第3話
私の態度豹変事件から2ヶ月経った。私はすっかり温厚な令嬢になって、父と母は「娘が成長した!」って喜んでるけど、使用人にはヒソヒソ言われてるみたい。面と向って何か言ってくる勇者はいないけど。
今日は新しいドレスを仕立てるのに服飾店に向かった。自宅に布を持ち込んで選ばせてくれることが多かったが、一度店の方へ行ってみたら、私達に見せないような布も色々取り揃えていて、大変面白かったので、出来るだけ店に足を運ぶことにしている。
馬車が急に停車した。私は前面に頭をぶつけてしまった。これは怒っても許されるシーンかしら?と思ったが、走っていた馬車が急停車するからには何かわけがあるのだろうと思いなおした。
「どうしたの?」
御者に尋ねる。
「その…子供が飛び出してきて…」
「まあ。撥ねたの?」
「いえ、まだ撥ねてません。すみません、すぐどかして動かします。」
どかして?自力で動けないのか?ちょっと気になったので降りてみることにした。
「お嬢様!あぶのうございます。」
「少しだけよ。」
馬車から降りてみると私と同じくらいか少し幼いくらいの男の子が倒れていた。骨と皮!っていう具合の痩せ細りっぷりだ。彼は懸命に手の中から零れ落ちた林檎に手を伸ばしている。でも相当弱っているようでおぼつかない手が届いてない。男の子は涙を流した。
「しに…たく…な…い…」
私は屈んだ。
「……あなた、もっと生きたいの?」
「生き…たい…」
少年はボロボロと涙を流している。
「もっと…いきた…い…」
私は奇妙なものを見た、と思った。私は…あの女は自分が死ねると思ったとき感謝した。死にたくて死ねなくてずっとずっと苦しんでいたから。やっと解放されるんだと思ったら激しい痛みと共に安堵を感じていた。私自身はまだ死にたいとか思ってないから死の縁に立たされた時自分がどういう感情を抱くかわからない。けどこの男の子は泣くほど生きたいらしい。どう見ても最下層…スラム住人。小汚いし痩せてるし。正直「生きてて楽しいことなんてあるの?」って聞きたくなるのに…どうしてそんなに生に執着するのだろう。彼が生きたい理由は何だろう。気になった…と思ったら欲しくなった。この不思議な生き物が欲しい。
「この野郎!商品盗みやがって!!」
やって来たおじさんが少年の首根っこを掴んだ。どうやらこの林檎は盗品らしい。
「おじさん。私が立て替えますから許してください。」
「え?いや…」
如何にも貴族の私に言われておじさんはおたおたした。
「彼は『生きたい』らしいので私が飼うことにしました。飼い主の私が立て替えます。いくらですか?」
私は林檎の代金を建て替えた。
「彼を馬車に運んで。今日の買い物は中止よ。」
御者に言った。
「それはまずいんじゃないですかい?お嬢様。」
「いいじゃない。私専用の従者がいてもいいはずよ。ペットでもいいけど。最後までちゃんと飼うわ。」
私に言われて御者は渋々男の子を馬車に運んでくれた。私は男の子に林檎を与えてみたけど、彼は林檎に薄い歯型をつけただけだった。もう嚙み砕く力もないらしい。
私は林檎を取ると齧りとってよーく噛んだ。そして口移しで男の子に与える。
「お嬢様!」
同席していた侍女が非難の声を上げたが無視した。
「この味をよく覚えておきなさい。あなたが生きたいがために、他者から奪ったものの味よ。」
男の子は泣きながら飲み込んだ。私は林檎が芯になるまで何度も何度も噛み砕いて与えた。
屋敷で男の子を客間に運んでもらった。
「元居た場所に返してきなさい。」
知らせを聞いて飛んできた両親に言われた。
「嫌よ。もう私が飼うって決めたのよ。」
「シェリル、犬や猫じゃないのだぞ?」
「犬や猫ならこんなに欲しがらないわ。」
「同情で拾ってくるのは良くない。シェリルはスラムの子供全員を救えるわけではないだろう?下手な情をかけても…」
「同情じゃないわ。全く共感できないわ。この子『生きたい』って言ったのよ。『もっと生きたい』って。全く共感できないわ。この子は私の持ってないものを持ってる。それが何か知りたいの。」
「…『生きたい』スラムの子供なんて幾らでもいるよ。」
「ならば、『運命』と言い換えてもいいわ。『心からの生への執着』を知らない私の前に『生きたくて仕方がない』この子が飛び込んできたのよ。これが運命でなくて何だというの?」
両親は黙り込んだ。
「本当に飼うのかい?」
「ええ。私は自分のお金を持ってないから、飼うのはお父様だけど、私が面倒を見るわ。」
「2人目はないからね。」
「ええ。」
泣きながらベッドに横たわっている男の子を撫でた。
「早く元気におなり。」
***
私は文字通り『面倒を見る』ことにした。厨房へ行き、料理人に教わりながらミルクパン粥を作った。
客間へ行くと少年は起きていた。ベッドに横たわったまま虚空を見つめている。
「おはよう。」
「ぉ…」
少年は身を起こして声を出そうとしたようだが、喉がカサついて喋れないようだった。私はベッドサイドの水差しからグラスに水を注いで少年に渡した。少年は弱ってぷるぷる震える手でグラスを受け取り、水を飲んだ。
「もう一杯要る?」
こくりと頷かれたので、水のお代わりを注いであげた。
ごくごく飲んでいる。
「ミルクパン粥作ってきたの。食べられる?」
「はい…」
私はミルクパン粥の乗ったお盆を少年の膝にのせてあげた。
「熱いから気をつけてちょうだい。それから、私が作ったものだから味の保証はしないわ。」
少年は、匙にパン粥をよそってふーふー吹きながら食べていた。
「ゆっくり食べなさい。内臓に負担がかかるわ。」
「はい。」
一皿のパン粥を実にゆっくりゆっくり食べていた。残さず皿を空にして溜息を吐いた。
「おいしかったです…」
「なら良かった。私はシェリル・マルシェクス。あなたのお名前は?」
「……ノロ。」
「変わったお名前ね。」
「仕事がのろいから…『うすのろ』の『ノロ』。」
「そんな素敵じゃない名前、ポイしちゃいなさい。私が新しい名前を付けていい?」
こくりと頷かれた。
「そうね。クロスにしましょう。特に意味はないけどノロよりいいと思うの。どうかしら?」
「はい。」
「何歳?」
「わかんないです。」
「私より少し小さいから9歳と言うことにしておきましょう。誕生日は覚えてる?」
首を振られた。
「では昨日が誕生日よ。あなたが新しく生まれ変わった日。12月2日。毎年お祝いするからちゃんと覚えて。因みに私は12月22日生まれ。ちゃんとおめでとうって言ってくれなきゃいやよ。」
「はい。」
「まずはちゃんとお風呂に入れるようになってちょうだい。あなた臭いわ。それにあなたの傍に寄ったらなんか痒いのよ。蚤かダニがいるんじゃない?」
「……。」
しょぼんとしてしまった。
「第一の目標は『目指せ入浴』よ。ベッドマッドもお布団も全部新しくするんですからね。」
「はい…」
他愛ないことを話して、昼食を作るために、部屋を出たらお父様に料理は料理人に任せるように言われた。
まあ確かに3食調理してると私自身の勉強時間に差し障りがあるのよね。
***
「もう随分動けるようになったわね。お風呂に入りましょう。レナ。クロスがお風呂に入っている間にベッドもお布団も新しいものと交換してくれる?」
「はい…ってお嬢様どこに行かれるのですか?」
「勿論クロスとお風呂に入るのよ。」
「い、いけません!いけません!絶対にダメです!!だ、誰か――――!!」
レナが応援を呼んで思い留まるように説得された。クロスは男性従僕の一人がお風呂に入れることになった。そして「犬や猫じゃないんだから!」とお父様に叱られた。
うん…まあちょっとまずいかなー…とは思った。