結局
この時代に生まれてきて、良かったと思う人は多い。しかし、考えても見ると、もっと別の時代に生まれればよかったと思うことも可能ではあるはずだ。
よくもまあ、文明なんてものが発達してくれたものだ。おかげで現代は闘争の時代である。まったく、油断も隙も無い。きっと今年の夏も、季節感のない厚手のリクルートスーツを仕方なく纏い、麗言巧色を並び立て、価値観などまったく交差しないであろう人事部に媚びを売りに全国を駆け回る傀儡が跋扈する。そもそも、年齢がある程度離れた時点でお互いに理解しあうことなど不可能なのだ。「最近の若者どもは」という言葉は古文の時代からあったようだ。中年の持つ旧時代的偏見はいつまで遡っても変わらないらしい。それがこの論の裏付けだ。
そういえば、人事部の就活生篩分けはどのような原理に基づいているのだろうか。どうせ学歴だろう。自分が割と偏差値の高い学校に通っていることを、命拾いしたように思っている。偏差値など、予備校に通えば上がることを見れば、金で買えるようなものなのに。
そんなわけで、現代は腐っている。クソだ。だからと言ってちょっと前に生まれればよかったとも思えない。さすがに戦火に巻き込まれたくはない。じゃあ武士の時代?身分制度はごめんだ。ならば思い切ってサルまで戻ってみるか。なかなかありだ。
想像してみてほしい。土をこね、田を耕し、時々狩りに出かけ、雨の日はワラみたいな家でイロリみたいなのを囲んで家族とたわいもない小話に花を咲かせる毎日を。なかなかそれはそれでリア充ではないか。
そんなわけで、縄文人になろうと思う。読者諸君、期待してくれたまえ。




