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光のもとでⅠ 第十二章 自分のモノサシ  作者: 葉野りるは
サイドストーリー
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24 Side Reju 01話

 水曜日、五時半頃の出来事――。

 会議が終わり、席を立ったところで携帯が震え出した。

 着信名を見てドキッとする。

「周防、ちょっと悪い。席外す」

 携帯を少しあげて見せると、「あぁ」といった顔をして、

「どうぞごゆっくり」

 と送り出してくれた。

 本当は、その場で明日の打ち合わせを周防と数人の部下ですることになっていた。

 俺が現場で応じない着信は、蒼樹と唯、それから病院関係者からの電話のみ。

 そうと知っている周防は、どんな状況であろうとも背中を押してくれる。「行ってらしてください」と。

 会議に使っていた部屋の隣に移動しながら通話に応じると、

『藤宮病院の相馬です。今、お時間よろしいでしょうか』

「はい、大丈夫です」

 答えながら後ろ手にドアを閉め、奥歯に力をこめてから言葉を発する。

「何か、ありましたか?」

『奥様は?』

 この時間は確か碧も会議中……。

「会議中だと思います。それが何か……?」

『いえ、この数値変動で奥様からご連絡がないのは珍しいと思いましたので』

 数値変動っ!?

「娘に何かっ!?」

『何かあった、というよりは、あるものを服用した、といったものです』

 今はパソコンの前にいないため、携帯を使っている今、どんな数値が表示されているのかはわからない。

「すみません……。今まで私も会議に出ていたものですから、数値の変動に関しては何も……。何かを服用した、というのは薬でしょうか?」

『薬、というよりは滋養強壮剤と言ったほうがいいでしょうね』

 滋養強壮剤……?

「そういったものは娘の目につかないところに置いてありますし、目にしたところで娘が手に取るとは思えないのですが……」

 その手の類のものはすべて三階の戸棚にしまってあるが――……ゲストルームではっ!?

「まさか、蒼樹たちが飲んでいるものじゃ」

『お察しのとおりです。今、栞さんにマンションの中を探してもらっています』

「……そうでしたか。お手数をおかけします」

『今回ご連絡を差し上げたのはその件というわけではなく……』

 いつもならはっきりと物事を口にする主治医が一度言葉を切った。

『注意をしなければ、お嬢さんはずっとそれを飲み続けるかもしれません。それを私は黙認しようと思います』

「先生それではっ――」

『お嬢さんの身体では数日間しかもたないでしょう。そのギリギリまで待とうと思います』

「……娘が倒れるまで待つと?」

 自然と自分の声が低くなる。

『倒れる直前まで待とうと思います』

 倒れる直前――それは倒れる寸前という意味なのだから、あまり差があるとは思えない。

「……先生は何を待つつもりですか? ただ娘が倒れるのを待つと仰っているのなら――」

『お嬢さんがその期間で何かを得られればいい。得られなければそのまま事前回収になります』

 ……得る?

『お嬢さんの心と身体はイコールではありません。身体は色んな意味で悲鳴をあげて症状を表に出すことができる。しかし、彼女の心は? ……考えたことがありますか? あれもだめ、これもだめ、そうやって制限された中で生きてきたお嬢さんがどれほどの不満を抱えているのか。どれだけの負の感情をコントロールしているのか。……いえ、コントロールではありませんね。あれはただ無理やり抑え付けているに等しい』

 考えたことがないわけじゃない。

 幼い子には難しすぎる制約で、それでも翠葉はそれを守ろうといつでも必死だった。

 いつからか、その制約の中での生活に楽しみを見つけ、それを自分の糧にできるようになっていた。

 それが音楽であり、カメラであり、植物を育てることであり、散歩をすること。

「先生のお話だと、今、娘はものすごく精神状態が悪い、ということでしょうか」

『精神状態が悪いのはかなり前からだと思いますが、ここにきてからことさらひどい。治療の最中でも楽しそうに話していたかと思えば突然泣きだす。そんなことを繰り返す程度には、感情のコントロールも利かなくなってきています』

「そんなに――」

 翠葉は確かに感情表現豊かな子だが、そこまで起伏の激しい子ではない。

『この際、バイタル装置を目一杯生かして、自分にできるすれすれのところまでやらせてみようと思います。その間に何か得られるものがあればいいのですが……。何を得ることができなかったとしても、倒れる前には私が止めます。私自身、あんなものを自分の患者に飲ませたいとは思いませんし、今すぐにでもやめさせたいというのが本音ですが……。そうやって彼女を止めてばかりいたら、いつかお嬢さんの心が破綻します。そうなる前にすべて吐き出させたい。それにはきっかけが必要です』

 先生の仰る「すべて」という言葉がひどく重いものに思えた。

 身体の不調に文句を言わず、ただ自分に付き添う俺や碧、蒼樹の気遣いばかりしていた娘。

「心配ばかりかけてごめんなさい」といつも申し訳なさそうに謝っていた。

 そんなことを気にする必要はない、と何度言って聞かせても言わなくなることはなく、回を重ねるごと、年を重ねるごとに胸が押し潰されそうな一言へと変わっていった。

 言っている翠葉はもっとつらかったのかもしれない。

 つらい、と口に出していいと何度言っても、ただ痛みに耐え、体調不良に涙するだけで、口にはほとんど出さなかった。

 涙を流すのと同じくらい、声にしてくれていいのに。

 痛くても「痛い」としか口にしない。

 ものを食べたくないとか見たくないとか、そういうことは口にしても、今年のように家族を拒絶するようなことはなかった。

 つまり、それほどまでにも翠葉の心は限界すれすれだったのだ。

「すみません、不出来な親で……。今年は例年と違うとわかっていつつも、娘のそんな心情変化にまでは気づけませんでした」

『いえ、自分すら騙そうとしている人間の心を読み取るのはひどく難しいものです。それが実の子であっても患者であっても。とくにお嬢さんは厄介ですよ。半分は理解していますからね。この身体があるからこそ今の自分があるということを。そのうえでの葛藤だから余計に深い部分がわかりづらい』

 あぁ、そんなことも話したな。星がきれいな屋上で――。


 ――「……この身体じゃなかったら、なんて考えても何があるのかわからないんだよ」

 ――「『もしも』の元気な私がいたら、今の私はここにいないでしょう?」

 ――「……藤宮に通うこともなく、今、周りにいる大好きな友達とも会えることはなかったよ。そう考えるとね、少しだけ、この身体に感謝してもいいかな、って思えるの」


 それらの言葉には嘘もごまかしも、俺たちへの気遣いも、何も含まれはいなかったのかもしれない。

 むしろ、これらが翠葉が理解している部分。唯一、納得している部分――納得できる部分。

 高校に上がりたてのとき、紫先生も仰っていた。

「楽しいがゆえに、人と行動できないことがストレスの要因になっている」と。

 それでも俺は外の世界を見せてあげたいと思ったんだ。

『倒れるところまで黙って見ているつもりはありません。ですので、それまでは――』

「話の途中ですみません。お任せしてもよろしいでしょうか。娘を……」

『はい。ただ、数値の変動がもっと顕著に出てくると思います。体温や血圧の上下に加え、頻脈発作も起こすでしょう。その際に飲む薬は循環器内科から処方されているので、彼女は自分で対応することができます。それらを目にしていても大丈夫ですか?』

 これは俺に言っているのではなく、碧に対して、なのだろう。

「碧には私が話します」

『それで大丈夫ですか? 御園生さんもおつらいでしょうが、奥様は――夏とそう変わらない心労を抱えることになるかと思います』

「それは――」

『バイタルの転送は止めず、過去の安定している時期のデータをループして表示させることも可能だそうです』

「……いえ、そのままで」

『わかりました。ただし、お嬢さんとお話をされる際、体調をうかがう程度の会話はされてもかまいませんが、過度な心配や言葉をかけるのはやめてください。これ以上、表面を繕うような言葉を口にさせたくないので』

「……ありがとうございます」

『数日間おつらいでしょうが、我慢なさってください』

「はい……娘を、娘をよろしくお願いいたします」

『私自身が待てるのも土曜日か日曜日が限度です。奥様にそうお伝えください。期限がわかっているほうが、多少なりとも負担が少なくて済むでしょうから』

「お気遣いありがとうございます」

『いえ、それでは失礼いたします』

 目の前に人がいるわけじゃない。それでも、俺は頭を下げずにはいられなかった。

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