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光のもとでⅠ 第十二章 自分のモノサシ  作者: 葉野りるは
サイドストーリー
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39 Side Tsukasa 01話

 俺はマンションに帰ってくるとシャワーを浴び、軽く夕飯を済ませたあと、コーヒーを飲みながら自室で待機していた。

 姉さんはまだ帰ってきていない。たぶん、ホテルで式の打ち合わせをしているのだろう。

 冷蔵庫の中には困らない程度の食材が入っていた。

 それはきっと、姉さんの俺に対する配慮。

 何もなければコンシェルジュにオーダーすればいいわけだけど、冷蔵庫に何かあるなら適当に作って食べる。

 それは別段面倒なことでも嫌なことでもなかった。


 ……あの時間に帰ったとして、翠はどうやっても九時に作業を開始できないだろう。

 そう思いながら、以前から気になっていた臨床データに目を通していた。

 九時半を過ぎた頃、待っていたメールがようやく届く。

 それは翠がリトルバンクにアクセスした知らせ。

 本文はなく件名のみ。「作業スタート」と記される。

「やっと始めたか……」

 今日ばかりは時間内に作業を終わらせることはできないだろう。

 十時半にはリトルバンクから締め出される。

 許された時間はすでに一時間を切っていた。

 三十分遅れだったとしても、俺が手伝えば終わる分量。または、俺が手伝わなかったら間違いなく明日に残る分量。

 俺は自分のパソコンと携帯を手に部屋を出た。


 ゲストルームのインターホンを鳴らすと、過保護な兄ふたりに出迎えられた。

「来ると思ってた」

 そう言ったのは唯さん。

「何がですか? いつもより三十分ほど早いだけのことでしょう」

 靴を脱ぎながら適当に答える。

「いや、何かあったっぽいからさ」

 何があったかは聞いていないということか……?

「普通、何かあったのなら来ないんじゃないですか?」

「普通はね? でも、司っちは普通じゃないし、こんなときに来なかったらそれこそ司っちじゃないでしょ」

 脱いだ靴を揃え顔を上げると、唯さんがにんまりと笑っていた。その隣にいる御園生さんが、

「唯、いい加減にしておけ」

 さらにその背後から碧さんが現れ、

「司くん、いらっしゃい。……何があったのかは知らないけれど、お風呂から上がったときにはさっぱりした顔してたから大丈夫じゃないかしら?」

 ふーん……。気持ちを切り替える方法、俺が教えたもの以外にも持ってたんだ?

 本人、気づいてなさそうだけど。

「お邪魔します」と遅れた挨拶をしてから、問題児がいる部屋へと入った。

 もちろんノックをしてから入るわけだけど、予想どおり返答はなかった。それもいつものこと。

 この部屋のすぐ外で声のトーンを落とさずに話していても、翠は全く気づいていない。俺が目の前に座ってもまだ気づかない。

 その特筆すべき集中力はすごいと思うが、ここまでくると行きすぎだ。

「だからさ……」

 声をかけると驚いた顔がこちらを向く。

 たぶん、翠の心拍が瞬間的上がったと思う。

「いい加減、人が入ってきたことに気づける余裕くらい残しておけ」

 持ってきたノートパソコンを起動させながら目の前のバカを諭す。

「何……?」

 あまりにも遠慮のない視線を向けられていたから訊いてみた。すると、

「何って……どうしてツカサがパソコンを持ってきてるのかわからない」

 翠は、それまでテーブルに置かれていたファックス用紙を両手でガードする。

 なんていうか、「死守」って言葉がしっくりくる感じ。

「今日、いつもより作業を始める時間が遅かったと思うけど?」

「だらか何?」

 ……この強がりが――。

「滞ると困る」

「でも、これは私の仕事っ」

 目が、「絶対に譲らない、ひとりでやる」と言っていた。

 碧さんの言っていた言葉の意味が少しわかった。

 翠は生徒会を続けることを選んだのだろう。

「……ふーん。一応自覚はあったわけか。紅葉祭が終わったら辞めるとかほざいた人間だけど」

 多少いじめたところで問題はないと思う。むしろ、そのくらいの権利が俺にはあるはず。

「――辞めない。辞めないよ」

 ……いいよ、聞いてやる。何をどう決めたのか話してみろ。

 落としていた翠の視線が俺を捕らえると、その目からは臨戦態勢がうかがえた。目つきが違った。

「私、辞めたくないの。だから、辞めない。続ける。……正直、あの規約が特別じゃないとは思えない。それでも、規約扱いになるのなら、それに甘える。どれだけ仕事を振られても、全部こなすし自分が手を付けたものには責任をもつ。それができたら――そしたら、自分の自信にもつながる気がするから」

 それが翠の答え――翠の決意。

「いいんじゃない?」

 口にすれば、自然と片方の口角だけが上がる。

「……だからといって、時間制限を解除するつもりはないけど」

 と、自分のパソコンに視線を戻した。

「だから、何やってるのっ!?」

 半ば膝立ちになり、翠は俺のパソコンを乱暴に覗き込む。

 俺のパソコンにはエクセルが立ち上がっていた。

 翠、色んな意味で侮ってくれるな。

 翠にリトルバンクや会計作業全般を任せはした。が、翠が倒れたときのことやデータが飛んだときのことを考慮せずに動くほど、浅はかな行動を取っているつもりはない。

 バックアップは常に取る必要があるし、現況把握は俺のライフワークだ。

 現在、リトルバンクへアクセスできるパソコンは、唯さんが用意したノートパソコンと生徒会のパソコン。そのほかには俺のノートパソコンと秋兄のマシンの四台。

 人が動ける動けない以前にパソコンがダウンする可能性だってある。

 それを踏まえれば当然すぎるバックアップ体制。

 ただ、翠のことを信じて、リトルバンクにアクセスできる人間はひとりに決められている。

 ひとりがアクセスしている際、ほかの三台からアクセルすることは不可能。

 そして、何かない限りは翠以外の人間がリトルバンクへのアクセスはしないというのが暗黙の了解になっていた。

「忘れてないと思うけど、十時半には締め出される。今から送れた三十分取り戻す」

 翠は口を開いたものの声は発しない。

「翠は再申請がかかってる分から手をつけろ。俺は収支報告を最後から確認していく」

「ありがとう……。でも――」

「基本、こんな手伝いをするつもりはない」

 これでいいんだろ? これで翠は満足なんだろ?

「ありがとう……」

 胸元に抱えていたファックス用紙を握る力が緩んだ。

「同じ会計に属する人間として礼を言われる覚えはないけど――そうだな、ひとつ貸しってことで」

 翠の手から、収支報告の半分ほどを取り上げた。

 翠の手元に残ったのは追加申請の書類と収支報告の半分。

 目に見えて、翠にウェイトがかかっている。でも、これは翠が望んでいることだし、これ以上を俺に譲るつもりもないだろう。

 翠はもう一度、小さな声で「ありがとう」と口にした。

 翠がこういう人間だということはわかっているつもり。でも、こう何度も礼を言われたところで反応のしようがない。

 そろそろ作業を再開しろ、と言おうとしたら、翠のスイッチが切り替わり、一瞬にして作業に意識を集中し始めた。


 「はい、そこまで」

 声をかけたのは、残り三枚手付かずの状態でのこと。

 少し前から翠の作業を見ていたが、時間的な問題から、そこでストップをかけるのが妥当だと踏んだ。

 三件の収支報告であれば、明日に持ち越しても負担にはならないだろう。

 翠はテーブルから少し離れて深呼吸をする。

 手を組み、頭上に腕をぐんと伸ばし軽くストレッチをすると、胸骨のあたりから、コキ、と小気味いい音が聞こえてきた。

 ストレッチで胸骨が鳴る人間を初めて見たと思う。

 翠は腕を下ろすと、少し離れた場所にあるかばんに手を伸ばし、それを手繰り寄せようとした。

 俺は咄嗟にその手を止める。

「作業と勉強の間に休憩十分は入れろ」

 時間がもったいないと思う気持ちはわからなくはない。が、間違いなく――。

「効率が下がる」

 その言葉に翠は渋々了承した。

「じゃ、お茶淹れてくる」

「翠は糖分を摂ること」

 単なるハーブティーでは糖分は摂取できない。

 今度からブドウ糖でも持ってこようか……。

 そんなことを考えつつ翠の顔を見ると、苦虫を噛み潰したような表情をしていた。

 あぁ、ポカリスエットを飲めと言われていると勘違いしてるわけね。

 別に、糖分さえ含まれていればなんでも良かったんだけど、勘違いなら勘違いしてるでもかまわない。

「二倍希釈以上は認めない」

 嫌がることに拍車をかけて追い討ちをかける俺は性格が悪いんだろうな。そして、それに「ハイ」と答えるこいつは間違いなく、律儀な御園生さんの妹だ。


 翠の部屋を見回すと、ベッドにはうさぎのぬいぐるみがあり、サイドテーブルには水が入っているであろうタンブラーとピルケース、目覚まし時計が置かれていた。

 ベッドの足元にあるデスクはきれいに整頓されており、使われていないことが見て取れた。

 窓際にあるドレッサーの上には秋兄と同じ香水のボトルと、翠が先日俺に見せてくれた香水のボトル。

 そのほかには俺がプレゼントした柘植櫛がふたつ並べられており、葉をモチーフにした陶器のトレイにはゴムに通されたとんぼ玉が置かれていた。そして、出所が予想できなくもない小物入れ。

 きっと秋兄からのプレゼントであろうアクセサリーケース。

 同じ場所に互いのプレゼントがあるというのはなんだか複雑な心境だ。

 翠の記憶は、時折パズルピースのように思い出すことがあるという。

 ブライトネスパレスへ行ったときは、一シーンとして思い出したことを異様に驚いていた。

 この先もそんな思い出し方をすることがあるのだろうか。それとも、中途半端に記憶が戻らないままなのだろうか。

 ――俺がナーバスになるな。一番戸惑っているのは翠だ。

 ふと、ドアの向こうに気配を感じた。きっと翠だろう。

 そう思ってこちらからドアを開いた。

 ドアの外には両手にコップを持った翠が立っていたけど、この状態でどうやってドアを開けるつもりだったんだか……。

「何やってるんだか……」

「……どうしてわかったの?」

 今、翠の頭にはいくつの選択肢があるのか。

 答えは「気配」だけれど、俺は適当な答えを口にする。

「戻ってくるのが遅いと思っただけ」

 これで納得するんだから、翠の猜疑心は誰かが責任を持って育てるべきだと思う。

 視線を翠の手に移せば、その液体はお茶ではなかった。

 どこからどう見てもスポーツ飲料。

「で、俺もポカリなのは嫌みのつもり?」

「……嫌みというか嫌がらせにすらならない事実には入れている最中に気づいたよ」

「ふーん」

「あ、私のはちゃんときっちり二倍希釈だからねっ?」

「別に何も言ってないけど?」

「言われる気がしたから?」

「そこまで突っ込むつもりはない。御園生さんじゃあるまいし……」

 受け取ったグラスをそのまま口もとへ運び、口腔内と喉を潤す。

 俺はこれをうまいともまずいとも思わない。何をどうしたら希釈しないと飲めないほど苦手なアイテムになるのか、五十文字以内で簡潔に答えてほしいものだ。

 そんなことを考えていると、翠の視線が自分に固定されていることに気づく。

「何……?」

「えっ、あ――喉仏だなってっっっ」

 ……は?

 自分の喉仏に手を移動させ、確認するように触れる。

 確かに喉仏だけど……。

「別に珍しいものじゃないと思うけど?」

「うん、そうだよねっ、珍しくないよねっ。蒼兄にも唯兄にもあるしっ」

 翠はうろたえて見せるけど、その意味がわかりかねる。

 何当たり前のことを言っているのか……。

 挙動不審だったのも束の間、勉強を始めるとあっという間にその世界へどっぷりと浸かった。

 しかし、今日やる範囲の予習復習の終わりが近づくにつれ、翠は眉間にしわを寄せ始めた。

「今度は何?」

 翠は俺の声に驚き顔を上げる。

 こんなことにも慣れたけど……。

「だからさ、同じ部屋に自分以外の人間がいること忘れないでほしいんだけど……」

「ごめん」

 俺の目を見て謝っては髪で顔を隠す。

「わからないところ、教えてね……。成績だけはどうしても落としたくないから」

 か細い声の原因は不安、か……?

「そんな手伝いならいくらでも? ただし、容赦手加減一切しないけど」

 俺の言葉に顔を上げると、翠は肩を竦めてクスリと笑った。

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