に一体どうなっているんですか?』
「さてなぁ。俺も憑依に詳しいわけじゃないからわからないけど、要するに一心同体ってヤツなんじゃないのか? あ、でもあれ倒すまでは体を取り戻そうとかしてくれるなよ。一撃でも回避し損ねたら俺もお前もオダブツだ」
バゴン、ズズン、と遠慮容赦なく振り回される骨の腕と『砂の腕』から、俺はアイシャの体で俊敏に跳ね回りながら遺跡の通路を逃げ続けていた。
アイシャの『魂の憑依』を利用し、アイシャの体の中に俺の魂を呼び込むことで、一時的に人間の肉体を取り戻したのだ。
といっても、やはり運動能力は元の体に比べれば格段に劣る。
魅力とかのステータスでなら多分こっちの体が圧勝なんだろうが、生憎と魅了が効きそうな相手でもない。
七夜の舞いとスラム育ちのお陰でかろうじて持久力と素早さは十分にあったので、無尽蔵に繰り出される骨と砂の腕には今のところ捕まってはいない。だがそれも時間の問題と言えた。
『じ、じゃあえっと、これからどうするんです?』
「そっちはまぁ、一応考えがあるよ。サンドワームの体でも正面からは押し切れなかったし、今は手数も足りない。だったら、手数を用意した上で弱点を突けばいい」
体を共有するアイシャが疑問を呈するが、口で答えるだけで済むのはありがたかった。
指先一本に至るまで動かしづらいと感じる部分はない。こちらを信じきって、体の支配権を完全に預けてくれているのだろう。年長者として、男として、その信頼には応えなければならない。
地響きのような轟音が立て続けにとどろいて、側面の壁が一挙に形を失った。
追いかけっこに業を煮やしたスケルトン・キングが、要塞の外側から『砂の腕』で遺跡の通路そのものを破壊しにかかったのだ。
これではどちらが遺跡の敵だかわかったものではないが、とうに本来の命令など忘れていそうな骸骨相手に文句を言っても仕方がない。土砂崩れのような勢いで崩れ落ちてくる壁の下、わずかな瓦礫の隙間を縫って、俺は崩壊の向こう側へと潜り抜けた。
『す、すごい……! どうしてあんな瓦礫の雨の中を、完璧にすり抜けられるんですか!?』
「モノの見方と体の使い方、あとは勘だな。達人の射手が放つ一本の矢に比べたら、狙ってもいない石ころなんていくら降ってきても怖かないよ。……ああでも、胸が揺れるのはちょっと困るな」
『そ、そんなに大きくありませんよぅ……!』
胸のことを指摘されて恥じらうアイシャは、珍しく年頃の少女らしく感じて微笑ましくなる。
しかし残念ながら、今はそれに和んでいる時間もない。
後でじっくりと、歳のわりに育った胸について褒め称えてやろうと思う。
平手の一発ぐらいは覚悟の上で。
そうして走り続けるうちに、どうやら目的の場所が近付いてきた。
正確には場所ではなく相手だ。
複数の人間の声が、崩れゆく遺跡の中を伝わってきている。
そして俺はわざと一度速度を緩め、背後の眷属に隙を見せた。
『砂の腕』が振るわれ、正面にあった遺跡の石壁が木板のように吹き飛んでいく。
紙一重で『砂の腕』を回避した俺は開放的になった遺跡の壁の向こう側に、目当ての人員がいるのをようやく見つけた。
「うっ……!」
それは、護衛を務めていた『砂海を継ぐ者』の残党と呼ぶべき人々だった。
アサドが行方をくらまし、一団が潰走状態に陥ったとはいえ完全に仕事を投げ捨てる気にはならなかったようで、護衛隊長のハリルが集団をまとめ、護衛たちは非戦闘員のしんがりを務めているようだった。
それでも彼らの目に覇気はない。
比較的余裕のあるハリルでさえ、圧倒的格上の敵を前に、戦うという選択肢は頭から消えてしまっているようだった。
壁を崩した『砂の腕』が崩れ去り、代わりのように手を足として移動するスケルトン・キングの臓腑に響く移動音が近付く。
戦いの前に、今ここにある条件を勘案してみる。
鍛えられていない体。
武器はろくに振るわれてもいない儀礼用の短刀。
人間の体に入るのはしばらくぶりで、背後には錯乱寸前で逃げ惑う頼りない連中。
目の前に迫っているのは、あらゆるモンスターの中でもこの世で最も恐れられる種族、魔神の眷属。
だから俺は、獰猛に笑った。
「上等だ」




