第7話
テラスから室内に戻った時丁度それは起こった。
ぱしゃっ。
ドレスに降りかかるシャンパン。
「お前のような家格の低い娘に纏わりつかれては殿下もご迷惑なのよ。」
ミレーヌ様がマルティナ様とベアトリクス様の蛾コンビにシャンパンをかけられて罵られているところだった。伯爵位は決して低位貴族と言うわけではないが、公爵家と侯爵家の令嬢コンビから見ればやや下になる。目上の貴族の不興を買って、ミレーヌ様は怯えている。
「お止めになって。マルティナ様、ベアトリクス様。殿下がどのご令嬢と口をきこうと殿下のご自由ですし、ミレーヌ様が一方的に纏わりついていたようには見えませんでしたわ。」
寧ろ纏わりついてるのはお前たちな?
「シェリル様には関係ございませんわ。」
「そうよ、そうよ。」
マルティナ様とベアトリクス様がしゃしゃり出てきた私を非難する。
「では僕の口から言わせてもらうが、ミレーヌ嬢との会話を僕は楽しんでいたので、マルティナ嬢とベアトリクス嬢こそ関係ないのに余計なことは止めてもらいたいな。」
マルティナ様とベアトリクス様はセドリック殿下自らのお言葉に怯んだようだ。
「で、でも私たちは、このような貴族の何たるかもわかっていないような小娘が、殿下に関わっては殿下のお為にならないと…」
「そ、そうです。殿下の為を思って…」
セドリック殿下は微笑を浮かべて言った。
「あなた達は、美しくないな。」
ストレート且つ端的な言葉だった。しかもかなりはっきり発言された。周囲にいた人々がヒソヒソ言い合っている。ああ、もうマルティナ様とベアトリクス様は『セドリック様に美しくないと断じられた令嬢』として一気に名を馳せたな。ご愁傷様。マルティナ様とベアトリクス様は一瞬怒りで赤くなり、それから自分たちの今後の風評を思って青くなった。そそくさと逃げだしている。
「大丈夫ですか?ミレーヌ様…」
ミレーヌ様を気遣って手を伸ばすとどんっと衝撃を食らって突き飛ばされる。いったあ~…足捻ったよ。
「シェリル嬢!」
「シェリル様!」
セドリック様とミレーヌ様が慌てて私の元に屈みこむ。
「何してるの!ミレーヌ!そんな方に近付いたらぶたれてしまうわ!」
私を突き飛ばした令嬢が驚いた声でミレーヌ様を呼ぶ。焦げ茶色の髪に真ん丸な榛色の瞳の、美人ではないが愛嬌のある顔立ちの令嬢だ。憎々し気に私を睨みつけている。
「あなたこそ何をしているの!?レイチェル!シェリル様にこんなことして…」
「だ、だってシェリル様がミレーヌをぶとうとしたから私咄嗟に庇おうと…」
「レイチェル…また何か思い込みで突っ走っているのね。シェリル様がそんなことするはずないじゃない。」
そうです。吃驚するくらいの濡れ衣です。私は何と言ったものか困ってしまった。状況的には私が怒って許される立場だと思うけれど、レディとして、声を荒げるだなんておはしたないし、汚い言葉を吐くつもりもない。それに私はあの令嬢と面識はないが、ミレーヌ様は親しいようだし、下手を打つとミレーヌ様にまで災害が降りかかってしまう。
「ミレーヌは騙されているの!私知っているもの。シェリル様はセドリック様のお心を奪ったミレーヌが憎くて仕方がないの。さっきの二人だってシェリル様の差し金に違いないわ!」
なんか自信満々に断言しているので、周囲がざわざわし始めた。
「レイチェル、落ち付いて、興奮しないで。私はセドリック様のお心など奪っていないわ。レイチェルは何か酷い誤解をしているのよ。」
「誤解なんてしてないわ!すべて物語通りだったもの。シェリル様はセドリック様に恋するあまり、醜い嫉妬に駆られてミレーヌに意地悪するのよ!」
周囲が私の醜聞に浮足立った。それを諫めたのはセドリック様だ。
「君…確か、レイチェル・クノーア子爵令嬢だったか。君は少々思い込みが激しいのではないかな?シェリル嬢が僕に恋して嫉妬したなどと言うのはシェリル嬢に対する激しい名誉棄損だよ。彼女は僕に恋心など抱いていない。周囲に誤解を与える言い方は止めていただきたい。」
「嘘よ!」
「嘘ではない。実のところそうであれば嬉しいけれど…。寧ろシェリル嬢に恋い焦がれていたのは僕の方だ。先ほど見事に望みを絶たれたばかりなので、余り傷を抉らないで欲しい。」
セドリック殿下は困ったように笑った。爆発的にヒソヒソ率が高まった。セドリック様は『シェリルがセドリック殿下に横恋慕していた』と言う事実無根の言いがかりを完全に塗りつぶすために、敢えて自分の傷を晒して見せた。ご自分の名誉が傷つくことを厭いもせずに。この方に恋できていたら素敵だっただろう。本当に素敵な殿方に成長された。
「レイチェル嬢。君はちょっと冷静になった方がいい。自分の立場が理解できているかい?君は思い込みでマルシェクス公爵令嬢を怪我させて、公衆の面前で事実無根の言いがかりをつけてマルシェクス公爵令嬢の名誉を傷つけようとしたのだよ?王家が介入して罪に問うことはないだろうが、愛娘を傷つけられて、マルシェクス公爵がどれほどお怒りになるか…よしんばマルシェクス公爵に許してもらえたとして、君の社交界での評判は?君は『突然他の令嬢に言いがかりをつけて名誉を貶めようとする危険な令嬢』なのだよ?その評判を被ってしまって社交界でちゃんと泳いで行ける?」
レイチェル様はやっと自分の立場が理解できてきたらしい。サー…っと青褪めて震え出した。
「あの、あの…私…」
「もしお詫びなら落ち着いてから我が家に言いにいらっしゃって?今はお心が乱れているでしょうから、少し冷静になった方がいいわ。」
「はい…」
「あの、私もレイチェルについていてあげたいので…申し訳ございません。失礼いたします。」
レイチェル様がミレーヌ様に付き添われ退室した。私はずっと座り込んだままだ。どうしよう。本当に足捻ったみたい。痛くて上手く立ち上がれない。
「失礼。」
セドリック様にお姫様抱っこされた。
「セ、セドリック様…」
「すぐ済む。」
私は救護室へ運ばれ、女医さんに靴と靴下を脱がされ、足首に湿布を貼られて包帯を巻かれた。