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光のもとでⅠ 第十二章 自分のモノサシ  作者: 葉野りるは
本編
37/80

37話

 廊下では朝陽先輩が一年生の女の子たちと楽しそうに話をしていた。

 女の子はみんな頬を紅潮させ、目を輝かせている。

 朝陽先輩はツカサと違って声をかけやすい雰囲気があるから、こんな光景は日常茶飯事。

 嬉しそうに話をしているのを中断させるのが申し訳なくて、声をかけられずにいた。

 駐車場までひとりで行くことも考えたけれど、待っていてくれた人に何も言わずに行くのは気が引ける。それに、朝陽先輩の目はすでに私を捉えていた。

 朝陽先輩は話の区切りがいいところで、

「じゃ、俺は巡回に戻るから、君たちもがんばってね」

 手を振って彼女たちを見送った。

「翠葉ちゃんは遠慮屋さんっていうか、気遣い屋さんだね?」

 階段を下りながら顔を覗き込まれる。

 それは、たぶん違う……。

「気遣いというよりは、怖いだけです」

 自分の顔が歪むのがわかった。

「んー……それはつまり、人気者の俺を彼女たちから引き剥がして、あの子たちに冷たい目で見られるのが嫌ってことかな?」

 ツカサとは違う形で的を射てくるのが朝陽先輩、とつい最近気づいた。

「当たりです」

 自然と笑みが漏れた。苦い笑みが。

「変ですよね。大好きな人たちに嫌われるのが怖いだけなはずなのに、どこかでいらぬ反感は買いたくないと思っているみたいで」

 口にして再度思う。自分はどれだけ臆病なのだろうか、と。

 世界が広がってきれいなものや大切なものが増えるたび、それと同量のリスクを背負っている気がしてならない。

 すべての人に好かれたいなんて思っていないはずなのに、冷たい視線を浴びることに慣れる気はしない。

「翠葉ちゃん、それって普通のことじゃない? 人の反感を買いたい人なんてそうそういないし、人の目って多かれ少なかれ気になるものだと思うよ」

 この言葉に救われたらいけない気がするのはどうしてだろう。

 ……たぶん、今心に引っかかっているのがツカサの目だからだ。

 歩みを止めて朝陽先輩を見上げると、優しい笑みが降ってくる。かけられる言葉とは裏腹に。

「それでも翠葉ちゃんは呼び出しには応じるんでしょ?」

「……そうですね」

 全員がわかってくれるわけじゃない。それでも、一握りの人はわかってくれたから。

 その一握りの人を得たいと思うのは間違いなのかな。強欲……なのかな。


 階段を下り靴を履きかえると、

「さて、生徒会規約の第三章なんだけど……」

 朝陽先輩は淡々と話し始めた。

 第一章は生徒会の定義。第二章は生徒会の義務。第三章は生徒会における権限その他。

 規約というだけに硬い文章ばかりが並んでいる。

 朝陽先輩は第三章だけを話しても意味がわからないと思うから、と第一章から砕けた言葉で教えてくれた。

 前にもツカサに言われて何度か目を通していたから、内容がさっぱりわからないわけではない。

 でも、ツカサや朝陽先輩みたいに空で言えるほど詳細に渡って記憶しているわけでもなかった。

「司が言おうとしていたのはこれだと思うんだよね。生徒会規約第三章七項。生徒会長により申請された案件は、学校長が特例措置を認可した時点から特例装置ではなく準規約として扱われる。また、準規約は対象生徒が在籍中に限り、現行規約と同列に扱われる」

 一瞬頭が真っ白になる。

 真っ白というよりは、今言われた言葉がおさまるべき場所を見つけられずにぐるぐると脳内を回り始めていた。

「つまりね、今回翠葉ちゃんが学校外で会計の仕事ができるのは、この規約に組するものなんだ。意味わかる? 翠葉ちゃん以外の生徒会メンバーが満場一致でこの案を会長に託しました。それを会長が学校長に申請しました。学校長に認可されました。はい、この時点で翠葉ちゃんが家で会計の仕事をできるのは『特別』でも『特例』でもなくなります。ただし、これは翠葉ちゃんのみに適用されるもので、翠葉ちゃん以外の人間には適用されません。ついでに、翠葉ちゃんが学校を卒業すると同時に抹消されます。そういうルール」

 私はかなり間抜けな顔をして聞いていたと思う。

「現時点ではこの件以外の準規約は存在しないけど、過去には何件もの事例がある。ちゃんと生徒会規約に則った手続きを踏んでるんだ」

「……あの、質問が……」

「はい、何かな?」

「それ……特別じゃないって言えないんじゃ――」

 朝陽先輩は指を立て、

「ノンノン。『準規約は現行規約と同列に扱われる』って言ったでしょ? その時点で『特別』からは除外されるんだ」

 ずいぶんな力技に思えてならない。

「納得してなさそうだね? 理解したけど納得できない。そんな感じかな?」

 コクリと頷く。

「ま、生徒会規約なんて読んでる人間のほうが少ないんだろうけれど、しっかり読めば意外と抜け道が隠れていたりするんだよね。この規約の存在を知っていたのは、司と会長、茜先輩、桃ちゃん、俺くらい。ほかの人間は生徒会規約すら理解せずに生徒会役員をやっているのか、って司の不興を買って、翌日に規約を暗唱できなかった人間は仕事増量とか言い出して大変だったよ」

 ツカサらしすぎて何も言えない。

 そんな話を聞いていたら駐車場に着いてしまった。


 唯兄は車から降りて待っていた。

「遅くなってごめんなさい」

 言うと、コツリ、と軽く頭を小突かれた。

「連絡取れなくなるから心配したでしょーが」

 唯兄は朝陽先輩に目を向け、

「美都くん、ごめんね。リィを送ってきてくれてありがとう」

「いえ、自分は司に頼まれただけですから。じゃ、翠葉ちゃん、家に帰ったら会計作業お願いね」

「はい、ありがとうございました」

 唯兄は朝陽先輩の後ろ姿を見ながら、

「何、この学校。生徒会は皆美形じゃないと入れないとかって規約でもあんの?」

「ううん、さっき聞いた限りだとそういう規約はなかったかな」

「でも、みんな容姿が秀でてるよね?」

「違うんだよ。みんな成績も容姿も人としても秀でているの。それでいてお仕事もできる人たち。私がいることがおこがましくなるくらい……」

 口にしてはっとした。

 咄嗟に口元を押さえたけれど、もう遅い。

「何かあったんだ?」

 唯兄の顔を見上げたら涙が零れた。

 泣きたくないのに。こんなことで泣きたくないのに……。

「ま、とりあえず帰ろうよ。ほら、六時目前。早く帰って寝なくちゃ」

 唯兄に促されるまま車に乗り、今日はロータリーでは降りずに一緒に駐車場まで行った。

 車の中では一言も話さず、唯兄はカーステから流れてくる曲に合わせて鼻歌をフンフン歌っていた。

 湊先生の駐車場は立体駐車場の二階にある。だから、当然のことながらエントランスを通らない。

 泣き顔は見られたくないから嬉しいルートだけど、再申請や収支報告書を受け取りに行く必要がある。

「唯兄、私――」

「リィはさ、まず寝ようよ。申請書やらなんやらは俺があとで取りに行ってあげるから。じゃないと時間がずれ込んで夜の作業ができなくなるか、予習復習の時間が取れなくなるよ」

 時計を見ればすでに六時を回っていた。

「ね?」

 その言葉には頷くしかなかった。

 六時にはベッドに横になってなくてはいけないのだから。

「でも、身体は疲れていても心が寝るって行為を従順に受け入れてくれなさそうだよね」

 ゲストルームの玄関を開けると、栞さんとお母さんが心配の表情で出迎えてくれた。

「翠葉ちゃん……?」

 不安そうに声をかけてきたのは栞さん。お母さんは、「あらあらどうしちゃったのかしら?」といった感じ。

「とりあえずリィは寝かせたほうがいいと思うから、それはあとね」

 唯兄がその場を仕切ってくれ、私は洗面所へ押し込められた。

「まずは手洗いうがいでしょ?」

「翠葉、ついでに顔も軽く洗っちゃいなさい」

 廊下からお母さんの声がして、私は勧められるままに顔を洗った。

 私が洗面を終えると、廊下で待機していた唯兄が手洗いうがいを始めた。

「リィは制服を着替えてベッドへ直行。OK?」

「ん……」

 何もかも、行動を指示されて動いていた。まるで自分では何も行動できない人みたいに。

 言われたとおり、自室でルームウェアに着替えると、ドアがノックされる。

 入ってきたのは唯兄。

 片手にお水の入ったグラスを持っていた。

「こんなときはさ、薬の力を借りるのも悪くないよ」

 差し出されたのは私が普段飲んでいる筋弛緩剤だった。

「睡眠導入剤まで使う必要はない。ちょっと気分を落ち着けるために飲むもの。俺も、精神的に不安定だった時期があるから、そういうのはわかる。素人判断って言われたらそれまでだけど、この薬ならリィも普段から飲みつけてるでしょ?」

 コクリと頷き、私は薬の力を借りることにした。

「あとはラヴィでも抱いて寝ちゃいな。七時少し回ったら起こすから」

「唯兄……ありがとう」

「うん。なんだったら寝付くまでここにいるけど? 手、つなぐと安心するんでしょ?」

 唯兄はにこりと笑って手をつないでくれた。

「じゃ、少しだけ……」

 この手も違うな……。

 大好きな唯兄の手だけど、ツカサの手とも秋斗さんの手とも違う。蒼兄やお父さん、お母さんと同じ家族の手だ――。

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