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終わって始まる愛しき日々

作者:なっぱ
別作品を投稿しに来たのだが、PCにこないだ書いた短編を発見したので供養。
いちゃこら不足である。
竜の首が飛んだりするので、苦手な方はご注意願います。
 地響きを上げて大地に倒れ伏した巨体を眺めながら、ウルトはため息をこぼした。
 終わった。
 終わってしまった。
 ごとり、と音を立て、彼女が風の刃で跳ね飛ばした竜の首が少し離れた地面の上に落ちる。ぎろりと金色の目が恨みがましくこちらを見た。
「人の身で我を狩るか。恐れを知らぬ小娘め」
 万年を生き、ありとあらゆる魔法を使い、この世界の生命体の頂点に君臨する竜族。さすがの生命力だ。首が胴と離れても、まだしゃべる力があるらしい。だが、それもそう長いことではない。首を落とせば、もう再生は不可能だ。
 彼は今、最期の力を振り絞っている。
「罰当たりな。末代まで呪われるがいい」
 金色の禍々しい目に睨みつけられても、その目に強い呪いの魔法を感じても、ウルトは動じなかった。
「無駄だよ、邪竜の王ヴルム」
 うっすらと慈愛の笑みさえ浮かべて二十二になったばかりの彼女は首を横に振った。
「君の末期の呪いでさえ、私には届かない」
 竜族が恨みを込めて命の最期にかける呪いは強力で、それこそ呪いをかけられた当事者のみならず一族郎党を滅ぼすほどだ。それでも、ウルトがほっそりとした指をぱちんとはじいただけで、ヴルムの目に宿っていた呪いの力は薄れて消えた。
「なっ」
 驚愕のあまり目を見開いたヴルムだったが、すぐに嘲りの色を浮かべる。
「ああ、ああ、なるほど。そういうことか」
 はははは、と心底おかしそうに彼は笑う。
「お前はもう、とうの昔に、どうしようもなく呪われているのだな。ああ、かわいそうに」
 高らかな笑い声がかすれ、金色の目から光が失われ、命を失う瞬間まで竜は楽しげだった。絶対「かわいそう」だなんて思っていなかった。
 物と成り果てた頭を見下ろし、軽く眉をひそめ、返り血の一滴も浴びることなく竜の首を跳ね飛ばしたウルトはつぶやく。
「何もおもしろくないよ」
 他人事だと思いやがって。
 いやまあ、他人事なのだが。
 はあ、ともう一度ため息をこぼすと、彼女は腰にさしていた短剣でヴルムの青銅の鱗を一枚剥ぎ取り手荷物にしまいこんだ。それから、慣れた手つきで宙に古く力に満ちた文字を書き連ねる。
 ウルトの指先から光の線が伸び、文字となって宙に浮かび、ぐるりと輪を作る。空間転移のための陣だ。あとはその中央に軽く触れ、向かうべき場所を思い浮かべるだけでいい。
 いつも使っている魔法だ。失敗なんてありえない。
 それなのに、ウルトはほんの少しの間、陣に触れるのを躊躇した。
 これで、おしまい。
 そう思えば、気分は沈む。でも、いつまでもこうしているわけにもいかない。
 結局彼女は陣に触れて、魔法を発動させた。
 全身がまばゆい白金の光に包まれていく。
 ウルトの身体は「魔の山」と呼ばれた邪竜の王のねぐらから瞬時に消え去り、後にはヴルムの死体だけが残された。

 ふわり、と頬に穏やかな風を感じて目を開く。目の前には見慣れた堂々たる城門と顔なじみの衛兵たち、加えてこちらも顔なじみの少年が立っていた。
 目が合うと、衛兵たちは一斉に槍を捧げもって敬礼をし、身なりのよい少年はほほえんでからうやうやしく頭を下げた。
 半日前、空間転移魔法でここから飛び立つウルトを見送ってくれたときとまったく同じ仕草だった。
「無事のお戻り、何よりです」
 声変わり前の高い声なのに、彼――ロムリはいつも年齢に不相応な落ち着きを見せてくれる。
「首尾は――ウルト様を相手に、聞くまでもありませんでしたね」
 頭を上げて笑みを深めると、ロムリはきびすを返した。
「陛下もお待ちですよ」
 その言葉と同時に城門が重い音を立てながら開いていき、中に控えていた楽隊が高らかにラッパを吹き鳴らす。
「……やめてほしいってお願いしてるのにな」
 こんな風に出迎えられるのは国賓が入城したときだけだ。恥ずかしいし、分不相応なのでやめてほしい。そう何度も繰り返しお願いしたというのに、結局扱いが変わらなかったことにぐったりする。
「お嫌でしたら、陛下の提案したとおり、最初から謁見の間にいらっしゃってくださってかまわないんですよ」
 くすくす笑いながらロムリは言うが、ウルトは思い切り顔をしかめた。
「それはさすがにまずいと思う」
 謁見の間は、国王の昼の執務の中心のとなる場所だ。そんなところに突然乗り込むなど、不敬もいいところではないか。
「だいたい、王城には結界があるでしょ」
 他国の魔法使いに攻め込まれたりしないよう、ここには強固な結界が宮廷魔法使いたちによって張られている。彼ら以外の魔法使いはこの城の中で自由に魔法を使えない、ことになっている。
「おや。ウルト様には何の障害にもならないではありませんか」
 それなのに、ロムリはわざとらしく目を見開いて言いつのる。そして、それは彼の主からも言われたことだ。
「ウルト様にとって、城の結界など蜘蛛の巣程度のもの。わずらわしくはあるでしょうが、容易に切り裂けましょうに」
「……そのたびに結界を張りなおしてもらうのは悪いでしょ」
 うめくように答えたウルトに、ロムリはころころ笑いながらも「なるほど」とうなずく。
「ウルト様はおやさしいですね」
「そんなんじゃない」
 不興を買う趣味はないだけ、と続ければ、彼はますますおもしろそうに目を細めた。
 話しつつもふたりは王城の奥へ続く緋色の絨緞を進んでいく。すれ違う兵士や紳士淑女がウルトとロムリに道を譲り、頭を垂れる。ここでもウルトを国賓として扱うことが徹底されている。
 いつまで経っても慣れなかったが、これも今日で最後かとウルトはこぼれそうになったため息を押し殺した。
 やがて立派な扉が前方に現れる。謁見の間への入り口だ。
 誰何されることもなく重々しい両開きの扉が音もなく開かれる。
 広々とした白い石の大広間。天井から下がる光の固まりのようなシャンデリア。並ぶ白い柱には名工による彫刻が施され、ドーム状になった天井は白と黒を基調とした幾何学模様のモザイク画で覆われ、壁紙は特殊な刷りを重ねた金と銀の模様が麗しい。一段高くなった場所に置かれた玉座は、金の筋の入った黒い石を掘り出したもので、真紅の布を背もたれと座面に張り、金と緑の貴石を象嵌してあった。
 華々しい空間だが、玉座に腰かけるこの城の主はより圧倒的な存在感を放っている。
 背は高く、全身はしなやかな筋肉に覆われている。もともと色白らしい肌はうっすら日に焼けているが、張りときめ細やかさは失っていない。黄金を溶かしたような髪は強い癖をもってまるで獅子のたてがみのように波うち、深い青の目は生気に満ちて宝石などよりまばゆく輝く。
 顔立ちは彼の性質を示すように凛々しく、同時に連綿と続いてきた高貴な家柄を思わせる優美さをにじませる。
 こちらを見て笑う顔には自信が満ち溢れ、少しの負の感情も見てとれない。
 そこにいるのは、この大陸で一、二を争う大国・エスピア王国に君臨する若き王メルキアだ。
 明るい髪色と鮮やかな目の色、それに朗らかな性格の持ち主が多いエスピア人の粋を集めたような人物で、「エスピアの太陽」と呼ばれ国民からも慕われている。先王が病弱だったため成人早々に位を譲られ、齢二十六とまだかなり若いが、政治手腕はなかなかのものだ。内政は落ち着いているし、現在緊張状態にある隣国もない。まだ妃を娶っていないという点だけを国民と臣下一同から心配されている。
 祝福された人、というのは彼のような人のことを言うのだろう。
 自分のくすんだ灰色の髪とやはりくすんだ紫の目という組み合わせだって「冴えないな」とは思うものの別段嫌いというわけでもないのだが、メルキアに会うといつだってウルトは彼の美しさと力強さに圧倒される。
「半日、という言葉どおりの帰還だったな」
 声まで麗しい彼は、笑みを含んだ気安い口調でウルトに語りかけてきた。
「怪我はないだろうな?」
 いつまでそんなところに突っ立っているんだ、とうながされ、ウルトは謁見の間の入り口から玉座の前まで絨緞を進んだ。ここまで彼女を導いてきたロムリは玉座のある段のすぐ下に控える。彼はメルキアの侍従なので、そこが本来定位置なのだ。
 玉座の前に至ったウルトはひざまずき、手荷物の中からヴルムの鱗を取り出して差し出した。
「こちらを陛下に」
 ロムリが近づいてきて鱗を受け取ると、玉座に腰かけるメルキアに手渡す。
「そのような礼、必要ないと言っているだろう。顔を上げろ、ウルト」
 だいたい私の質問に答えていないだろう、と呆れたように続けられ、ウルトはしぶしぶ顔を上げた。真正面から受け止めるメルキアの視線はまばゆすぎる。
「……怪我は、ありません」
 目を泳がせながら答えると、手のひらの中でヴルムの鱗を弄んでいた彼は笑ってうなずく。
「ならばいい」
 毎回、メルキアやロムリはウルトが帰ってくるたびに何の怪我もしていないかと当然のことのように心配する。お腹の底をくすぐられているようなこそばゆさと居心地の悪さに、ウルトはきゅっと眉根を寄せた。
「これで、人に害をなしていた邪竜もすべていなくなった」
 ウルトの様子に気づいていないのか、メルキアはひとり満足げにつぶやくとやさしい目でこちらを見つめてくる。
「本当にご苦労だった、ウルト。毎度のことではあるが、褒美をとらせよう。何でも好きなものを言うがいい」
 ウルトはメルキアの臣下ではないが、これまで幾度となく魔法使いとして彼の依頼を受けてきた。彼は最初に約束していた報酬以外にも褒美を惜しまない。
 最初は郊外にウルト好みの家を建ててくれた。
 次に本の好きなウルトのため、王城にある王族専用書庫に入る権利をくれた。
 他にも薬草の宝庫である国王直轄領での採集許可や、魔法実験のための研究室、他国の珍しい鉱物や植物を用意してくれたり、見たこともなかった料理やお菓子を食べさせてくれたりした。時には「似合わないからいい」と固辞しているのに宝飾品やドレスを押し付けてくることもあったけれど、それもセンスのいい品ばかりで、改まった席にどうしても行かなければならなかったときに助けられた。
 彼はどこかウルトに褒美を与えることを楽しんでいる節がある。
「お前の成し遂げたことは、他の誰にもできないことだ。どんな願いだって、私は叶えるぞ」
 メルキアは誠実で、権力と財力を持っている。彼の言う「何でも」は比喩などではなく、本当に「何でも」だ。
 だからこそ、ウルトは自分を律しなくてはならない。
 深く静かに深呼吸をすると、ウルトは努めて落ち着いた声で呼びかけた。
「陛下。今回は、ふたつ、いただきたいものがあるのですが、よろしいでしょうか」
 メルキアの澄んだ青い目が丸くなる。
「どうした、珍しいな。いつもは『特にありません』と繰り返したあげく『お任せします』と投げるくせに」
「だめでしょうか」
「そうは言っていない。もちろん叶えよう」
 傍から見れば安請け合いのような軽い調子で彼はうなずく。
 ウルトが初めて口にする「望み」にわくわくしているのか目がきらめいている。
「最初に、北大洋にあるドーラス諸島のうちのひとつを、お譲りいただけませんでしょうか?」
 島が――土地が欲しい、というのは国王に願い出る褒美としてそれほど突拍子もないものではないはずだ。メルキアもそう思ったのか、「おお、意外とまともだ」と目を瞬かせてから、「でもなぁ」と首をかしげた。
「別にかまわないが、あんな辺鄙な土地どうするんだ? 特に資源もないし、船で行くにも海流が複雑だし、転移魔法を使うにしてもお前以外の魔法使いは一度で飛んでいけないような秘境だろう」
 島が欲しいのならば南大洋のウィリス島などどうだ、と温暖で海洋資源も豊富な一等地を申し出てくる彼に、ウルトはかぶりを振った。
「いいえ。ぜひ、ドーラス諸島のひとつで」
 むしろ、あそこでなくてはならないのだ。
「むろん、お前たっての願いだというのならば否やはないが」
 よしやろう、と膝を打ったメルキアに深々と頭を下げて謝意を示す。
「それで? ふたつめはなんなのだ?」
 うながされ、ウルトはひそかに息を詰めた。
 ああ、ついにここにたどり着いてしまった。
「陛下」
 顔を上げ、笑顔でこちらを見つめる秀でた美貌をまっすぐに見返す。
 彼は初めて会ったときから、いつだってウルトのことを真正面から見てきた。目をそらされたことは一度もない。
「なんだ。何でも言ってみろ」
 ウルトが言いよどんでいるのを、自分に対する遠慮だと思ったらしい。目元を緩めて、笑みをさらにやさしいものにする。
 やさしく、賢く、誠実なメルキア。多くの人間が彼に惹かれるのも納得できる。彼はそれだけの魅力にあふれている。
 自分から視線をそらして目を伏せると、ウルトはひそかな自嘲の笑みを唇にのせた。
 違うのだ。言いよどんだのは、遠慮などではない。メルキアが自分の願いを叶えてくれることにいっぺんの疑いの余地もない。
 だから、ほんとうは、願いたくなんて――。
「陛下。私はいただいた島で隠遁生活を送りたく思います。エスピアはもちろん、他国からの干渉がなきよう、陛下のお力添えをたまわれればと――」
「待て」
 最後まで言う前に、メルキアに言葉をさえぎられた。口をつぐんで視線を上げれば、困惑しきった表情で彼が額に手を当てていた。彼のそんな表情はなかなかに珍しい。
「どうしてそうなる」
 どうして、とは、それこそ「どうして」だ。
 だって、ウルトは今日、邪竜王ヴルムを狩ったのだ。
「陛下に初めてお会いしてからもう二年が経ちました」
 あの日のことは、今でもはっきりと覚えている。
 二年前まで、師匠の元を出てからのウルトは世界中を放浪していた。依頼され、それがウルトにとって問題のないものであれば叶え、対価をもらって生活をしていた。メルキアからの呼び出しにも、だから特に気負うことなく応じた。権力者の願いを突っぱねても問題ない程度の力は持っていたが、面倒ごとはできれば少ない方がいい。何か無理難題をふっかけられたら、これまでどおり逃げ出せばいいと思っていた。
『お前が空前絶後の大魔女ウルトか? 思っていたよりもずいぶん若いんだな』
 会えてうれしいぞ、と。ウルトの評判を聞いて呼び出したのだろうに、メルキアはこれまで出会った依頼主とは違って屈託なく笑った。
『なあ、お前は「神さま」を殺せるか?』
 それなのに、彼の依頼はあまりに壮大で、ウルトは息を呑んで彼を見つめ返した。
 青い目は、笑っているのに真剣な光を宿していて、ウルトは彼が本気なのだと理解した。
『天上の神々はたぶん無理です。地上にいる「神」と呼ばれるものたちならば、可能です』
 だから、自分も正直に答えた。
 天上の神々にはそもそも会ったことがない。でも、地上にいる人間が「神」と呼び、崇め、恐れるもの――人間を気まぐれに虐げる竜や巨人族や魔獣といったものならば会ったこともあるし、戦ったこともある。
 普通の人間であれば束になってかかったところで手も足も出ない存在だったが、ウルトの敵ではない。
 メルキアは楽しげに笑って「よし」とうなずいた。
『では、力を貸してくれ、ウルト。私はこの世界を人間にとって住みよい場所に変えたいんだ』
 お前にしかできないことが多くてな、となんてことないことのように言った。
 それが、どれだけ傲慢な望みなのか、彼もウルトも分かっていた。それでも、それは「悪い望み」とは言えなかったし、彼の言うとおり、それは世界中でウルトにしかできないことだった。
 それからのウルトは、今までどおりに様々な人間の依頼を受けつつも、主にメルキアの望みのために動いてきた。
「私は巨人族を勝負で負かして人間を二度と襲わぬようにと誓約を立てさせましたし、魔界の門を片っ端から封印して魔獣がさまよい出てこないようにしました。行方不明者が続出していた海域は原因だった魔力の乱れを整えました。古代文明の魔法実験失敗の結果誰も立ち入れない『悪夢の地』と呼ばれていた平野は浄化しました」
 そのたびにメルキアは「よくやった」と喜んで、ウルトに過分な報酬と褒美を与えた。
「そして今日、人間との共存を拒み続けてきた最後の邪竜を滅ぼしました」
 地上にはまだ竜が残っているが、彼らは人間に友好的で、長い寿命ゆえの叡智を授けてくれるありがたい存在だ。
「これで、世界から『私でなければどうにもできないこと』はなくなりました」
 もう二年、と先ほどのウルトは言ったけれど、たったの二年ですべては終わってしまった。
 もうこの世に人間の力ではどうにもできないことは気象や災害程度だ。
「今、世界に人間の繁栄を脅かす『神さま』は存在せず、エスピアも陛下のお力ゆえに内外ともに安定した状態です」
 メルキアが願ったことは実現した。
「しかし、私が魔法使いとして存在し続ければ、この国に外憂を招くこととなりましょう」
 人間の力でどうすることもできなかった「地上の神々」が消え、彼らを恐れる必要がなくなったことで、これからの人間は今まで以上に繁栄し、同時に人間どうしの争いに明け暮れることになるだろう。
 ウルトは今、エスピアで居住しているし、メルキアに仕えているわけではないものの彼と友好関係にあることは各国の指導者が知っているはずだ。「空前絶後の大魔女」と呼ばれている自分が一国の主と親しくしていることは、きっと彼らの神経を逆なでする。
「そして私は、人間どうしの争いに力をふるうつもりはないのです」
 それに対する助力を乞われたところで、ウルトは応じない。たとえメルキアからの依頼であっても、だ。
 人間は身の丈にあった人間どうしの力で争えばいい。「神さま」を殺すほどのウルトの力は、もう過ぎた力であり、伝説の中にしか必要のない力だ。
 つまり、ウルト自身が自分で排除してきた「神さま」同様、もうこの世界には不要な存在となった。だから隠遁する。
 いたって簡単な理屈だ。
 それに――。
「本当に欲しかったものは、もう、最初にいただいておりますので。これ以上望んでは、きっと罰が当たります。だから、頃合なのです。そろそろ隠遁するのがいいのです」
 珍しく自分の顔に自然と笑みが浮かぶのを感じる。よほど珍しかったのか、メルキアが目を見開き、しかしすぐに眉間にしわを寄せる。
「なんだ? 家か? そんなに気に入っていたのか?」
 そんなに喜ぶのならばもっと立派なものにすればよかった、とぶつぶつ言うメルキアに、ウルトはゆっくりと首を振った。
 もちろんあの家もうれしかったけれど、ほんとうにうれしかったのは違うものだ。
「私は、恐れられることも、憐れまれることも、妬まれることもなく、ただ『普通に』存在することを許してもらえる場所があるのだと、あってほしいと、ずっと願っていました」
 静かに語ったウルトの言葉に、メルキアが再び目を見開き、すぐに痛ましげに顔をゆがめる。
 彼はきっと、ウルトを招く前に彼女の半生を調べたはずだ。これほどまでの大国の王が素性の知れぬものを王城に招くわけがないのだから。
 ウルトは、優れた魔法使いの両親の間に生まれた初めての子どもだった。父はある国の宮廷魔法使いで、母は市井にありながらも多くの人々に頼られる賢女と名高い魔女だった。
 ふたりは、自分たちの初めての娘が並外れた、自分たちどころか、世界に並ぶ者もいないほど魔法の力に溢れた存在だとすぐに気がついた。
 そう、ウルトは、あまりにも過大な魔法の祝福を受けた――過ぎたる祝福が呪いになるほどの魔法使いとしてこの世に生れ落ちた。
 彼らが並みの――ウルトの力を計ることもできない魔法使いであれば、ウルトのその後の人生も変わったのかもしれないけれど、そんなのは意味のない仮定だ。
 力の使い方を誤れば、国ひとつ吹き飛ばす。そんな幼子を育てることになった両親は大変だっただろうし、正直愛情よりも恐怖が勝ったとしても誰に責められもすまい。
 表面的な愛情と押し殺した恐れの視線。それが、幼い日のウルトにとって両親から与えられるもののすべてだった。それしか知らないからそれが当たり前だと思っていたのに、ウルトが四歳のときに弟が生まれてその常識は粉々になった。
 弟は「普通の」魔法使いの才を持って生れ落ちた。両親は彼の誕生を泣いて喜んで、あふれんばかりの愛情で包んで育てた。
 自分が弟とは違うこと。自分が両親にとって必要な存在ではないこと。すべてがすとんと胸に落ちた。
 だから、両親に自分から申し出た。
『家を出て、大賢人と名高い大陸いちばんの魔法使いのもとへ弟子入りしたい』
 彼女の願いはあっさりと受け入れられ、五歳になった年にウルトは家を出た。以来、両親と弟には会っていない。
 師匠となってくれた人はウルトを歓迎してくれた。おそらく自分もウルトと同じような扱いを両親から受けたのか、幼くして家を出ることになったウルトのことを憐れみ、同時に慈しんでくれた。
 師匠は、ウルトにとって元の家族よりも家族と呼ぶにふさわしい人だった。彼の愛情は本物だったし、両親からは与えてもらえなかったぬくもりを彼からはたくさんもらった。
 でも、その愛情の奥底には、いつだって憐れみがあった。彼にとってウルトは「過ぎた魔法の才ゆえに両親から捨てられたかわいそうな子」だった。
 それでも、師匠の家での生活は穏やかで、ウルトはこんな日々がずっと続いていけばいいと願っていた。
 転機が訪れたのは、ウルトが十七になったときのことだった。ウルトも魔法使いとして一人前になり、師匠と共同で魔法研究をしていた。師匠が組み上げていく魔法を眺めながら、ふと疑問に思って口を挟んだ。
『師匠、あの、そこなんですけど、そうじゃなくて、こう――』
 してみては、と実演しようとしたところで、師匠が目を見開いているのに気がついた。
『師匠?』
 彼の眉が垂れ、目が悲しげに笑うのを見て、自分が何か失敗したことを悟った。
『……ウルト。その手法はきっと、世界でお前にしかできない方法だよ』
 それまで、師匠とウルトの魔法使いとしての力は、長く生きて吸収してきた知識の分師匠のほうが優れていた。それが、そのとき、その瞬間に逆転してしまったのだ。
 ちらり、と師匠の目によぎった感情を、ウルトは見逃すことができなかった。それをとらえられてしまったことを、師匠も気づいた。
『ウルト。ウルト。すまない。お前はかわいい弟子だ。成長は喜ばしい。それなのに、それなのに私は――』
 両手で顔を覆って恥じるようにうめいた師匠を前に、ウルトは立ち尽くした。
 彼の目によぎったのは、嫉妬。十七にして自分を追い抜き、これから先、「大賢人」と呼ばれた自分よりももっともっと先へ――おそらく誰一人至ることのなかった場所へ進むウルトへの魔法使いとしての嫉妬の感情だった。
 ウルトにはどうすることもできなかった。
 師匠は今までどおりにふるまおうとしてくれたけれど、彼の目によぎる嫉妬の炎は日ごとに大きくなり、苦しげに顔をゆがめる彼を見ていたくなくて結局ふたたび家を出た。
 その後の三年ほど、メルキアに最初の褒美として家を与えられるまでウルトはひとところに定まることなく暮らしてきた。ひとところに定まらなかったのではなく、正確には定まれなかったのだが。
 独り立ちして以来、ウルトの魔法の力は日に日に大きく育っていった。誰の庇護も必要とせず、どんなものも脅威にならず、彼女はどんな過酷な場所でも生きていくことが出来た。
 そのあり方は、「人間」と呼ぶには特異すぎた。
 あまりに大きな魔法の力を持ったウルトを普通の人々は恐れ、市井に腰を据えようとすれば石を投げた。同族の魔法使いたちは妬み、輪の中に入れようとはしなかった。権力者たちはウルトを囲い込み、都合のいい兵器として利用しようとしたから逃げ出した。
 ウルトは誰よりも力を持っていたけれど、いつだって逃げていた。誰もウルトを受け入れないかわりに、ウルトは誰にも捕まらなかった。
 だから、メルキアに呼び出されたときにも、本当は警戒していた。
 それなのに、対面したメルキアの目には恐れも、憐れみも、妬みも、たくらみも、何もなかった。ただ笑って、ウルトの助力を願った。
『お前にしかできない』
 彼が口にした言葉は、ただの事実だった。
 彼の目に映っているウルトは、強大な力を持つ魔女だったが、同時に二十の娘で、事前に身の上は調べてあるが初対面の相手で、ただそれだけだった。
 悪感情も、過剰な好感情も、何も青い目には浮かんでいなくて、それが妙に心地よかった。
 初めての仕事――巨人族を勝負に引きずり出した上で負かし、人間に危害を与えぬという誓約書を書かせた――を終えて帰ってきたウルトを、彼は当たり前のように「怪我はしていないか」と心配してくれた。ウルトの身体を傷つけられる相手なんて、この世にはきっといないのに。
「褒美をとらせよう」と言われて、「もとの報酬以外は何もいらない」と答えれば「欲がない」と笑われた。
『お前はお前にしかできぬことをしたのだぞ、ウルト。もっと胸をはればいい』
 そう言われて、不思議な気分になった。ウルトにとって自分の魔法の力は重過ぎる荷物なのに、彼にかかると得がたい宝物のようだ。
 彼がそんな風だからか、最初はウルトを恐れていたロムリや城の人々、ウルトの家の周辺の住民たちも、次第にウルトに打ち解け、笑顔で普通に話しかけてくれるようになっていった。
 あいかわらずウルトは「普通」ではなかったけれど、エスピアでのウルトの生活は「普通」になっていった。
「この二年間は、私の願いが叶い続けた時間でした」
 それを与えてくれたのは、目の前の青年王だ。
 感謝と親愛の念を込めて、もう一度彼に笑いかける。
「私、もう十分です。だから、これからの世界で余計な火種になるだけの私は、消えてしまいたいのです」
 実際に命を絶つことも考えたが、それはまだ少し怖かった。であれば、滅多に人の来れない僻地で温かい思い出を胸に隠遁生活を送りたい。
 メルキアの依頼を受けたときから考え続けてきた。そうして決めたことなのだ。
 だからどうか私の願いを聞き入れてください、と頭を垂れる。
 ここまで言えば、メルキアも納得して快く願いを叶えてくれるはず。そう思って、じっとそのまま返事を待っていたのだが、なかなか返ってこない。それどころか、何やらロムリとごにょごにょやりとりしている気配がある。
 何事だ、とそっと視線を上げると、眉をつり上げて、頬を赤くしたロムリが彼にしては珍しくメルキアに食ってかかっているところだった。
「ほら、陛下。だから言ったじゃないですか。ウルト様は絶対見当違いな方向に突っ走るから、さっさと手を打っておいたほうがいいって!」
「あー、だがな、ロムリ。いちおうウルトの気持ちもあることだしな?」
 そこまでやりとりをして、メルキアは眉間にしわを寄せたウルトの視線に気がついた。
 気まずそうに黄金色の髪をぐしゃぐしゃとかき乱すと、おほんとわざとらしい咳払いをする。
「うん。お前の言いたいことはおおむね理解した」
「では――」
「だが待て」
 叶えていただけますね、と身を乗り出そうとしたウルトを、彼は片手を掲げてさえぎった。
「なるほど、確かに現在ウルトの力を必要とする案件は世界からなくなった」
「はい」
「ここからは今まで以上に私ががんばるべきところだ」
「陛下は十分お仕事をなさっているかと思いますが」
 首をかしげると、メルキアは照れたように笑った。
「ありがとう」
「いえ……」
 彼が何を言おうとしているのか、いまいちつかめず、ウルトは目を瞬かせる。
「大きな脅威のなくなった世界で、ウルトは自分の力を人間どうしの争いに使おうとする者が現れるのではないか、自分がいるせいでエスピアが余計な火種を抱えるのではないか、と心配しているのだな?」
「はい」
 ウルトを利用しようとする者は絶対に現れる。これまでだって国家間の戦争に協力するように、と命じられ、逃げてきたことが何度もあるのだから。
「これはとても大切なことだから訊くのだが、エスピアでの暮らしが嫌になったわけではないんだな?」
「それは……もちろん、はい」
 ここで暮らした二年間は、師匠のもとで暮らした頃以上に居心地がよかった。叶うことならば――とそこまで考えてウルトは大きくかぶりを振った。
 多くを望んではいけない。自分にはそんな資格、ない。自分が残れば、不幸を撒き散らすだけだ。
「それならば、ここに残ればいい」
 あっけなく言い放ったメルキアに、ウルトは顔をしかめた。たった今までの確認作業はなんだったのだ。
「ですから――」
「誓おう。お前が望まない限り、私がお前の魔法使いとしての力を願うことは二度とない」
 心臓の上に手を当てて、正式な誓いの作法でメルキアが告げる。自分がウルトを人間との争いごとに駆り出すことはない、と宣誓する。
 だが――。
「そこは、あまり心配していません」
 メルキアが自分を兵器のように扱うとは想像できなかった。
「陛下は、たぶん、私が嫌がることを強いたりはなさらない、ですよね?」
 ウルトの怪我を心配するメルキアだ。そんな彼がウルトの拒むことをさせるとは思えない。
「ああ当然だ。そんなことをしては、お前に失望されるではないか」
 首をかしげて問いかければ、メルキアは力強くうなずいた。だが、ウルトに失望されようがどうしようが、彼にとっては痛くもかゆくもない気がするのだが。
 首をさらにかしげようとしたところで、問題はそこではないのだ、と思い直す。
 それなのに、ウルトが口を開くよりも早く、メルキアが言葉を紡いだ。
「私から、ひとつ、提案がある」
 とりあえず黙って言葉の先を待っていると、彼は思いもよらぬことを言いはじめた。
「確かにこの先、ウルトを狙う不届きなやからが我が国に攻め入ってこないとも限らない。だが、それはウルトが隠遁しようと来るものは来るだろう。そこで、だ。ウルトが死んだことにしてしまえば、どうだろう」
 確かに世界の辺境ドーラス諸島に引きこもろうと、来るものは来るとは思っていた。そこは周囲に迷惑をかけずにすむ辺境ゆえ、魔法を乱発してでもお引取り願おうと思っていたのだが。
 だが、確かに死んだことにしてしまえば手っ取り早い。この世のどこにもいない者は探しようもないのだから。
「余計な者がエスピアに攻め入ることもなく、ウルトもこのままこの国に残れる。どうだ。悪い話ではないと思うのだが」
「そんな、うまくいくでしょうか」
 あまりにおいしい話で、心配になってくる。
「そこは心配するな。私と有能な部下が本気を出せばなんとかなる」
 ウルトが魔法に秀でているように、こういった作業は我々の専門だ、と言い放つメルキアと、なぜか脇のロムリも自信満々の表情だ。
「もちろん、しばらくは人前に出てもらってはまずいから、引きこもってもらうことになるが、ウルト、お前記憶操作の魔法も使えたよな? 今まで出会った中で、お前を利用しようと考えそうなやつの記憶から自分の顔や姿を消すことはできるか?」
「できます、けど」
 とんとん拍子に話を進められ、気圧される。
「外で使う名前は変えてもらうことになるが、それは大丈夫か?」
「えっと、はい」
「情報操作が終わるまで隠れていてもらう場所だが、東の湖の離宮はどうだ?」
「えっ、恐れ多いです」
「いいところだ。気にせず使え。あとは使用人だがロムリと、侍女を数人つける。何か日用品でこだわっている物は?」
「……ありません」
「今使っている家から絶対に持って行きたいものは何かあるか?」
「魔術書をすべてと、あと入手の難しい薬種を数点、でしょうか」
「手配しよう」
 次々に投げかけられる質問に答えながら、ふと疑問に思って、口を挟んだ。
「あの、陛下?」
「ん? なんだ?」
 朗らかな笑みを浮かべた相手に、戸惑いながらも問いかける。
「もしかして、なんですけれど、その、もしかして以前から、このこと、計画していらっしゃいましたか?」
 たった今決まったことにしては、手際がよすぎる。
 メルキアはウルトよりずっと頭がいい。ウルトが人間の脅威をすべて取り除いたあと、人間どうしの争いが本格化し、ウルトを狙う国や権力者が現れることは十分予測可能だっただろう。
 ウルトが自分の身の振り方を考えていたように、彼もすべてが終わった後のことを先回りして準備を整えていてくれたのかもしれない。
「すみません、私のために」
 申し訳なくなって肩を落とすと、メルキアはなぜか照れくさそうにそっぽを向いた。
「……お前のためだけではないぞ。主に私自身のためだ」
 どうしてこんな骨折りがメルキアのためになるのだろう。ウルトはエスピアに留まれるならばうれしいが、メルキアにとっては別に得になることは何もない。
 もしかして――と自分に都合のよすぎる想像をして、ウルトは頬を染めてひとりかぶりを振った。
「ん? どうした、ウルト。顔が赤い」
 見咎められ、恥ずかしさにますます顔に血が上る。
「え、あの、そのぅ、これは――」
 ああ、でも、たまには素直にこの気持ちを伝えてもいいのかもしれない。メルキアは、きっと呆れたりなんてしないだろうから。
「私、本当は、どこにも行きたくなんてなかったんです。このまま、エスピアに、陛下のそばに残りたかったから、うれしくて」
 本当の望み。エスピアのためにも、メルキアのためにもならないと思って飲み込んだ望みだったのに、こうやって叶えてもらえた。それがうれしくて、たまらなく幸福だった。もし――もし万が一、メルキアもウルトと離れがたく思ってくれていたのだとしたら、そんなの幸福すぎてきっと死んでしまう。
 へにゃり、と自分でもこれまでの人生でした覚えのない、情けないほどに気の抜けた笑みを浮かべると、どうしてだかメルキアの顔まで赤く染まった。
「……なんだこの無防備でかわいい生き物は。何を試されているんだ私は」
 両手で顔を覆ってぶつぶつ言っている彼を、ロムリがあきれたような表情で見上げている。
 しばらくして両手を顔から離したメルキアは、表情を引き締めてこちらを見つめてきた。
「ウルト。すべてが終われば、お前は強大な魔女としてふるまう必要はなくなる。ただのウルトになれる。そうしたら、ずっと伝えようと思っていたことがある」
 いつも笑みを浮かべている彼が真剣な表情を浮かべると、もともと顔立ちが整っていることもあり、妙に緊張してしまう。
 背筋を伸ばして、息をつめ、ウルトはじっと彼の言葉を待った。
「私はお前が好きだ、ウルト」
 思いもしない言葉が飛んできて、横っ面をはたかれたような衝撃を受けた。
「愛している」
 好きって何だったっけ、と現実逃避をしていたのに、容赦なく第二波に畳みかけられた。
「初めて会ったときから、ずいぶん愛らしい見た目だとは思っていたんだが、誰にも成し遂げられないことを涼しい顔でやってしまうところとかかっこいいしな、褒美はいらないと言うくせに好みのものを差し出されると顔がゆるむところとかかわいいしな、自分では気づいてないだろうが私の顔を見るとちょっと安心したように眉が下がるのたまらないしな、そんなに表情を変えないのに何を考えているか丸わかりなところがおもしろいしな――」
「陛下、少し、待ってください!」
 とどまるところを知らぬ波状攻撃にウルトは声を張り上げた。彼の前でというか、これまでの人生でこんな大声を出したのは初めてだ。
 見なくてもわかる。今の自分の顔は先ほどの比でなく真っ赤になっている。
「気づいていなかったのか?」
 先ほどまで赤い顔をしていたくせに、今のメルキアは開き直ったかのようにあっさりそんなことを言う。
「そ、そんな気配、微塵もなかったじゃないですか!」
 涙目で訴えれば、「そうか?」と彼は首をひねる。
「これまで、それなりに好意を示してきたつもりだったんだが」
 そう言われてみれば、夜会に招待されたときにはたくさんの女性からダンスに誘われていたのにずっとウルトのそばにいてくれたし、どこかに出かけた折には必ず「土産だ」と言ってウルトの好きそうな菓子を買ってきてくれていた。他にもいつの間にか好きな色を把握していたり、興味を引きそうな本を紹介してくれたりと気にかけてくれていた。
 思い返せばまだまだ出てきそうだ。
「それにお前、ぐいぐい距離を詰めたら怯えて逃げそうだったし、魔法使いとしての自分が必要で囲い込もうとしてるんだろうとか勝手な想像しそうだったし」
 ぐうの音もでない正論だった。でも、だったら!
「な、なんでいまさらそんなこと言い出したんですか」
「だから言ったろう? すべて終わってお前はただのウルトになることになったし、私は魔法使いのお前を利用しないと先ほど誓った。それに、積極的に距離を詰めていかないと、私もお前にそばにいてほしいと思ってるだなんて想像もしないで勝手にどこかに行こうとするだろう?」
 今度こそ何も言い返せなかった。
「これでも私の愛を疑うのか」
 からかうように声をかけられ、ウルトは黙り込んだ。
 疑ってなんていない、最初から。メルキアはそんなたちの悪い冗談を言う人ではないし、彼の声も表情もあんなに真剣だったのだから。ただ、あまりのことに動揺してしまっただけだ。
 赤面してうつむいたままになったウルトに苦笑すると、メルキアは玉座から立ち上がってこちらへ歩み寄ってきた。
「まあ、とりあえず、このままエスピアに留まってくれるのだろう?」
 手袋に包まれた大きな手に頬を包まれ、顔を上げさせられる。思えば、手袋越しとはいえ彼に触れられるのは初めてだった。
「……はい」
 ちいさくうなずくと、彼も満足げにうなずいて、それからちょっとわざとらしく眉を上げて見せた。
「おや。これでは今回の褒美がなくなってしまったな」
 ウルトのドーラス諸島隠遁計画は白紙に返ったので、そういうことになるだろう。
「ウルト。他に何か欲しいものは?」
 ウルトの頬を包んだまま、至近距離から顔を覗き込み、メルキアは甘くほほえんだ。
 彼の青い目がなんだか意味深に輝いている気がするのだが――これは深追いしてはいけない気がする。
「……特にありません」
 結局いつもどおりの返答をすれば、メルキアはため息をこぼす。
「本当に欲がないなぁ」
 その声には残念そうな響きと、「しかたないな」とあきらめながらもこちらを慈しむ響きが宿っていた。
「まあ、いい」
 ほほえんだ彼はウルトの頬を包んだ手をすべらせ、そっとなでてくる。
「ウルトを捕らえることは誰にもできないんだから。お前が望んで選んでくれなくちゃ意味がない」
 最後にそっとウルトの頬をなであげ、メルキアの手は離れていった。その感触に、ぞくぞくと初めて感じるしびれのようなものを覚えてウルトは身をすくめる。
「私はお前のどんな望みであろうと叶えてみせる。忘れるなよ」
 いたずらっ子のように笑い、彼は玉座へ戻っていく。たった今までの至近距離から離れていくのが少し寂しくて、そんなことを思う自分がおかしかった。彼は玉座。自分はここ。それが今までの距離感だったのに、何かが崩れてしまった気がする。
 落ち着かずもじもじとしていたウルトに、そっと近づいてきたロムリが耳打ちした。
「東の湖の離宮は、代々国王の婚約者の姫君が結婚前に滞在する場所なんですよ」
 びっくりしすぎて息が止まった。好きだとは言われたが、まさか結婚だなんて、メルキアだって思っていないはずだ。だって彼の妻は王妃になるのだし、ひいては国母になるのだ。ただの魔法使い――どころか魔法使いという肩書きすらこれから捨て去る一介の小娘がおさまるべき地位ではない。
 そんな場所に自分が滞在して周囲に誤解されては大変だ、と声を上げる。
「身を隠す場所、城の物置とかでいいです陛下!」
 むしろ魔法で誰も住んでいない北の大地に飛んでもいい。
「却下だ! ロムリ、余計なことを言うな!」
 玉座に戻ったメルキアがぎょっとしたように目を見開き、有能な侍従を睨みつける。
「詰めが甘いと逃げられますよ、陛下」
 ロムリはロムリでにこにこ笑ったまま、何やらメルキアの耳には痛いことを言ったらしい。
 わいわいと自分にはよくわからないことを言い合う主従を眺めながら、ウルトはこっそり笑みをこぼす。
 すべては終わったと思ったのに、自分の周りはいつの間にかあたたかいもので満ちていた。そしてこの日々はこれからも続いていくらしい。
 この愛しき日々を取りこぼさないように、ウルトはそっと両手を握りしめた。

 エスピア王国中興の祖と名高いメルキア王は、その在位中一度も他国との戦争をせず、国は豊かに潤った。不思議と旱魃や洪水も起こらず、彼の名は「神に愛された王」として歴史書に書き残される。
 そしてそんな彼が娶った妻は、落ち着いた銀の髪と紫の目をした美しい女性だったと記されているが、どういうわけか出自や名前の記録が一切残っていない。容姿以外に残された記録は、メルキア王が彼女を「運命の人」と呼んで溺愛したことと、彼女を娶る際に高位貴族たちの反対にあったものの王と彼の側近がありとあらゆる手段で結婚を認めさせた、ということだけだ。
 だから、自分で何もかもを叶えられるほどの強大な力を秘めた魔女が、誠実で一途なメルキアの恋心を思い知り、頬を染めて「貴方の妻になりたい」と望んだかどうかは、永遠の秘密なのである。
これも、たぶん、めでたしめでたし。

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