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光のもとでⅠ 第十二章 自分のモノサシ  作者: 葉野りるは
サイドストーリー
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12~13 Side Akito 01話

 時計に目をやり、そろそろだ、と思う。

 ドアに視線を移すと、ちょうどインターホンが鳴った。

 タイピングをやめ「はい」と答えると、彼女ではない声が聞こえてきた。

『姫の休憩時間です』

 滑舌よく聞き取りやすい言葉を発するのは放送委員の男子だろうか。

 ドアを開けると、相変わらず申し訳なさそうな顔をした彼女が立っていた。

 俺はそんな彼女の背を押し、やんわりと中へ促す。

 カウンター内にいた生徒たちにあたたかな言葉をかけられても、彼女の目尻は下がったまま。

 特別扱いが嫌いな彼女は、この休憩時間には納得がいっていないのだろう。

 けど、自分の体調を考えたらこうするしかない。そんな境地。

 すでに羽毛布団が用意してあるソファに目をやると、

「いつもすみません……」

 謝る必要なんてどこにもない。むしろ、俺は嬉しいくらいなのに。

「なかなか会えないからね。俺はこんな時間でもすごく嬉しいよ」

 素直に気持ちを伝えてみるものの、返ってくる言葉といえば、

「お仕事の邪魔になりませんか?」

「邪魔というなら俺のほうじゃないかな。タイピングの音、結構うるさいでしょう?」

 苦笑して答えた俺に、彼女は柔からな笑みを向けた。

「いえ……どちらかというと、蒼兄も唯兄も同じキーボードを使うから、自宅と錯覚して安心してしまうみたいです」

「なら良かった。今日も四十五分でいいのかな?」

 なんて平然と答えてみたけれど少し悔しい。

 あの笑顔は俺が引き出したものではなく、蒼樹と若槻を頭に思い浮かべて自然とできた笑顔。

 笑顔の起因は俺じゃない。

「はい。あっ、でも、携帯でアラーム鳴らすので大丈夫です」

「起こす手伝いくらいさせて?」

 彼女が苦手とする笑顔を向けると、予想どおりに顔を赤らめ、少し困った顔になる。

 俺自身に困っているのか、この笑顔だけに困っているのか、それともこの会話自体に困っているのか――全部だったりするのかな。

 彼女はソファに腰掛け、そのまま横になる。

 ここからは小さな頭のてっぺんと、長い髪しか見えなくなった。

 今、この部屋にはパソコンが唸る音と適当に仕事をしている俺の手元から聞こえるタイピング音のみ。

 本当は、彼女がこの部屋にいるこの時間はすべての仕事を放棄してしまいたいくらいだ。

 けど、そうすると彼女が気にするから……。

 だから、根詰めなくちゃいけないようなものではなく、さらっと適当にできる仕事だけに手をつける。

 なるべくパソコンを使わなくていいもの。たとえば、書類に目を通すだとか、サインを書くとか。

 そうして、彼女の寝息が聞こえてくるのを待つんだ。

 彼女の寝息はとても小さいけれど、その音を聞くだけで幸せな気持ちになれる。

 寝息が聞こえてこないときはたいてい眠れていない。

 そんなときには彼女が好きそうな音楽を小さなボリュームでかけることにしていた。

 先日、「眠くないから休憩はいらない」と休憩を取ることを拒んだ彼女は、湊ちゃんに「横になるだけでも十分身体は休まるのよ」と言われ、司には「目を瞑るだけでも視神経が休まる」と追い討ちをかけられた。

 彼女は唇をきゅ、と引き結び、自分の気持ちを呑みこんだ。

 その場にはほかの生徒もいて、長時間の休憩を取ることが彼女の本意ではなく、本当はみんなと作業をしていたいのだと知るのには十分だった。

 誰からともなく、「姫休んでおいでよ」「休んだ分がんばってもらうからね」――そんな言葉がところどころからかけられたものの、彼女はそれらに一言も答えず、振り向きもせず、目に涙を溜めたままこの部屋に入った。

 彼女にしてみたら「悔しい」の一言なのだろう。もしくは、「情けない」か「どうして自分だけが……」かな。

 彼女がみんなと同じように行動できたらどんな顔をして笑うのだろうか。

 今、どれほど悔しい思いをして心の中ではどんな思いが渦巻いているのだろうか。

 色々考えてみるものの、俺はここで休憩してくれる現状に救われている。

 この時間がなければ、俺は彼女と顔を合わせる機会が作れず、精神的に病んでいたかもしれない。


 寝息はなかなか聞こえてこなかった。だから、そっとインストを流した。

 彼女の健康を願う反面、俺はこの子だからいいのか、と思わなくもない。

 病弱な子が好きというわけではないけれど、翠葉ちゃんがそういう子でなければ、俺は彼女に出逢うことはなかった。

 この学校へ来ることもなく、彼女は違う人生を歩んでいたのかもしれない。

 そして、俺も未だに不特定多数の女と関係を持ち続け、何を思うこともなく、感じることもなく、なんの障害もない道を淡々と歩いていたのだろう。

 起業なんて考えもしなかっただろうな。

 自分の人生はそういうものだと思っていた。

 君に出逢って俺の価値観や考え方が覆されたんだ。

 もう二十歳を過ぎていて、人格形成が出来上がっている人間を変える影響力を君は持っているんだよ。

 それって何気にすごいことだと思うんだけど、君はどう思う?

「四十五分なんてすぐだな……」

 俺は四十四分になると席を立ち、ソファの脇へと移動する。

 そして、携帯のアラームが鳴る寸前にそれを止め、彼女に声をかけた。

「時間だよ」

 軽く頭に手を添えて言えば、

「あ、はい……」

 少し間のある返事をしてゆっくりと身体を起こす。俺はその背に手を添えた。

 こうやって君に触れられることが今の俺の幸せだと言ったら、君は笑うだろうか。

 いや、君は笑わずに顔を赤らめるんだろうな。

 笑うとすれば、俺の素行を見てきた人間たちか。

「少しは休めた?」

「はい。お茶、淹れますね。リクエストはありますか?」

「リフレッシュしたいから、モーニングティーがいいな」

「……秋斗さん、ラベンダーティーがお好きですよね?」

「…………」

「私に合わせなくても大丈夫ですよ」

 彼女はクスリと笑った。でもね――。

「ラベンダーティーは好きだよ。けど、ちょっと頭を切り替えて仕事をしなくちゃいけないからミントベースのお茶のほうが都合がいいんだ」

「あ、それでしたらモーニングティーを淹れますね」

 お湯はものの数分で沸くし、お茶を淹れるのにも時間はかからない。

 五分もせずにすべての工程を終える。

「はい、どうぞ」

 ダイニングテーブルに置かれたカップから、彼女の手が離れる前にカップに手を伸ばす。

 少しでも彼女に触れたくて。

「ありがとう。ここに仕事場を作って良かった」

 その言葉に彼女は少し困った顔をする。

 俺の気持ちはちゃんと届いているんだな、と思うのと同時に、胸が締め付けられる思いでもあり――。


 お茶を淹れたあと、なかなか席に着かない彼女を見ると、彼女は部屋の掛け時計を気にしていた。

 これもいつものこと。

「あと十分。まだ大丈夫だよ。……ここに居づらい?」

「いえ、そういうことではなくて……」

 ありがとう……その言葉で十分。

 本当は君が何を気にしているのかなんてわかっているんだ。

「自分だけ休憩時間が長くて気が引ける?」

 スツールに腰掛けた彼女は両手でカップを包み、それを見つめたまま口を開いた。

「……はい。もし、自分ではない人が生徒会に入っていれば、こんな対応をする必要はなかったんじゃないかな、と思うから……」

 どうしたら君に自信を持たせられるのか。どうしたら君が少しでも胸を張れるようになるのか。

 わからないわけじゃないけど、その手助けができる位置に俺はいない。

「じゃぁさ、休んだ分がんばればいいんだよ」

 彼女はがんばるということの上限を知らない。がんばらないことの下限を知らない。

 そんな彼女に俺が教えてあげられること。

「司が校内の見回りに出てるって聞いた」

「あ、はい」

 表情はまだ曇ったまま。

「今までならそんなことはしなかったはずだよ」

 その言葉に彼女の表情が変わる。

「つまり、背中を預けられる人間がここにいるってことじゃないかな?」

「背中、ですか……?」

 彼女は不思議そうな顔をして首を傾げた。

 さらりと動く髪には、司からもらったというとんぼ玉が見え隠れ。

 でも、安心して……。もう取り上げたりなんてしないから。

「そう、自分が全部やらなくても任せられる人間がいるからほかのことができる。……きっと、そういうことだよ」

 にこりと笑うと彼女の瞳が揺れた。

「だから、翠葉ちゃんはそんなに不安がらなくて大丈夫」

 大切そうにカップを包む白い手を、自分の手で包み覆った。

「翠葉ちゃんはちゃんと必要とされてるんだよ」

 ここにも君を必要としている人間がいる。そのことに気づいてほしい――。

 手に力をこめようとしたら、俺の手の内側で彼女の手が縮こまった。

 縮こまった、というのは俺からしてみたら、で彼女は自分の手に力を入れただけだろう。

 その意味は――?

「あ」

 掛け時計の長針が十二を跨ぎ、新たなる時間を刻み出す。

 六時、タイムオーバー――。

「時間だね。行っておいで」

 俺は久しぶりに触れた彼女の手を放した。

「カップはそのままでいいよ」

 君がここにいたという痕跡を残しておきたいから。

「……はい。お邪魔しました。あと、ご馳走様でした。……それから、ありがとうございます」

 瞳を揺らしながらも目を合わせてお礼を口にする彼女が愛しい。

「そんな恐縮しないで?」

 彼女は浅くお辞儀をして部屋を出ていった。

「そんなにたくさんのことをしてあげられているわけでもないのにね……」

 ドアから視線をダイニングテーブルに移し、まだ湯気の上がるカップを見ては、そこに彼女の残像を求めた。

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