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西の国から…?

女の大きな声に、にわかに群集たちがざわめき始めた。女が指しているのがマーイカだと知って、どよめきは一層大きくなる。

「あら、あの子…」

「マーイカじゃないか」

「ダタンさんとこの…」

「ロビンちゃんも一緒じゃない…」

マーイカは、何が起きたのかわからないまま、唖然とした顔をしている。ロビンはこの世の終わりみたいな顔つきで、同じく女の方を見ていた。

ふと、花のような甘い匂いがして、マーイカは我に返った。案の定、今度は黒髪の女が、彼女の目の前に立っていた。ブロンド髪のがっしりとした立ち姿とは違い、こちらは幾分儚げである。

女は大きな瞳をこれでもか、というほどに見開き、感嘆の声を発した。

「まあ…」

まあ、がまるで歌の節のように聞こえる。

「まあ、じゃないよ」

ブロンド髪が呆れたように言った。さざ波のような彼女の声が、黒髪の女の前では少し尖っている。

「あら、ごめんなさい」

黒髪は悪びれもなくそう言うと、マーイカに向かってにっこりと笑いかけた。―その笑顔を見て、マーイカは不覚にもドキリとしてしまった。まるで蕾が花開いたようだ。目が離せない。

「可愛い子。あなた、お名前は?」

こうなるともうロビンなど蚊帳の外である。彼女は苛立ったように、周りを見回している。

「…マーイカです」

この女の、静かだが何処か逆らえない迫力に負けて、マーイカは口を開いた。その途端に、ブロンド髪がずいっと前に踏み込んできた。

「そう、マーイカ。あたしはナーツゴ。よろしくね」

「はあ…」

ナーツゴというブロンドの女は、この時初めて、マーイカの隣で今にも癇癪を起こしそうになっているロビンの方をちらりと見た。しかしまた直ぐに、マーイカに視線を戻す。

「ここじゃなんだから、ちょっと来て貰おうか」

「?」

その言葉の意味がまだ理解できず、マーイカは小首を傾げた。しかし賢いロビンにはわかったようで、彼女は狼狽した様子で、言った。

「マーイカ、逃げなきゃ!連れて行かれちゃう!」

「とんだ言われようだね」

ナーツゴは呆れたようにひとつ溜め息をつくと、ロビンの方に向き直った。

「大丈夫、何も獲って喰おうって訳じゃないんだ。それに…」

そう言って彼女は、ロビンの肩を軽く小突く。

「あんたには用はないしね」

これがプライドの高いロビンの癪に障ったようだ。ロビンは顔を真っ赤にして、ナーツゴに食って掛かる。

「何よ、人攫い!」

威勢よくロビンが叫ぶと、ナーツゴはその鳶色の眉を、困ったようにしかめた。

「随分気の強いお嬢ちゃんだね。…喧嘩するつもりはないよ、やめとくれ」

大儀そうにそう言って、黒髪女に向き直った。

「アーヤス、行こうか。ここじゃ一目も多すぎる」

黒髪女も同じように、少し困った顔をして、言った。

「そうね、この子に逢えただけで収穫だわ」

二人は顔を見合わせ、互いに頷いて、そのまま去っていった。

なにがなにやらわからないまま立ち尽くしているマーイカとロビンの耳に聞こえてきたのは、授業開始のベルの音だった―――。



「散々だったのね」

そばかす顔で、髪をおさげにしたエミリが言った。マーイカとロビンの級友である。彼女の家は、代々続く漁師の家だ―そのため、休みの日になると父と一緒に漁に出るらしい。男の子が居ないので、父の漁の手伝いをするのは彼女の役目だ。だからエミリのそばかすはなかなか治らない。

「驚いたわよ、私たちを通そうとしないんだもの」

ロビンは朝の様子を事細かにエミリに話している―彼女がナーツゴに吐いた「人攫い」という言葉は抜かしているようだが。

「でもね…」

エミリが急に声を潜める。きょろきょろと辺りを窺っているようでもある。

「あたし、聞いちゃったんだ」

「何を?」

いかにも《秘密めいた》その話し方に、マーイカは目を輝かせた(「下手すれば攫われるところだったのに、よくもまあそんなに呑気でいられるわね」とロビンが不平を漏らした)。

エミリはここぞとばかりに声を潜め、マーイカのどんぐり目を覗き込む。

「メープル先生と校長が話してたの。あの二人、もしかしたら『西』から来たのかもしれないんだって」

ええー。と思わず大きな声を出してしまった。マーイカはロビンとエミリの両方に小突かれた。

「それ、本当?」

心なしかロビンの声にも興奮が混じっている。どうやら朝の市場での一件は、村中に知れ渡っているようだ。

「ホントだぜ」

マーイカたちの後ろで言ったのは、ボーウンだった。彼の父はダタンと同じく役所に勤めている。この少年は体も大きく、クラスの中でもガキ大将である。

「俺の父さんも校長室に来てた」

「うっそー」

こうなるといよいよ本当らしい。真実めいてきたドラマティックな展開に、マーイカたちも話が弾む。

「そういえば、おかしな格好していたものね」

ロビンが納得したように言った。確かに彼女たちの装いは、ここらでは目にすることのない物だった。

「なんか、やばいんじゃないの」

エミリがいかにも恐ろしそうに言った。ボーウンも険しい顔をして、マーイカたちの方を見る。

「お前ら、声掛けられたんだろ?どうする?」

「西の民って、人を食べるんだって…」

ボーウンもエミリも、真剣な面持ちで二人の方を見た。その顔に、うっすらと恐怖の色が浮かんでいる。

「やめてよ」

ロビンが心外そうに言った。そういいながらも、少し不安そうである。

でも―マーイカには不思議と、恐怖心は生まれなかった。あの時に見た二人の女の、優しそうな顔がまだ忘れられないのだ。

それに…二人とも、この世のものとは思えない程に美しかった。ホットケーキ村にはまず、あのような容貌を持った者はいないであろう。そういう意味でなら、『西の民』だと言われても合点がいく。

「おーい」

マーイカとロビンが家の前までやってきたとき、長身で細身のダタン氏が、思い切り手を振っているのが見えた。黒い髪の毛があちらこちらに跳ねている。眼鏡を掛けたその姿には、明らかに人の良さそうな雰囲気が滲み出ていた。

「あれ?おじさん」

マーイカはダタン氏の姿を見て、小首を傾げた。時計を見てみると、夕方の四時を過ぎたところである。ダタンが帰宅するのはいつも、五時を過ぎてからなのに…。

その後ろに立っている二人の人物を見て、ロビンの足がすくんだ。

ダタン氏の後ろに、何の違和感もなく並んでいるのは、間違いなく、今朝逢った二人の女たちだったのだ。 

ロビンはマーイカの腕を引っ張って、一目散に逃げ出した。


「いやあ、すっかり意気投合してしまってねえ」

オーニャの淹れてくれた紅茶を飲みながら、ダタン氏が呑気に言った。その真正面には、ロビンとマーイカが硬い表情をして縮こまっている。ダタン氏の両側には、ブロンド髪のナーツゴと、黒髪のアーヤスがにこにこしながら座っていた。

「西の地方から来たって言うから、どれだけ恐ろしい人かと思ったら…」

「いやですわ、おじ様」

アーヤスがころころと、鈴を転がすように笑う(おじ様という言葉に、ロビンは嫌な顔をした)。

「ホント、西の民が人を喰うだなんて、誰が言ったんだか」

ナーツゴは悠々を紅茶を飲んでいる。時折オーニャに、「おばさん、この紅茶おいしいね」なんて言いながら。

「すまないすまない」

美女二人に挟まれて、ダタン氏はすっかり有頂天になってしまっている。ロビンはそんな父をいらだしげな顔で見つめ、マーイカは笑いを堪えるのに必死になっている。

「それで、なんでこの人たちが一緒に居るの?」

ロビンが尖った声で言った。ナーツゴはにやにやしながら、ロビンの方を見ている。

「それは…」

ダタン氏の視線が、ロビンからマーイカへと移された。その視線に、マーイカは驚いたように肩をすくめる。

「このお二方が、お前に話があるそうなんだ」

え、とマーイカの口から息が漏れた。ダタン氏のその言葉を皮切りに、ナーツゴとアーヤスが話し始めた。

「本当は、さっき最初に会ったときに話したかったんだけど…ああも人が居ちゃあねえ」

ナーツゴが言った。

「でも」彼女の鼻に、くっと皺が寄る。素敵な笑顔だ、とマーイカは思う。

「出来もしない人相占いをやった甲斐があったね」

「本当」アーヤスも困ったように笑う。

「それで―」

今度はアーヤスが、マーイカの方を見て言った。

「大切な話なの。だから…」

「私たちは席を外した方がいいのかな?」

ダタン氏がゆっくりとした口調で言った。アーヤスはその問い掛けに、にっこりと上品な笑みをたたえて、言った。

「いいえ、大丈夫ですわ。私たちが離れますので」

その言葉の意味が、マーイカにはよくわからなかった。アーヤスはつかつかとマーイカの方にやってくると、彼女の肩に手を置いた。また、花の香りがする。

同じようにナーツゴも傍に寄ってきた。アーヤスは、彼女にも手を添える。

「ちょっと花粉臭いけど、我慢するんだよ」

ナーツゴはそういって、マーイカに笑って見せた。これから何をするのかまったくもってわかっていないマーイカは、ただそのどんぐり目をぱちくりとさせているだけだった。

「ハニー・フラワー!!」


デュウウウウウウウウウウウン!!!!!!!!!


ダタン氏の家に、溢れんばかりの花弁が巻い散った。物凄い花粉の量だ。マーイカはむせるようなその匂いと、目の前を飛び散る花弁の美しさに、目を見張った。

やがてその大量の花弁は螺旋状になり、マーイカたち三人を取り囲んだ。その頃にはもう、この場にいる者で目を開けていられる者は居なかった。

ダタン氏一家が次に目を開けたとき―マーイカたちは跡形もなく消えてしまっていたのである。




背の高いナーツゴは、膝を曲げてマーイカの顔を覗き込んでいる。

「あ…」少しぼんやりとしているマーイカを見て、ナーツゴは呆れたように言った。

「駄目だよ、アーヤス。この子、あんたの花粉にやられちゃったみたいだよ」

さっきから何の話をしているのだろうか。事態がうまく飲み込めない。それに、ここは一体どこなのだろうか。うっそりと茂った木々たちの色は、緑色だ。ホットケーキ村には赤・黄・橙しか存在しないので、当然木々もその三色で彩られている。マーイカは樹木が緑色だということに驚嘆した。








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